第七章 七星寮
茶番のような騒動を経て、僕が納得できるかどうかなんて気にもせず、隊長は一方的に説明を始めた。
「ここは七星寮。俺たち『第三特務小隊』の専用寮だ。」
そのまま隊長の説明に合わせて、僕は周囲を見渡してみた。
一階は共用のリビングになっているようで、大きく分けて二つの空間に分かれていた。玄関から見て左手のエリアはダイニングのようだ。ヨーロッパ風の内装に、濃いブラウンの木製フローリング、そして無垢材のテーブルと椅子――ナチュラルな香りがそこかしこに漂っている。
天井は吹き抜けになっていて、開放感バツグン。頭上には煌びやかなシャンデリアが吊るされていて、シンプルな空間に少しばかりの華やかさを添えていた。……これはもう、パーティー用じゃないか。
その横には、大きなクリーム色の毛足長めのラグが敷かれていて、見るからにふわっふわ。あれは絶対、寝転がってごろごろしたくなるヤツだ。ラグの上には、淡い黄色のソファと半透明のガラステーブル。どちらもピカピカに掃除されていて、テーブルの上にはお菓子まで置いてある。その向かい側には、ショッピングモールにあるデモ用かってくらい巨大なテレビ。これは完全に「仲良くなるための交流スペース」ですね、はい。
「隣はキッチン。パールとオブシディアンが三食用意してくれるが、自分で作りたい時は冷蔵庫の食材を自由に使って構わん。」
キッチンもやたらと広い。冷蔵庫、電子レンジ、フライパンなんかの一般的な調理器具だけじゃなく、オーブンにフライヤー、鉄板まで完備してある。……いや、レストランかよ。
これは、食事にも期待していいんじゃないか?
隊長が一階の説明を一通り終えると、ルルさんが突如、僕の手をがしっと掴んで二階へ引っ張っていった。
って、ちょっと待てぇぇぇえええ!
まず服を着てくださいお願いしますッ!
服が着られないってんならせめて、そこの細かいところまで再現しないでください!
「公希君のお部屋は、二階の一番左だよ!私の隣だから、何かあったらいつでも来てね!」
ルルさんはいつものように、僕の心の中のツッコミを完全にスルーして、マイペースに説明を続けた。
「他の二人もこのフロアに住んでるけど、三階にはトリじゃん一人だけだよ〜」
二階に上がると、熊本ではあまり見かけない室内廊下の構造になっていた。左側には四つの部屋のドアが等間隔で並び、右側は窓が数枚あるだけの一面の壁だった。
ルルさんの話によると、まだ会ったことのない他の二人の隊員もこの階に住んでいて、隊長だけがなぜか三階に一人で暮らしているらしい。
……隊長、もしかしてあんまり人付き合いが得意じゃないんじゃ?
あの短気でキレやすい性格と、ほとんど皆無な忍耐力を思い返すと、この仮説はかなり説得力がある気がしてきた。
きっと誰も、あんなのと隣に住みたいとは思わないんだろうな。
……かわいそうに。もしかしたらちょっと寂しかったりするのかも。
よし、今度からたまには話しかけてあげようかな、あんまり孤独にさせたらダメだよな――
「俺はな、寮内の設備と危険物の管理担当だから、他の隊員を邪魔になれないように一人で三階に住んでるんだよ。」
「ひぃっ!?」
不意に、僕の肩に冷たい手が置かれたかと思えば、耳元で低い声が囁かれた。
さっき後ろにいたのいつの間に!?
「これ以上くだらねぇ妄想してると、お前のそのアホな頭、もう一生使えなくしてやるぞ。」
す、すみませんでしたぁぁあああ!!もう勝手な推測は絶対にしませんから!!
「はははっ!もう、公希君ってば本当に妄想好きだよね~!トリじゃんが人付き合い苦手だなんて、面白すぎてお腹痛いよ~、あはははっ!」
僕と隊長のやり取りを見たルルさんが、横で腹を抱えて大笑いしていた。
どうやら、隊長に対する認識にズレがあるらしい。
「…なんか文句あんのか?」
「いえ、滅相もございません!」
一秒もかからずに、僕は即座にルルの意見に全面的に同意した。
ルルの笑いがようやく収まったころ、隊長がまた徐々と説明を再開する。
「三階の構造は二階と同じだ。ただし、空き部屋は全部異常物の保管に使ってるから、用もないなら勝手に上がってくるなよ。」
はい!絶対に三階には行きません!
「…でも、隊長に何か相談したい時はどうすれば…?」
上がっちゃいけないとなると、自分から会いに行く手段がなくなるじゃないか。
そう、
僕、今の今まで……
隊長どころかルルさんの連絡先すら知らないんですよ!残りの二人なんて、言わずもがな。
だってさ、この数日間、隊長からの連絡って全部、気づいたらポケットに入ってる謎のメモ紙だったし…
なんかもう、スマホとかそういう文明の利器が似合わないんだよな、この人たち…スマホなんて使う必要ないってスタンスなのかと思ってましたよ!!
「そういえばそうだった!公希君とまだ連絡先交換してなかったね〜」
僕の言葉に反応して、ルルさんがふと思い出したように、空中からすっとスマホを取り出した。
しかもアイフォ●じゃん!?
めっちゃ現代的ぃぃ!!
ルルさんが慣れた手つきで操作しているのを見て、僕はもう言葉を失ってしまった。
そして――
ポケットの中でスマホが震え、着信音が鳴ったことでようやく我に返った。
「これ、私の番号ね。あとでちゃんと登録しといてね~!」
その時になってようやく気付いた。
この人たちも、ちゃんとスマホ使えるんだ……!
「お前、俺らのこと古代人かなんかだと思ってんのか?」
あまりにも衝撃を受けすぎたせいか、呆れた表情の隊長におでこを軽く弾かれ、ついにはツッコミまで飛んできた。
え? じゃあ、隊長――
なんで今まで紙切れで連絡してきたんですか!?
「お前、まだ正式に配属されてない状態で私用で連絡したら、パワハラになるだろ?」
……なるほど。何も言えませんでした。
僕がようやく現実に戻ったのを確認すると、隊長はふたたび一気に話を進め始めた。
「部屋の間取りは全部同じだ。不満があれば申請して、別空間とリンクさせることもできる。たとえばルルの部屋はアトランティスと繋がってる。」
……アトランティスって何!?
明らかにさっきから何度も話を中断されたせいで、隊長の忍耐力はほぼゼロになっている。口調もやけに早口で、完全に「さっさと終わらせるモード」に突入していた。
僕が「アトランティスと部屋を繋ぐ」って何のことか理解する暇もなく、隊長は勝手に部屋のドアを開けた。
中はキッチンのないワンルームっぽい構造で、左側に洗面所とバスルーム、右にトイレ。正面には大きな掃き出し窓が二つ並んでいて、電気をつけなくても明るい、とても良い部屋だった。
……あの光る玉たちを無視できれば、ね。
部屋のど真ん中をふわふわ漂っている、手のひらサイズの光球が七つか八つ。さすがにこれは無視できない。
光自体は柔らかくて眩しくはないのだけど、昼間の太陽の下でもはっきり存在感があるのはすごい。
しばらく観察した後、僕は一つの仮説にたどり着いた。
「隊長、これ……照明ですか? スイッチはどこに――」
質問が終わる前に、そのうちの一つの光球がすうっとこちらへ近づいてきて、だんだんと光を弱めながら僕たちの目の前に漂った。
そして――
「お客様、それは冗談がお上手で。私たちは照明器具なんかじゃありませんよ。」
そこに現れたのは、ほとんど人間と見分けがつかない、ただし背中にキラキラと粉をまき散らすような透明の翅を持つ、少年の姿だった。
昨夜の襲撃者とは違って、この子には目も口も鼻もちゃんとある、外見は普通の人間とほぼ同じ。違うとすれば、その翅と――
身長。
とにかく小さい。頭のてっぺんから足の先まで、定規一つ分くらいしかない。手のひらに乗せられるサイズ。
まさかと思っていると、隊長が無言で手を差し出し、光球の少年もおとなしく羽ばたきを止めて、その掌の上にふわりと着地した。
「鳳さま、いつもお世話になっております。こちらは以前お話しされていた新しい隊員の方ですね?
たいへんご立派なお方とお見受けします。きっと大いなる力を発揮してくださるでしょう。」
話し終えると、少年はくるりとこちらを向いて、軽くお辞儀をしながら自己紹介を始めた。
「初めまして、『株式会社引っ越しフェアリー』のコボルドと申します。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。」そう言いながら、彼は自分の体よりも大きな名刺を背中からスッと取り出し、僕に差し出してきた。
「は、初めまして!新しく配属されました松本です、こちらこそよろしくお…」
慌てて僕も名乗ったが、言いかけたところで思考が真っ白になった。
や、やばい……名刺、持ってないじゃん!
昔の職場のを使う? いやいや、同じ政府系とはいえそれは倫理的にまずいだろ! どうする!?
隊長……助けてぇぇぇ!
「ふっ」
僕の狼狽を見て、隊長は軽く呆れたように鼻で笑ったかと思えば、次の瞬間には一転して、社会人としての完璧な対応を見せてくれた。
「コボルドさん、申し訳ありません。彼はまだ正式に配属されていないため、名刺の準備が間に合っておりません。後日、我々の方から貴社に直接ご挨拶に伺いますので、本日はご容赦いただければ幸いです。」
「いえいえ、こちらこそ恐縮です……」
和やかに談笑する二人の姿に、僕は言葉を失った。
まさか、あの一言で人を殴る隊長が……こんなに礼儀正しいなん……!
「いてっ!」
不意に後頭部に激痛が走った。
冷気のような殺気を感じて横を見ると、やはりいつの間にか話を終えた隊長が仁王立ちして僕を睨んでいた。
「お前、俺に相当不満があるみたいだな?」
……母さん、不肖の息子は先に逝くよ。
「まぁまぁ、まだ部屋の整理もあるんだから、あんまりイジメないであげてよ〜」
「チッ……」
ルル女神様、いつも僕を救ってくれてありがとうございます……!
ふと気づけば、いつの間にか僕の家具はすでに部屋の中に運び込まれていた。
階下のリビングにあったダンボールまで全部上がってる……!
すごすぎる、ほんとにここには化け物しかない。
「さて、これで寮の案内は大体終わりだね〜」
先ほどの修羅場をなかったことにするように、ルルさんは手をパンと打って話題を戻した。
「寮内には特に厳しいルールはないけど、寝る時はなるべく鍵をかけないように。それ以外は普通に生活してくれれば大丈夫〜」
え? なんか、深夜アニメでよくある展開みたいなルール出てきたぞ!?
いや、まぁこの寮に泥棒が入るとは思えないけど……それにしてもオープンすぎない!?
「それは、ある隊員の都合で決められたルールだよ〜」
またしても僕の心の声に応えるかのように、ルルさんが説明してくれた。
でも……
ごめん、僕エスパーじゃないんで、もうちょっと具体的にお願いしていいですか?
ルルさんは隊長と違って怒らないけど、説明がいつもザックリしすぎててわかりづらい。
まるで「それくらい常識でしょ?」みたいな感じ。
そこで、僕は隣にいた隊長の方を見て助けを求める。
「右端に住んでる奴は、夢の中で他人の精気を吸わないとダメな体質なんだ。そのためのルールだ。詳細はそいつの種族や出身に関わることだから、気になるなら直接本人に聞け。ちゃんと教えてくれるさ」
……さすが隊長。説明のわかりやすさが段違いだ。
うん、これからはわからないことがあったらまず隊長に聞こう。そう心に決めた。
「ひどい〜、それじゃあ私が頼りにならないみたいじゃん〜!」
……ていうか、気づいたら他の2人の隊員がまだ一度も顔を見せてないな。
もしかして、歓迎されてない……?
「一人は他の部隊と合同任務中で、あと2日くらいで戻る予定。もう一人は学校行ってる。夜には会えると思うよ〜」
隊長より先に口を開いたルルさんは、まるで名誉挽回を狙うかのように、今回は珍しくとても丁寧に説明してくれた。
僕が心の中でツッコミを入れなかったことに満足したのか、ルルさんはドヤ顔で両手を腰に当てながら言った。
「どう? 私だって、ちゃんと頼れるでしょ〜?」
可愛いけど、今の僕はそれどころじゃないんだよな……なんで公務員なのに学校通ってるの?
「だって大学生なんだもん、公希君も大学の頃は朝から授業あったでしょ?」
珍しく真面目に答えたルルさんだったが、二回目の返答で早くもいつもの調子に戻り、僕はつい半目になって彼女をじっと見つめた。
その僕の死んだ魚の目に気づいたルルさんは小さく咳払いをして、仕切り直そうとした……が、横から隊長が遮って説明を始めた。
「うちは離職率も死亡率も高いからな、常に人手不足なんだよ。だから、本人にやる気と一定の認可された能力さえあれば誰でも採用される。」
あ、なるほど……。
って、もしかしてとんでもない世界に足を踏み入れてしまったんじゃ?
「まさかとは思うが、何も考えずに入隊したんじゃないだろうな。」
これは完全にバカを見る目でこちらを見てくる隊長。
「今から辞めてもいいですか……?」
これは死んだ目で尋ねる僕。
「だーめよ~ 今辞めたら死んじゃうから。」
これは満面の笑みで答えるルル。
……昨日まで思い描いていた輝かしい未来は、今や真っ暗な闇に包まれていた。ううっ……。
「さて、他に聞いておきたいことはあるか? なければ、そろそろ出勤の時間だ。」
僕が幻の未来に哀悼の意を捧げている間も、あの鬼隊長は業務マシーンのように淡々と話を進めていく。
時計を見ると、いつの間にかもうすぐ八時になるところだった。
そうか、隊長が珍しくルルさんの話を遮ったのは、遅刻を恐れてのことだったのか。どうりで、今日の引っ越し作業が妙にスピーディーだったわけだ。
僕が何も答えないのを見て、隊長は一言も言わずに背を向け、そのまま一瞬で姿を消した。ルルさんもそれに続き、「じゃあね。」と軽く手を振ると、水蒸気のようにふわっと消えてしまった。
すごい!あれさえ覚えれば、もう遅刻も終電逃しも怖くない!
僕は心の中でひっそりと誓った――絶対あの瞬間移動、習得してやる!
隊長たちが寮を出たあと、僕は自室に戻り、部屋の片付けと荷解きの準備を始めた。
……と言っても、部屋を見回してみれば、実際にやるべきことはほとんどなかった。部屋の中はすでに塵一つないほど綺麗に掃除されていて、家具類もコボルドさんたちによって以前の部屋と同じ配置で完璧にセットされていた。あとはダンボールの中身の衣類を片付けるだけだ。
こんなに楽な引っ越しは人生で初めてだ。まったく、ここのサービスは至れり尽くせりで感動すら覚える。もしこの会社が一般人向けにも引っ越し業務を展開すれば、瞬く間に市場を独占するに違いない。だって、誰だって童話に出てくるような小さな妖精さんたちに引っ越しを手伝ってもらいたいだろう?
今度、隊長に他にもこんな企業があるかどうか聞いてみよう。運がよければ、魔法の豆を買って巨人の国に冒険旅行に行けるかもしれない。
そんな取るに足らない妄想をしながら、僕はせっせと衣類や日用品を整理し、もう使うこともないかもしれない調理器具も、パールとオブシディアンの助けを借りて、キッチンの一角に丁寧に収納した。
――いつか、またこれらを使える日が来るといいな。
最後のダンボールを片付け終えた僕は、階下に降りて、パールたちが用意してくれた昼食をいただくことにした。彼女たちは僕の具体的な食事時間が分からなかったようで、冷めてもすぐに食べられるサンドイッチを用意してくれていた。
ごく普通の卵とハムのサンドイッチ……のはずなのに、パールの手にかかれば一気に高級感が増す。軽くトーストされたパンは冷めてもなおサクサクで、黒胡椒だけで控えめに味付けされた卵は香りを最大限に引き出しつつ、やや塩気の強いハムと口の中で絶妙に調和する。そんな贅沢な味わいに、僕はすぐに夢中になり、あっという間に平らげてしまった。
……まずい。この味を知ってしまったら、もう自炊なんてできなくなる。
キッチンの片隅で静かに佇む、ほとんど新品の調理器具たちに心の中で黙祷を捧げた。
だがそのときの僕は、まだ知らなかった。
昼のひとときをのんびり楽しんでいる裏で、静かに、だが確実に危機が迫っていたことを――。
僕の部屋の片隅、誰にも気づかれることなく転がっていた黒い小さな珠。それはゆっくりと成長を始め、丸い球体が次第に細く長くなっていく。滑らかだった胴体には鱗が現れ、先端には細かい裂け目が生じた。
その裂け目から、一筋の触手のようなものがにゅるりと這い出す。異様に分かれたその先端が、空気を舐めるようにゆらゆらと揺れている。まるで獲物の気配を探るかのように――。
やがてその先端に、黄昏のような、どこか妖しい光がぼんやりと灯りはじめた。完全に“成熟”した怪物は、今まさに、獲物を捕らえる瞬間を待っていた。
……そして、その獲物は、すぐに現れた。
僕が昼食を堪能している間、共用メイド型オートマタのオブシディアンが、部屋の掃除をしようと扉を開ける――。
それが、すべての始まりだった。