第十三章 新しい一日
僕は「鍵」なんだとさ。
なんかの預言の発端で、どっかの神器が選んだ中心人物、だとか。
最初は、ちょっとだけカッコいいかもって思ったよ。まるで中二病の夢が叶ったみたいでさ。
でも今は、はっきり分かる。
――そんなの、ただの新しい鎖にすぎなかった。
「お前は特別だから、ここに残らなきゃいけない。」
「お前が拒んだら、世界が終わる。」
……言ってることは、結局今まで受けてきた社会の教育と変わらない。
「ちゃんと勉強しろ」が「世界を滅ぼすな」に変わっただけだ。
もう、誰かが決めた生き方をなぞるのは、うんざりなんだ。
運命だとか、神様の意思だとか――そんなもんに振り回されるのは、もうたくさんだ。
僕は「選ばれた者」なんかになりたくない。
僕は、僕自身が選んだ何かになりたいんだ。
もしここに残るなら、それは「戦いたい」と思ったからで、
もし誰かを助けるなら、それは「助けたい」と思ったからだ。
天から降ってくる鏡だか何だかに言われたからじゃない。
……だから今回だけは、上の連中が何を言おうが、僕は自分の意志で進む。
怖くても、失敗しても、それでも――この一歩だけは、僕が決めた一歩だから。
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ピーピー、ピーピー…
「……うん……」
朝の澄んだ鳥のさえずりに包まれながら、珍しく二度寝する気にもならず目を覚ました。
まあ、三日も寝てたしな。これ以上眠れたら、それはそれでホラーだ。
――が、目を開けた瞬間、僕は言葉を失った。
もちろん、目の前に巨大なニワトリと殴り合ってるデブがいるわけじゃない。ここはアメリカじゃねぇ。
けれど、それでも信じられない光景がそこにはあった。
金色のロングヘアが滝のようにベッドに広がり、白く健康的な肌が朝日を浴びてほんのり桜色に染まっていた。
桜色の唇が、寝息に合わせて小さく上下し、それにつれて豊かな胸元もゆったりと上下する。年相応の、飾り気のないミルク色のパジャマが、むしろ彼女の身体のラインを際立たせていて――
「……って、うわあああああああっ!!」
ドン!
ようやく状況が理解できた僕は、驚きのあまりベッドの端から転げ落ち、派手な音を立てて床に激突した。
そう――アイリスが、僕のベッドで、一緒に寝てたのだ。
「ふぁ……何、ですか……?」
物音で目を覚ましたアイリスは、初対面のときのキリッとした印象とはうって変わって、のんびりと瞼をこすりながら、ぼんやりとした声で言った。
「な、なんで君が僕のベッドにいるんだ!?!?」
まだ尻の痛みも残る中、状況を整理しきれない君は、思わず叫んでしまった。
アイリスは眠たげな目を細めながら、夢うつつのような声でぽつりと答えた。
「……マスター、聞いてませんでした?私、ちょっとだけサキュバスの血が混じってるんです。たまに、こうやって他人の精気を吸収しないとダメなんですよ。」
だんだんと彼女の意識がはっきりしていき、言葉遣いも初対面の時のアイリスへと戻っていく。「それで……寮の『部屋のドアは施錠禁止』ってルール、あれは私のためにあるんです。」
――なるほど。なんか色々納得した。てことは、うちの部隊、人間って案外少ないのか?もしかして、もう一人も実は人外だったり?
いや、もしかしてこの世界、混血ってわりと普通なんだろうか……?
「じゃ、部屋に戻りますね。松本君もあとでちゃんと身だしなみ整えておいてください。千尋様、もう戻ってきてますから。そんなボサボサの髪、彼女に見せてはいけないよ?」
……千尋様?誰それ?
聞き返そうとした時にはすでに、アイリスはすたすたと部屋を出て行っていた。
――アイリス、隊長やルルさんと違って、僕の心は読めないらしい。あーもう、心の声が届かないって不便だなあ、くそっ。
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アイリスが出ていったあと、僕も渋々ながら洗面所へ向かった。
三日ぶりに自分の顔を鏡で見て、思わず絶句する。これは……人災だ。
寝ぐせはまるで台風が直撃した鳥の巣。一本たりともまっすぐな髪がない。
無精ひげで顔は薄汚れ、道端で寝てるホームレスって言われても違和感ゼロだし、三日間風呂に入ってない体からは、なんとも言えない酸っぱい臭いが漂ってくる。
アイリス、よくもまあこんな状態の僕の隣で寝られたな!?
なんとか気合いで元通りまで自分を修復した。
今の僕を見て、まさか三日も昏睡してたなんて誰が思うかって話だ。
ぐぅ〜……。
身だしなみを整えたタイミングで、見事な腹のアラームが鳴り響く。
時計を見ると、ちょうど七時過ぎ。
パールたち、もう朝食の準備ができてる頃かな?
そう思って階段を降りると、食卓の上座にちょこんと座って味噌汁を啜っている小さな女の子が目に入った。
髪はおかっぱ、服装は質素な四つ身――でも…
うわ、上座に座ってる……ただ者じゃないぞこれ。まさか、隊長の娘とか……?
「俺はお前より三つしか年上じゃねえんだよ!どこから娘が湧いてくんだ、バカ!!!」
と怒鳴り声が響いたかと思えば、後頭部に星が飛ぶほどの衝撃。
……この感覚、ああ、隊長だ。
「お、おはようございます、隊長……」
まーたこの人、いつの間に!?
神出鬼没にもほどがあるし、タイミング良すぎるだろ毎回!
もしかして、わざとどっかに隠れてて、僕のバカ発言待ってたんじゃ……?
「そんな暇人じゃねぇよ。」
僕の心の中の疑問に対し、隊長はそっけなくそう言い残し、そのまま小柄な少女に軽く声をかけてから、さも当然のように食卓の次席に腰を下ろした。
僕も後に続こうと席に向かうが……どこに座るべきか、少し迷う。
新入りの僕としては、一番端っこの末席が無難だろうけど、だからといって距離をとりすぎるのも変な感じがするし……
「おぬし、ここは家ぞ。そんな堅苦しい決まり事などない。座りたいところに座ればよい。」
まるで僕の逡巡を見透かしたかのように、上座の女の子が、子どもらしい高い声で古臭いな口調でそう言った。
いやちょっと待て、この子……年齢詐欺か??
隊長も何も言わないので、言葉に甘えて僕も次席の空いた場所に腰を下ろした。
すると、すかさずオブシディアンが朝食セットを出してくれた。
焼き魚に漬物、納豆……見た目からして、普通の定食屋を余裕で超えるクオリティだ。
ていうか、あのオブシディアンもう修理終わってたのか……?
ルルさんに徹底的に破壊されてた記憶があるんだけど……
思い出しただけでちょっとゾクッとしたが、ふと横を見ると、漬物をつまみながら静かに食事をしている隊長の姿が目に入り、なんだか安心した。
うん、大丈夫。
今は隊長が隣にいる。
たとえオブシディアンが魔王に覚醒しても、きっと一瞬で叩き伏せてくれるだろう。
しばらくして、ルルさんとアイリスも食卓に姿を現した。
アイリスはもう、あの素朴なミルク色の寝間着ではなかった。代わりに身に着けていたのは、清楚で甘さの漂う純白のブラウス。袖口には繊細なフリルが施され、シルエットは彼女の体型にぴったり合っている。下は淡紅色のプリーツスカートに黒のガーターソックスを合わせており、年相応の愛らしさを保ちつつ、どこか艶やかさも感じさせた。
腰まで届く燦金の髪はきちんと梳かれ、両側をリボンでゆるく結んだツーサイドアップ。ほどよくラフで、少しお茶目ながらも品を失わない、そんな雰囲気が彼女らしい。
一方のルルさんは、相変わらずの全裸スタイル……だったが、今朝は何か違う。もしかするとまだ寝ぼけているのか、以前のように細部まで作り込まれておらず、手足の輪郭すら曖昧で、今にも霧のように溶けてしまいそうな不安定さがあった。
「松本。」
みんなが朝食を食べ終えたタイミングで、すでに新聞に目を通していた隊長が、不意に口を開いた。
「正式に紹介しておこう。こちらがアイリス。さっきお前に話しかけたのが千尋だ。年端もいかない外見だがな、俺たち全員の年齢を合計しても、あいつの足元にも及ばねえ。」
……な、なんだって⁉ この上座に座ってる幼女が、あの「千尋さま」!?
その正体を知ってしまった今となっては、迂闊なこと言わなくて本当に良かった、まさかの外見詐欺。
今度から初対面の人には、まず年齢を確認するクセつけないとやばいかも……
隊長の簡潔な紹介のあと、今度は彼女たちが僕に向き直った。
「私はアイリス。このチームではサポートを担当しています。松本君のほうが年上だから、遠慮せずにアイリスって呼んでくださいね。」
隊長の隣に座っていたアイリスがすっと立ち上がり、柔らかな笑顔と共に名乗った。
その後、上座の小柄な少女――千尋も、抑揚の少ない口調で口を開いた。
「うちは千尋。人間ではないから、姓はない。そのまま千尋でええよ。チームのオペレーターをしとる。ようこそ、家族の一員になってくれたな、松本坊。」
……うん、声は完全に子供だけど、語り口がじいちゃんみたいなんだよなぁ。
「松本公希と申します。右も左も分からない新入りですが、これからよろしくお願いします。」二人に倣って、僕も慌てて頭を下げた。
パンッ!
僕たちが自己紹介を終えるや否や、隊長が突然手を叩き、全員の視線が彼に集中した。
そのまま淡々と指示を飛ばし始める。
「ルル、千尋――あとで俺の部屋に来い。
松本、お前は動きやすい服に着替えろ。二時間後に登録に行く。
アイリス、お前は今日は授業ないな?七星寮で待機、連絡があれば俺に報告しろ。」
「「「了解。」」」
さすが訓練されたチームだ隊長の声が終わるのと同時に、まるで長年染みついた習慣のように三人が同時に返事を返す。その一糸乱れぬ動きは、まるで精密な機械のように見事だった。
僕も慌ててそれに倣い、「了解っ!」と声を張った。
……っていうか、登録に行くだけなのに、なんで着替える必要あるんだ?
身分証作るならスーツのほうがよくないか?
でも、隊長はその疑問には一切応じることなく、ルルさんと千尋ちゃんを連れて部屋へと去っていった。
……あれ?聞こえてたよね?
いや、絶対聞こえてたでしょ?
疑問が渦巻く中、部屋に取り残された僕は、唯一の同伴者――アイリスに声をかけた。
「……隊長たち、何か大事な会議でもするの?」
「んー、どうだろ。マスター、たまにああやってルル姉を部屋に呼ぶことあるけど、何してるかは私も知らないの。」
えっ、アイリスも知らないの!?
軽く首を傾げると、彼女は話題を変えるように、さっきの隊長の指示を思い出したように言った。
「それより、松本君、これから登録に行くんでしょ? 気をつけてね、また三日間ベッドで寝る羽目になるかもよ?」
アイリスの口から飛び出した、予想外にも程がある忠告に、僕の脳は一瞬フリーズした。
……え?なんで?
なんでそんな物騒なこと言うの?
反射的に出た声は、まったく音量のコントロールが効いてなかった。「なんで!? 登録だけだよね!? なんでそんな危険なことに!?」
あまりの声量に、アイリスは両耳を押さえながら苦笑していた。
「だって……」
アイリスの説明を聞き終えた僕は、深い絶望に沈んだ。
その場から逃げ出すようにフラフラと部屋へ戻り、布団の上で現実逃避を図る……が、時間という残酷な現実は僕ひとりのために止まってはくれない。
気づけば、出発まで残された二時間は無情にも過ぎ去っていた。
遅刻して隊長に埋められるのはごめんだ。
いや、逆に今ここで埋められるなら、それも悪くないかも……どうせこのあと、もっとヤバい目に遭うんだし。
――どうせすぐ掘り返してくれるしね。
たぶん。
渋々、買って以来数回しか袖を通していない運動服に着替え、大広間で隊長を待つ。
しばらくして、階段の上から隊長とルルさんの姿が現れた。
「公希君、後の登録気をつけてね。」
ルルさんはすっかり目が覚めたようで、体の輪郭も安定している。いつも通りの、余計な部分まで完璧に作り込まれた裸体姿で僕の目のやり場を奪ってくる。
もう、その忠告は聞き飽きたよ!
……今からでも、辞退ってできるのかな?
「準備ができたなら、行くぞ。」
僕の心中の叫びをまるで聞こえていないかのように、隊長は淡々と、まるで死刑執行の宣告をするかのような声でそう言った。
いや、絶対聞こえてるよね?ねえ、聞いてよ!
当然ながら無視された僕を尻目に、隊長は指を鳴らす。
すると、床に青と白の魔法陣が広がり、僕たち三人を囲むように展開される。
次の瞬間、魔法陣が輝き出し、周囲の景色が歪み――
一瞬で、まったく見知らぬ場所へと転移した。
そこは、先日の洋館の周辺と同じく、見渡す限り何もない広大な空間だった。
ただし、目の前には一際異彩を放つ、空を突くほどの巨大な塔がそびえ立っている。
それは、まるで水そのものが結晶化したような、淡い蒼をたたえる透明な塔だった。
塔の表面は陽光を受けてキラキラと柔らかな光を反射し、見る者を幻想の世界へ誘うような美しさを放っていた。
しかし、内部の様子はまったく窺えない。まるで何らかの結界が張られているかのように、その透明の奥は不気味なまでに不可視だった。
入口には、二体の女神像が左右に並んで立ち、厳かな表情で互いを見つめ合っていた。
その長髪と衣は水の流れのように彫られ、まるで生きているかのような動きすら感じさせる。
静かに塔を見守る彼女たちから放たれる神聖な気配は、触れることすらためらわれるような威厳を持っていた。
その荘厳な光景の前で、隊長がぽつりと口を開く。
「――ここが、対異対策部の本部だ。」