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「ふう、疲れた。これでひと段落だな。」
王太子に導かれ無言のまま付いていった先は、広間からさほど離れていない休憩用の一室だった。華美ではないが細かく彫刻が施された調度品に、王宮らしい格調高さが伺える。
「まあ、座ってくれ。」
純白のタイを緩めながら勝手知ったる風に案内する彼を見るに、使用頻度の高い部屋なのだろう。しかし、王族である彼を差し置いて自分だけ座る訳にはいかない。
「どうかお気になさらず。ずっと好奇の目に晒されて、あなたもさぞお疲れの事でしょう。淑女を立たせたままにしておくなど、紳士の風上にも置けませんから。」
マンリー侯爵がクララをソファへと促す。この部屋に入るまで、彼は連れ立って歩くクララ達を背後からそれとなく守ってくれていた。小声で断りを入れ、クララは勧められるまま腰を下ろす。
王太子が飲み物の用意を伝え、久しく何も口にしていなかった事を思い出す。一時間にも満たなかったはずだが、自覚した途端に夜会を終えたかのような疲労感が押し寄せてきた。アルコールの有無だけ聞かれたのは、また遠慮させないようにとの気遣いだろう。
侯爵が扉から続く部屋に消えていく。控えていた使用人に飲み物を準備させるためだろうが、理由はそれだけではなさそうだ。クララの意図を察してか、王太子が口を開く。喋らなくて良いのはありがたい事である。
「実は所領の税収調査中、ハンフリーの噂話が持ち上がったのが始まりだった。本当は君の婚約にまで波及するはずではなかったのだが。」
王太子があの場に現れたのは第二王子の醜聞が明るみに出たせいだが、横領や婚約の話といい、結果として一つに繋がってしまったらしい。その終着点があの婚約破棄宣言というのも、突飛な話だが。
「あそこまで誤った情報をばらまかれて、調査していた我々が黙っている訳にはいきませんので、あの場で真相を暴露した次第です。」
給仕台を押しながら侯爵が現れた。使用人に任せない辺り徹底しているが、このような話を自分が聞いていていいのか少しばかり不安になる。
「心配しなくていい。まだ調査中の者はいるが、先ほど皆に聞かせた話がほぼ全てだ。とばっちりとはいえ君も関係者となってしまったし、知らせておくべきだと判断したまでだ。」
被害者であるクララに配慮しての説明らしい。勝手に聞かせておいた末に口封じをされる心配はなさそうで、とりあえず安心する。
「実は、私の発案で騒動に介入したのですよ。緊張状態かつ閉ざされた広間から、わざわざ目立つ真似をしてまで逃げ出す者もいない。あの場で関係者を確保すれば、必要以上に事を荒立てずに済むと思いまして。」
「君を利用する形になって申し訳ないが、おかげで穏便に収まった。」
貴族とは体裁を重んじるものだ。一旦は収束した場で再び騒ぎ立てれば、第二王子の同類だと注目されてしまう。捕まえる側も何かと気を遣うもので、と侯爵は苦笑した。
なるほど、これは釈明でもあったのだ。知らないうちに隠れ蓑にされていた訳だが、結果として助けられたのだ。感謝こそすれど、元より文句など言うつもりもない。
「だが、先にも言った通り、我々はハンフリーとは違う動機で動いていたのでね。あの場でどうこうするつもりはなかったのだが、君にきっかけを与えられて行動に移したんだ。」
供された茶で喉を潤す。香ばしさと温かさにほっと息をついた時、思わぬ言葉に顔を上げる。
「君の振る舞いは、実に堂々たるものだった。君自身に咎はないと知っていても、何も事情を知らない連中は違う。それでもなお一人で耐える姿を目の当たりにして、どうして黙っていられようか。」
(お、おう。)
内心では戦々恐々としていたが、傍目にはそう見えたらしい。良かった。猛虎弁出さなくて本当に良かった。
「これを好機だと、君を利用したのも事実だが。協力を依頼していた皆に急ぎ準備するよう伝えてな。はったりも多少かましたし冷や汗ものだったが、何とかうまくいってくれて良かった。それも、君が毅然とした態度でいてくれたおかげで、衆目の元に愚弟達の戲言を引き出す事が出来た。」
「い、いえ。私は、そんな。」
ある程度の下準備があったとはいえ、行き当たりばったりでもあれだけの大立ち回りが出来たのだ。それに比べれば、買いかぶりも甚だしい。やめてくれ。喪女は急に褒められると、ニヤつきを抑えんとして名状し難い程に気色悪くなるのだ。
「それに、」
つと、王太子がクララを見つめる。目を細めながらも今までとは違う視線に、クララはただならぬふいんき(なぜか変換できない)を感じ取った。
「久し振りに聞いた君の声は、透き通るほどに心地良く、きれいだと思ったんだ。」
「うせやん。」
(お褒めいただき、光栄に存じます。)
逆ゥー!