第六章 闇にある対立
怒り心頭の隊長を前に、僕はそっと距離を取った。万が一にもこのまま殴りかかってこられたらたまったもんじゃない。
そんな僕たちは、公園の真ん中でしばらくの間、ただ黙って睨み合っていた。
「はあ……」どれくらい経っただろうか。隊長がふいに大きく息を吐き出した。どうやら、さっきまで燃え上がっていた怒りも少しは落ち着いたようだ。それを裏付けるように、隊長の声もいつものトーンに戻っていた。「しょうがねぇ……明日の朝七時、迎えに来てやる。今夜中に荷物をまとめとけ。」
そして一拍置いてから、念押しのように言い足した。「寝坊したら、永遠に目覚ませねぇようにしてやるからな。」
その口調はいたって平静だったが、不思議と逆らう気が起きなかった。
いや、逆らえるわけがない。
僕はすぐさまスマホを取り出して、アラームを何個も設定した。
普段から寝坊なんてしないタイプだけど、念には念を入れてだ。
冗談じゃない。あの隊長なら本当にやりかねない。
僕を永遠に眠るにするなんて、朝飯前だろう。
ついさっきも怒らせたばかりなんだから、余計な地雷は絶対に踏みたくない。
──が、世の中には「猫は好奇心で死ぬ」って言葉がある。
僕はその猫だ、つい余計なことを口走ってしまった。
「でも、まだ数日猶予あるんじゃ……なんで急に……痛っ!」
言い終わる前に、目の前に瞬間移動してきた隊長に拳を食らった。
頭頂部に炸裂したその衝撃で、脳内が一瞬まっさらになる。
隊長ほんっと、手加減ってもんがないね……!
っていうか、続いて守ってくださいよ。
痛みは一分ほど続き、ようやく感覚が戻った頃、隊長はまるでバカを見るような目で僕を見下ろし、低い声で言った。
「襲撃されたいなら、予定通りでいいけどな。」
声は抑え気味だったが、その歯ぎしり交じりの口調からして、まだまだ怒りが燻っているのがわかった。
そして僕は、再び痛感した。
──僕、殴られて当然だ。
ほんと、反省してます。はい。
あののんきで間抜けなヤツを無事に家まで送り届けたあと、俺は寮に戻ることもなく、そのまま対異対策部──勤務先へと向かった。
部外者の侵入を防ぐため、この施設全体は強力な結界で覆われている。許可なき者は一切中に入れず、太陽の光さえも遮断される。
そのため、内部の照明は常に揺らめく、決して消えることのない青白い鬼火に頼るしかない。
仕方のない処置とはいえ、この雰囲気はどうにも不気味だ。
俺たちのようにここに慣れきった者からすれば、ただの暗い道に過ぎないが、初めて足を踏み入れた一般人にとっては、さながら地獄への片道切符だろう。
思い返せば、松本が初めてここに来た時、パールとオブシディアンに驚いて腰を抜かし、挙げ句の果てに叫びながら逃げ出したっけ。
あの時は逸材と期待していたのに、まさかただのバカだったとはな…。
襲撃された直後に、呆然とその場に突っ立ってるなんて、あいつ本当に何を考えてるんだ!
思い出すだけでイライラしてくる。今すぐもう一発ぶん殴ってやりたいところだが、あいにく今はもっと大事な用事がある。
いつも通り洋館の扉を開け、中へと足を踏み入れる。
だが今日は「第三特務小隊」の部屋には向かわず、そのまま奥へ進み続けた。
目的地は──「第一特攻小隊」。
どうしても、こいつらに一発、ケジメをつけてもらわねぇとな。
「クソ野郎ども、さっさと出てこいやぁぁッ!」
「警報、警報。侵入者を確認。侵入者を確認。防衛システムを起動します、防衛システムを起動します。警報、警報──」
護りの結界が張られた重厚な扉に、俺は容赦なく一発蹴りを入れた。
戦車の砲弾すら防ぐ結界が、その一撃で粉々に砕け散り、その瞬間、洋館の防衛システムが起動する。
周囲に響き渡るけたたましい警報音。あっという間に戦闘用の人形たちにぐるりと取り囲まれた。
「……」
「第一特攻小隊隊長、傀儡師の名において命ずる。直ちに防衛システムを解除せよ。」
俺が目前の人形どもをまとめて火だるまにしようとした矢先、部屋の奥から耳障りな声が響いた。
命令を受けた人形たちは、その場からすっと姿勢を正し、来た道を戻って配置に着いた。
鳴り響いていた警報音も徐々に止み、数十秒後には、さっきまでの喧騒がまるで幻だったかのように、辺りは元の静寂を取り戻していた。
──目障りなのは、部屋の中にいるクソジジイだけを除いて。
「おやおや、鳳殿が直々にお越しとは。何かご用でも?まったく、若い者は血の気が多くて困りますなぁ。老身が止めなければ、鳳殿も少々痛い目を見ていたことでしょうに。」
ぬけぬけとほざきやがって。
「茶番はいい、ジジイ。お前が部下に命じて松本を襲わせたんだな?」このまま話を流されたら、たぶん俺は本当に手を出してしまう。だから俺は、最初から単刀直入に核心を突いた。「さっさと説明しろ。じゃなきゃ、あの二人、今すぐぶっ殺す。」
現場に着いた瞬間、俺はすべてを悟った。
松本の記憶には改竄の痕跡がなく、襲撃者二人の姿も異様なほどにはっきりと残っていた。
──あまりにも、堂々としすぎている。それが逆に不自然だった。
あのジジイの部下がそんなミスをするとは思えない。
できなかったとも思えない。
なら、残る可能性は一つ──「俺への招待状」ってわけか。
ナメやがって……!
俺の詰問に対し、クソジジイは特に動じた様子も見せず、ただ静かに眉をひそめ、そばの茶杯を手に取って優雅に啜った。
「──ああ、その件でしたか。むしろ老身こそ鳳殿にお伺いしたいのですが。殿が部下に与えたという『高級異常物』、資料庫には一切の記録がございませんでしたが、いったいどちらで入手された宝物なのでしょう?」
……チッ、そう来たか。
ただの守り鈴を高級異常物扱いに仕立て上げ、俺の部門が私蔵していたと逆に告発する気か。
検査官を買収したら、俺に濡れ衣を着せるのも造作もない。例え身の潔白を証明できるでもかなり時間がかかるし、その間に噂も立つ。
一度でも上層部の目をつけられれば、これまで通りの動きは取れなくなる。
襲撃の件も、異常物の確認や奪還で丸め込む気か。
大義名分を手に入れつつ、こっちに泥をかける算段かよ……。
さすがはクソジジイ。
こういう三流な手口だけは一流だな。
──だが。
「アレは俺が作った私物だ。オーダーメイドの小道具ってやつでな。資料庫に載ってるわけがねぇだろ?」逃げ切りたい?させるか!
適当に鈴の出所を流したうえで、すぐさま本題に戻す。「俺の私物に手を出したってことは──その覚悟、できてるんだろうな?」
俺の部下にちょっかいかけた以上、タダじゃ済まさん。俺の顔は一度でも許さない!
だが、俺の威圧に対しても、クソジジイは相変わらずの調子で、にこにことした顔を崩さずに答えた。
「もちろんでございますとも。軽率にも他人の讒言を鵜呑みにし、鳳殿にご迷惑をおかけしたこと、老身としても誠に心苦しく思っております。もし機会を頂けるのであれば、改めてお詫びに伺いたく存じますぞ。」
まだ駆け引きで逃げようってのか!
「無駄口叩いてる暇はねぇんだよ!さっさと奴らを差し出せ!」
警備部隊が到着する時間を考えると、これ以上クソジジイとやり合ってる暇はない。だが、こっちが引き下がるわけにもいかねぇ。襲ったツケ、しっかり払わせてやる!
俺はわずかに魔力を放出し、強く迫る。このまま渋るようなら、私闘に持ち込んで直接叩き潰すまでだ。
上の連中がたかが私闘ごときで、俺の家と敵に回すような真似はできねぇだろ?
「鳳殿がそこまで我が部下をお気に召しているとは、老身としても光栄の至り……両手を揃えて差し出しましょうぞ。」
ジジイはようやく観念したのか、茶を一口啜ると、交換条件を提示してきやがった。
「ただし――あの二人は我が小隊の屋台骨。お引き渡しとなると、老身一人ではいささか心許ない……。そこで一つ、交換条件を提案したく存じます。」
「一つの約定で、二人を許していただくことは……叶いませぬか?」
「内容は?」
「我が第一特攻小隊は今後、『第三特務小隊』の松本に一切手出ししないと誓いましょう。そして、彼の処遇について上層部で議論される際には、中立を貫くことをここに誓います。」
……怪しい。
怪しすぎる。
あまりにも都合が良すぎる。いや、むしろ俺の予想を遥かに超えてきた。
今は監視派が俺の働きで多少優勢に立っているが、抹殺派の勢いも侮れない。こっそり手を出してくる連中は後を絶たず、ここ数日でも何組か撃退してきたばかりだ。
その中枢にいるこのクソジジイが、中立を名乗るとは。たとえ建前でも、抹殺派の結束を削ぐには十分すぎる成果だ。
だが――
あっさりと引きすぎだ。まるで何かを企んでいるとしか思えねぇ。
しばし思案した後、俺は決断した。
「いいだろう。ただし、来月の会議で――お前は棄権票を公開で投じろ。」それだけ言い残し、俺は寮へと戻った。
クソジジイの腹に何があるかも構いやしねぇが…
上等だ!
喧嘩売るつもりなら、買ってやろう!
朝早く──いや、正確には、緊張のあまりほとんど眠れなかった僕は、夜通し寝返りを打った末に、眠ることを諦めた。
さっさと洗面を済ませ、スマホをいじりながら隊長の到着を待っていた。
ピンポーン
「はーい……」
画面の時刻がちょうど7時を指したその瞬間、ドアベルが鳴った。まさに一秒の狂いもない。
ま、まさか……隊長、ずっとドアの前で待ってて、時間ぴったりに押したの?
ドアを開けると、そこには珍しくスーツ姿の隊長が立っていた。真っ白なシャツに、深い紺色ほぼ黒のスラックス、そして赤茶のネクタイ。
まるでエリート会社員そのもの。昨晩のラフな格好とはまるで別人だ。
……って、そういえば、隊長のスーツ姿って初めて見るかも? 洋館にいた時もあの黒のロングコートにヴィジュアル系のTシャツを合わせたスタイルしか見たことなかった。
「何ボーッとしてる!荷物の準備はできてるのか?」
私が虚空を漂っている間に、隊長は見事に堪忍袋の緒を切ったらしく、怒号で私の魂を現実へと引き戻してくれた。
「で、できてます!全部リビングに置いてます!」
「案内しろ。」
「は、はい!」
まさか隊長が引っ越しの手伝いまでしてくれるとは思わなかった。最初は寮までの送迎だけかと思っていたのに、まさかここまでやってくれるなんて……ありがたすぎる!
リビングに到着すると、隊長は部屋を一瞥してから一言。
「……荷物、少ないな。」
「そうですね〜」
ずっと実家暮らしだったから、ひとり暮らしを始めたのもつい一ヶ月前。服と日用品を合わせても、段ボール数箱だけで済んでいた。普通の車でも一度で運べるくらい。
問題は家具だった。
前に隊長が「家具は指定な引っ越し業者に任せばいいん」って言ってたから、自分では準備してなかったし、しかも予定よりも早まってるし……
「お前の車と家具は、あとで人を手配して運ばせる。とりあえず俺たちは先に出発するぞ。」
……やめて!僕の思考を読むのはやめてください!!
ていうか、ちょっと待って。
「車と家具を後で送る」って……え、僕たち車で行くんじゃなかったの!? なんで車を「送る」の?
「誰が車で行くなんて言った?」
「風が舞う、星が巡る。ここは現の鎖を破り、あるべき場所へ現れ」
まるで僕がとんでもないアホなことを考えているとでも言いたげに、隊長は横目で私を一瞥し、ぶつぶつと呪文を唱え始めた。
その咒文に呼応するように、足元の床が淡い光を放ちながら回転しはじめる。複雑な紋章と意味不明な文字が重なり合い、目が回るような光景が広がった。
幸い、隊長の詠唱はそれほど長くなかった。詠唱が終わると同時に魔法陣の回転も止まり、乱雑に見えた紋様は不思議と整然と収まっていた。文字ひとつ重ならず、くっきりと浮かび上がるその魔法陣は、どんなハリウッド映画に出てくるものよりも精緻で、思わず息を呑んだ。
「す、すご……あっ!」
感動に浸る間もなく、魔法陣が突如として強い光を放ち、思わず目をぎゅっと閉じた。
――そして次の瞬間。
「着いたぞ。」
「公希君、ようこそ七星寮へ! 今日からここが君の家だよ、遠慮しないでねっ!」
光が収まり、ゆっくりと目を開けると、目の前にはルルさん。大きな猫ではなく、最初に会った時と同じ、メリハリ、何も着けていない女性の姿であるルルさん。
なんで服着てない状態で、わざわざ女の子の姿なんかに!?
目のやり場に困るんだけど!?!?!
……あれ? もしかして、それがルルさんの「本来の姿」とかだったりする?
「ううん、違うよ。ただこの子がかわいいから借りてるだけ。それに、私のは体で服を着られないしね〜」
僕の脳内を勝手に覗くな!!この超人達め!
いつも通り、僕の心の中は容赦なく盗聴されていて、ルルさんはにこやかに全部説明してくれるけど……いやいやいやいや、だからって納得できるかあ!
同時、僕の小さな希望は、隊長の冷たいひとことによって無残に砕かれることになる。
「お前と予言との関係が判明するまでは、心の監聴は続ける。これは上層部の命令だ。あきらめろ。」
──つまり、ずっと心を監視されるってことですか!?ノーーーー!!