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惑星間交渉  作者: 蒼月貴志
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旅立ち

 大宴会の翌日から、村の家々の軒先には、オレンジ色の柿が整然と並んでいた。一月が経った現在ではその全てが収穫され、村の人々は輝かしい果汁と果肉の芸術に舌鼓を打っている。カビの被害は限られており、この地域が干し柿作りに向いた気候であることも明らかになった。

 太陽は徐々に北に戻りつつあり、日も長くなりはじめている。昨日は、タクミの教え子たる若者たちが都に向け出発した。読み書き計算は、商いに支障がない程度にはできるようにしたため、おそらく心配はないだろう。あとは、彼らの職業適性の有無次第である。ニコルは最近、学業の比率を減らし、日中は森の中で体術と剣術の修行を行なっているらしい。騎士採用試験が二ヶ月後に迫ったため、追い込みをかけているのだろう。

 講義が休みのこの日、ニコルに付き添って森の中へ入ってゆくタクミ。ここに入るのは、墜落後初めてである。船の残骸を確認すると、周りは蔦で覆われ、苔むしていた。ニコルと別れて試しに中に入ってみると、全てバラバラではあるが、一部の部品は利用可能であるように見える。使えそうなものを集めて比較的損傷の少ない船室に放り込んだ。いずれ何かの役にたつかもしれない。

 ニコルの修練場はそこから程なくであり、獣道が続いている。先に向かっていた彼女に追いつくと、まさに剣を振り回している最中であった。ニコルの一太刀で細い打木が両断される。

 タクミが声を掛けた。

「調子はどう? できのほどは?」

 振り向き、汗を拭うニコル。

「なんとも言えないです。都でどの程度の力が求められるか分からないのです」

「ふむ」

 腕力も俊敏さも地球人の水準をはるかに超えているため、タクミに評価することはできない。しかし、少なくとも剣の運びや足さばきは独特であり、いたずらに彼女の体力を奪っているように感じられた。また、一つ一つの動作が大ぶりで、自分の手の内を相手にさらしているようにも見える。

 手近に落ちていたまっすぐな枯れ枝二本を拾い上げ、片方をニコルに手渡す。キョトンとするニコル。タクミが彼女に向かって構えた。

「ちょっと打ち込んできてもらってもいいかな」

 戸惑うニコルに再び声をかける。

「まあ、やってみてよ。どこに打ち込んでもいいよ」

「分かったです」

 間合いをあけ、タクミの正面で構えるニコル。鋭い眼光をタクミに向けるが、彼もそれを受け止める。すぐにタクミの斜め前に飛び出し、おおきくふりかぶった。タクミは一歩も動かない。彼の頭に向かって力一杯振り下ろされる枝。しかし、タクミが軽く自分の枝をあげ、斜め上に弾いたことでニコルの枝の軌道が逸れ、彼女自身も勢いで前につんのめってしまった。そこに軽く振り下ろされるタクミの枝。ニコルの頭に柔らかな音を残して着地する。すぐにそれを持ち上げ、タクミが左後ろに体を下げると、勢いを保ったままのニコルは彼の横を通り過ぎて行ってしまった。その動きを目で追いながら、タクミが口を開く。

「これが真剣だったらニコルの頭は真っ二つかな」

 ニコルが遠くで自分の頭を撫でている。

「え? え? 今のはなんです?」

「ニコルの剣を受け流したんだよ。ついでに頭に隙があったから、軽く打ち込んだだけ。痛かった?」

 首を横に振るニコル。すぐに口を開いた。

「私の方が速く動けると思ってたです。どうしてすぐに反応できたです?」

 うーんと唸るタクミ。

「ニコルの剣の動きって、一つ一つの動きの始まりが派手というか、大ぶりなんだよね。それでいて、剣がまっすぐしか動かないから、どこに打ち込もうとしてるかが分かりやすいんだ。確かに、運動能力はニコルの方が上だけど、予想できれば剣の流れを逸らして隙を作ることも可能なんだよ」

 うむむ、と唸るニコル。タクミが困ったように口を開く。

「ちょっと形を見せてもらっていいかな。知っているやつだけでいいから」

 ぽかんとした表情を見せるニコル。

「カタってなんです?」

「剣の運びって、いくつかの合理的な動きの組み合わせなんだよね。その動きを形っていうの」

「初めて知ったです!」

 はは、と困り顔のタクミが声を漏らした。

「まあ、独学だからね。むしろそれを知らずによくそれだけ動けるなと感心するよ。――よければ、僕が地球で習っていた形をいくつか教えられるけど、どうする? 動きの種類が増えて複雑な戦術が組みやすくなったり、疲れにくくなると思う」

「お願いするです!」

 地球が凍り始める以前、彼は趣味で剣道を習っていた。小学生の頃から始めたそれは中学で有段になり、高校では全国大会に個人で出場するほどになっていた。

 剣道形は打太刀と仕太刀に別れて動作が決まっている。打太刀が仕掛ける動作を行い、それに対する返しを仕太刀が行うのだ。主に十個の形が定められており、昇段審査においてはその実技試験も行われる。これらの形を全て網羅しておけば、相手の出方や合理的な剣の動きの予想ができると同時に、最小限の動きで剣撃を繰り出せる為、試合において有利になるのだ。

 もちろん、ニコルが受けるのは剣道の昇段審査ではないため、すぐ役にたつことはないだろう。しかし、剣や足の運びを合理化することで、動きは格段に良くなるはずである。

「ニコルは短剣も使うから、十個全部やる方が良いかな。とりあえず、一日に二つずつ覚えていこうか。いっぺんにやると混乱するから」

「はいです!」

 打太刀と仕太刀それぞれに十の形があるため、計二十の形を覚える必要がある。毎日二つずつ教えた場合、十日で一通り教えられる。しかし、すぐに覚えられるものではないため、復習も必要になるだろう。おそらく、全てをそれなりに動けるようにするためには一月以上がかかるはずである。

 そして、今となっては変わらない日常が一月すぎていった。

 この頃、日も長くなり、講義時間も元に戻ったが、ニコルの出席率が著しく低下していた。とは言え、もともと規定のカリキュラムよりも先行して教えていたため、騎士採用試験には十分な学力が備わっていることが予想される。一方で、形の習得には手間取っていた。運動神経が抜群の彼女であれば、比較的すぐに習得すると予想していたが、決まった動きに合わせるという練習自体に慣れておらず、ストレスが溜まったようである。結果、数日に一度の休暇を余儀なくされ、いまだに七本目以降は手付かずである。この日も彼女は講義を欠席し、森で練習を続けているらしい。

 夕方の講義が終わると、タクミはニコルの修練場を訪れた。相変わらず剣を振り回していたが、どこか精彩を欠くように思われる。

「や、ニコル。調子はどう?」

「あ……タクミ。はい。大丈夫なのです」

「講義に出てなかったみたいだけど、畑仕事の後はずっと練習?」

「はいです。ごめんなさいです」

「あ、いや。別に欠席を怒ってるわけじゃないよ。むしろ元気がなさそうだから心配してるんだ」

「なんだか、思ったように剣が動かないです。前はもっと自然と動いていた気がするですよ」

 タクミにもこのような経験はあった。いわゆるスランプである。次々に新しいことを学んでゆくと、あるとき突然、何もわからないような錯覚に見舞われる。人によっては頭に靄がかかったようになることもあるし、文字が識別できなくなったりする。それによって、自信も喪失してしまうのだ。しかしそれは一過性のもので、大抵は元に戻る。そして、戻った後は以前より高いパフォーマンスを発揮することが多い。おそらく今、ニコルはその状態に陥っている。

 黙り込んで俯き加減のニコルに、タクミが提案する。

「明日休講なんだけど、一緒にピクニックに行かない?」

 キョトンとした顔でニコルが聞き返す。

「ピクニックって何です?」

「お弁当を持って、ちょっと村から離れた場所まで散歩するんだよ」

「歩くだけです?」

「そ。まあ、有り体に言えば、気分転換かな」

「でもそんな時間は……」

「もちろん無理にとは言わないよ。ただ、少し環境を変えるのもいいかなと思っただけだよ。思わぬところで心配事や悩み事が吹っ切れたりするからね」

 しばらく考えたニコルが答える。

「……分かったです。明日ピクニックに行くですよ」

 翌朝タクミは、日の出前にお弁当を用意した。薄くスライスしたパンで野菜と焼いた肉、目玉焼きを挟み、箱に詰め込む。陽が登ると同時にニコルの家に向かい、扉を叩く。

「おはようニコル。準備はできた?」

 中からは旅装のニコルが現れた。腰のベルトにはいつもの剣が刺さっている。

「おはようなのです」

「そんなに重装備でなくても大丈夫だよ。森と反対側の見晴らしのいい丘まで行くだけだから」

「でも、村の外では何があるか分からないです。用心するに越したことはないですよ」

「僕なんて、重いからガイアも置いてきたんだけど……。まあ、でも、それはそうかもね。危険な野生動物でも出たら、よろしく頼むよ」

 ははは、と元気なく笑うニコル。これは思ったよりも重症だと認識を改めるタクミ。

「じゃ、行こうか」

「はいです」

 二人が村の門を抜け、人が歩き固めただけの道を進んでゆく。付近では上がり始めた気温によって花が芽吹きはじめており、すでに咲いた一部の花によって、ほのかな甘い香りが漂っている。森と村が遠のいてゆき、家々が小さな箱のように見えはじめた。

 タクミがこちら側にくるのはこれが初めてであり、相変わらず周囲の観察は怠らない。とはいえ、ニコルの気分転換が目的であることを失念するほど愚かではなく、発見があるごとにニコルと共有し、話をするよう心がけている。

 半刻も歩くうちに、周囲が開けて目的地の丘が見えてきた。

「あの上でお弁当を食べよう。今日はちょっと贅沢したから、お楽しみに」

「はいです!」

 空元気である。無理に笑顔を作っているのが痛ましかった。

 試験まで一ヶ月を切っているにも関わらず、本調子を出せない自分に焦りを感じているのであろう。そのことで頭がいっぱいというふうである。

 丘の上に着くと、遠く平地の先に街道を見ることができた。以前ニコルに聞いたところによると、北東にある国境近くの交易都市と王都を結ぶ道らしい。そこから分かれた小道が、タクミたちの脇を通り、二人の村へと繋がっている。

 丘の上に船から回収したブルーシートを敷き、その上に座る二人。タクミが箱を開け、中のサンドイッチを取りだしニコルに手渡す。

「お肉がいっぱいで、パンに挟んであるです。こんな料理初めてみたですよ」

「お口に合うといいけど」

 心配事はあってもお腹は空く性質のようで、ニコルがサンドイッチにかぶりつく。それを飲み下していう。

「美味しいのです。手も汚れないし、画期的なのですよ!」

 久しく見せなかった嘘偽りない笑顔に、ほっと胸をなでおろすタクミ。

「たくさん作ったから、好きなだけ食べていいよ」

「ありがとうなのです! なんという料理です?」

「サンドウィッチと呼ばれてるね。ポーカーという賭け事をしていたサンドウィッチ伯爵が、ゲームをしながら手を汚さずに食事をするために考えたからサンドウィッチという、っていう俗説がある」

「じゃあ、近所のヨッチにあげると喜ぶです」

「あー。然もありなん」

 丘の上に二人の笑いが響く。朗らかな風が木々のざわめきと花々の香りを運んできた。しかし、その中に不穏な臭いも混ざっていたようだ。

 鼻をピクリと動かし、頭の上の犬耳をしきりに動かすニコル。その表情は真剣そのものである。様子がおかしいことに気づいたタクミがニコルに問う。

「どうしたの?」

「お弁当をしまうです。ピクニックは終わりなのですよ」

 ニコルが目を向けるほうには茂みがあり、中から複数人の男が現れた。手には大ぶりの剣を握っている。男たちが近づいてきた。

「気配に気づくたあ、さすがは村の用心棒様だあ」

 絵に描いたようなゲスな笑みを浮かめる首領格と思しき男。ニコルが口を開く。

「まだ懲りないですか」

 どうやら以前にもいざこざがあったようである。

「俺あ、一度目をつけた獲物は逃がさない主義でねえ。兵力を増強してきたってわけよ」

「今度は骨が折れるだけでは済まないのですよ」

「用心棒様はあまちゃんだからな。俺を逃したこと後悔させてやるよ。心配すんな。すぐに殺しはしねえ。俺ら全員で楽しんでからゆっくり前回のお礼をさせてもらうぜ。そんでもって、その後は村をいただく」

 ニコルが相手に目を向けたまま、小声でタクミに話しかける。

「村に走るです。盗賊が来たことを知らせるですよ」

「でも」

 ニコルの口角が上がっているのが横目でわかった。これは余裕の笑みではなく、相手を威嚇する表情である。

 ここから村までは走っても四半刻、往復で半刻はかかるだろう。つまり一時間である。その間に勝敗が決している可能性が高い。つまり、救援ではなく、村の防御を固めろという意味である。

 一旦深呼吸したタクミが小声でニコルにいう。

「短剣を貸してもらえる?」

 ニコルが目を剥き、タクミに向き直る。

「バカなことは考えるななのです」

「僕の足だと、連中に追いつかれるよ。この惑星の人たち足が速いからね。逃げた上で犬死するくらいなら、ここでニコルと一緒に戦う。勝てばゆっくり村に帰れるでしょ。僕は走るのが嫌いなんだ」

 確かに、タクミが彼らから逃げ切り、村にたどり着ける可能性は低いだろう。そうなれば、ニコルが一人で勝利しない限りは、村が野盗の急襲を受けることになる。であれば、先日の剣さばきを見せたタクミと共に戦い、ここで野盗を食い止めるのが、最も成功確率の高い選択だろう。

 ニコルが、ふ、と軽く笑う。脇に差していた短剣をタクミに渡した。

「左半分は任せるです」

「承知!」

 正対していた男たちの中心で、首領格の男が声を張り上げる。

「いけえ! てめえら! 男は殺せ! 女は生け捕りでお楽しみだ!」

 一斉に丘に詰めかける男たち。頂上の二人に襲いかかる。

 先に剣が振り下ろされたのはタクミであった。それを鍔で受け止め、横にはじく。驚いた顔の男の首筋を横切るように短剣を振り抜いた。吹き出した血しぶきがタクミにかかるが、動じず次の男へ向かう。

 ニコルに襲いかかった男も、胸から血を吹いて倒れていた。横から彼女に襲いかかる別の男。がむしゃらに上から剣を振り下ろす。ニコルは一歩後ずさり、同時におおきく振りかぶる。相手の剣をかわした上で、その頭上に振りかぶっていた剣を振り下ろした。ぱっくりと頭蓋骨が割れる。この時ニコルは、これまでの自分が知らないほどに剣が軽くなったように感じていた。足も自然にうごき、流れるように重心を支えている。そこに余分な力は必要なかった。

 あれよあれよと男達が血の海に沈んでいく中で、首領と思しき男が雄叫びをあげる。

「クソがあ!」

 そうしてニコルに突進する。ニコルは突き出された剣を受けようとするが、同時に振り出された大男の足に蹴飛ばされ背後に弾き飛ばされてしまった。尻餅をつき、勢いのまま丘を転げる。蹴られると同時にニコルの手を離れた剣が、彼女の横に滑り落ちる。体制を立て直そうとするニコルの上で、追ってきた男が剣を振り上げた。ニコルが落とした剣の柄に手をのばす。男の剣が振り落とされようとした時、短剣が背後から飛来し、背中に突き刺さった。動きが止まる大男。飛来した方向には、周囲の男を一掃したタクミの姿があった。ニコルが剣を握り、それを男の胸に向かって突き出す。

 全てが終わった後、周囲には凄惨な光景が広がっていた。息を切らしてその場に座り込む二人。

 呼吸を整えつつ、ニコルが口を開いた。

「タクミ、地球でもこれは日常茶飯事なのです? やたらと戦いなれていたような気がするですよ」

 タクミが疲れ切った表情で苦笑する。

「避難地のシンガポールというところに向かう途中に、マレー半島で武装集団に襲われてね。ナイフだけで無我夢中で戦ったことがある。でもそれだけだよ。自分でもよく体が動いたと思うね」

 今になって体が震え始めたタクミが、乾いた笑い声を漏らした。ニコルが口をひらく。

「私も、驚くくらい体が軽く感じられたのですよ。それに無意識でしたが、要所要所で形の通りの動きをしていた気がするです」

 タクミがニコルに向き直る。

「すごいな。もう学んだことをモノにできてるんだ。それであの人数の無法者から村も守った。……君は本当にすごいよ」

 自分の手のひらに目を向けるニコル。それは赤い鮮血にまみれていた。

 しかし、タクミが見た彼女の横顔は、どこか安心したような、誇らしげなものであった。

 村に戻ると、驚き心配する村人達に出迎えられた。泉で身を清めた二人が一部始終を報告する。村人総出で丘に向かい、遺体を穴に埋めた。自分たちを襲おうとした相手に情は湧かなかったようだが、放っておくと病気の元になることもある。信心深い人々のため、村の教会から僧侶を呼び、祈りも捧げてもらった。これにて、この一件は落着したのである。

 村の衆が解散し、タクミとニコルは共にそれぞれの家路に着いた。道中、ニコルが口を開いた。

「ピクニックが台無しになってしまったです」

 はは、と苦笑いするタクミ。

「結局、サンドウィッチもほとんどダメになっちゃったしね」

 しばらく歩いていると、再びニコルが口を開いた。

「でも、誘ってくれてありがとうなのです。野盗との遭遇は事故でしたが、おかげでなんだか吹っ切れたのですよ」

 にこりとタクミに笑みを投げかけるニコル。それを受け止め、答える。

「こういうのを、怪我の功名っていうんだよ」

 ほう、と感心したニコルがしばらくして言う。

「また今度誘って欲しいのです。ピクニック。今度は、私もお弁当を作るですよ」

 ニコルに微笑みかけるタクミ。そこにはもう、心配はなかった。

「楽しみにしてるよ」

 その後半月のニコルの躍進は目を見張るものであった。残りの形を習得し、タクミとの模擬戦でも全勝するに至った。もとより身体能力が高い彼女が剣の基本を我が物とした今、タクミが敵うはずもないのである。

 最後の模擬戦を終えたタクミが息を切らして木の幹に寄りかかる。立ったまま汗を拭うニコル。タクミが口を開いた。

「いやー。もう流石に勝てる気がしないな。動きに無駄がないし、隙もない。疲れる様子もないし」

 屈託のない笑顔を見せるニコル。

「タクミのおかげなのです! 前はがむしゃらに動くだけで手応えが無かったですが、今は練習すればするだけ強くなってる実感があるですよ!」

 タクミが彼女に目をやる。

「一つ大切なことを教えておくよ。勉強でも運動でも言えることだ。一番大切なのは基本の基本。それさえできていれば、後は演習しただけ実力がついてゆくんだ。逆に基本がなければ何をやってもダメ。今まさに実感してるんじゃないかな」

 頷くニコル。

「これから何かを始めるときは、まずは基本を習得して、後はそれを大切にする。重要なことだから、忘れないように」

「分かったです!」

 よし、と膝を叩いて立ち上がるタクミ。体をほぐして姿勢を正す。ガイアの入ったポーチをベルトにぶら下げて言う。

「勢いに乗ってるところだし、ついでに今からここで学科の復習もしてしまおう。騎士採用試験前の総まとめだ」

「望むところなのです!」

「ガイア、頼んだぞ」

「承知しました。これまでの学習内容のまとめを作成します。少々お待ちを」


 それからしばらくの間、学科の不明点に関する追加の学習や、体力維持のための運動など、ニコルはバランスよく自分の状態を管理してきたようである。そしてついに、都へ旅立つ日の前夜がやってきた。ジムの家で壮行会と称した飲み会が行われ、へべれけになった家主を置いて二人は帰路についた。黙って歩いていた二人であるが、しばらくしてタクミが口を開く。

「いよいよ明日出発だね。僕はニコルのこれまでの努力を確かに見てきた。大丈夫。ガイアもそう思うだろ?」

 タクミの腰にぶら下がったガイアが答える。

「騎士採用試験の筆記試験が想定通りに読み書き算術であった場合、ニコルさんの合格可能性は九十八パーセントを超えます。剣術については、データが不足しています」

 タクミが補足する。

「まあ、野盗達相手とはいえ、あれだけ戦えたんだから、標準よりは圧倒的に強いんじゃないかな。少なくとも、僕が知る誰よりもニコルは強いよ」

 恥ずかしそうにはにかむニコル。正面に向き直り、口を開く。

「結果はどうあれ、これまでの頑張りを全力でぶつけるだけなのです」

 その眼差しは、自信に満ちていた。

「先に都へ向かったみんなも、あちらでうまくやってるみたいだね。ここのところは親御さん達のところに仕送りが届いてるみたいで、僕のところにお礼に来る人もいるよ。ニコルもきっとうまく行くさ」

 村のほとんどの家々はすでに寝静まっており、二人がゆく道を月明かりだけが照らしている。しばらく進んだところで、ニコルが立ち止まり、口を開いた。

「私がもし試験に合格したら、他の皆みたいに、しばらくは村に帰ってこられないのです」

 タクミも少し進んだところで立ち止まり、ニコルに目を向ける。彼女の真剣な眼差しを受け、一旦目をそらす。そして少しおどけながらいう。

「……あー。そうなるねえ。帰郷の時はお土産よろしく」

 ニコルがタクミの目をまじまじと見つめ、すぐにそれをそらした。小さな声でポツリと囁く。

「……タクミは意地悪なのです」

 タクミは困ったように人差し指で頬をかく。そして二人を照らす月を見上げる。

「──月が綺麗だね」

 怪訝そうな顔でタクミに目を向けるニコル。続けてタクミがいう。

「……ニコルはね、まだまだこれからいくらでも成長する人なんだよ。今その感情に従うのもいいのかもしれない。でも、ここで可能性に制限をつけることは、僕にとって望ましくないんだ。君がどう思おうと、その選択肢は、きっと僕を一生後悔させる」

 ニコルが目をつぶり、俯く。冷たい夜風が二人の間を吹き抜け、そこに篭った熱を奪い去っていった。申し訳ないといった面持ちで、タクミが沈黙を破る。

「自分勝手な男ですまない」

 しばらく経ってから、勢いよく顔を上げたニコル。そこには笑顔があった。

「なんのことです? 私が留守の間、タクミが一人でやっていけるか心配しただけなのですよ。お土産は買ってくるですから、楽しみに待ってるです!」

 くるりと向きを変えた。後ろを見たままいう。

「ちょっとジムおじさんのところに忘れ物をしたみたいです。タクミは先に帰るですよ」

 タクミが微笑む。

「ああ、気をつけて」

 ジムおじの家に向かって駆け出すニコル。その背中が夜の闇に消えてゆくのを、タクミは身動きせずに、ただ見つめるのみであった。

 翌朝、村の入り口で人々からの見送りを受けるニコル。居合わせたタクミは内心、むしろ心残りを作ってしまったのではないかと心配していた。しかし、人々に手を振り返す彼女には、迷いのない笑顔があった。

 

 ニコルが村を出てしばらくすると、以前丘から見ることができた街道に出た。あたりに人はいないが、轍がその交通量の多さを物語っている。とはいえ、ここを通る馬車といえば交易都市と王都を結ぶ貨物車や直通乗合馬車のみであり、道の途中で乗り合わせることはできない。よって彼女は、歩きで二日かかる道のりを踏破する必要がある。

 歩を進める彼女の心の中には、昨晩のことがあった。タクミは、ニコルの気持ちを理解していたように見えた。理解した上で、断られたのだ。

 一旦足を止める。そして深呼吸し、心の中にもたれかかる黒い塊を吐き出した。

 歩み始めるニコル。歩く中で、彼女の頭にはより生産的な計画が生まれつつあった。

 タクミは彼女の成長の妨げになることを危惧し、自ら身を引いたのだ。であれば、誰もが認めるほどに成長すれば、その言い分は使えなくなる。この短絡的ではあるが積極的な考えが、彼女に新しい目標をもたらすに至っていた。

 ひらけた場所に出る。立ち止まり、声高に叫ぶ。

「見てるですよタクミ! 私は騎士団長になってやるですー!」

 彼女の決意は、身を焦がす日差しのもと、灼けた大地と燃える大気に吸い込まれていった。

 そうしたら、もう一度はっきり言ってやるですよ。

 そう呟き、前を向く。その瞳には、強い決意が宿っていた。

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