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「貴公らは、女性は丁寧に扱いもてなすべしとの教育を受けなかったのか。」
一瞬サボテンの幻影が見えたクララを現実から引き戻したのは、会場の端から端まで通り渡る声。
「あ、兄上。」
「ハンフリー、お前は何をやっているんだ。」
一瞬にして辺りは静まり返る。現れたのはこの国の第一継承権を持つ王太子、ライオンハート公セイブルスだった。兄の登場を予想だにしなかったらしい第二王子は分かりやすく動揺する。
「お前を呼ぶよう陛下から仰せつかったというのに自室にはいない。何やら広間が騒がしいと思えば、こんな茶番を繰り広げていたとは。」
「茶番だと!」
激高する第二王子を余所に、王太子はぐるりと広間わ見渡し、すっかり熱を失った群衆に問いかける。
「して、これは何の騒ぎだ。」
「決まっている! そこな邪知暴虐の女を、」
「貴様には聞いておらぬ。」
クライマックスを頓挫させられた第二王子が声を張り上げるも、ぴしゃりと打ち返される。王族といえど階級社会、貴族と同様に、嗣子とそうでない者の間には絶対に越えられない壁が存在するのだ。
「僭越ながら、小生からご説明いたしましょう。」
その声に振り返ればいつの間にか軍人達は下がり、代わりにいたのはバロッテ公爵の嫡男、マンリー侯爵オリオン卿だった。首相として多忙な父公爵の代わりに領地経営で辣腕を発揮する彼は、次代の政治を担う人物として注目の的だ。
「タイガー公は婚約者であるクララ令嬢を疎ましく思い、ありもしない罪を捏造し瑕疵を付け婚約を破談にし、彼女の代わりにジャイネス嬢を妃として迎え入れようと画策したとの事です。」
侯爵の淡々とした説明に、もう何度目か分からないどよめきが起こる。真偽の程が分からない傍観者達とは違い、クララにはこれが自分を婚約者の座から引きずり落とすための謀略だと分かっていたが。
しかし、王太子は第二王子の暴走を止めるために出てきたとして、政治家でも当主でもない、あくまでいち貴族であるマンリー侯爵がなぜこの場にいるのか。おそらく独断で動いている第二王子の暴挙など、国王陛下の耳に入ればすぐに収束するだろう。今夜の出来事はクララにとって醜聞となるが、冤罪は晴れ公爵家の名誉は回復するはずだ。
ゆえに、わざわざ他家の貴族が介入してくる理由がない。更に言えば、クララは社交界において他の貴族との交流も皆無と言っていい。知らないうちに徳を積んで知らないうちにイケメンに惚れられるという、流行りの鈍感系無意識モテ期主人公にはなり得ないのだ。
だが話の流れを見るに、窮地に立たされていた自分の援護をしてくれているのは明らかだ。もしかしたら今まさに国王夫妻へ知らせが行っており、王太子と侯爵はそれまでの時間稼ぎをしていると考える方が妥当である。
「違う! その女は実際に彼女を侮辱していたのだ!」
「ほう。その根拠はどこにあるというのだ。」
「たった今、私の忠実な臣下達が報告してくれた通りだ! 何を疑う事がある!」
(出、出〜〜! 噂信主観断罪奴〜!www)
疑うも何も、情報の提供元からして間違っている。忠実な臣下である彼らは、第二王子に不都合な証言は絶対にしない。真偽を確かめもせず物事を客観的に見られないからこそ、一方的に断罪し始めたのだろうが。
「忠実な臣下、か。羽音がうるさいだけの蜂かと思ったが。その忠誠が、真実お前に捧げられたものかも怪しいものだな。」
「どういう意味だ!」
第二王子には王太子のジョークが理解できなかったらしい。コロニーの中心は第二王子たる彼ではなく、女王蜂の方だと言いたいのだろう。
(この王太子、煽りよる。)
怒髪天を突く勢いの第二王子とは対照的に、不敵に笑う王太子はこの空気感すら愉しんでいるようだった。
「殿下。」
「なんてな。茶番に付き合ってやるのもこの辺にするか。」
窘めるように呼ぶマンリー侯爵に応え、王太子は第二王子を始め、さすがに王太子には逆らえない様子の女性と取り巻き達を見渡す。
「クララ令嬢の悪事とやらを証明できるものは。」
「大勢の目撃者がいるんだ!」
(だからソースあんならすぐ出せ。)
一辺倒に叫ぶド゠ラグーン中尉だったが、王太子は心底呆れたように溜め息を吐く。
「そんなものは証拠とは呼べない。仮に目撃者がいるとして、その者の名前と身分、それに目撃した日時と状況説明を全員から個別に聞いて照合したとしても正確性に欠ける。物的証拠がないなら話にすらなるまいよ。」
(そうだそうだ。画像ハラデイ。)
女性は貞淑であるべしという風潮以前に、クララも世間の大多数と同じく長い物に巻かれる主義である。なおかつ前世では典型的なネット弁慶であったので、とりあえず炎上や煽りにはお祭り感覚で便乗しておく。
「議論において、相手が悪いとはいえ一方的に詰めるだけなのも良くないな。では、こちらからも証拠を提示しよう。」
そういって彼が懐から出したのは、一枚の紙。眼前に広げられた瞬間に、第二王子の顔が見る見る内に青ざめていく。
「これは街中で描かれたスケッチだが、ここにいるのはハンフリー、お前とそこのジャイネス嬢ではないか。」
(燃料投下キター!)
王太子はその場でゆっくりと一回転し、衆目に晒すように紙を掲げる。なるほど、鉛筆でありながら精彩に描かれたその絵には第二王子の満面の笑みが溢れ、隣に座りながら歓談しているであろう彼女の、豊かな栗毛の髪も風に揺れて見えるようだ。
「画家のサインと写生日時もここにある。題名は『昼下がりの恋人達』だそうだ。」
「わ、我々は王立公園になど行った事はない。こんなもの、いくらでもでっち上げられるだろう!」
「ほう、なぜここが王立公園だと分かった? 私は『街中』としか言っていないが。」
その瞬間、第二王子は文字通り「あっ!」という顔をした。
(たまげたなあ。)
こんな初歩的なトリックに引っ掛かる人間を初めて見た。呆れるどころか逆に感動すら覚える。
「み、見れば場所くらい分かる! こんなもの、我々の顔を知っていればいくらでもでっち上げられるだろう!」
もはや言葉遣いを取り繕う事すらしなくなった第二王子だが、次の瞬間には再び言葉を失う事になる。
「そうだな。だが、複数の画家が、同じ場所で同じ画題をそれぞれ描いていたとしたら?」
言うや否や懐から出てくる出てくる、違う画風で描かれたスケッチが十数枚。角度や構成は変わるものの、一貫して共通しているのは、第二王子と女性によく似た二人が仲睦まじく身を寄せ合っているというもの。そのうち何枚かには、二人が手を取り合い王家の紋章が刻印された馬車に乗り込む姿すらあった。
「何なら油彩画として完成したものもあるぞ。」
後ろからキャンバスが運び込まれ、布が取り払われたそこには、二人が中心ではないもののそこかしこで逢瀬を重ねる恋人達の絵が描かれていた。その内の一組は、件の二人と全く同じ風貌と服装をしている。
「随分と目立つ逢引だったようだな。これだけの人数からモデルにされるほど優秀な画題なのだろう。誇っていいぞ。」
(本当にハランデイイ……。)
これほどの証拠が出てくるとは想定の範囲外だった。第二王子には今更なんの感情も湧かないが、他人の乳繰り合う姿を見せられるのはシンプルにムカつく。なにせ前世は純度十割の喪女だったのだ。リア充は地獄の業火に焼かれるべきだと切に願う。