それはマーレとネルにとって、とても奇怪な
それはマーレとネルにとって、とても奇怪な光景だっただろう。
クラリスが薬草の依頼を受けると何故か次の日の朝に、わざわざ萎びた
薬草と、取ってきたばかりであろう薬草を出してくるのだ。
ギルドとしては萎びた薬草についてはマイナス査定をしなければならないので、買い取り金額は下がる。
「クラリスさん、出来れば萎びる前に欲しいんだけど」とマーレが言うと何故かフィーネが出てきて「これは実験の成果よ。いいからさっさと依頼達成報告と買取をしなさい」と出てきて、それ以後なにも言えない。
鬼気迫るというか、喜々迫るフィーネに「あれ、大丈夫なの?」とネルがつついてくるが、そんなのマーレに分かるわけもない。
「あれは一種の病気だから、うん。放置しておいていいよ」
たまにくるバルに尋ねてみたら、なんとも気のない返事しか返ってこず、姉妹は余計に心配になる。
そんな心配をよそに、『緑の刃』パーティとクラリスは日夜フィーネ監修のもと様々な条件による実験、もとい薬草狩りに勤しんでいた。
ナイフで採取した薬草はどれも漏れなく鮮度が落ちるのか。
一度採取した薬草の根本をナイフで切ったらどうなるのか。
薬草ではなく他の草花だとどうなるのか。
その他フィーネが思いついてはクラリスが駆けまわる日が二週間。
気づけばクラリスはFランクになっていた。
もともと薬草採取と野ウサギ狩りが出来れば自然と上がれるようにはなっているが、それでも通常は一か月程度を要するので、かなりのハイペースと言えるだろう。
「今日はどうするんですか?」
Fランクになった次の日。
クラリスは身支度を整え、フィーネに振り替えった。
最近は朝早く野ウサギを狩り、その後はフィーネが考えた手法に基づいて様々な採取を検討するのが昼過ぎまで続いていた。
けれどそこに割って入るバル。
「おっとクラリス君。今日は一日僕と防具を見て回ろうか」
「防具ですか?」
「うん。Fランクからはいよいよ魔物狩りも依頼に入ってくるからね。今のままでも遠距離系なら良いんだけど、長剣を使うなら小手や胸当ては必要かと思うんだ」
確かに、クラリスの恰好は駆け出し冒険者のままだ。
そこそこしっかりした生地が使われているとはいえ、所詮は服。ゴブリンなどと戦うにしても心もとない服装だ。
「まずはギルドに行って、ゴブリン討伐を受けてみようか。そのあと防具を揃えて、実践と行こう。それに、今日からは僕もいけるから」
「バルさんも?傷は大丈夫なんですか?」
「うん、ばっちりさ。それにあんまり動かないと体が鈍っていく一方だからね」
二の腕に力拳を作ってアピールするバル。
「——と言う訳でクラリス。今日は私の方はお休みよ。まずはFランクの依頼をしっかり受けてきなさい」
「はいっ!」
ちなみにエルはまだ起きておらず、後で合流するからとフィーネがクラリスとバルを見送った。
ギルドへ向かう途中。
朝早い時間ではあるが、陽はしっかり上っているのでどの家庭からも朝食の準備や家を出る人の姿もある。
中継都市アーライに住まう人々は農業よりも商人系の仕事や傭兵などが多く、馬車が一般家庭にまで来ることを見越してか生活道路は結構広めに作られている。
「ゴブリンなら前に見たことがあります」
「ああ、あの洞窟から逃げる時にいたね。けど今日戦うゴブリンはもうちょっと弱いかな。この前見たのはゴブリンナイトやゴブリンメイジと言って、ゴブリンの中でも結構強い部類の魔物なんだ」
「それについては学園でも勉強しました。集団生活をする魔物の中には、いつのまにか役割を持った者が現れると。その理論は未だに解明しきれていないとも言っていました」
「はっはっは。知識だけならクラリス君はもうDランク相当だね。実力がついて来れば案外有名な冒険者になるかもなぁ」
「あ、でも……。有名だと実家にバレそうなので、どうなんでしょう」
「その時は他の国に逃げればいいさ。ラス連邦なんてここからなら馬車で三日。歩いても二週間だよ。国境を超える時もギルドカードを見せれば簡単さ」
ラス連邦は獣人の部族が治める国だ。数十の部族がまとまり、一つの国を為している。
もっとも、部族間での抗争は昔から絶えず、内戦も多い。
一方でラス連邦の国内にはダンジョンが三つもあるので、冒険者にとっては人気の国だ。
ダンジョンとは無限に魔物が湧き、どこまでも果てしなく続く地下迷宮である。
このユビク大陸にはダンジョンが四つしかなく、一つはニア国に、残りはすべてラス連邦にある。
ラス連邦のダンジョンは誰にでも公開されているため、一獲千金を夢見る冒険者にとっては魅力的なのだ。
もっとも、ダンジョンで命を落とす冒険者も後を絶たないが。
「バルさんはダンジョンに行ったことありますか?」
「もちろん。というより、このパーティもダンジョン攻略で出会ったパーティなんだ」
初めて聞いた。
そういえばエルにもフィーネにも、このパーティの出会いなど聞いたことが無かった。
「普通ならそのあたりエルかフィーネが言うかと思ったんだけどね」と苦笑するバル。何せここ二週間、フィーネはあらゆる角度からナイフの持つ性能を分析しようと考え込んでおり、エルは触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに静観モードであった。
「ま、それは追々ね。まずはギルドで依頼を受けてこようか」
いつの間にかギルドについていたようだ。
もう入りなれた冒険者ギルドの扉を開け、依頼を確認。
今日見るのはFランク向けの依頼だ。
「ゴブリン討伐、スライム討伐……期限付きでオークの生息調査なんてのもあるんですね」
「ゴブリンやスライムは比較的狩りやすいからね。オークの生息調査は、比較的森の浅い所にあるオークの足跡や生活通路を見つけるといったものだよ。ここで冒険者としての観察眼を養うと共に、ギルドにしてみればオークの生活に変化がないかを監視しているわけだ」
「こうしてみると、冒険者ギルドは初心者の育成に手厚いといいますか、優しいんでしょうか」
「というよりも振り落としかな。やっぱり冒険者になるのってクラリス君と同じで、職業を選んですぐに、っていう子が多いんだ。そんな彼らに現実を突きつけるためにも、こうして地道な依頼だったりなるべく危険がない依頼で危険を見せつけるような事をしているんだ。あと、若い子が死なれると冒険者の成り手も減るからね」
ドラゴニア帝国ならそんな心配なさそうだけど、とバルが笑う。
クラリスはひとまずゴブリン討伐とスライム討伐の依頼票を手に取り、ギルドカードと一緒にマーレに渡す。
「頑張ってね」とギルドカードを返却され、その足で防具を見に行く。
とは言ってもゴブリンとスライム討伐であればそこまでの防具は要らないとの事で、厚手の皮で出来た小手と胸当てだけを見繕う。
町の外へと出れば、丁度エルとも合流出来た。
「まずはゴブリンから狩ろうか」
いつもの薬草を採取する丘陵を超え、少し先に見える森を目指す。
ゴブリンは基本森の端で暮らす魔物だ。肉食で、だいたいどの地域でも野ウサギなどを狩って食べている。
木の実を食べる事はないが、罠などに使うのか集落跡からは良く木の実などが見つかるという。
「クラリス君、対人戦は?」
「家で二百戦、学園で百戦ほどは」
なら安心だ、とバルが頷く。。
「ゴブリンは魔物とは言え、二足歩行で大きな個体だとクラリス君と同じくらいの背丈がある。対人戦のつもりで戦う事が重要だ」
「ゴブリンも武器を?」
「持っているね。ここらへんなら木の棒くらいしかないだろうけど、強い個体だと冒険者の武器を奪い取って使用していることも確認されている。油断は禁物というわけだ」
森に入る。
前に野ウサギを追いかけた時と違い、冒険者が何度も通ったことで出来た道であれば、比較的視界も開けている。
たまに誰かが整備してくれているのか、道幅もそこそこに広く、見通しも良い。
物珍し気にキョロキョロと見回していたら、不意に目が合った。
ゴブリンだ。
十メートル程先の藪の中から、こちらをじっと見ている。
「見つけたようだね。でも相手は一体のようだ」
三人を相手にする気はないのか、ゴブリンが出てくる様子はない。
ならばとバルが小石を拾い、投げる。
隠れているゴブリンに当たるか当たらないか。藪の中に消えた小石の代わりに怒ったゴブリンが飛び出してきた。
「大丈夫だとは思うけど、エルは周囲を警戒して。——さ、クラリス君。実践だ」
「は、はい!」
ゴブリンの体躯はクラリスの胸くらいまでだろうか。緑の肌に筋肉質の体。それなのにお腹はぷっくりと出ているアンバランスな体型だ。
両手には太い木の棒がそれぞれ握られていて、不思議な構えを取っている。二刀流の真似だろうか。
クラリスは落ち着いて長剣を抜き、中段に構える。
訓練で真剣《しんけn》を使ったことは少ない。それでもこの二週間で空いている時間は長剣を握り、慣れてきたつもりだ。
踏み出す。
小走り程度の速度で近付き、右からの横一線に長剣を振るう。
ゴブリンは左手の棒きれで長剣を受けると、空いている棒でこちらの頭に振るってきた。
冷静にその軌跡を目で追い、避け、振り下ろされた棒を足で踏みぬく。
棒を掴んでいたゴブリンがつんのめりる。
すかさず右足を蹴り上げ、ゴブリンの顎にクリーンヒット。
ふらついてなんとか倒れるのを堪えているゴブリンに対し、躊躇いなく長剣を振り下ろす。
ゴトリと首が落ち、緑の血しぶきが舞う。
「いや、お見事」
エルとバルが来た。
バルは転がっているゴブリンの首の断面を調べ、満足そうに頷く。
「クラリス君の力量が分からなかったんだけど、これなら間違いなくDランク相当はありそうだね。初心者が首を落とそうとすると、骨につっかえて一度じゃ切れないって事が普通なんだけど」
「首を落とすなら躊躇うな、その一撃が防がれたら死ぬのは自分だ、と教え込まれましたから」
「アルマーク家はそんな教えで?いや間違ってはいないけど、だいぶ物騒というかなんというか……」
「なんかクラリスちゃんが遠い存在だよー」
バルはゴブリンの右耳を切り落とし、続いて心臓付近にナイフを突き立てる。
ぐちゅぐちゅと音をたて、緑の血液がこびりついた親指ほどの大きさがある魔石を取り出した。
「ゴブリンは正直売れるところがないから、報酬としては討伐の証明として右耳と、あとは魔石くらいだね。とはいってもこの大きさだと二束三文だけど」
「魔石もギルドで買い取ってくれるんでしょうか?」
「そうだね。一部魔法系の職業の人は魔石を媒体にして魔法を使えるらしいけど、専らポーション調合に使われることがほとんど」
バルが耳と魔石を袋に入れ、手渡してくれる。ポーチの中にしまうが、このようすだと五体も狩ればポーチは一杯になりそうだ。初めての戦闘だったのでなるべく軽装で来たのだが、これでは手荷物ですぐ一杯になってしまうかもしれない。
そんな事はお構いなしに、バルとエルはクラリスを連れてさらに森の奥へと向かうのであった。