9
「姉様!」
急に美男子から口説かれたので、社交辞令だと流すはずが動揺して猛虎弁が出てしまった。だがその瞬間に大きな音を立てて扉が開いた事で、王太子の視線はそちらに向いた。彼の耳に届いていない事を祈るしかない。
駆け寄ってきたのはキーンとテッセルだった。その後ろには彼らを呼びに行ったであろうマンリー侯爵、ファビアン、最後に無愛想なままのダイが続く。
「僕たち、ちゃんとお仕事できたんだよ!」
「僕らがいっぱい頑張ったの、姉様にも伝わったかな?」
許可も得ずに入ってきた事にはらはらするが、特に二人を咎める者はいない。先ほどはクララの関係者として王太子に動いていたので、ある程度の仲間意識はあるのかも知れない。子供だからと目こぼしされているのもあるだろう、無邪気にクララの両隣ではしゃぐ二人の、なんと可愛らしい事か。
「彼らは本当によく働いてくださいました。改竄を疑われる可能性もあったため、ご当主であるイーグル公爵にご助力をお願いする事は叶わなかったものですから。代わりにと二人を推挙された時は少しばかり不安もありましたが、なかなかどうして、知恵の回るお子達で。」
加えて、兄は終始あの調子である。公爵家の潔白を証明するには、親族とはいえまだ若い彼らに任せる他なかったのだろう。社交界デビューの年齢に達していない二人だが、周囲の貴族達にも物怖じしない姿は確かに頼もしく見えた。
「ありがとう、二人とも。」
それぞれの頭を優しく撫でると、二人は嬉しそうに顔をほころばせた。ああかわいい。お持ち帰りしたい。急に家に帰りたくなってきた。そんな邪な考えをするクララは、王太子の表情が微妙に曇った事など知る由もなかった。
「エイブラハム伯爵が子息、ファビアン・イータスと申します。以後、お見知りおきを。」
王太子や侯爵と二言三言話していたファビアンもクララと向き合う。顔見知りの双子と違い改めて挨拶され、そういえば会話するのも初めてだったと思い出す。
「新作のネタになるかと思って情報を集めていたけど、役に立てたようで良かったよ。」
気さくだが嫌味を感じさせない態度に加え、誰もが見惚れるほどの容姿に後光が差しているようにすら見え、思わず目を細める。なんか良い匂いもする。彼は危険だ、じめじめした暗がりが落ち着く陰キャオタクには毒だ。
「御婦人方も面白がってしまって、鼻っ柱を折っておしまい、なんて言い付けられたものだから。ちょっと腹黒なところも見えてしまったけど、気にしないでね。」
「簡単に引っ掛かってくれたのはこちらとしては嬉しいですが、少し気の毒でもありますね。まあ最後にやらかしてくれたので、自業自得には変わりませんが。」
作家業だけでなく劇団を率いて自身も俳優として演じている彼は、観客の持つイメージが何より大事なのだろう。もちろん、王太子と同様に助けてくれた彼に悪印象を抱くはずがない。
どちらかというと。
「……別に俺は、他人のためにやった訳ではないがな。」
(出たわね。)
各々がクララに話しかけたのを見て、明らかに仕方なくといった風体で口を開いたダイだが、クララと目すら合わせない。いくら第二王子達が自爆したとはいえ、他人のためでないという事は自分の信念に従ってあれだけの罵声を浴びせたという事か。さすがに引く。
だが、それぞれの思惑とは違えどクララは彼らによって窮地から救い出された。誰の助けもないままであれば皆が混乱したまま情報は錯綜し、いずれ誤解が解けたとしても名誉を回復させるにも時間がかかる。今よりもっと両親に迷惑をかけた事だろう。嫌な事件だったが、自分は幸運だったのだ。
「皆様。本当に、ありがとうございました。」
「うむ、朕からも礼を言わせてくれ。」
クララが礼を述べると、すぐ近くから間髪入れずに声がした。
(って、なんで国王陛下が!?)
今回の発端となった第二王子、そして収束させた王太子の実父にして国家の頂点に立つ国王が、何食わぬ顔でそこにいた。いずれ姻戚となるため何度か謁見してはいたが、突然傍に来られるのは本当に心臓に悪い。
「よい。皆、楽にせよ。クララ令嬢、此度は愚息が大変な事をした。」
「そのようなお言葉を賜り、身に余る光栄でございます。」
子の不始末でも軽々に謝ってはいけない国王は、代わりに気遣いの言葉をクララに与える。中身はともかく育ちは貴族令嬢、応対マニュアルは完コピしてある。
「すでに聞いておろうが、ハンフリーはあの体たらくである。彼奴の妄言にて傷つけられた公爵家の尊厳については王家から正式に声明を出し、元より何の咎もない公爵家は今回の件に関して一切を不問とする。」
つまり、第二王子の宣言したクララの追放も爵位喪失もない。当然と言えば当然だが、国王から正式に言い渡されるまでずっと存在していた不安がやっと消えた事に安堵する。
「ハンフリーとの婚約も、決定は公爵と話し合った後になるがひとまず解消とする。どうしても愚息と添いたいと言うならば、こちらも最大限の考慮をするが。」
「お心遣い、誠にもったいのうございます。全て、陛下と父母にお任せしたいと存じます。」
添い遂げたくはないが、彼がこの先誰も娶れないとなれば、この猛虎弁にも責任の一端はある。どうしても結婚しろと言われれば、仕方ないと諦められる覚悟も。彼も最後には謝ってくれた事から少なからず反省はしているようだし、むしろ拗らせたなんJ民と結婚させられると考えたらトントンになるか。ならないかも知れない。喪女としては貴族子女の義務というより、食いっぱぐれず暮らせるなら誰でもいいと思っていたのだ。
「陛下。その件に関しては、」
「分かっておる。では、朕は舞踏会に赴くとしよう。王妃を待たせておるのでな。」
王太子が何か言いかけたのを遮り、一同が再び頭を下げる前から国王が退出する。直前に「うまくやれよ。」と小さく声が聞こえた。案じるような、それでいて楽しむような誰かに似た声。
次回、最終話