連れてこられたのは酷く湿気た部屋だった
連れてこられたのは酷く湿気た部屋だった。
さっさと入れと怒鳴られ、狭い部屋はすぐにいっぱいになる。
もとは鉱山なのか、ごつごつとした岩肌の床には申し訳なさそうに敷いてあるゴザに、誰もがへたり込む。
明かりは天井からぶら下がるライトだけ。
入口の鉄扉は全員が入ったことを確認すると、錆びた音を立ててしまり、ガチャンと外から鍵を掛けられた。
「大人しくしてりゃ、お前たちは殺さねぇ。けど逃げようとしてみろ。男どもと同じところに連れて行ってやる」
鉄格子がはまった覗き窓からは厳つい顔をした男がゲラゲラと笑いながら見え、部屋にいる女性陣を嘗め回すように見て去っていく。
クラリスを含め、ここには十人ほどの女性がいた。
誰もが表情を絶望が支配し、ひと言も発しない。
(——ああ、何故このような事になってしまったのかしら)
どこで歯車が狂ってしまったのだろうか。
クラリスは先日十七歳の誕生日を迎えたばかり。
本当ならニア国の聖リーサリティ学園の教会で女神リーサの宣託を受け、十七歳になれば選択しなければならない己の職業について悩んでいるはずだった。
しかしその日常は突如として崩れ去る。
——きっかけは、ドラゴニア帝国の第五王子の浮気だった。
聖リーサリティ学園は大陸中の貴族を集めた高等教育学校である。
二百年前、大陸中を巻き込み人口の半分を失ったとされる大戦の反省を踏まえ、各国は貴族の子供を同じ学び舎で生活させ、二度と大戦が起きないように相互理解を深めるために、聖リーサリティ学園を作った。
上に兄二人、姉を持つクラリスであったが、貴族の子供は例外なく学園に入学できるので、父親がドラゴニア帝国の伯爵であったクラリスも当然の如く学園に入学した。
時を同じくして、ドラゴニア帝国の第五王子も学園に入学する。
伯爵家の娘という事でクラリスも何度かパーティなどで目にしたことがあった第五王子。
王位継承権は低いが、将来は侯爵の地位が約束された王子はとてもモテた。
それこそ同じ学年だけでなく、上級生や下級生からも大変モテた。
さらには王子の性格も良くなかった。
いわゆる遊び人だったのだ。
王子には許嫁がいたのだが、それを無視してとにかく遊びまくった。そのため一部の生徒からは許嫁の令嬢に同情が寄せられ、王子対許嫁という派閥が出来上がっていた。
クラリスは、そんな対立する派閥の許嫁側最前線にいた。
理由は簡単。
その許嫁がクラリスの友であったから。
クラリスは日夜涙で枕を濡らす彼女、ニール嬢の助けになりたいと、事あるごとに王子を諫め、密会があると知れば伝手を使って機会を潰した。
しばしやりすぎた事もあったが、それも友のためならばと心を鬼にして王子の身辺を綺麗にした。
そんな生活が二年を過ぎようとした時だ。突如としてクラリスは学園長に呼び出される。
「——クラリス・アルマーク嬢。君は本日をもって病気療養として休学となる」
「なっ!そ、それはどういう事ですか学園長!」
病気療養。
そんなものクラリスにあるはずもなく、つまりは体のいい退学だ。
「まさかあの男ですか!王子が私を排除しようとしているのですか!」
詰め寄るクラリスに、学園長はただただ冷たい眼差しを返す。
それが最後と言わんばかりに、クラリスはその足で馬車に乗せられ、ドラゴニア帝国首都にある屋敷へと連れ戻されたのだった。
鍵のかかった馬車で、ひたすらに草原を走る事二週間。
その間に気持ちの整理がつくかと思ったのだが、いざ故郷であるドラゴニア帝国に入ってみれば怒りは益々膨れ上がり、矛先は退学を認めた父、アルマーク伯爵へと向かう。
「お父様!これはどういう事ですか!」
「——クラリスか。何の用だ」
一年ぶりの再会だというのに、クラリスは鬼気迫る勢いで父親であるアルマーク伯爵に詰め寄った。
こちらを一瞥した後、再び書類に目を落とす父。
しかしクラリスも今回ばかりは相手にする気はないと言われても引き下がるわけにはいかなかった。
「お父様も知っているはずです。あの男がどれほどの遊び人であるか!あのままではいずれ我が国に——」
「そこまでだクラリス。少しは頭を冷やしなさい」
「頭を冷やせですって!?それではあの男の行為を見逃せとおっしゃるのですか」
「そうだ。許嫁であるニール嬢は自ら婚約の解消を陛下に認められ、直に彼女もこちらに帰ってくるだろう」
「なっ……」
言葉を失うとは、まさにこの事を言うのかと実感した。
一国の王子が婚約を蹴って他の令嬢と結ばれる。
第五王子は時代にそぐわない婚約など捨ててしまえばいいと豪語していたが、それは違う。
貴族や王族の結婚というのは、時として政変に繋がるものなのだ。それは地位が高くなればなるほどに、危険性を孕んでいく。
いくら王位継承権が低いからと言っても、第五王子はまさしく王になれる正当な権利を持った者なのだ。それを捨てず、あげく勝手にどこの馬の骨とも知らぬ者と結婚なんてされてしまえば、国が混乱する。
「お前もやりすぎた。ドラゴニア帝国内ならどうにかなったものを。先の騒ぎ、ニア国からこちらに正式な抗議として書類が届いておる」
パサリと、クラリスの足元に書類が投げられた。
拾いあげれば、これまでクラリスが学園の内外で第五王子の密会を防ぐために潰してきた店、商人、さらには利用したスラムの者達の情報が書かれている。
それによるニア国側の被害と、賠償の請求。
末尾にはニア国国王による署名付きで外交問題として扱う旨が記されたいた。
「わ、わたしはっ!」
「——もう良い。お前はこのまま病気療養としてこれからファーブルの町に行ってもらう。そこで商家の男と出会い、結婚する」
「商家……?結婚……?お父様、何を——」
「お前はアルマーク家にふさわしくない悪女だ。ふさわしくない者は切り捨てる。それが貴族だ」
本家への滞在時間は僅かに数時間。
クラリスは再び馬車に乗せられ、政略結婚としてファーブルの町に向わされた。
「手土産も何もないのは心苦しかろう」と投げ捨てられるように渡された一組の金の指輪ケースが座席に転がり、それを見るたびに涙がこみ上げてくる。
馬車には商家からクラリスの世話役としてメイドと執事が付き、護衛として雇われた傭兵数人が付いていた。
茫然自失。
すべてはアルマーク伯爵にとって決まっていた事。
目まぐるしく動く世界に、馬車の中で十七歳の誕生日を迎えたクラリスは何も出来なかったと自分を責めた。
友は婚約を破棄し、自分は学園と家を追い出され、第五王子はのうのうと学園生活を送っている。
思い出せば涙が溢れ、泣き疲れて寝るだけの生活。
それでも馬車は着実に進んでいき、旅程の折り返しを過ぎた頃だ。
「山賊だあ!正面守りを固めろ!逃げ道を作れ!」
真夜中、たたき起こされたクラリスは数人のメイドと共に馬車の中で怯えた。
近くで剣戟の音が響き、弓矢で馬車の窓が割れる。
しばらくして戦闘の音がやみ、悲鳴が聞こえた。
「出ろ」
無造作に開けられた扉から、長剣を持った男が顔を覗かせた。
外に出れば、五十人は下らない山賊に囲われており、足元には見知った傭兵の頭部が転がっていた。メイド達が腰を抜かして悲鳴を上げる。
「ん?ああ、女どもにはちぃと刺激が強かったかな。がははっ」
長剣の男が、転がっている頭部を蹴る。
その野蛮な行為に憤る自分と、目を見開き口から血を流す彼をもう見なくていいのだと安堵する自分、そしてメイドとは違い悲鳴すら上げない自分にほど場馴れしている自分に気付いた。
それからは目隠しをされ、二台の馬車に押し込められて、この酷く湿気た部屋に連れてこられたのだ。
「——私たちはこれから、どうなるのでしょう」
純粋な疑問だった。
しかし能天気なクラリスの言葉に、何人かのメイドが睨みつけてくる。お前のせいで私たちがこんな目にあっているのだと、そういわんばかりに。
「ああごめんなさい、そんなつもりじゃないの。けど彼らは私たちを殺すつもりはないと言っていたじゃない?それって、私たちはどこかに売られるんじゃないかしら。もし彼らの玩具にされるのだとしたら、わざわざこんな部屋に入れられないと思うの」
かといってこのままじっとしていれば、それは売られてしまうということだ。
こんな状況に置かれて、初めてクラリスは活力を取り戻していた。
理不尽な状況に立ち向かう自分こそ、自分らしく居られる。そんな風に感じながら。
「……彼らと、交渉してみない?」




