再会
「おい!どうした!?」
その声に胸がドクンと嫌な音をたてた。
ドクドクと血が全身を駆け巡るのがわかる気がする。いつもより、速い鼓動に胸が痛くなる。
幸せな思い出が一瞬にして霧散した。そして、脳裏に浮かぶあの忌々しい地獄のような拷問絵図と、顔の見えない男たち。
言葉にならない声が出る。カチカチと上下の歯を震えの止まらない全身がカチ鳴らす。
そして、胸の前の手をさらに強く握り、目を瞑る筋肉にも力がはいった。
…この声!!
忘れもしない。脳裏に焼き付いた映像と耳に覚えのある声が、誰かも分からない近づいてくる者と重なった。
嘗て聞いたのは地を這うような感情のない冷たい声だった。今聞いているのはこの体を心配していることが伝わってくる温かな声。だが、間違えるはずがない。あいつらの声だけは、間違えようがない。
顔を確認したいという思いと、確認したくないという思いがせめぎあう。もし、わたしだと分かれば、またあの地獄をみるかもしれない。この容姿で、わたしだと匂わせるような言動だけはしてはならない。やっと地獄のような行為から解放されたのだ。
「フラーダリー」
聞き慣れない言葉なはずなのに、ひどく胸が熱くなる。
何度もそう呼ばれるうち、この身体の名前だったのだと気がついた。
フラーダリー…、皮肉にもどうしてここまで…
やっと自由になったと思ったのに、なんの咎があるのか。
あの男たちがいるのであれば間違いなく、わたしが死んだ時代とそう変わらないはずだ思った。この身体でいれば、わたしの罪がわかるのだろうか。あのような惨たらしい事が起きるくらいの罪を、この身体とあの男たちが知り合いなのであればなおさら、知ることことができるのではないだろうか。神が伝えようとこの身体に生まれ変わらせてくださったのか。
けれど、あのような仕打ちをしたあいつらの近くで生きていくことができるのか。
怖い
知りたい気持ちよりも恐怖が打ち勝つ。身体が拒絶する。
掌がじめっと湿り水滴が手首を伝った。黒いどろどろしたものに背後から埋め尽くされるような感覚に身体が動かない。
やっぱり、無理
神がそのように望み、知りたいという思いはあれど、あいつらの側であの残虐をなかったことにして生きていくことは、今のわたしにはとても難しい。あいつらの襟元を掴み、家族を返せと言ってしまいそうだ。そして、わたしがわたしであると暴かれた後、同じような運命を辿るようにしか思えない。
「ほんとにどうしたんだよ!フラーダリー!顔をあげろ」
いつの間にか傍まで来ていたらしい男はわたしの頬に両手をあて力任せに上を向かせた。
「やっとこっちを向いたか」
…あたながそうしたのでしょう!
そう言葉に出そうになったのをぐっと堪えた。この身体の持ち主がこんなこと言わないような女の方なら、この男に不信感を抱かせてしまう。わたしだと勘ぐらせるわけにはいかない。
ぼやけた視界がはっきりとしてくる。目の前に精悍な面構えの男が眉間に皺をよせ、この身体の主を心から心配している様子が見てとれた。
目線が唇に降りた。
この唇…この声…
程よい大きさでこの唇の薄さと、低い声。間違いない。
「…あ、なた、は……」
そこまで口に出ていたことに驚きとっさに口をつぐむも時すでに遅しとはこのことだ。一度言ってしまった言葉を取り戻すわけにはいかない。
目の前の男の目が開かれた。驚きと戸惑いと疑心がその表情に浮かんでいる。
「フラーダリー…まさか、俺がわからないのか!?」
知ってるわ!と言ってやりたいが、その言葉を胸に押し止めた自分を誉めてあげたい。
きっとこの身体はこの男を「あなた」とは呼ばないのだろう。
わたしは何も言葉に出さない代わりに、首を横に振った。
あの男だと分からないわけではないが、この男が考えてるように知ってるわけでもない。本当のことでもないが嘘というわけでもない。わたしにはこの身体の記憶が全くないのだから。
男は愕然とわたしを見ていた。
「サルヴァトレ、サルヴァトレって名前にも聞き覚えがないか!?」
ない。
誰の名前よ。
わたしは無言で首を横に振った。
その様子を見ていた男は胸の辺りの服を力一杯握り、一際苦しそうに顔を歪めた。それだけで、この身体の持ち主のことをどれだけ大事にしていたのか、ひしひしと伝わってきた。
それと同時にどこか胸のつかえが一つポロリと落ちたようにも思えた。男の苦痛にどこかすっきりとした、黒い靄が一部晴れるようなそんな感覚だった。
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