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第七話 少女は一抹の希望を抱き、願いは叶わず

 中央官庁、一階。


 エントランスホール左の廊下最奥の大きな扉の前に、テンシの姿はあった。


「入りまーす」


「ほい、どうぞー」


 部屋中央奥にある、意匠をらした執務机の前で画面を開け作業をしていたミオリは、ノックの音と共に室内に入るテンシを見て、立ち上がる。


 テンシは扉を閉めると、ふんふん、とラボのあちこちを眺め軽くうなずきながら慣れた足取りでゆったりとミオリの元へ歩いていく。


 ラグで丸くなっていた翼猫は、大きく伸びを一つし、テンシに駆け寄ると、その歩いた後をなぞるようについてくる。


 テンシは、ミオリの座る椅子の横にある二人掛けソファーに座り、近くに鎮座した翼猫の首筋を撫でると開口一番、


「この前来た時より、少し片付いてますね!」


 と言うので、ミオリは、あー……うん、と左手で(ほお)()きながら、


「この前、あんたに部屋が汚いって言われたから、ほら」


 テンシから目を逸らしつつ、小さな声で答える。


 テンシは翼猫の脇に両手を入れ立ち上がると、ミオリと正対するようにして自分の顔が隠れる高さまで抱え上げ、その右前脚をくいくいと動かしながら、


「『お部屋が綺麗になったな。これでワガハイの住環境も良くなった、礼を言うぞ』」


 と、格調高い紳士のような声を作りながら、称賛を口にする。


「もう、からかうな」


「『はっはっは、ワガハイはいつでもミオリんの味方だ』」


「……シロマルで遊ばないでよね」


 ミオリは少し頬を膨らませると、角のキッチンエリアへ向かう。


 翼猫は翼を少し開き、ふわりとテンシから抜け出すと、ミオリの後をついていく。


 テンシはふふふ、と笑みを浮かべてソファーに座り直すと、背もたれに寄りかかり、足を伸ばし、くつろぐ。


 ミオリはマグカップを二つ棚から取り出し、茶色の顆粒かりゅうを入れ、ポットからお湯を注ぎ、掻き混ぜると、ふわりと部屋の中に柔らかいコーヒーの香りが広がる。


 そして、その一方を自分の机に置き、もう片方をソファー前のガラスのローテーブルに置いた。


「ほい」


「えへへ、ありがとうございます」


 テンシはマグカップを取ると、ふーふー、と息を吹きかけ冷まし、おそるおそる口をつけた。


「じゃあ、例の件だけど」


「はーい、待ってました!」


 ミオリはレーザーのような光が出る器具で、執務机の少し前の空中に大きな四角を描く。


 すると、そこに大きな画面が浮かび上がり、人の形を模した3D(スリーディー)とデータが表示される。


「石川健太君、ね。まずは、スコーピアの簡易計測とメディカルチェックの結果だけど」


 人型の3Dの横に、ヒトゲノムのような螺旋(らせん)が表示される。


「本診断でも、ATは計測限界値オーバーで計測不能ね。スコーピアでは二年以内の数値、以前のこの子は五年以内の数値まで計測出来たけど、この前の新プログラム導入時のアップデートで、今は10年まで対応出来るようになっている。それでも計測出来ないってことは、少なくともATが10年以上ということね」


 テンシは軽く頷く。それを見てミオリは続ける。


「続いて、その新プログラム『スカーレット』での傷度(しょうど)計測ね」


 ミオリが手元の画面を操作すると、ハート型のポリゴン3Dが、低速で旋回する画面に切り替わる。


「見て。表面傷度プラスマイナスゼロ、深層傷度プラスマイナスゼロ」


「わ、すごい。これが噂のやつですね」


「そ。二カ月前にダータフォルグから試験提供された、傷を計測するプログラムね。あんたがアセスメントした通り、彼には『死亡した時の痛みもない』し、『死亡した時の記憶もない』、それはデータでも証明されたと言えるわね」


 ミオリは手元の画面を細かく操作しながら、続ける。


「ちなみに、この二カ月弱の運用結果は」


 画面は一覧表に切り替わり、個人名と死因、それぞれの表面傷度、深層傷度が表示される。


 数値の大小はあれど、そのいずれもがマイナスの値となっている。


「こんな感じで、今のところ必ず傷度は出てるわね。……特に、鉄道事故という死因でここに漂着した人は二例しかないけど、表面傷度は必ず高く出てる」


 そこまで言うと、ミオリは傍らのカップに口をつけ、一呼吸置く。


「彼の意思に関わらず、何らかのイレギュラーである可能性は高いわね」


「……」


 テンシは無言で、その表を見つめる。


 手に持ったマグカップに注がれたコーヒーの黒い水面が、ほんの少し波立つ。


「さてと、あんたのお目当てのものを出しましょうか」


 ミオリは手元の画面を操作し、大画面を縦に二分割する。


 左側の画面には、先程まで表示していた健太の分、そして右側には別の人物と思われるハート型のポリゴン3Dが、その形や内容を比較するかのように、同じタイミングで旋回する。


 それに視線を向けるテンシ。その瞳の奥は、期待と怖れで不安定に揺れていた。


「ま、見ての通りなんだけどね」


 左右のハートをそれぞれコピーし、照合するように中央で重ね合わせる。


 一目見てわかるほど、形状やサイズに違いがあり、全くの別物であることは明らかであった。

 白髪の少女はそれをじっと見つめていたが、やがて、手元のコーヒーに視線を落とす。


 そして、――無言。


 一定の間隔で室内を満たす、ピッ、ピッ、ピッ、という電子音。


 普段であれば気にも留めないそれが、今はやけに大きく耳に残る。


「そう、ですよね」


 時間にすると短い、けれども、二人にとっては長い間の後。少し乾いた声で、テンシは短く呟いた。


 ミオリはそんな彼女を見つめ、同じく手元のコーヒーに視線を落とす。


 黒い水面に映る自分の顔や表情を努めて冷静に確認すると。


 ミオリは立ち上がり、持っていたカップを一気にあおり飲み干すと、手元の画面を操作し、大画面やその他の展開していた画面を次々と消していく。


 そして、テンシの前に行くと(かが)みこみ、かろうじて見える表情を確認すると、


「ま、そういうわけで、あたしの話はおしまい」


 その頭をぽんぽんと軽く撫でる。


「とにかく、イレギュラーではあるし、継続して観察対象とすべきとは思うわ」


「そう、ですよ、……ね」


 少しの間があった後、テンシは先程と同じ言葉を、()みしめるように口にする。


 ミオリは温かいの注ぎなおすから、ほら、と軽く催促(さいそく)すると、テンシは冷たくなったそれに口をつけ、ゆっくりと飲み干し、顔を上げると、普段見せない曇りのある笑顔で、はい、お願いします、とミオリにマグカップを差し出すのだった。


 受け取る時にかすかに触れた指先は、とても、冷えていた。



 その後、注ぎたての温かいコーヒーをテンシに渡し、体育座りで隣に座ったミオリは、気持ちを切り替えるかのように、先日刊行のファッションペーパーを表示し、肩が触れ合うくらい近づき、一つの画面を二人で眺めながら、デザインやコーデの話に花を咲かせる。


 気がまぎれたのか、少し表情の戻ったテンシを横目で確認すると、


「で、この後どうするの」


 あんたは明日から()()だろうし、今日は夕飯でも一緒に食べようか、とミオリは提案するが、テンシはバツが悪そうに視線を落とし口ごもった後、上目遣いでおずおずと答える。


「えっと、お屋敷に戻ってから、その後、健太さんのところへ行く約束してて……」


「え」


 ミオリは、テンシという少女のことを()()()()()()()()()()


 だからこそ、驚きを隠せなかった。


 思わず何か言おうとするのを、すんでのところで押し留め、目の前の少女を見る。


 テンシは、感情や行動がコントロール出来ない自分に、戸惑(とまど)っているようであった。


 瞳は濡れ、視線は揺れ、先程以上の不安定な心の情動をさらけ出していた。


 ミオリは表情を和げると、申し訳なさそうに見上げる小柄な少女に、自分の言葉を伝える。


「うん。あんたがそうしたいと思ったことを、あたしは尊重するわ」


「ミオリちゃん……」


「あたしも、あの人のことが大好きだけど」


 そこで深く呼吸を一つし、宝石のように美しく、それでいて健気に震える瞳を真っすぐ見つめながら続ける。


「それと同じくらい、あんたのことも大好きなんだから、ね」


 綺麗な白髪を()くように頭を撫でると、テンシは感極まって、ミオリに抱きつく。


「ミオリちゃん……っ」


「どうしたどうした、今日は変だぞー」


 今度は少し乱暴に撫でると、少女はうん、ごめん、ありがとう、と小さく(つぶや)いた後、


「私もミオリちゃん、大好きだもん」


 と耳元で(ささ)かれたミオリは、自分の体温が一気に上がるのを感じながら、この体勢だと顔見られないからラッキーだったわ……、と心の中でしみじみと思うのだった。


     *


「さて、っと」


 ひとしきりお互いの温もりを感じていた二人だが、それとなくタイミングでお互いが離れると、テンシは茶目っ気たっぷりのいつも通りの表情を浮かべる。


「じゃあ、お屋敷に戻りますね!」


「ほいほい、ルーキー君によろしくね。あたしはこのままソファでひと眠りするわ」


「はい、了解です!」


 白髪の少女はビシッと敬礼を一つし、踵を返す。そして、部屋から出る前に振り向くと、一言だけ添える。


「……ミオリちゃん、たまにはお家に帰ってゆっくりお休みした方がいいですよ?」


 ドアが閉じられた後、ミオリはそのごもっともな意見に、再び頬を掻く。


 どうしようかとあれこれ考えていると、近くでくつろいでいた翼猫がとことこと寄ってきて、ミオリの足に身体をこすりつける。


 ミオリが屈んで抱き上げ、その鳶色(とびいろ)の瞳を見つめていると、翼猫はほんの少しだけ、首を縦に振る仕草を見せる。


「……そっか、そだね」


 翼猫を降ろすとミオリは観念したように笑い、身体冷ましに風に当たってきますか、と呟くと、クローゼットのある部屋へ移動するのだった。

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