浮かない表情の執事を見送る三人は
浮かない表情の執事を見送る『緑の刃』三人は、心機一転とばかりに夕方からクラリスを引き連れて、夜の森を訪れていた。
「夕方、とくに空が明るく手元が暗いこの時間は下手に動かない方がいい。人は魔物よりも夜目が聞かないし、魔物も暗くなるこの時間は警戒心が増すんだ」
バルたちに引きつられてやってきたのは森の中でも三十メートルほど開けた場所。
テントを天幕を張れるような場所もある。
「ここは魔物除けの結界が張られているんだ。こうした場所は町の近くの森には結構あってね。あとはこれ。魔物除けの香を焚けば低級の魔物が寄ってくることはないよ」
バルが小鉢程度のお香を焚き、すこし離れたところではエルが火を熾している。
「明かりを付けたら目立たないですか?」
「ん?ああ、これ?ゴブリンやスライム、それオークくらいまでなら火を恐れるのよ。この辺りの森じゃこうして火を熾した方が夜は安全ってわけ。それにここに人がいると教えてあげれば、賢い魔物は近付いてこないよ。なんだかんだ魔物も馬鹿じゃないからね」
しばらく、クラリスは火の熾し方や天幕の張り方、もし木の上で寝るとしたらどうしたら安全に寝れるかなどを一通り教えてもらう。
「僕たち『緑の刃』は諜報の任務も結構請け負っていてね。そうした時は道なき道を駆けて、こうして森の中に潜むことも良くある。森ならいい方で、ラス連邦にいた時は砂漠で砂まみれになりながら夜通し監視任務なんてのもあったよ」
「夜通し、ですか。一人だと辛そうですね」
「はっはっは。さすがに関し任務は最低でも二人、出来れば三人で組まないとやってられないね。——まぁうちの場合はエルを頭数に入れないけど」
「いいんですー!エルちゃんはこのパーティの主戦力なんだから諜報なんて出来てなくも問題ないですー!」
実際『緑の刃』で一番攻撃力が高く、使えるスキルが豊富なのはエルだそうだ。
武器も弓なのでスキルの消費を抑えながら、要素要素で使っていける。さらにエルフとして長命の種族であることも、スキルの熟練さを引き上げている。
「僕は職業が斥候だから諜報系のスキルもあるんだけど、フィーネは風魔法でそのあたりをカバーしているね。いわゆる風上や風下を操作したり、空を飛べるから痕跡を残さず移動出来たり」
「……改めて聞くと、魔法系の職業ってかなり万能ですよね。フィーネさん、普通に攻撃魔法も使えますよね?」
「そうね。とはいっても風の攻撃魔法は魔法職のなかじゃ弱い部類よ。風で分厚い鉄板は切れないから。かといって火魔法職だと攻撃に寄りすぎているけど」
「火魔法だとたまに鍛冶屋として生活している、なんて変わり者もいるなぁ。自在に火力を操れる者は鍛冶屋だとそれだけで腕が良いって言われるからね」
「はぁ……そんなものですか」
これまであまり見聞きしたことが無いことを面白く話してくれ、夜は更けていく。
空は完全に陽の残光が消え、星々が明るく輝きだしたとき。
そろそろか、とバルは立ち上がる。
「じゃあこれから夜の森に入ろうか。目標はゴブリン十五体にスライムが二十体。ゴブリンは討伐照明の耳と魔石、スライムはいつも通り魔石だけ回収。いいね?」
「は、はいっ。——あ、スライム用に手ごろな棒をまずは見つけたいですね。この前のあれ、長剣の鞘がべったべたになったので」
「分かった。じゃあ探しながら、まずはゴブリンから行こうか」
バルを先頭に、すこし間を開けてクラリス、フィーネ、エルと続く。
森の中を移動する間、バルは仕草のみでどこに気を付ければいいかをクラリスに教え、ゆっくりと進んでいく。
それでもスキルを使わずしてすいすいと移動する仕草には驚きの連続だ。
藪の中を突っ切っていくのにどうして擦れる音がしないのか。
枯葉を踏みぬいているのにどうして音を立てないのか。
その仕草を出来る限りマネていく。
ちょいちょい、とバルが指をさす。
視線の先には星明りの中ぼんやりと木が立っており、その幹が何かによって削られている。
おそらくゴブリンがこん棒などを振り回して当てているのだろう。となるとここはゴブリンの通り道である。
ここからは獣道のように続く細い道を探し、それに沿って進んでいく。
しばらくすればゴブリンの集団が藪の先に見えてきた。
まずは離れたところで道から逸れる。
「数は五体。あの規模なら全員の可能性もあるけど、もしパーティを組んでいるなら、他のゴブリンがいないか見張っていてもらうのも必要だ。これがオークやオーガになれば、一体応援がいるだけで戦況はガラリと変わるからね」
クラリスは頷きを返し、バルから小さな球を受け取る。
「これは火をつけて五秒後に大きな音と閃光を放つアイテムだ。まずはこれでゴブリンの視覚と聴覚を奪って、一気に首を撥ねる。そのあとは耳と魔石を回収して、直ぐに撤収。音を聞きつけて他の魔物が来るかもしれないからね」
「寝込みを襲うとかはしないのでしょうか?」
「時間があるならそれもいい。けど今日はノルマ達成の為にこの方法を使う。アイテムをしっかり使っていた方がこちらの負担も少ないからね」
勉強になる、とクラリスは感心する。
冒険者と言えば身一つで魔物に向っていくイメージが強かったが、たしかに魔物を倒してお金をもらうだけであれば、別にどんな方法でもいいのだ。
お金を稼ぐためにアイテムを使う。
珍しい事じゃない。パン屋だってパンを売るのに小麦を買っているのと同じだ。
「気を付ける事は、まず間違いなくゴブリンは見境なく暴れる。それをちゃんと避けて攻撃すること。この球が爆発する瞬間はしっかり目を瞑り耳を塞ぐこと。夜なら後ろを向いていてもいい。襲撃するこちら側が聴覚を失くしたら意味ないからね」
「わかりました」
じゃあやってごらん、とマッチを受け取る。
「火をつけてからきっかり五秒で爆発するから、位置調整も忘れずに」
その言葉に、クラリスは少し移動する。
この手のコントロールは正直分からないので、あまり遠すぎるとゴブリンの足元に届くかどうか不安ではあった。
(——ここでいいかしら)
距離十五メートルといった藪の影に身を隠し、クラリスは球に火をつける。一秒数え、そっと投げ入れればポトリと弾はゴブリンの足元に落ちた。
見届け、後ろを向いてしゃがみ込み耳を抑える。
直後に「パンッ」と乾いた衝撃が伝わり、瞼を抜けて明るい光が見えた。
「いいぞ、成功だ」
バルの掛け声で起き上がり、クラリスは藪を抜け出し長剣を抜く。
森の中、わずかに開けたそこにはゴブリンたちがふらふらとしたり、ある者は倒れたりしていた。
まずは倒れている者から確実に首を落としていく。
骨を意識してそこそこ力を込めて振り下ろす刃は、思わぬ感触を返した。
ザクッ、ともブシュッとも違う。まるで溶けかけのバターをナイフで切ったかのような、柔らかく抵抗のあるものを切り落とす感触。
「——っ!」
思わず上げそうになった悲鳴を飲み込み、続けざまに二体目、三体目と襲い掛かる。
そのどれもが同じ感触を返し、五体目のゴブリンの首を撥ねるころには確信に変わっていた。
(——間違いない。これ、私では分からない能力が備わっている……!)
昨日の夜に簡易鑑定した結果は長剣を持っていると幸運が訪れるという漠然としたものだった。しかし今この長剣を振るっていて感じるのは、幸運なんてものよりももっと具体的な、攻撃的な能力だ。
「すごいな、クラリス君。音もなく首を落とすなんて芸当、とてもFランクとは思えないよ。——と、無駄話している暇はないね。さっさと耳と魔石を貰って移動しよう」
咄嗟にクラリスは薬草用のナイフで耳と魔石を取り出した。もし長剣でそれらをはぎ取れば、恐ろしく滑らかな断面が見えた事だろう。
「この調子ならすぐに終わるかな」とバルが呟いた通り、ゴブリン狩りとスライム狩りは夜明けを待つことなく終わる。
用がないのに森にいる必要もないとのことで、四人は天幕まで戻ってくると早々に片付け、まだ月が沈まない夜の草原を歩いていく。
草原は月明りによってそこそこ見通しがよく、松明などは使わない。
「松明は草原でつかうとかなり目立つ。それにこちらの夜目が利かなくなるし、何より片手が塞がる。可能なら松明は使わずに歩いた方がいいよ」
「バルの意見はかなり極端だけど、一人の時は理にかなっているわ。けど護衛のときなんかは皆松明を付けて移動するわ。火をたくさん扱って居れば魔物は襲ってこないから」
「状況に応じてってことですね」
「そうだね。——もっとも、冒険者それぞれ色んな考えがあるから、もし一緒に行動するようならそのあたりも事前に打ち合わせ出来れば一番良い」
なかなかそんなこと出来ないけどね、とバルが苦笑い。
門番は夜遅くに帰ってきた四人に嫌な顔一つせず、その足でギルドへと向かう。いや、あれは単純に眠気と戦っていただけだろうか。
「——おう、夜中までごくろうなこったな」
「あれ、ファブルさんじゃないですか……ってこの時間ならマーレさんとネルさんは流石にお休みでしょうね」
ギルドにいたのは眉間の皺が蝋燭のあかりで普段よりもより深く刻まれたように見える壮年の男性。
いかつい顔しているが、ここ中継都市アーライ冒険者ギルドの長であり、マーレとネルの父親でもある。
「本当は朝に戻る予定だったんですけど、クラリス君の腕が良くて。ゴブリン討伐とスライム討伐の確認をお願いできます?」
「そっちの嬢ちゃんが噂の。あんまり会う事はないかもしれんがよろしくな」
ファブルは耳と魔石が詰まった袋、それにスライムの核がはいった袋を受け取り、数え始める。
「——バルよ。別にお前らを疑う訳じゃねえが、一晩でこれだけの成果を初心者にやらせるのは酷だぞ。ちったぁ抑えろ。FとEランクで死亡率の上位を占める原因は夜の戦闘と連戦だ」
「分かってますって。だからこっちもフルメンバーです」
本当にわかっているのか?とファブルは頭を掻きながらクラリスのギルドカードを受け取る。
今日の依頼はゴブリンの討伐とスライムの討伐だが、討伐数の指定はない。狩れば狩るほどお金がもらえ、Eランクへの査定に繋がる。
「——ほら、返すぞ。この調子ならあとゴブリン七十体も倒せばEランクだ。だからといって、無理すんじゃねーぞ」
「ありがとうございます」
「——ああそうだ、バルは残れ。病み上がりに一杯誘うかと思ってたんだ」
「またですか……。もうファブルさんお酒強くて全然酔わないじゃないですか」
いいから、とファブルは話も聞かずに表の看板を「CLOSE」に換え、「じゃ、ちょっと借りてっから」とバルを連れ去っていく。
「まったく……。いいわ、エル、クラリス。私たちもどこか寄って帰りましょ」
「おーいいねぇ。エルちゃんお酒飲める?」
「あ、いえ。そういえば飲んだことありませんね」
「まぁ飲んだくれるよりはマシでしょうけど、少しは経験しておいたほうがいいかしら。冒険者なんて半分が酔っ払いだから」
ちなみにお酒の飲める年齢は国によって違う。
聖リーサリティ学園があるニア国の飲酒可能年齢は二十歳だ。しかしドラゴニア帝国は職業を得たと同時に、飲酒が解禁される。職業を持つという事は大人になったと認められたことでもあるからだ。
「じゃ、行きましょうか」
フィーネとエルに連れられ、クラリスは普段踏み入れることが無い歓楽街へと向かっていく。
翌日しかめっ面しか出来ないほどに二日酔いになった時は、もう浴びるほど飲まないと心から誓った。