マーレとネルが顔を引きつらせるほどに
マーレとネルが顔を引きつらせるほどに盛られた、耳塚。
それはクラリスがこの三日で倒したゴブリンの数だ。
三日合計の討伐数は百二十三体。
たったの三日で百越えはおそらくアーライ始まって以来の数字だろう。そしてそれを可能にしたのは、やはり『緑の刃』がいたからか。
「ええと、今回の討伐で規定数に達したので、クラリスちゃんはEランクとなります。か、カードを書き換えますね?」
ネルからマーレに手渡されるカードが震えている。
カウンターには死んだような目つきのクラリスに、やりきった感全快のバルとエル、そして呆れた目で見つめるフィーネだ。
「やったなクラリス君!君がアーライのゴブリンホルダーだ!」
「やったねクラリスちゃん!これならゴブリン殺しの二つ名が貰えるよ!」
「そ、そうです、ね。あ、あはは……はぁ——」
この三日間、休みもほどほどにほぼ戦いに明け暮れた。
死地とはこの事かと思い知らされたが、バルとエルが意気揚々とゴブリンを見つけては誘導してクラリスにぶつけた。
最低限フィーネが守ってくれるとの事だったが、当の本人は「それじゃあ鍛錬にならないわ。私たちと別れるならこれくらい一人で突破しなさい」と一切魔法は使ってくれない。
とにかく必死だった。
昼間でも耳が潰せるならと先日使ったアイテムを使用し、薬草を常に食べ、木の上で眠る。
一度に引き連れてくるゴブリンの数も次第に多くなり、最終的には十体ものゴブリンを相手に大太刀回り。こん棒程度なら長剣の切れ味の前には無いも当然だったので余裕はあったのだが、流石に数で押されるのはきつかった。
「まったくバルさんもエルさんも、どうしてクラリスさんにここまで無茶させるんですか!」
「そうですよ!Eランクにするだけならゴブリンを四十体も狩ればよかっただけなんですからね!」
マーレとネルが怒ってくれるが、そんなことこの二人にはまったく届かないだろう。なにせ途中からはわざと煽って、怒ったゴブリンを引き連れてきたくらいだ。
「フィーネさんもですよ!」
「あら、私はちゃんと——ええ、見守っていたわ」
「止めてくださいよそこは!」
まあまあ、と宥めるクラリスだが、どうしてヘトヘトの私が宥めるのだろうか。
なにせ三日間まともに休んでいないのだ。頭が回らない。
「ともかくクラリスさんを今日は休ませてあげてください!」
「分かっているわ。だからさっさとEランクのカードにしてあげて頂戴」
「出来ました!どうぞ!」
どうして怒られているのか。
疲れ果てた手で受け取り、しっかりとランクがEになっている事を確認。
「あ、そうそう。私たち明日の昼前にはラス連邦に向かうわ。馬車の手配、お願いできるかしら」
「なっ——そういう事はもっと早く言ってください!」
「じゃ、よろしくね」
倒れそうなクラリスはエルの小脇に抱えられ、三日ぶりの家に戻ってくる。
せめてお風呂だけはと疲労と眠気で重い体に鞭打って汗を流す。
上がってくる頃には他の三人はすっかりと荷物をまとめていた。とはいっても三人とも抱えられるほどの私物しかない。家具などはもとからあったものだそうだ。
「こういう賃貸物件は冒険者が泊まる事前提だからね。最低限の家具は揃っているんだ」
三人とも同じように三日間を過ごしてきたというのに、何ともない顔をしている。これがBランクパーティの実力かと、本当に実力の差を実感する。
クラリスも学園の実技では十人抜き出来るほどに体力はあるのだが。
「こればっかりは場馴れかな。クリラス君は肩に力が入りすぎているから余計に疲れるんだろう。冒険者として場数を踏めば気の抜き方とかわかってくるよ」
「……そんなものでしょうか」
ともあれクラリスは自室に戻り、ベッドに沈むようにして意識を手放す。
不安定な木の上とは違い、けっしてふかふかではないベッドが天国のようで、人生でこれ以上ない極楽気分で眠りに落ちた。
* * *
翌朝。
マーレとネルが訪ねて来た。
「馬車の手配は終わったわ。それと、クラリスさんにこれを」
二人から手渡されたのは小さなブローチだ。
「短い間だったけど、楽しかったわ。出会いは凄まじかったけど」
「戦闘職でもない人が冒険者続けていくのって、本当に大変だから頑張ってね。これは私たちからのお守り」
「お守り、ですか?」
「ええ。とは言ってもどこにでも売っているような物だけど。冒険者は大切な物を持ってしまうと心残りが出来てしまうから、あえて安物よ。もしお守りが無くなってしまったら、知らず知らずのうちに貴女を守って消えたのだと思ってね」
聞いたこともない風習だ。
それとも二人が考えてくれたのだろうか。
「ありがとうございます。大事に、なるべく無くさないように気を付けます」
「失くしたらまた買ってあげるから、その時はアーライに遊びに来て」
「お見送りは出来ないけど、クラリスちゃんの旅路に楽しいことがいっぱいありますようにって、祈るね。——あ、『緑の刃』の皆のも祈っておくよついでに」
「ついでとはなんだー!」
エルの言葉をひらりと交わし、姉妹は去っていく。
さてさて、このブローチはどこにつけたら、いや、しまっておくか。
「せっかくだから鑑定してみたら?何か面白い効果があるかもしれないわよ?」
「それで効果があったら、また一か月ほどフィーネさんが動かなくなりそうなのでやめておきます」
「流石クラリス君。ここで頑固なフィーネに新しい玩具を与えたらどうなる事か……。ともかく、あと数時間度には馬車旅だ。最後の買い出しに行こうか」
荷物をまとめ、まずは出発地点の南門に。
既に待機している馬車に荷物を積み込む。ここならば御者と衛兵が荷物の見張りをしてくれているので安心なんだそうだ。もっとも、貴重品はしっかり身に着けておくように言われる。
街中をぶらぶらと歩きながら、吸い込まれるようにあちこちの店に顔をだす。
「得物は結局長剣?弓とかはいいかしら」
「弓は消耗が激しそうでして」
「防具はいいの?最後に調整だけしてもらおっか?」
「そうですね。あとローブは買いたいと」
「ローブならフィーネの予備をあげたらどうだ?どうせ次の町で気候に合ったものを新調するだろう?」
「だめよバル。私のじゃ丈が足りないわ。それに私のは魔法使い用の物。前衛向きのローブじゃないわ」
クラリスは防具の調整とローブを買い、あとは各々が干した果物を買い込んだ。ちなみにラス連邦まではいくつかの町を経由するため、食べ物は最低限で良いらしい。足りなければ野ウサギを狩ればいいだけだとバルは笑う。
いよいよ馬車が出る時間になった。
私たちを含めて馬車に乗るのは六名。もう二人は行商だということでたんまりと荷物を持っていた。
「ほっほ。これは心強い。盗賊が出ても『緑の刃』がいるなら安全ですな」
「はっはっは。我々も運がいい」
「おっと、もしそうなったら助けた分の費用はしっかりいただきますからね?」
「なぁに構わんよ。安全な旅が出来るならそれくらい」
なんども豪気な二人だが、聞くところによれば幼馴染の行商らしい。一人は調味料、もう一人は鉱石を扱っているとかで、旅程が合えば一緒に行動しているとのこと。。
動き始めた馬車では、出来る事と言えば乗りあった人の人生経験話に花を咲かせるくらい。
「——そうね、内陸のドラゴニア帝国は塩が貴重品ですものね」
「おや、という事は『緑の刃』の皆さんはラス連邦かニア国に行ったことがおありで?」
「ああ。少し前まではラス連邦のダンジョンにいたよ。その時は南のサーダルダンジョンにいてね。毎日が魚料理だったのは覚えてる」
「ほっほっほ。それでは既に一生分の魚料理を食べられたでしょう。なにせ南に行けば行くほど主食の代わりに魚ですからな」
「そうなんですか?」
ちなみにドラゴニア帝国内での主食はパンだ。西にいくと荒れ地が広がっていき、段々と主食が芋になっていく。
「まぁドラゴニアに来たのも魚に飽きたというのもある。本当にあそこは魚だらけなんだ」
クラリスがちらと顔を覗けば、若干遠い目をするバルだが、直ぐに戻ってくる。
ふと、面白いことを思いついたのかこちらをみてにやりと笑う。
「——それはそうと、実はここにいる彼女。実はとんでもない知識の持ち主でして。彼女の特技は見ただけで調味料をズバリと言い当てられるんですよ。その知識、私は商人にも負けないと思っていましてね」
「——ほう?それは面白い。しかも見ただけで」
調味料商人としての琴線に触れたのか、とある小瓶を大きなリュックから出してきた。なにやらペーストの中に粒々が見える。
「ではこれが何なのか、わかりますかな?」
「いや私はべつにそんなこと——」
「謙遜しなくていいんだよクラリス君。なぁに、ちょっとした遊びだと思ってくれ」
とは言ってもクラリスが簡易鑑定を使うには、「簡易鑑定」と言わなければならない。しかもそれはクラリスの知識ではなく、スキルの効果だ。
「——大丈夫、自分にしか聞こえない程度の小声で唱えてごらん」
「は、はい……」
耳元で囁かれ、そんなものでスキルが使えるのかと疑問に思う。
「——とはいえもう少ししっかり見せてもらっていいですかね……ああそれくらい近づけてくだされば結構。クラリス君、分かるかな?」
クラリスは既にバルが少し大声で喋ってくれている間に「簡易鑑定」と呟いていた。
スキルは見事に発動し、結果が透明な瓶の上に浮かび上がる。
『鑑定結果
品名:調味料:タオチオ
品質:低
豆を発酵させ作られた調味料。塩気が強いのが特徴』
「——えーと、これはタオチオでしょうか?塩気がちょっと特徴的ですよね」
「なんと……」
すらりと答えて見せたが、驚いた顔をする商人。
「しってました?」とエルとフィーネに聞いても首を振る。
「——これはラス連邦のとある部族にしか伝わらない調味料です。私もこれに辿り着くのに三年は掛かったというのに。それに特徴的な味まで知っているとは……も、もしや製法までご存じで!?」
「あ、いえ。流石に作り方までは」
豆を発酵させたら出来るとは言え、そんな詳しくは分からない。
ちなみに金額を聞いたらこれ一つで金貨五枚だそうだ。銀貨換算で百枚程度。
「調味料ってすごい高く売れるんですね……。胡椒が高いというのは良く聞きますが」
「ほっほっほ。それは危険を冒してまでこうして我々が運んでいるからですな。——そうですな、面白いものを見せていただいたので胡椒を差し上げましょう。話は変わりますが、彼の鉱石も他ではお目に掛かれない物ばかりですよ」
「流石に嬢ちゃんも鉱石までは分からないかい?」
胡椒が入った包み紙を受け取りながら、次はこっちだと言わんばかりに笑いながら出されたのはアメジストだ。
「あら、ピンクアメジストですね。これなら良く頂き物で。珍しい時にはグリーンアメジストなんてものも見せていただいたこともありますわ」
「は……はは……、そ、そうかい」
すっかり意気消沈してしまった二人。
なんだか悪いことをしてしまった気分だが、話題は直ぐにクラリス自身に移る。どうしたらそんな博識なのか。
もっとも、貴族ですなんてことは言えない。
「ええと、実は聖リーサリティ学園で働いておりまして。知識は当時私の先生から教わったんです」
「なんと、あの貴族のための聖リーサリティ学園で?とすれば貴女も?」
「ああいえ、私は違います。あくまで働いていただけで。とはいっても働くだけであらゆる知識を教え込まれたのですが」
なるべく逃げやすい嘘にしておく。
聖リーサリティ学園のことなら二年も通ったので、それなりに知っているのだ。
そんなこんなで遠く離れた聖リーサリティ学園の話題で馬車旅は盛りあがり、着実にラス連邦へと近付いてった。