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第八話 少年は一抹の勇気を出し、願いを伝える

 ――ざざ……ん。


 寄せる波打ちの音が、暗い海に幾度(いくど)も広がる。

 視線を遠くに移すと、そこには中空(ちゅうくう)に輝く少し欠けた月。

 その姿は海面に(はかな)げに映り込み、その光は暗い海の所々を淡く白く輝かせる。


 ――僕は、またここに(ひと)りで来ている。


 長らく無理を続けた身体は、あの頃とは違い、ここに来るまでの道のりで、息が少し上がるくらいに(もろ)くなっていた。


 もし、全てを諦めて、今、ここで眠ってしまったら。

 そのまま、終わりを迎えることが出来るのだろうか。

 (ちか)いも願いも、祈りも妄執(もうしゅう)も、何もかもを終果(ついは)てて。

 よぎった安寧(あんねい)は、しかし、と自らの言葉で打ち消す。


 止まれない、と。


「ようやく、ここまで着たんだ。だから、僕を見てて、――」


 (かす)れながら呼んだ名前は、ひと際大きな波音にかき消され、吹き抜ける潮風に(さら)われていく。


     *


「……さい……きてください……」

「ん……」


 健太は微睡(まどろ)みの中、目元に残る眠気を離すまいと、声の主から逃れようと身じろぎする。が、声の主はそんな少年の怠惰を許さず、強く揺さぶる。


「もおっ、起きてくださいー!」

「……んぅ……おわっ!」


 目を薄く開くと、視界に飛び込んできたのは、馬乗りになり起こそうとする白髪の少女だった。

 あまりにも予想だにしていなかった状況に、寝惚けたままの健太はどうしたらいいかもわからず、思考が完全に硬直する。


「あ、起きた。寝すぎですよー?」


 馬乗りになった少女ことテンシは、少し頬を膨らませる。


「あ、うん、ごめん。一杯寝てた気がする」

「もう夜の七時です」

「うわ、そうなんだ」

「です! あ、目覚まし時計置いておきましたから、適宜(てきぎ)使ってくださいね」


 テンシが指差した先のベッドの頭側の部分を首を反らし見ると、そこには手のひらサイズの置き時計が鎮座していた。

 なぜか、カニを模した一風変わった赤い時計で、常時デジタルの画面が表示されている。


「とりあえず、お夕飯を食べに行きましょうか」


 と、テンシはベッドを降り、ドアを開け外に出る。

 健太もベッドから起き上がると、洗面台の鏡で髪型だけチェックし後に続く。

 夕食は、通りを五分ほど歩いた先の、アパートや一軒家が立ち並ぶ人通りの少ない一角にあるレストランで取ることになった。

 お洒落な三階建ての建物で、通りに面した部分が全て一面のガラス張りとなっており、店内は暖色のライトに照らされ、楽しそうに食事をする人々や、せわしなく働く給仕の姿などが外からでも確認出来た。一見して人気の店であることは明らかだった。

 老紳士風の男性に最上階へ案内され取るディナーはどれも美味しく、手振り身振りを交えながらのテンシの話は、そのどれもがこの世界についての楽しいものばかりだった。


     *


 健太の部屋に帰った二人は、先程この部屋に案内された時と同じように、健太はベッドの端に腰かけ、テンシは椅子を反転させ、背の部分に両腕を乗せ、今度はその上に(あご)を乗せくつろぐ。


「テンシさん、今日はありがとう」

「こちらこそ、お役に立てたのなら何よりです」


 お互いに挨拶をし、少しだけ間が空いた後、テンシは呟くように話を始める。


「……私は本来『墓守』なので、登録後のナビは、本来他の人が担当する予定だったんです。だから、明日からはちゃんと、別の人がナビとしてこの世界の案内をすることになります」


 テンシの軽く握っていた右の手が、ほんの少しだけ強まる。


「だから、私は今日でお役目完了、です」


 何となく予感はしていた。だからその言葉を聞いて、健太はお別れの言葉を言うつもりだった。だがしかし、少し上擦(うわず)った声で口からつい出たものは、それとは全く違う願いだった。


「その、明日もテンシさんに案内してもらう、というのは出来ない、かな」


 ここまでの流れをただ受け入れてきた少年の、初めての()が、そこにあった。

 この世界に来て、初めて出会った人だからもあるだろう。もしかすると、一目惚(ひとめぼ)れなのかもしれない。

 ただ、今日出会ったばかりの女の子にその一言を切り出すのは、少年にとって、とても、とてつもなく勇気がいることで。けれども、その気持ちを抑えることは出来なかった。


「……ええっと」


 テンシは少し困ったように、そして申し訳なさそうに口を開く。


「ごめんなさい、明日から用事がもう入っていて、ご一緒出来ないんです」

「あ、そうなんだ……」


 目に見えて落胆する健太に、でも、とテンシは続ける。


「六日後からは完全にフリーだから、それでいいなら……」


 といっても一週間近く過ぎちゃうから、ナビじゃなくて、普通にご一緒する感じになっちゃいますけど、と添えながら、テンシは返答する。


「ぜ、ぜひそれで、お願いします!」


 健太は、慌てて応諾する。

 おそらくは、この世界での経験がそれなりにあるであろう少女。

 そんな少女と駆け出しの少年が、一緒に居られるであろう唯一の時期を過ぎているのにもかかわらず、何かを出来るということに、健太は嬉しさを隠せなかった。

 そんな健太の素直な喜びの表情を見ながら、テンシは思う。


 どうしてなんだろう、と。


 それは、テンシがここへ来てから幾度となく見てきた、あるいは体験してきたよくある光景だ。一緒に行動することは、一人では到底達成出来ない依頼もあるこの世界では、日常の光景だ。


 なのに、どうして。彼は、違うのに。


 チクリと心の深いところに震えを感じ、テンシは小さく吐息を漏らす。だが平静を装い、何事もなかったかのように健太へ確認する。


「それでは、六日後の朝九時、紹介所に集合にしましょうか」

「うん、わかりました。……紹介所?」


 紹介所、という聞きなれない言葉で健太は止まる。


「あ」


 テンシはしまった、という表情をして、視線を(ちゅう)に泳がせる。


「すいません、今日必須の場所をナビするの、忘れてしまいました」


 どうしよう、と数秒逡巡(しゅんじゅん)し、上目遣いでおそるおそる提案する。


「ええと。私、明日朝一番でお部屋にお伺いして、ご案内だけさせて頂きますね」

「え、六日後の待ち合わせ場所ならゆっくりでも……」

「あー、実はそれが、紹介所は明日以降必ず立ち寄る場所になるので、必須だったんです」


 えへへ、と申し訳なさそうに誤魔化(ごまか)し笑いをする彼女はどうしようもなくずるくて、可愛らしかった。

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