第九話 《影に寄り添う者たち》
模擬戦が終わったその日を境に――
ノイッシュとアレックは、サイラスにやけに近づくようになった。
最初、彼らの目にも偏見はあった。
――あの若さで学校に? 王太子のコネに決まってる。
――殿下に異常なほど気に入られてるしな。お坊ちゃんのお飾りだろう。
だが、その認識はあまりに浅はかだった。
剣術、騎乗、戦術知識、臨機応変な判断力――
どれをとっても、カイン・ブレストという名の少年は彼らの想像をはるかに超えていた。
他の貴族子弟が訓練後に酒場で遊んでいる時間、
彼は人気のない片隅で木剣を振り続けていた。
または、羊皮紙に記された戦略論を、黙々と読み込んでいた。
これは「コネで入った」生徒ではない。
これは――己の力だけで立ち続ける者だ。
そして、彼は決して誇らない。
声高に語らず、ただ静かに研鑽を積む。
だからこそ、気づけばこう思っていた。
――この人に、ついていきたい。
サイラスは自分から距離を縮めることはなかった。
だが、彼らが近づけば、拒むこともない。
その答えは常に冷静で、時に鋭い。
ただそれだけなのに、不思議と惹きつけられる。
「なあ、聞いたか?」
ノイッシュがある時、半ば冗談交じりに言った。
「学園じゃこう噂してる。王太子、あんたを玩具にしてるんだとよ。」
アレックは即座に呆れた顔をして言い返す。
「くだらん噂だ。聞き流せ。」
サイラスは――ただ淡々と、
「そうか。」
とだけ返す。
他人の評価に興味がない。
いや――誰にも期待していないのだろう。
その冷淡さは、傲慢ゆえではなく、意図的な「距離」だった。
それでも、彼らは決めていた。
この距離を、埋めると。
夕刻・戦術準備室
王太子エドリックは、その変化を見逃さなかった。
ノイッシュとアレックが、最近やたらとサイラスの周りにいることを。
今日もそうだ。
彼が歩み寄ると、二人は一瞬視線を交わし、軽く会釈をしてから――
邪魔しないように数歩離れ、壁際で談笑を装う。
その目は、しかし時折こちらを盗み見る。
「……なるほど。」
エドリックの唇に、意味深な笑みが浮かぶ。
サイラスは彼の接近に気づき、琥珀の瞳をわずかに上げた。
一瞬だけ表情を揺らし――すぐに礼をとる。
「殿下。」
「ふうん?」
エドリックの紅瞳が、彼の顔をなぞる。
そして、わざと軽い声で言った。
「最近、二人も取り巻きができたみたいじゃないか。……もう俺のことは遠ざけるのか?」
サイラスの眉がわずかに動く。
「……何のことです?」
「いや、別に。」
エドリックは肩を竦め、話題を切り替えた。
「明日の模擬戦――俺も同じチームに入る。事前に作戦を詰めておこうと思ってな。」
サイラスは短く頷く。
「わかりました。」
二人は資料を手に、人の少ない戦術室の奥に腰を下ろす。
テーブルに広げられた戦場図を挟み、二人の影が寄り添う。
エドリックは自然な仕草で身を乗り出し、
その肩がサイラスの肩に、かすかに触れるほど近づいた。
「……ここの地形は死角が多い。伏兵を置くなら、ここだ。」
彼の指先が羊皮紙の上をなぞる。
サイラスもすぐに応じる。
「視界が制限される分、警戒線を広げるべきです。
それと、東側の高地を敵が取った場合――こちらの騎兵は封じられます。」
「……なるほど。」
紅瞳が細められ、視線がサイラスの横顔を射抜く。
驚いたことに――彼は、もうエドリックの距離を避けようとしなかった。
押し返しもせず、眉ひとつ動かさない。
まるで、この近さが当たり前になったかのように。
――慣れた、だと?
ほんの少し、胸の奥がざわつく。
以前なら、肩を触れさせれば、必ず睨み返してきたのに。
軽く指先を触れただけで、息を呑むほど過敏だったくせに――
今はもう、何もない顔をしている。
面白くないな。
だが表情には出さない。
エドリックは薄い笑みを浮かべたまま、戦略図に指を置く。
「じゃあ、どっちが先に勝利を掴むか――競ってみるか?」
サイラスは目を上げ、淡々と返す。
「この試験は、個人戦じゃなくてチーム戦です。」
「……俺が、協調性がないとでも?」
わざと挑発する口調。
だがサイラスは応じない。
ただ地図を見下ろし、静かに指を走らせた。
「ここに障害物を設置します。撤退路も確保しておくべきです。」
――本当に、つまらないやつだ。
だが、だからこそ――目が離せない。
エドリックは指先でテーブルを軽く叩き、紅瞳に愉悦を宿した。
「明日――楽しみにしてる。」
サイラスは一言だけ、
「……はい。」
と短く答えた。
それが、なぜか火をつける。
抑えようのない興味に。
――もっと、引きずり出したくなるじゃないか。