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学園は休みで朗らかな天候の休日。
今日はベリティの姉、ティファが赤子を連れて屋敷に訪れていた。天気も良いため、友人も招いて中庭でティータイムを過ごしている。赤子は乳母車で眠っていて、ティファはお喋りに夢中。
ベリティはと言うと、彼女は勿論蚊帳の外。ティファにも会うことを拒否され、部屋から出るなと両親に命令された。
「な〜んでベリティはそんなにも嫌われているんだ? オレ様には理解出来ん」
あれから婚約者のルフィアとは気まずいままだが、一方で妖精ハックとは親密度が増したようにも見える。現に「お前」から「ベリティ」と名前呼びに変わった程に。彼女は窓辺から庭を眺めていた。赤子を見て「大きくなったなぁ」と母性溢れる微笑を浮かべながら。
「いいのよ。嫌われ者は私一人で。嫌われ者のいない世界なんて無いでしょ」
ハックはベリティと一緒に外を眺めながら真ん丸のビスケットを抱え持ち、
「誰からも嫌われてるヤツってのもいないだろ? オレ様はベリティのことが好きだぜ!」
ニカッとベリティに笑顔の花を見せた。
「ありがとう、ハック。私もあなたが大好きよ」
ベリティにとってハックは心の拠り所。そのために、あれ以来ハックに願い事をベリティは何もしていない。彼女の左手には今も尚、宝石が一つだけ欠けた指輪が嵌っている。
だが突如、塀の方から気が不自然に揺れた。
「何かしら」
鳥ではなさそう。感の鋭いベリティはスカートからパチンコを取り出して警戒しながら見つめた。
「っ!?」
木から降りて茂みに隠れたのは確かに人だった。それも数人。以前森で男女を襲ったあの三人組の誘拐犯だった。
「まだ捕まっていなかったのね!?」
男達の視線の先にあったのは乳母車。乳母車のすぐ近くには母親のティファはすぐ近くにはいなく、少し離れた場所で呑気にお茶を飲んでいる。寝ている赤子を起こしたくないという欲から無責任に放置状態。会話を聞かれたくないからと執事やメイドも近くに置いていない。
条件が悪過ぎる。
ここから「誘拐犯だ!」と叫んでも姉が赤子に寄るよりも男達が持ち去る方が恐らく早い。
「あいつらのこと、ここから叫んで教えたらどうだ!?」
ハックに提案されるもベリティは横に振った。
「お姉様達はそんなに素早く動けないわ。私の声をきっかけに男達が走り出して赤ちゃんに近付く方が早い。執事が側にいれば良かったんだけど……」
男達よりも先に赤子を抱き上げ、さらに男達を追い返す方法………。
「そうだ…っ」
ベリティはそう呟くとハックが持っていたビスケットを奪い取った。
「うそぉおおんっ!? オレ様のビスケット!」
そしてベリティはビスケットを素早く強力なゴムベルトに巻き付け、
「ごめんね、あなたを泣かせるわ」
冷静に狙いを定め、ベルトをしっかりと引っ張り、そして手を離した。
放たれたビスケットを乳母車へと。
勢い良く2階から放たれたビスケットは真っ直ぐに乳母車へ飛び、掛け布団から僅かに覗く柔らかな乳児の足に当たった。眠りを妨げられた上に予想外に何かが自分を当てたことに恐怖と不快感を与え、泣き叫ばさせるには容易だった。
「ぅああぁああああああっっ!!!!!!!」
我が子の泣き声が聞こえ、ティファが立ち上がって小走りで乳母車へ向かい、素早く我が子を抱き上げる。
そしてベリティはスカート内に忍ばせていた火薬玉をゴムベルトにセットし、
「あははははははっ!!!」
わざと大きな笑い声を上げ、侵入者の方へ間髪入れずに放った。誘拐犯と彼女が目が合う。
「あの時のクソガキ…ッ!!!」
注意は自分に引きつけられた。ベリティはそう確信し、悪戯な笑みを放ち、窓の淵に片足を乗せ、ギリギリとゴムベルトを引っ張った。
「誰か! あの子を止めて!!! 庭が燃えるわ!!」
ティファは叫び声を上げて人を呼び、茂みからは煙が上がり、誘拐犯達は悔しそうに歯を食いしばって塀によじ登って逃げて行く。メイドや執事が慌てて水が入ったバケツを持ち、小火を消していった。
「今、誰かが逃げて行った!?」
「ええ、塀から誰かが降りたわね!」
先に駆けつけた若手の執事とメイドが侵入者の影を見つけたのだった。小火はすぐに消し止められた。
「今、侵入者が逃げた様でしたので、外の様子を見てきます!」
「なんだって!?」
執事達が慌てた様子で屋敷の外の様子を見に駆けて行く。
「ベリティお嬢様がきっと追い払ったのよ」
「お嬢様は不必要に悪戯はしないわ」
メイド達も片付けをしながら心配そうに話をしている。
「もしかすると、例の誘拐犯かしら。だとしたら、狙われたのは、ティファ様の……っ」
「何事ですの!?」
騒ぎを聞きつけて屋敷の中から庭へ姿を現したのはベリティ達の母親。
「奥様!?」
「お母様、見て下さい! これを!」
泣き上げる赤子を抱きながらティファが乳母車の横に立つ。そこにあったのは欠けたビスケット。
「ベリティが上からこの子に投げつけたのよ! 可哀想に、可愛い足が赤くなってるわ。酷い、許せない…!」
「ああ、私の大切な娘、ティファ。泣かないで。私があなたに代わって制裁しますから」
ティファをそっと抱き、落ち着かせるように頭を撫でる母親。だが、屋敷に振り返ると鬼の形相に豹変した。
「奥様! これには理由がございます。ベリティお嬢様は屋敷に入った侵入者を恐らく追い払おうと」
「あの恥晒しの肩を持つの?」
「だとしても、この子を傷付ける理由にはならないでしょ! 可愛いこの子に嫉妬して悪戯したのよ。昔から悪ふざけが過ぎるから」
「あの時ティファ様はお子様と離れていらっしゃったから」
「ティファを非難するなら即解雇します!」
「っ!?」
使用人達と貴族達が言い争う。そして使用人達が権力でねじ伏せられそうにあったその時、
「あらぁ! 子ども放置してぺちゃくちゃお喋りに夢中になってた人は誰かしら? 子守も付けずに秘密のお喋りを優先にしていらっしゃったから、ついつい意地悪したくなっちゃったわ!」
2階から声を張り上げたのはベリティ。窓から身体を出して下を覗き込み、満面の笑みを浮かべている。
「ベリティお嬢様……っ」
矛先を彼等から自分に向けさせるために。
彼女の言葉をきっかけに母親は脇目も振らずに屋敷に入った。ベリティもそれを確かめると身体を部屋に戻し、パタンと窓を閉める。これから部屋での出来事をなるべく外に漏らしたくない、彼女の願いからの行動だった。
しかし、下でただただ見守るしか出来ない使用人達は、耳に入って来てしまった。ベリティの部屋からパチンッ! と叩かれたであろう音と、雇用主の怒鳴り声を。
「神様……ベリティお嬢様を助けて下さい………」
自分達が貴族に逆らえない立場と知り、使用人達は神や奇跡にベリティの幸せを祈るしか出来なかった。




