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対異対策部  作者: 七ノ葉
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第十六章 僕の力

 僕はある夢を見た。

 今回は思い出ではない、世界の果てに立っている夢だった。

 そこは古びた神殿のようでもあり、かつて高熱にうなされた幼い頃に見た病院の病室のようでもあった。

 石の柱と鉄製のベッドが無秩序に並び、天井は海藻が逆さに垂れ下がる空。

 足元には湿った本のページが敷き詰められ、すべてには見覚えのない文字がびっしりと記されていた。

 目の前では、獣の頭骨の仮面を被った影たちが、低く何かを詠唱していた。

 彼らは環状に組まれた石の祭壇に集まり、手に掲げていたのは松明ではなく、燃え上がる数十本の指の骨だった。

 揺れる炎に照らされ、中央の石台に刻まれたトーテムが浮かび上がる。

 それは、蠢いていた。

 絶えず形を変え、線が渦巻き、裂け、混ざり合うその印は、まるで呼吸を真似ているかのようであり、あるいは、言語としてまだ完成されていない「何か」のようだった。

 意味は分からない。

 分からないのに、背筋を這い上がるような「既視感」があった。

 それは記憶ではない。体の奥底が「覚えていた」。

「おまえは知っている。」

 誰かが耳元で囁いた。

 しかし誰もいない。

 視線を戻すと、祭司たちの顔が……無くなった。

 仮面の中は空虚な闇。

 その闇が、墨のように空中を這いながら、静かにこちらへ伸びてくる。

 次の瞬間、全員が一斉にこちらを見上げた。

 見たのは「顔」ではない——そのトーテムが、僕を見ていた。

 そして——現実が壊れた。

 僕はその場に立っていたと同時に、遥か上空から見下ろされてもいた。

 身体は砕け、無数の記憶の断片となり、それぞれが違う言語で、違う悪夢を語っていた。

 叫ぼうとしても声が出ず、首を振ろうとしても……自分には「頭」がなかった。

 ただ、あらゆる方向に「目」だけが存在し、それらがすべて、僕を見ていた。

 そして、世界が闇に包まれた。


「――ッ!」

 僕は思わず飛び起きた、冷たい汗が全身を濡らしていた。

 胸に残る、焼きつくような「視線」の余韻。

「……ハァ、ハァ……」

 息を切らしながら額を押さえると、ぬるりとした汗の感触が手に伝わる。その不快で、少しだけ安心感を感情られた。

 夢の内容は――覚えていない。

 ただ、何かが「いた」ことだけが、神経の端でまだざわついていた。


「目が覚めたか。」

 ベッドのそばから、静かな声が聞こえた。

 重いまぶたをゆっくり持ち上げると、椅子に腰掛けた隊長の姿が見えた。手には一枚の書類を持ちながら、鮮やかな紅の瞳で、じっとこちらを見つめている。

「た、隊長……」

 声がひどくかすれていた。「僕……」

「三時間寝てたぞ。」

 さすがは僕の心の声を常に監視している隊長、まだ何も聞いていないのに、一番気になっていたことに即答してきた。

「体の具合はどうだ?」

 三時間?思ったより短いな!

 てっきり前みたいに、何日も寝込むことになるかと……。

 ていうか、なんで毎回倒れてんの?

 僕ってそんな虚弱体質だったっけ?

「魔力の消耗に身体がまだ慣れてないんだ。気絶や手足の脱力はよくある反応だよ。あと一、二回やれば平気になる。」

 ……あー、いかにもラノベっぽい設定だな、それ。

「登録のときのこと、覚えてるか?」

 ふいに隊長が話題を変えた。

「……最後のほうは……」

 促されるまま、記憶を辿る。

 絶望と恐怖、そして目の前に迫っていた腐臭漂う巨大な口。そこまでは覚えている。だが——

「僕……どうやって助かったんですか?」

 隊長は手にしていた書類を机に置き、少し身を乗り出す。

 鋭い視線が、僕の内側を見透かすように突き刺さってくる。

「忘れたのか?」

「……よく思い出せないんです。ただ……殺される寸前、身体が勝手に動いたというか……気づいたら剣を振ってて、それから先がもう……」

 僕の言葉を聞いた隊長は、一瞬沈黙した。

 隊長は何かを測るようにしばらく黙り込み、やがて独り言のように低くつぶやいた「……本能で戦えるのか?後で、似たような種族がいるか調べてみるか。」

「……種族でなんですか?」

「いや、何でもない――」隊長は急に言葉を切り、何事もなかったような口調に戻った。

「そろそろ夕食の時間だ。着替えて下に降りろ。あとで説明してやる。」

 そう言ってドアの方へ向かいかけたが、途中でふと振り返ると、冗談めかしながらもどこか本気の口調で言った。

「そういえば、お前、寝言すごかったぞ。」

「えっ?な、何か言ってました……?」

 いや、僕って寝言言うタイプだったっけ?

 もしかして……過去の黒歴史とか口走ってたりしたらどうしよう……。

「アアイトゥルーガラゴ……」

 妙に不気味な、明らかに人間の言語じゃないイントネーションで、隊長は僕の寝言を真似た。

「意味不明な単語をずっと繰り返してたな。次に見るときは発音もっとマシにしろ。間抜けに聞こえる。」

 どうやら、他人の寝言を現実で聞くのは初めてだったらしく、隊長は珍しく質問を重ねた。

「夢の内容、覚えてるか?」

 ……がんばって思い出そうとするも、頭の中は真っ白。

 まるで、粘つく目と手で描かれた映像が、一瞬で拭き取られたみたいに、なにも残っていない。

 ただ、焦燥感と重苦しさだけが、神経の端にへばりついていた。

 ……まさか、僕はもう若年性認知症……?

 僕が思い出せないのを見て、隊長はそれ以上は何も言わず、ドアを静かに閉めた。

 部屋には僕一人が残され、思い出せない旋律をひたすら探ろうとする——そんな、妙な焦りだけが残っていた。

 数分間、必死に思い出そうとしたが、一片たりとも記憶が浮かばず、ついに諦めた。

 着替えを済ませ、階段を下りる。

 隊長の言った通り、夕食はすでに整っていて、階段の途中からでも食欲をそそる香りが鼻をくすぐる、思わず足取りが速くなる。

 食堂に入ると、パールさんに手伝っているアイリスが笑顔で祝ってくれた。

「松本くん、無事に登録を通過したんだってね。これで正式に私たちの小隊の一員だよ。」

 そのままアイリスと軽く言葉を交わしていると、視界の端に水色の何かがよぎった。

 振り向けば、水でできた普通サイズの子猫が、背後から食卓へと跳び乗ってきた。

 大きさはだいぶ違うが、ついこの間会ったばかりだったこともあり、すぐに気づく。

「ルルさん、なんで急に猫になってるんですか?」

「ずっと人の姿を保つのは疲れるの。だから時々こうして子猫になるのよ。かわいいでしょ?」

 そう言って、ルルさんは本物の猫のように前足で顔を洗い始めた。かわいいと思うべきか、それとも見た目に影響されているだけなのか……

「オブシディアン、水を一桶持ってきて。」

 顔を洗い終えると、ルルさんは振り返りもせず、厨房から出てきたオブシディアンにそう頼んだ。

 ……そんなに水を何に使うんだ?

 そう思って見ていると、目に焼き付いて離れない光景が広がった。

 ルルさんが片方の前足を桶の中に入れると、水面が目に見えるほどの速さでドンドン下がっていく。

 逆にルルさんの体はみるみる大きくなり、姿も変わっていく。

 ほどなくして、いつもの人の姿へと戻っていた。

 ――これ、一体どういう原理なんだ?

 ま、待てよ……もし水を吸収して大きくなれるなら、海を全部吸い上げたら……

 ……やめておこう、心臓に悪い。


 僕たちがそんなやり取りをしていると、やがて隊長と千尋さんも食卓に加わった。

 皆で美味しい夕食を終えたあと、ついに隊長が重い口を開いた。

「さて……松本の能力について、ある程度の結論が出た。」

 声は大きくなかったが、その一言で場の空気は一気に張り詰める。

「結論から言おう。松本、お前には極めて稀で、しかも厄介な資質が二つ備わっている。」

 そう言いながら、隊長は指を一本立てた。発見した法則を語る学者のように、興味深げでありながらも慎重な声音だった。

「まず一つ目は――『異常物を増幅する能力』だ。」

「登録時に使った刀、『滝鱗』を覚えているな。あれは八級異常物で、本来の能力は『わずかに水流を操る』程度だ。だが、お前はそれを使って、異獣の体内に流れる『血液』そのものを操った。つまり、『水』という概念を拡張し、『液体』というより広範な領域へと引き上げてしまった。これはもはや、完全に別の能力だ。」

「……それ、いいことなんじゃないですか?なんで厄介なんですか?」

 僕は思わず口を挟む。異常物を強化できるなんて便利すぎる能力だろう。

 だが隊長は、複雑な表情を浮かべた。

 ……あれ?もしかして今の質問、バカだった? 

 いや、そうじゃないことを祈る……

 隊長が返答に詰まった、その一瞬の隙を突くように、ルルさんが口を開いた。

「もしそれが呪いを持つ異常物だったら?あるいは大規模な被害を引き起こすものだったら? 

 公希君、あなたまだこの力を制御できないのでしょう?」

「それに、お前の力が制御可能かどうか、上限はどこなのかも不明だ。特定の異常物だけに作用するのか、それともすべてに作用するのか。いや、むしろ『特定のものにしか作用しない』のかさえ分からない。」

 ルルさんの説明を受けて、隊長もすぐに思考を整理し、淡々と続けた。

 ――やばい。

 二人に指摘されて、ようやく自分の力の危うさを理解した。

 そりゃあ予言に出てきてもおかしくない。僕、まるで歩く四魂〇玉じゃないか……!

 頭が真っ白になる。

 隊長の言葉一つ一つが、現実という名の板に打ち付けられる釘のように、僕を逃げ場のない場所へと縫いつけていく。

「そして、問題の核心は……お前の二つ目の資質だ。」

 そう言って、隊長は二本目の指をゆっくりと立てた。

「ま、まだあるんですか!?」

 隊長の表情はこれまでにないほど真剣だった。

「それは――『他者の魂との同調』だ。」

「……同調?」

 は? 

 なんだそれ。

「すべての生命――人間、精霊、悪魔、その本質は『感情』と『記憶』で構成されたエネルギー体だ。通常の術者は、外部からの干渉、つまり物理攻撃や呪術封印で『異常』に対処する。

 だが……お前は違う。」

 隊長は一瞬言葉を切り、その紅い瞳に数日前の出来事を思い出したような光を宿した。

「お前がやったのは単なる『説得』じゃない。もっと危険で、もっと本質的なことだ。――『共鳴』と『同調』だ。」

「お前の力は、相手の魂の核に直接触れる。感情を感じ取り、記憶を理解し、自分の魂を相手と同じ周波数に調律する。その状態では、お前と対象の間に秘密は存在しない。魂のレベルで『同一の存在』になる。だからこそ、お前あの怨霊をを導き、『救い』、さらには支配した。」

「千ちゃん、要するに……」

「マスター、本当に間違っていませんか?」

 僕が反応するより早く、ずっと黙って聞いていたアイリスと千尋さんが同時に声を上げた。

 まるで信じられないことを耳にしたかのように。

 ……え、ちょっと待って。これ、知らないの僕だけ?

「君にわかりやすく言うなら、もしこの力を自在に扱えるようになれば――最低でも、あらゆる生命を支配できるだろう。」

 いや、それ普通にやばいでしょ……ってか、「隊長たちだって似たようなことできるんじゃないの?」

 だって初対面の時、僕、パールとかオブシディアンとかいう補助人形に操られたし。

 そういうのって、この世界じゃ別に珍しくない力なんじゃ?

「松本坊、それは一概には言えぬのじゃよ。」

 千尋さんは小さく首を振り、静かに言った。

「千尋の言う通りだ。」隊長は小さく頷くと、再び話を引き取った。「俺たちのは『外力』で無理やり相手に影響を与えているだけだ。だが、お前は『根源』から直接、相手を変えている。」

 ……どういうこと?

 僕が疑問顔を浮かべる顔を見ると、アイリスが少し言葉を選びながら口を開いた。

「簡単に言えば……私たちは人形師みたいなもの。()で人形を操るように、外側から影響を与えるだけ。けど、松本君はプログラマーに近いの。直接、機械人形の行動コード()を書き換えるのよ。

 ()が切れたら、私たちはもう操れない。でも、松本君は一度でも干渉したら、効果は永久に残る。」

 ま、まじかよ!? 僕!?

「まじかどころじゃないわよ!」ルルさんが真剣な顔で言う。「公希君が引き起こす結果は、下手したら私よりもとんでもない精神災害に繋がるの!」

 ……は?そんな大げさな?

 ルルさんの一言に場が凍りつき、僕は一瞬、戸惑いすぎて反応できなかった。

 自分の潜在能力に驚くべきか、それとも背筋が寒くなるべきか……

 いや、そもそも、ついこの前まで普通の市民だった僕に、そんな重大さ理解しろって方が無理あるだろ!

 なんかもう全部、夢に違いない! 幻覚だよこれ!

「話はまだ終わってないぞ。ボサッとするな!」

「っ!」

 隊長の怒号にビクッとして、慌てて姿勢を正した。これ以上逃げたら、後頭部に鉄拳が飛んできそうだ。

「最悪の事態は――この同調が双方向だということだ。」

 隊長の声色は、これまでにないほど重く、顔も険しい。

「つまり、相手もお前に干渉できる。」

「……つまり……」

 頭に、最悪な想像が浮かぶ…

「ああ、その通りだ。」隊長はあっさりその考えを肯定し、さらに続けた。

「もしお前が同調した相手が、男に裏切られた哀れな女ではなく――数百、数千の魂の憎悪と狂気が凝縮した『集合体』だったら?

 あるいは、今日の登録で現れたような、深淵から這い出た、我々とは根本的に異なる精神構造を持つ異獣だったら?

 お前の自我は一瞬で狂気と憎悪と絶望に飲まれる

 海に落ちた一滴の墨のように、溶けて、消えて、呑み込まれるだろう。

 ……そして、奴らがその力を利用して、自分の意識を都市全域に拡散させたら――

 その時、何が起こるかは……俺たちにも断言できない。」

 ……シーン。

 食卓に、誰一人声を出す者はいなかった。

 隊長の結論を聞いた瞬間、全員が息を呑み、沈黙に沈んだのだ。

 都市を丸ごと滅ぼす拡散器……自己意識が墨のように呑み込まれていく……。

 その一つ一つの言葉が、冷たい鑿となって脳に突き刺さり、全身を凍りつかせていく。

 息が詰まりそうな沈黙を、最終的に破ったのは――震える自分の声だった。

「な……なら、僕……僕はどうすればいいんだ!?」

 声は掠れて小さく震えていた。だがそれでも、限界まで追い詰められた精神から絞り出した、精一杯の音節だった。

 だが隊長はすぐには答えなかった。ただ黙って僕を見つめる。

 その眼差しは、深夜にゆらめく篝火のようで――不思議と心を和ませ、混乱も恐怖もその炎に呑み込まれていく。

 僕が少し落ち着きを取り戻した頃、隊長は反論の余地を与えない、絶対的な命令口調で口を開いた。

「松本。まずは己の能力を可能な限り隠せ。俺の許可がない限り、誰にも知らせるな。」

 その声には焦りすら滲んでいた。

 僕にも分かる、これは単に監視を受け入れれば済む話じゃない。下手をすれば、小隊全体を道連れにしかねない事態だ。

 だが――この先、僕はどうすればいい? 

 いつまでも寮に閉じこもっているわけにもいかない。

「正直、お前を一生七星寮に軟禁することも考えたが……あまりに非人道的だ、やめた。」

 そう言って隊長は苦笑し、少しだけ張り詰めた表情を緩めた。

 彼は立ち上がり、僕の肩にそっと手を置く。

「この国には異能者を教育する学園がいくつかある。数日後、俺が直接お前をその一つに連れて行く。そこで己の力を制御する術を学べ。」

「……学園?」

 卒業して二ヶ月も経たないうちに、また学生生活に逆戻りってことか?

「訓練の第一歩はさっき言った通り、人に悟られぬまま自分の力を試し、制御を学ぶことだ。」

 少し考えて、隊長はさらに付け加える。

「少なくとも――その二つの厄介な力が制御可能かどうか、そしておおよその限界を把握することだ。」

「……それだけでいいのか?」

「うむ。お前の能力の詳細が分からぬ以上、それ以上の計画は立てられん。」

 なるほど……納得した。

「それじゃあ、アイリス。学園では色々と頼むぞ。」

 幸い僕もまだ年齢的には浮くほどじゃないし、知り合いもいる。そこまで気まずくはならないはずだ――そう思った、その直後。

 現実は容赦なく僕を叩きのめす。

 アイリスは苦笑し、少し申し訳なさそうに言った。

「ごめんね。私はもう数年前に学園を卒業して、今は普通の大学に通ってるの。」

 つまり……あの学園に行くのは僕一人ってわけか。

 見知らぬ若者たちに混じり、いい歳した大人が一緒に授業……想像するだけで気まずすぎる!

 だがそんな僕の心境など完全に無視して、隊長は強引に話を進める。

「千尋、この二日ほど松本に基礎を教えてやれ。法術の初歩も練習させろ。学園の手続きが済み次第、すぐに入学させる。」

「ええ。」

 こうして――僕の二度目の学生生活が、幕を開けるのだった。


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