貴族令息と仲の良い私には、何故か婚約の打診が来ません。
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アリシアがルーカスと出会ったのは、10年前。
6歳の時だった。
ある日、アリシアはガルマ商会の会長である父に連れられて、マナーズ伯爵家へ訪れた。
そこで伯爵夫妻からある頼み事をされたのだ。
息子の遊び相手になってくれないか。
初めて会った人からの頼み事で不安にはなったが、アリシアは夫妻の頼みごとに快くうなずいた。
美味しいお菓子やお茶でもてなされ、断りづらかったという事情もある。
男の子と友達になるのは初めてで、何を話そうかと悩みつつ、アリシアは部屋の前まで案内された。部屋の前でマナーズ夫人は少し心配そうな顔をしながらアリシアに言った。
「息子のルーカスは、見た目が少し...他の人とは違うの。けれど、優しくて良い子なのよ。驚かないでいてくれると嬉しいわ」
見た目が他の人と違う?どう違うの?
というか、なぜそんな重要そうなことを会う直前に言うのだ。
慌てて詳細を聞こうとしたが、夫人は既に部屋の扉に手をかけて中に入ろうとしている。
詳細を聞けず心の準備が整わないまま、アリシアはルーカスの部屋へ通された。
部屋の中は落ち着いた色合いの家具が揃えられ、子供部屋にしては少々大人っぽい雰囲気だった。アリシアは緊張しながら、その部屋の主であるルーカスを探す。
すると、部屋の隅から少年の声が聞こえた。
「…君は?」
声がした方を見ると、小さめのチェアに座るアリシアと同い年くらいの男の子がいた。
恐らくルーカスであろうその男の子は、警戒の目でアリシアを見ている。
ルーカスと目が合ったアリシアは、夫人の言葉の意味を理解した。
体を覆う、黒くいびつな痣。
ルーカスは、本来の皮膚の色が殆ど見えない程、全身の至る所に黒い痣が広がっていた。
暗闇に覆われたかの様なその見た目は、禍々しさを感じさせるほど。
その見た目故に、恐怖の対象として見られることも多かったはずだ。
アリシアはルーカスから目を逸らせなかった。
一方、見つめられるルーカスは不安と緊張で顔が強張っている。
今まで何度となく、化け物を見る様な目で見られてきた。
顔に恐怖を浮かべ、震えながら立ちすくむ者。
なりふり構わず逃げ出す者。
人と会うたびに傷つけられて、ルーカスは少しずつ心を閉ざしていった。
心配した両親は、時々こうして友達になれそうな子を連れてくるが、今まで誰もルーカスと友達になってくれた子はいない。
二度と傷つきたくない、そう思うのに。
連れてこられた子を見るとルーカスは、僅かながらも期待してしまうのだ。
逃げずに、ただ側にいてくれる子がいるのではないか、と。
この子も同じだろうか。
僕から逃げるのだろうか。
ルーカスがそんなことを考えている間も、アリシアはルーカスから目を逸らさなかった。
いや、逸らせなかったのだ。
ルーカスの心配とは裏腹に、アリシアはルーカスの見た目は気にならなかった。
それよりも、もっと気になるものがある。
黒に覆われた痣だらけの顔。
それに浮かぶ、恐ろしいほど綺麗なスカイブルーの瞳。
そのコントラストの、なんと美しいことか。
アリシアは、一瞬で心を奪われた。
「綺麗...」
「…綺麗?」
アリシアの言葉にルーカスは首を傾げた。
「ルーカス様、魔石みたい!」
「…魔石?」
訝しげな顔をするルーカスに、アリシアは堰を切ったかのように話し出した。
「うん!魔石。見たことない?魔物を倒したら稀に手に入る貴重な石なの。
真っ黒で、所々宝石みたいに輝いてとっても綺麗なんだよ!高価で殆ど出回らないから、ガルマ商会でも滅多に手に入らないけど。
ルーカス様は魔石みたいに美しいわ!黒い見た目に、綺麗な瞳。
私、魔石が大好きなの!」
瞳を輝かせ魔石の素晴らしさを語るアリシアに、ルーカスはとても衝撃を受けていた。
「…きみは、僕を怖いと思わないの?」
「綺麗で、素敵だと思います!」
今までと違う反応をされ、ルーカスは驚いた。
アリシアが自分から逃げないのは、魔石が好きだから。
それは理解していても、ルーカスの心に温かいものが込み上げてくる。
「名前...君の名前を教えて」
「アリシアです!ルーカス様、一緒に遊びましょう!」
その言葉に、ルーカスは嬉しくて泣きそうな気持ちを堪え、こくんと1度頷いた。
こうして2人は友達になった。
話してみれば、好きな本や遊びも似通っており、2人は妙に気が合う。
時間も忘れ楽しそうに遊ぶ2人を見て、息子を心配していたマナーズ夫妻も涙を浮かべて喜んだ。
本の話で盛り上がり、チェスをして笑い合い。
アリシアとルーカスは本当に楽しい時間を過ごしたのだった。
アリシアはこの魔石の様な男の子と友達になれたことが本当に嬉しかった。
一緒にいると楽しく、時折見せる笑顔に胸が高鳴る。綺麗で素敵な男の子。
それはまるで宝物を手に入れた時の様な、そんな特別な気持ちだった。
その日の帰り道、アリシアは父にルーカスの素晴らしさを語り続けた。
「ルーカス様は、魔石みたいに綺麗でしょう?だから友達になれて嬉しかったんだけど、
それ以上に話も合うし一緒にいて本当に楽しかったわ!」
嬉々としてルーカスのことを話す娘に、父は満足気な顔をしている。
「アリシアはきっとルーカス君を気に入ると思ったんだよ」
そう言い父は、ルーカスのことを色々と教えてくれた。
ルーカスは4歳の時に、突然あの痣が出来たらしい。
領地で死んでいたドラゴンに近づいた時、急に痣が浮き上がったという。
いくつか医者にかかったが、原因は不明で手の施しようがない。
周りの人々は「ドラゴンの呪いでは?」と口々に噂した。
今まで普通に接してくれていた人も、呪いだと気味悪がってルーカスに近寄らなくなった。
酷く冷たい言葉を投げかけてくる者も多く、ルーカスはとても傷ついていたという。
マナーズ伯爵夫妻は、傷つく息子にこのまま心を閉ざしてほしくなかったのだろう。
誰か友達になれる子はいないかと、色々な人に声をかけていた。
たまたま話を聞いたアリシアの父は、自分の娘なら仲良くなれるかもしれない、そう考えた。
何故なら、アリシアは見た目よりも本質を大事にする子だ。
親のひいき目も少し加味されていたが、アリシアの父は娘をそう評価していた。
始めは驚いたとしても、話をしていけばきっと友達になれる。
そうして、マナーズ伯爵と商談をする時に娘も連れて行ったのだった。
まさか魔石みたいだと、見た目にも食いつくとは思わなかったが。
「しかし、魔石か...」
父は、ぽつりと呟いた。
しばらく父は考え込んでいたが、ふと顔に笑みを浮かべた。
「もしかするとルーカス君は…いや。
ともあれ、友達になれて良かったね」
「うん!また一緒に遊ぶの!」
それからというもの、アリシアは度々ルーカスの元へ訪れた。
父の商談のついでだったり、アリシアだけで遊びにいったり。
段々と親しくなり、名前で呼び合うくらい仲が深まった頃。
家の外で遊ぶのを嫌がっていたルーカスは、次第に外でも遊ぶようになった。
「ルーカス、今日も外で遊ぶ?家の中でも私は良いよ」
「いや、外で遊ぼう。良かったら今日は一緒に買い物にでも行こうよ。もうすぐアリシアの誕生日だし、何かプレゼントしたいんだ」
「人の目が気になるって言ってたけど、大丈夫?」
「うん。アリシア以外にどう思われようと関係ないなって気づいたから」
そうして初めて一緒に出かけた買い物で、アリシアは強い衝撃を受けた。
道行く人々が、ルーカスを見て怯え、蔑むような目で見てくるのだ。
ルーカスの呪いの噂を知っている人は、「呪いが移るから近寄るな」と嫌悪感をあらわに怒鳴る者もいる。
買い物をしようと入った店でも、「他の客が怖がるから」とルーカスを追い出そうとする店主もいた。
殆どは、ついてきた伯爵家の護衛が黙らせたが。
その態度を目の当たりにする度に、アリシアは悲しさと悔しさでいっぱいになった。
ルーカスはとても良い子よ!
呪いですって?馬鹿馬鹿しい。
大体、見た目を怖がるなんて信じられない。
こんな綺麗な瞳を持ってるのよ。顔もとても整っているし、黒い痣がなんだっていうの!
憤りを感じつつ、アリシアはルーカスが傷ついていないかがとても心配だった。
しかし、様子を見る限りルーカスは全く気にしてないようだ。
「何も気にならないよ。アリシアが僕を怖がるなら別だけど」
「怖がるわけないでしょう!ルーカスは私の1番の友達なのよ!」
そう叫ぶように伝えると、ルーカスは嬉しそうに顔を綻ばせた。
「アリシアが側にいてくれれば、僕は誰に何を言われてもいい」
ルーカスの言葉に、胸が高鳴ったアリシアは、誤魔化すように目を逸らす。
頬が熱い気がするが、気のせいだ。
そんなことを考えていると、道行く人の目も気にならなくなった。
そもそも、ルーカスに何か言う人がいても、自分が味方であればいいのだ。
そう心に決めたアリシアは、ルーカスの手をとって歩き出す。
「私はずっとルーカスの側にいるわ!いつでも味方だからね」
力強くそう宣言するアリシアに、ルーカスは幸せそうに笑った。
こうして2人は初めての外出を楽しんだのだった。
時が過ぎ、アリシアとルーカスが共に10歳となった年。
マナーズ夫妻に呼ばれ伯爵家へ訪ねたアリシアは、そこで予想外の知らせを受けた。
なんと、原因不明だったルーカスの痣の原因が分かったのだという。
「魔力の結晶化が痣の原因だったの!
アリシアちゃんのお父さんから、もしかすると魔力が関係してるかもしれないって聞いて、調査してたんだけれど、あたりだったみたい!」
嬉しそうに報告するマナーズ夫人。
どうやら、アリシアとルーカスが出会った日の帰り道、父親が考えていたのはこのことだったようだ。
魔石のように黒い痣。
娘が「魔石みたいだ」と言ったことに、アリシアの父は少し引っかかりを覚えた。
魔石とルーカスの痣は実際に同じような現象が起きているのではないか、と。
魔石は、魔物を倒した時にかなりの低確率でしか手に入らない貴重品だ。
その確率は、1000匹のドラゴンを倒して、1つ手に入るかどうかといったもの。
なぜそれほどまでに魔石が手に入り難いのかというと、魔石のできる条件が中々揃わないからだった。
倒した魔物から放出した魔力は、時間とともに霧散していく。
しかし、稀に宝石のように輝く石が落ちている時がある。
その石の近くで魔物が倒れると、魔力は霧散せずその石に吸収される。
そうして吸収された魔力は結晶化し、その石の表面を黒く固めるのだ。
そうして魔石は生まれる。
魔力が結晶化した場所は恐ろしいほどに黒く、結晶化しなかった場所は本来の石の輝きを見せる。そのコントラストが、稀少性に加味して魔石の価値を上げるのだ。
しかも、ドラゴンほどの強力な魔力がないと結晶化は起きないとなれば、とてつもなく貴重品である。
ドラゴンの死体に近づいた時に出来たというルーカスの痣も、魔力を吸収し結晶化したことで出来たのものではないか。
アリシアの父からその考えを聞いたマナーズ伯爵夫妻は、魔石についての情報を集めた。
しかし、なにせ魔石が生まれる状況が稀なため、多くの情報は集まらない。
魔石の元となる宝石の様に輝く石も見つからない。
少ないながらも集めた情報で、ルーカスの症状と関係があるか突き止めるまで4年の歳月が経った。
そうして分かったのは、ルーカスは魔力を吸収してしまう体質だということ、全身の痣は魔力が結晶化してできたこと。
結晶化した魔力を体内に取り込むことで、痣は消えるのではないか。ということだった。
ただし、魔力を体内に取り込むという行為にはコツがいる。
訓練に数年はかかるだろう。
けれど、訓練さえすれば痣は消えるのだ。
そして痣が消えれば、ルーカスに酷い態度をとる人もいなくなるだろう。
アリシアは喜びのままルーカスの方を見やった。
けれど、目を向けた先のルーカスは浮かない表情で俯いている。
アリシアは首を傾げた。
「ルーカス、嬉しくないの?」
長年、黒い痣に悩んだはずだ。
治したくないのだろうか。
不思議そうにこちらを見るアリシアに、ルーカスはポツリと呟いた。
「…僕が魔石みたいじゃなくても、アリシアは側にいてくれる?」
思いもよらない言葉に、アリシアは驚く。
魔石みたいだ!とルーカスに興味を惹かれたのは確かだ。
けれど、それだけの理由で友達をやっていた訳ではない。
「当たり前じゃない!ルーカスがどんな見た目でも、私は側にいるよ。私、ルーカスの見た目以上に、中身が大好きなの」
「本当?僕もアリシアが大好きだ」
「ルーカス、痣を治そうよ!
きっと、酷いことを言う人も減ると思うの。友達も増えるかもしれないし」
アリシアは、熱心に説得した。
「アリシアがいれば友達なんていらないけど...。
でも、アリシアがそう言うなら」
アリシアの言葉もあり、ルーカスは痣を治すことを決めた。
そして体内に魔力を取り込む訓練を始めてから数年。
2人が14歳になった年。
あれほど全身を覆っていたルーカスの黒い痣は、きれいさっぱりなくなった。
ルーカスが体内に魔力を取り込めるようになったのだ。
感情が昂ると取り込んだ魔力が再び結晶化するが、普通にしていれば何ともない。
そうして痣がなくなったルーカスに、周りの人たちはガラリと態度を変えた。
黒い痣で隠されていたが、ルーカスは端正で美しい顔つきをしている。
さらに長身で程よく筋肉のついた、抜群のスタイル。
しかも魔力の結晶を体内に取り込み、人よりも魔力が桁外れに多くなったため、魔法騎士団や研究所など、あらゆる魔法関連の国家機関から誘いを受けるようになった。
ルーカスは、伯爵家の長男であることを除いても、将来有望な人物であることは間違いなかった。
そんなの、モテない訳がない。
今までルーカスに見向きもしなかった令嬢たちは、手のひらを返したようにルーカスの周りにやってくる。
男たちも、将来有望な人物と親しくなればメリットがあると踏んで、ルーカスに話しかけるようになった。
しかし、どんなに周りが仲良くしようと近づいても、ルーカスはアリシア以外を側に置かなかった。
アリシアはそんなルーカスを少しばかり心配した。
ルーカスは伯爵家の息子だ。
社交の意味でも、色々な人と仲良くなっていたほうが将来的には良いだろう。
「ルーカス。私以外とも仲良くならなくて大丈夫?」
「俺は、アリシアがいればいいから」
14歳になり、だいぶ大人びてきたルーカス。
アリシアから見ても、男性として魅力的になった彼からそんなことを言われると、妙に照れてしまう。
「で、でも!ルーカスは伯爵家の息子でしょう。色々な人と仲良くなっていたほうがいいと思うの!」
少し赤くなった頬を手で押さえつつ、アリシアは落ち着きなくそう言った。
「本当に俺はアリシアだけでいいんだけど。...でもまあ、アリシアがそう言うなら」
前にも聞いたようなセリフである。
ルーカスは仕方がない、といった感じで次の日から態度を変えた。
実際に色々な人と関わりを持つようになったのだ。
社交的になったルーカスは、更に人気になっていく。
毎日のようにアリシアと過ごしていたルーカスだが、他の人と接することで、アリシアとの時間が減っていく。
自分で言い出したことだが、そのことにアリシアは寂しさを感じた。
「これで良かったのよね…」
そう呟きつつ、深いため息をつく。
友達だから、と独占するのは間違っている。
それに、友達とはいえアリシアとルーカスは異性なのだ。
年齢的にも、そろそろ節度ある行動を取らなければいけない。
今までがべったりし過ぎたのだ。
「いつまでも、私だけのルーカスじゃダメだもん」
他の人と仲良くするルーカスを思い浮かべ、心臓がつきりと痛んだ。
けど、きっと気のせいだ。
そう自分に言い聞かせながら、アリシアはルーカスの変化を素直に喜べない自分を誤魔化したのだった。
そうして、今――――。
16歳となった2人は、王都にある王立学園へ通っている。
ルーカスとは同じクラスになったが、中々話す機会がない。
なんせアリシアがルーカスに話しかけると、ルーカスを狙う令嬢から牽制されてしまうので、近づきづらいのだ。
この学園に通い出してから、更にルーカスはモテるようになった。
常に多くの令嬢がルーカスを囲むので、商人の娘であり平民のアリシアは、ルーカスと話せない日々が続いている。
ルーカスと話せないことに人知れず大きなダメージを負っているアリシアだったが、最近はそれに加え違う悩みも抱えていた。
「ねえ、ロイ」
「なんだ?」
アリシアは机に突っ伏したまま、前の席に座るロイという青年に話しかけた。
「私と結婚しない?」
「冗談でもやめろ!俺、殺されるじゃん!」
顔を青ざめさせ、即答するロイ。
間髪を容れずに断られたアリシアは、顔を上げて恨めしそうにロイを見た。
「やめろって酷いわね。大体、誰に殺されるっていうのよ」
「…アリシア、本当にお前の目は節穴だな」
可哀想な子を見る目で毒づくロイに、若干イラつきを覚える。
「だって、私もうそろそろ婚約者を見つけないといけない年齢なのよ。
でも、なぜかどこからも婚約の打診が来ないの!私ってそんなに魅力がない?」
そう、最近のアリシアは、婚約者が見つからないことに悩んでいた。
この国の女性の結婚適齢期は17歳から23歳である。それは貴族でも平民でも同じだ。
大体は20歳までに婚約する女性が殆どである。
貴族も平民も婚約者を探して多くの家に打診するのだが、不思議とアリシアの元には婚約の打診は一度も来たことが無い。
このままだと行き遅れること間違いなしだ。
そうなるとガルマ商会を継ぐ弟の世話になることとなり、迷惑をかけてしまう。
卒業まであと2年。
何としてもそれまでには婚約者を見つけたい。そうアリシアは考え婚約者を探し始めたのだった。
「ロイの家も商売をしてるでしょう?ガルマ商会の私の家と縁を結べばとてもメリットがあると思わない?」
めげることなく自分を売り込むアリシアに、ロイは顔を顰めながらぶんぶんと首を横に振った。
「ルーカスがいるじゃん。ルーカスなら喜んで婚約してくれるだろ」
「ルーカスは私のこと友達だと思ってるだろうし…」
アリシアも、婚約者を探すことになった時、一番にルーカスを思い浮かべた。
ルーカスが婚約者となってくれればこの上なく嬉しい。
けれど、友達としてアリシアに接しているルーカスからすると、突然婚約の話を持ち出されたら困惑するのでは無いだろうか。
断られる可能性だってある。
断られれば、友達としてルーカスの側にいるのも気まずいだろう。
ルーカスの側にいられなくなるかもしれない。
話す時間も減った今ですら辛いのに...そんなの、嫌だ。
という訳で、アリシアはルーカスにだけは婚約の打診をしないと心に決めていた。
そもそも、伯爵家の長男であるルーカスは相応の相手と婚約しなければならないだろう。
そこまで考えて、アリシアは酷く重い気持ちになった。
「はぁ...。それにしても婚約の打診が一度も来ないなんて…。私がこんなに需要がないとは思わなかったわ。こうなったらかなり年上になるけど、後妻を探してる方に打診してみようかしら」
「...絶対やめた方がいいぞ。もし本当に打診するなら、そのことを先にルーカスに言っとけよ」
「なんで、ルーカスに言わないといけないのよ…」
そんなことを話していると、午後の授業が始まった。
結局、その日は一度もルーカスと話すことが出来なかった。
そのことも含めて、アリシアの気分は大きく沈んだのだった。
その日の夜、アリシアは婚約の話をしようと父親の書斎へ訪れた。
今までも何度となく父親に「婚約の打診が来ないなら、こちらから打診したい」と伝えていたのだが、なんやかんやとはぐらかされてきた。何故か婚約の話となると、父親は歯切れが悪い。
このままでは埒があかない。
「お父様。私、カベラ男爵に婚約の打診をしようと思うの。年齢は40も年上だけれど、人柄も良いですし、夫人を亡くす前は愛妻家だったと聞くわ。私のことを愛してくれなくても、良きパートナーとして受け入れてくれると思うの」
「婚約の打診?いやいやアリシア。探さなくても大丈夫だよ、何とかなるから。打診するのだけは止めておこうよ」
またしても歯切れの悪い父親の返事に、アリシアは呆れてしまう。
「お父様!何とかなるって言っても、私には婚約の打診すら来ないのよ!
こっちから動かないと行き遅れ間違いなしだわ!」
「う~ん。いや~あの...大丈夫なんだ!とにかく何とかなるから!」
「何を根拠にそんな悠長なことを言ってるの?私が行き遅れたら弟のマルクに迷惑がかかるのよ!お父様が動かないなら、私が動くから。婚約の打診をする時、名前だけ貸してくれればいいわ」
アリシアの意思が固いことが分かったアリシアの父は、見てわかるほど焦りを見せていた。
「待ってくれアリシア...。そもそも、婚約の打診をすることをルーカス君には言ったのか?」
「なんでルーカスに?言ってないわよ」
突然出てきたルーカスの名に、アリシアは首を傾げた。
父親は、アリシアの返答に顔を青くする。
「なんてこった...。じゃあ、私から伝えておくよ。すまないが、ルーカス君に伝えるまで婚約の打診は待ってくれ」
「ルーカスに?なんでよ、言わなくていいわ」
「いや、言う。殺されたくない」
「誰に殺されるって言うのよ...」
なにやらどこかで聞いた台詞である。ふとロイの顔が頭に浮かぶ。
父親は、何かに怯えた様子を見せつつ、いつルーカスに伝えようかと頭を抱えだした。
理由は分からないが、ルーカスに伝えるというのは余程勇気がいる行動の様だ。
このままでは父親がルーカスに話をするまで、余計な時間がかかりそうである。
ふっと小さくため息をついたアリシアは、頭を抱える父親に声をかけた。
「いいわ。理由は分からないけど、ルーカスに伝えればいいのね?明日私から伝えるわ。その方が早そうだし」
「アリシア...お前...」
何故か絶句し、アリシアを憐れむような目で見る父。
死ぬ気か...?いや、アリシアなら殺されることはないだろうが...
などとぶつぶつ呟いている。
遠い目をしながら複雑な顔を浮かべる父親に、これ以上話し合うこともなさそうだと判断したアリシアは、そのまま書斎を出ていった。
自分の部屋へ戻ったアリシアは、明日はルーカスに話しかけるぞと決心する。
最近の悩みの一つであった婚約者探しの件が、ひとまず解決するかもしれないのだ。
喜ばしいことである。
だというのに...何故かアリシアの心は晴れないままだった。
布団に突っ伏して、ため息をつく。
「ルーカスは、私が婚約者を探してると知ったら、どう思うかな...」
少しは寂しいと思うのだろうか。
そういえば、ルーカスは婚約者を探していないのだろうか。
もしルーカスに婚約者が出来れば、2人で遊ぶことは出来なくなる。
ルーカスは私ではなく、婚約者と親交を深めていくのだ。
寂しい。悲しい。
こんなこと思ってしまうなんて、友達失格だ...。
あれこれと物思いにふけるが、思い浮かぶのはルーカスのことばかりだった。
ぐるぐると巡る思考に、胸が張り裂けそうになる。
一体自分は何に悩んでいるのだろう。
悩みの原因が分からないまま、アリシアは眠れない夜を過ごした。
次の日、殆ど眠れなかったアリシアは、重い気分のまま登校した。
教室に入ると、既にルーカスの周りに令嬢達が集まっている。
それを見てさらに心が重くなる。
話しかける気持ちが萎んでいくのを感じ、アリシアは心を落ち着かせるため、一度自分の席に座った。
「おはよう、アリシア…って、なんか暗いな」
「おはよう、ロイ。なんか落ち込んじゃって...」
「どうせ、悲しい本でも読んで、感情移入し過ぎたんだろう」
からかう様な口調で明るく慰めてくれるロイに、沈んでいた心が少し浮上する。
しばらくロイと話をしていると、段々と教室に人が増えてきた。
ルーカスの周りにも人が増えてきている。
これ以上人が増えれば、更に話しかけづらくなりそうだ。
アリシアは意を決し、席を立った。
「アリシア?どこにいくんだ?」
「ルーカスのところ。カベラ男爵に婚約を打診することを言おうと思って」
アリシアの言葉に、ロイは目を丸くした。
尻込みしないようにと意気込むアリシアは、そのままスタスタと早足でルーカスの元へ歩いて行く。
後ろの方で「ちょっとまて...!」と慌てた様子でロイが立ち上がり声を上げたが、ルーカスに意識を向けたアリシアの耳に、その声は届かなかった。
ルーカスを取り囲む令嬢の前で、アリシアは立ち止まる。
アリシアに気がついたルーカスが、嬉しそうな顔を浮かべた。
「アリシア、おはよう!」
自分たちに接する時よりも優しい声を出すルーカスに、周りの令嬢たちは面白くなさそうな顔でアリシアを睨む。
令嬢たちに気圧されそうなアリシアだったが、グッと堪えてルーカスに向き合った。
早く用事を終わらせなければ...
そう考えたアリシアは、前置きなく用件を口にした。
「ルーカス!私、カベラ男爵に婚約を打診することにしたの!」
思いの外大きな声になってしまったため、クラス中の生徒の目がアリシアへ向いた。
しまったと思ったが、既に注目の的になってしまいどうしようもない。
言葉にした内容があまりにプライベートな内容であることも相まって、アリシアは恥ずかしさで俯き、顔を赤くした。
そのアリシアの一連の様子は、まるで恋する乙女の様だった。
客観的に見ると、カベラ男爵への恋心を幼馴染に報告して照れているかの様な...そんな誤解を生む仕草だ。
ロイは、額に手を当てて「あちゃ~」と呟きながら、天を仰ぎ嘆いている。
ルーカスの周りにいた令嬢たちは、そんなアリシアの言葉に喜色を浮かべた。
ルーカスと仲の良いアリシアが婚約すれば、邪魔者がいなくなる。
令嬢たちはここぞとばかりに、お祝いの言葉を口にした。
「ガルマ商会のお嬢様も、ようやく婚約の話が出てるのね!」
「カベラ男爵ですって?とてもお似合いだと思うわ!」
「お顔が真っ赤ですわよ。カベラ男爵のことを慕ってらっしゃるのね!」
「ルーカス様のことは私たちに任せて、ぜひカベラ男爵との仲を深めてくださいませ!」
口々に囃し立てる令嬢たち。
そして、ダメ押しとばかりに、ルーカスへ言葉を放つ。
「喜ばしいことですわね、ルーカス様!」
しかし、振り返った先のルーカスの様子に、令嬢たちは思わず口をつぐんだ。
目を細めて、口には微笑みを浮かべるルーカスは、一見いつものルーカスである。
けれど、纏う雰囲気は見た目とは反対に、恐ろしく不穏なものだった。
「…アリシアは、カベラ男爵が好きなの?」
ルーカスは顔に微笑みを貼り付けたまま、アリシアの方へ近づいた。
低く冷たい声に、周りにいた令嬢たちは無言でルーカスに道を譲る。
アリシアの前で立ち止まったルーカスから、ピリピリとした空気が漂う。
比喩ではなく、実際にピリピリと肌を刺激する空気が漂ってくるのだ。
それは、ルーカスの体から抑えきれず溢れ出した魔力であった。
教室にいた生徒は、ルーカスの強い魔力に当てられて、恐怖で立ちすくんだ。
ただ一人、アリシアだけはその異変に気が付いていなかった。
呑気なことに、いまだ顔を赤くし俯いている。
「好きっていうわけではないけど。誰も婚約の打診をしてくれないし、カベラ男爵なら良いパートナーになってくれそうだなと思って」
恥ずかしそうにもじもじと話すアリシアの姿に、ルーカスは笑顔を消した。
「婚約する相手は、誰でも良いってこと?」
ルーカスの不機嫌な声に、アリシアは幻滅されたのだろうかと不安になりながらも首を縦に振る。
「それなら、俺でもいいよね?」
「...え?」
ルーカスの思わぬ言葉にアリシアは顔を上げた。
そして、ルーカスの様子に目を丸くする。
(なんで、結晶化してるの?)
目の前のルーカスは、溢れ出した魔力で、徐々に結晶化していた。
指先から段々と黒く変化するルーカスに、クラス中の生徒が目を瞠る。
(あれが、噂の魔力の結晶化…)
ロイはルーカスが結晶化していく様を、驚愕の目で見ていた。
ルーカスの黒い痣の話は有名だ。気持ちが昂ると再発することも。
しかし、実際に見たのは初めてだった。
黒い痣で覆われた姿は、想像以上に禍々しい。
未だ漂うピリピリとした空気と相まって、まるで悪魔が降臨したかの様だ。
クラス中の生徒が、恐怖で立ちすくむ。
アリシアだけは「相変わらず魔石みたいに綺麗だわ」と、場違いなことを考えていた。
再びルーカスが口を開く。
「俺じゃアリシアのパートナーになれない?」
黒い痣に覆われた肌の上で、スカイブルーの瞳がじっとアリシアを見つめている。
「なれる...と思う。だけど...」
―――ルーカスは、私に友達以上の感情を持てないでしょう?
アリシアは、小さな声で呟いた。
アリシアも、ルーカスとなら良いパートナーになれるとは思っている。
友達の延長線上のようなそんな夫婦に。
それはアリシアにとって、理想的な夫婦関係だ。
ただし、相手がルーカスでなければ。
何故なら、アリシアはきっとルーカスには望んでしまうから。
友達以上の関係を。
恋人へ向けるような感情を。
途端、アリシアは自分の気持ちを理解した。
(私、ルーカスに想われたいんだわ)
友達の延長線上のパートナーなんて、嫌だ。
アリシアは、ルーカスに友達以上の感情を抱いているのだから。
同じように想ってほしい。友達とは違う、それ以上の気持ちが欲しい。
「ルーカスと結婚出来たら嬉しいけど、ルーカスは私を友達以上に見られないでしょう?そんなの悲しいわ。私はルーカスと友達以上の関係になりたいの。ルーカスのことが大好きだから!」
アリシアは、自覚した気持ちを素直に口にした。
恥ずかしくて俯いてしまったけれど。
その途端、一瞬で場の空気が変わった。
あれ程ピリピリとしていた空気が消え去り、気圧されるような雰囲気もなくなっていく。
恐怖で立ちすくんでいたクラスメイト達も、緊張を少しだけ解いた。
次第に柔らかくなっていく空気の中、ルーカスがアリシアへ手を伸ばす。
そして、そっとアリシアを包み込んだ。
「俺は、アリシアを友達以上に見てるよ」
抱き寄せられ、囁かれた言葉にアリシアは目を丸くする。
顔を上げると、至近距離のルーカスが愛おしそうな目でアリシアを見つめていた。
大好きなスカイブルーの瞳が、アリシアだけを映している。
思わず、心臓が跳ねる。
真っ赤になったアリシアに、ルーカスは顔を綻ばせた。
それと同時にルーカスの黒い痣も消えてなくなっていく。
「俺は、アリシアだけが側にいればそれでいい」
昔からルーカスが何度もアリシアへ口にしていたその言葉が、甘い声とともにアリシアの耳に届いた。
期待の籠った目でアリシアはおずおずと尋ねる。
「ルーカスは、私を好きってこと?」
可愛らしいアリシアの疑問に、ルーカスは幸せそうに笑った。
「俺は、アリシアを愛してるんだよ」
そうしてそのまま、アリシアに優しく口づけを落としたのだった。
―――その日以降、ルーカスは魔力で結晶化することはなくなった。
その後、2人は無事に婚約した。
どうやら今までアリシアに婚約の打診が来なかったのは、ルーカスが色々と裏で手を回していたからだったようで、「ルーカス君に脅され...いや、お願いされて婚約の打診を断っていたんだ」という父親の発言で発覚した。
ルーカス曰く、「魔力が安定するまで、プロポーズを我慢してた」らしい。
まったく、悩み損である。
婚約後、ルーカスを取り囲んでいたご令嬢達もいなくなり、学園でもルーカスと一緒にいられるようになったので、アリシアは幸せだ。
実は「アリシアに言われてたから仲良くしてたけど、本当は煩わしかったんだ。これからはアリシアと過ごしたいから、近付かないでね」というルーカスの言葉でご令嬢たちの心は無残に砕け散っていたのだが、アリシアの与り知らないところである。
ロイはアリシアと仲良くするたびにルーカスから殺意の籠った目で睨まれるので、いい迷惑をしているが、これもアリシアの与り知らないところだ。
周りの人間はさておき、アリシアとルーカスは仲睦まじい学園生活を送ったのだった。
そうして時は経ち―――。
「愛してるよ、アリシア」
「私もよ、ルーカス」
今日も愛を囁かれ、幸せに過ごすアリシアの左手の薬指には、魔石で作られた指輪が美しく光っている。
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