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惑星間交渉  作者: 蒼月貴志
3/6

気づき

 新居での生活の開始から二十日ほどが経とうとしていた。この間の出来事と得られた知識を、ガイアがまとめている。

 まず、新居の居心地はそれなりに良い。しかし、この季節特有の暴風雨を避けるためには、まめに戸締りをきちんとする必要があることも理解した。つまり、一度家の中が水浸しになったのだ。ガイア入りタブレットは防水性であるが、その他の家具は全て三日ほど日干しすることになった。今は問題なく新生活を満喫している。

 現在は隣のニコルと他の村人から食事を分けてもらっているが、じきに自立する必要がある。現状ではコジキである。水は村中央の深井戸から自由に採取して良いらしく、何度か水洗いした瓶に溜めていつでも飲めるようにしてある。

 当然風呂はなく、森に入ってすぐにある泉で体を洗うらしいが、村人が交代で入るため、四日に一度しか使えない。服の洗濯は用水路の上流の水ですませるよう言われている。

 ニコルとは毎日顔を合わせており、約束の読み書きと算術を教えている。騎士になるには筆記試験があり、読み書き計算は必須科目であるようだ。村に学校がない彼女にとっては、タクミの出現は渡りに船であったらしい。逆に、タクミもここの言葉の発声練習を見てもらっており、地球での事前学習も功を奏したのか、簡単な日常会話であれば話せるようになりつつある。ただし、ニコルの話し言葉は独特であるため、標準語の指導をガイアがこっそり受け持っている。

 ニコルから教えてもらったところによれば、この大陸には六つの国があり、北の公国と、中部の王国、そして南部の帝国とその属国群という構成になっているらしい。今いるのは王国である。事前の調査では、この惑星に大陸は一つしかなく、南北に細長い形をしている。各国はこの中に縦並びで存在する。また、惑星から十万キロメートルしか離れていない月サイズの衛星による潮汐力で、毎日数メートルから十メートルほどの高潮が海岸線に押し寄せる。このため、沿岸部に都市を作ることができず、内陸の大きな川の周りに都市が偏在しているらしい。代わりに沿岸部はだだっ広い砂浜になっているそうで、波に襲われないように誰も近づこうとはしないらしい。このため、各都市間の移動は、陸路か河川水運に頼っている。

「ちなみに、公国と帝国南部の国々それぞれより向こうは、人が住めないという理解で合っている?」

 太陽が地平線に隠れようとする黄昏時。夕飯を食べ終えた二人はニコルの家で歓談している。タクミがガイアを介さずにニコルに質問を試みていた。ガイアには会話から必要な情報を自動で収集する能力もあるため、通訳から解放された今は知識の吸収に専念している。

 ニコルが答える。

「その通りなのです。暑くなったり寒くなったりが急すぎて、植物も動物も育たないのです。どうして知ってるです?」

「ここに来る前に、地球からも色々と調べていてね。そうじゃないかと予想してたんだ」

 感心した様子のニコルが目をパチクリさせている。

「地球人はなんでも知ってるですね」

 頭を振るタクミ。

「いやいや、偶然だよ。となると、人間が住めるのは南北の不毛地帯と両海岸線から離れた一部領域だけということだね」

「はいです。海の向こうに何かあるかもしれないですが」

 海の向こうには何もない。これは言ってはいけない情報であるように感じられた。地球の大航海時代を見ても、海の向こうへの冒険は、世界の科学・文化に多大な影響を及ぼす。この世界の進化の芽を摘み取ってはならない。

「いつか調べられるといいね。そういえば、公国と王国の国境には大きな火山があるよね」

「アトラ山です?」

「そうそう」

 アトラ山はこの惑星の地表面にある唯一の活火山で、典型的な鐘状火山である。噴火頻度は不明であるが、現在のところは噴火の兆候は見られていない。

 タクミとしては、過去にアトラ山が引き起こした災害について話を聞くつもりであったのだが、ニコルの口からは思いも寄らないセリフが飛び出した。

「あそこにはドラゴンがいるですよ」

 思わず動きが止まったタクミであるが、すぐに気を取り直し、詳しく問う。

「ドラゴンって、鱗に覆われていて大きな尻尾があって翼があって火を吹いたりする大型の生き物? 鋭い牙があったりする?」

「はいです。でも、直接は見たことないです。大昔にこの国で暴れた伝説があるですよ。その時は一人の勇者が三日三晩の戦いを経て追っ払ったと言われているです。その人は功績を認められて公爵になって、公爵領をもらったですよ。それが独立して、今の公国になったです。だから今でもライン公国とランダ王国は同盟関係なのです」

 それらしい英雄譚を目の当たりにしてタクミが呆気にとられる。確かに、欧州でも似たような伝説はあるが、その中に登場するドラゴンが実在するとは驚きであった。そして、もう一つ驚いたことがある。

「なるほど。でもニコルさんはよくそんなこと知ってるね。伝説だけならまだしも、国家間の関係まで」

 それまで椅子に座って上機嫌に質問に答えていたニコルが、一瞬だけ怪訝そうな表情をする。しかし、すぐに元に戻り、答える。

「どこで聞いたかは忘れたです。でも多分、小さい時に誰かから聞いて、たまたま知っていただけなのですよ」

「ふうん?」

 確かに、自分が持っている知識の出所について聞かれても、古いものであれば案外思い出せないものである。旅人や行商人かなにかに聞いたとなればなおさらだろう。自分にも思い当たる節のあるタクミは、これについては深追いしないことに決めた。

 ところで、と前置きしたニコルが口を開く。

「私のことはニコルさんではなく、ニコルでいいのです。妙に他人行儀で距離を感じるのですよ。あ、でも無理にとは言わないのです」

 確かにこの村に住み始めてからこちら、タクミが見ている限りでは、ニコルは同年代からは呼び捨てにされている。おそらく彼女の二倍程度は歳をとっているタクミが同世代に含まれるかは難しいところであったが、特別断る理由もない。

「じゃあ、ニコル?」

「はいです!」

 にこりと笑みをこぼす。

 恥ずかしそうに頭をかいたタクミが話題の変更を試みる。

「それにしても、今日の畑作業には参ったよ。あんなに過酷だとは……」

 稲についた虫取りに駆り出されたタクミは、わずか四半刻あまりで腰を痛め、結局この日は何もできずじまいであった。困ったように笑いながらニコルが口を開く。

「あー。地球では畑作業はなかったです?」

 少し難しげな表情になったタクミ。しかし、すぐに元に戻り口を開く。

「うーん。畑作業はほとんどドローンという器具を使って全自動でやっていたみたい。だから、僕を含めたほとんどの人間は農業には関わらないかな」

 ほう、と感動した風のニコルがいう。

「羨ましいです。じゃあ、日がな一日家でゆっくりできるですね」

「それがそうでもなくてね。地球人っていうのはおかしな生き物で、暇になればそれだけもっと働こうとするんだよ。新しい技術が生まれて生活が楽になり、空いた時間でもっと働く。際限がないよね」

 呆れたような表情のタクミに対し、首をかしげるニコル。

「でも、そのおかげで発展できたですよね。それなら、その性格は誇るべきことなのです。適度に休みを取れれば、確かに体を動かしていた方が気持ちいいですし、理解できるですよ」

「それが休みが取れないのですよ」

 渋い顔になるニコル。

「そ、それは辛そうです」

「でしょ。しかも、大抵の人は体を動かさない。ニコルには読み書き計算を教えてるよね」

 頷くニコル。

「あんな感じで、ほとんどの人は朝から晩まで椅子に座って作業するんだよ」

「うー。私には我慢できないです」

 はは、とタクミが軽く笑いを漏らす。

「四半刻も座ってられないもんな」

 ニコルがむくれ面で、口を開く。

「タクミの畑作業の時間もそれくらいなのです」

「だな。慣れないことは、どんなことでもなかなか長続きしないよなあ」

 それを聞いて、ふむ、と考え込むニコル。閃いたとばかりに目を大きくし、椅子から立ち上がった。

「いいことを思いついたです。一つ確認ですが、タクミは農作業を頑張りたいです?」

 たはは、と困ったような笑い声を出すタクミ。

「いやあ、可能ならごめんこうむりたい。ただ他に貢献のしようがないからね」

「それなら、タクミは家で学校を開くですよ!」

 首をかしげるタクミ。

「学校? 農夫の代わりに先生になるってこと?」

「なのです」

「それで村のみんなは納得するかな」

「大丈夫だと思うのです。実は、都で働きたがっている若い人は多いのですよ。街の商人になれれば、たくさん給金ももらえるです。でも、都で働くには読み書きは最低限できて、できれば計算もできたほうが良いです。でも、田舎には学校がないから、読み書きの勉強もできずにみんな悔しい思いをしてるですよ。息子娘の収入が増えれば、お年寄りたちも喜ぶに違いないです。タクミが先生になれば、みんな喜んでくれるですよ。それに今から畑を持って試行錯誤で育てるより、できることで貢献した方がいいに決まってるです」

「街の給料が高いとか、よく知ってるね。行ったことあるの?」

「騎士になりたくて、一回都に行ったですよ。追い返されたですが、その時に色々調べたです」

「なるほど。皆がそれでいいなら、僕としてはとても助かるけど」

「善は急げなのです。早速今から村中に知らせて、明日の朝どこかに集まってもらって聞いてみるですよ」

「え、そんなに急で迷惑じゃない? 日にちを決めてからとか……」

「話し合いは思いついた時にやるです。いつも皆そうしているですから、誰も怒らないですよ」

「なるほど?」

 結局、翌朝空が白んだ頃、つまり農作業が始まる前に村中の人間が鐘楼下に集まった。この建物は、村の集会所のような役割も果たしているらしい。

 ニコルが口を開く。

「みんな朝早く集まってくれてありがとなのです。すぐに終わるですよ」

 再び最前列に立っていたジムが口を開いた。

「昨日ざっと聞いただけだが、あんちゃんに先生になってもらおうって話だろ? 疑うわけじゃないが、あんちゃんにできるのかい?」

 タクミが口を開く。

「この一月弱で、ここの言葉もそれなりに話せるようになりました。文字の読み書きも、かなり慣れてきたので大丈夫だと思います。算術については、昔いたところで仕事にしていたので自信があります」

 ガイアの言語パッケージさまさまである。

 しばらく、村人同士で話し合いが行われているようで、そこかしこからざわめきが聞こえていた。ニコルが口を開く。

「実は、私はタクミに読み書きを教えてもらっていたです。試しにこの前、村長の家に一冊だけある本を読ませてもらったら、なんとなく内容はわかったですよ。嬉しかったです」

 ざわめきが大きくなる。しばらくして、ジムが口を開いた。

「昨日、あんちゃんの畑仕事は見せて貰った。まあ、初めてやったみてえで長続きはしなかったが、できは丁寧だったぜ。丁寧な仕事をやるやつにいい加減な人間はいねえよな」

 ざわめきが落ち着いた。この機を逃すまいと、ニコルが口を開く。

「タクミが畑仕事の代わりに、若い衆や子ども達に勉強を教えるです。これに賛成の人は挙手をお願いするです」

 そこにいた全ての村人が手を挙げているようであった。

 タクミにいたずらっぽい笑顔を向けるニコル。釣られたタクミの表情にも笑みがこぼれた。農業で生計を立てている村で、それ以外の生き方を認められる。これは、その人物に対する信用が必要である。この村の人々は、悪く言えばお人好しにすぎるだろう。しかし、短い時間共にいただけで、これほど自分を信じてくれる人がいる。それが、人を信じることが死に直結する地球を生き抜いてきたタクミにとっては、心の底から嬉しいことであった。

 かくしてこの日、タクミはランス村初の教師を任されることとなったのだった。


それからの二ヶ月間はタクミにとって怒涛のように過ぎていった。

 教師になるとはいったものの、算数以外の科目は村人と比べれば幾分できるという程度のものであり、強化学習を余儀なくされたのである。すでにこの世界の言語の文法は理解していたタクミにとって、語彙力だけが問題であった。そのため、まさに寝食を惜しんでの詰め込み学習を行い、開講までの準備期間と称した初めの一週間で、日常会話と簡単な専門用語までは頭に叩き込むことに成功していた。生の発音の訓練はニコルに、教科書的な発音訓練と読み書きの試験はガイアに任せることで、比較的効率的に学習を進めることができたのは幸運であったろう。この世界の数学記号も言語パッケージの一角に残っていたため、地球の記号との対比をするだけで事足りた。

 かくして、ガイアによる厳正なる最終試験を受けたタクミは、晴れて教師たりうる実力を証明するに至ったのである。

 教師としての仕事を始める準備が整ったわけであるが、実際始めてみると、開講初日から問題の連続であった。

 まずは、受講希望者数が想定していた人数をはるかに上回った点である。

 当初は、タクミが村に現れた日に質問責めにしてきた若者数名が受講を希望するかと思われた。そのため、まずはタクミの家の中で細々と講義を行い、後に人数が増えたら、尖塔を有する宗教施設でも借りて規模を拡大しようと考えていたのだ。

 しかし実際に集まったのは、毎朝近所を飛び回っていた十人を超えるチビ助全てと当該若者達、そして、畑仕事や家事の合間を見計らって現れる大人達であった。

 村人の中には教育を施された人間が皆無であるにも関わらず、これほどまでに教育の重要性が認識されているのは驚くべきことである。おそらく、ニコルが首都を視察した際に知識が金になることを知り、それを村人に広めていたためであろう。自分の人生を有利にすることがわかれば、人は自ら学問の扉を叩くのである。

 初講義にきた受講生を追い返すわけにもいかず、まずは屋外で講義を行った。路上で脆い石を探してチョークの代わりにし、自宅の壁面を黒板がわりに文字を書き込んでゆく。

 これにて受講生数超過の問題は暫定的な解決を見たのである。しかし、講義を進める中でタクミは気づいたことがあった。

 チビ助達は最前列で熱心にチョークの動きを目で追っているのだが、若者や大人達は頻繁に中座するのである。つまり、彼らにとっては日々の仕事が優先であり、長時間講義を受けることができないのだ。この状態が長く続けば、内容の理解に個人差が生じ、学習意欲を失うものや不満をもつものが生まれてしまう可能性があった。

 そこでタクミは、受講生一人一人の家を訪れ、都合がつきやすい時間帯を聞いて回った。ニコルにも畑仕事の合間を見て周囲の人々にヒアリングをしてもらうことで、二日ほどで全ての受講生の意見を聞くことができた。

 集まった情報によると、子供は朝、主婦層は昼過ぎ、若者と男性陣は夕方に時間が取れるようである。

 これをもとに、講義を朝昼夕の三回に分け、それぞれでほぼ同じ内容を繰り返すことにした。各人が時間を取りやすいタイミングに講義することで、仕事の息抜きがてら参加できるようにすると同時に、講義に長時間集中してもらうことが目的である。

 翌日から、それぞれの時間帯の講義に出席した受講生の中座は劇的に少なくなり、落ち着いた学習環境の実現に成功した。実際、二週間後に行った簡易試験では、著しく理解が追いついていない受講生は見られなかった。

 ノートどころか石版もない環境下で予習復習などが無理である事は、タクミも百も承知であった。このため、昼夜問わずに受講生からの質問を受け付け、同じことでも何度も丁寧に説明するよう努めた。この甲斐もあってか、複数回行った試験で落伍者がいなかった事は驚きに値するだろう。

 しかしこの間、タクミは過酷な労働を強いられた。

 しばらくしてから教室を宗教施設に移そうと画策するも、壁面に文字を書き込むなどもってのほかと僧侶から断られたのだ。このため、青空教室を維持したのであるが、特に昼のクラスは豪雨に見舞われることが多く、授業の進行が遅れてしまった。その補習や他クラスとの進行速度の調整に頭を悩ませることとなり、安眠が妨げられることもあった。また、紙がなく、試験も一斉に行うことができないため、各人に対して二十分ずつ面談をする形式をとった。この場合、各々に対して問題も変えなくてはならず、同時に同程度の難易度に調整する必要がある。場当たり的に出題できないため、受講生全員分の問題を事前に作り、ガイアに記憶させることにした。持ち帰りの仕事として夜間に行うことが当たり前になっている。また、日課となった質問の嵐への対応や、個人的な予定調整への対応、補習など、非現実的とも思えるほどの作業量を捌いてきたのである。

 タクミの献身の甲斐もあり、現在では文字の読み書きに苦手意識を持つものは急速に減りつつある。算術のできには個人差があるが、足し算引き算で苦労する受講生はいなくなったように思われる。

 この躍進を目の当たりにした他の村人も、時間を見つけては聴講するようになったため、最近は不定期聴講者向けの短時間講習も早朝に行っている。

 何れにせよ、今となっては村人のほぼ全てがタクミの教え子であり、初めはどこかよそよそしかった村人たちからも挨拶されることが増えてきていた。

 この日も、昼の講義を終えたタクミが井戸に水を汲みに行くと、近所の子ども達が集まってきた。

「タクミせんせー、前に授業でやった鬼ごっこしよー」

 実質的に幼年組向けの時間になっている朝の講義では、勉強に疲れてしまった子ども達向けに地球の遊びを教えたりもしている。

 水をたたえた桶を引っ張り出しながらタクミが答える。

「えー、やだよ。ヨッチくん達足速いんだもの。先生がずっと鬼になっちゃうじゃん」

「じゃあ、けんけんぱ!」

「君たち動きが軽業的すぎて僕じゃ勝負にならないでしょ」

 タクミが村人達を見てきて気づいたことの一つに、身体能力の高さがある。タクミの家の整備の時にニコルが見せた腕力は目を見張るものであったが、彼女が騎士を目指して鍛錬しているが故の芸当だと思っていた。しかし、二ヶ月住んでいるうちに、他の住人達も地球人に比べてはるかに身軽で腕力が強いことがわかってきたのだ。子ども達もその例に漏れず身軽であり、オリンピック選手顔負けの走りの前に、鬼ごっこでタクミが勝つ道は残されていなかった。けんけんぱでは輪っかの間隔が異常に広く、走幅跳かと思うような距離を飛ばなくてはならない。

「じゃあ、まるばつゲーム」

「お、それならいいぞ。最初はグー」

「じゃんけんポン!」

 タクミが先行である。左上にまる。ヨッチが右上にバツを描く。かくしてタクミの勝利が決定した。

「あれ?」

「ふはは。青いわ」

「なんでいつも負けるんだろう? 俺が先行でも引き分けにされるし」

 胸を張ってタクミが答える。

「勝ちやすい法則があるのだ」

 膨れっ面のヨッチが聞き返す。

「何それ。教えてよ」

「自分で考えてごらん。これも勉強だよ」

「ちぇ」

 我も我もと他の子ども達も勝負を挑んてきた。水汲みをそっちのけで遊んでいると、畑仕事から戻ってきたニコルと目があう。

「あ、タクミ。何やってるです?」

「ニコル。お疲れさん。チビ達がまるばつゲームを挑んできたから相手してやってるんだ」

 ルールを説明すると、ニコルはふうん、と一言漏らし、地面に描かれた模様を眺める。しばらくして、口を開いた。

「これ、先攻が有利じゃないです? そうでなくてもほとんど引き分けになるような気がするです」

 はは、とタクミが声を漏らし答える。

「ニコルは頭の回転が速いね。その通りだよ」

 それを聞いてぶーたれている子ども達に種明かしをするタクミ。

「ほら、こうやって真ん中に先行が丸を打つと、後攻はほとんど列を作るのは無理でしょ。他にもこうやって……」

 双方が勝とうとするという制約の上で考えられうるマルバツの組み合わせを並べてゆく。

「ね、みんな引き分けになるでしょ。あとは、後攻が一手目でミスさえすれば先攻の勝ち。自分が後攻になったら、引き分けに持ち込めばいいのさ」

 うー、と不満げな顔をする子ども達にタクミが続けていう。

「これは場合の数という考え方でね。何がどれくらい起きやすいかとかを予想するのに使うんだ。いつか算数の授業で扱うからね」

 ヨッチが口を開く。

「じゃあ勉強すれば、ばくちでも勝てるかな!?」

「君ばくちなんてするの? 残念、ああいうのは開催者が勝つようにできてるんだよ。君がどうこうできる問題ではないね。でもこの考え方を突き詰めると、将来どんなことが起きるかとかを予想できたりする。これはばくちで勝つよりもすごいことじゃないかな」

 分かったような分からないような複雑な表情を見せる子ども達。それを見てタクミが口を開く。

「君たちが勉強している算数は、まるばつゲーム以外にもいろんな問題を明らかにできる分野なんだよ。興味があれば、より詳しく教えてあげるからね。そろそろ夕方の授業だから、みんなは家にお帰り」

 先生さよならー、の大合唱とともに、子ども達はそれぞれの家に帰っていった。

 一部始終を見ていたニコルが口を開く。

「将来どんなことが起こるかわかる……ほんとなのです?」

 ニコルは夕方時間の講義の参加者であったが、成績が優秀でより進んだ分野に興味を持ったため、現在は日暮れ後に別途短い講義を行なっている。

「近々取り扱うけど、確率の問題だね。例えば、一年間にある事故が起きる確率が明らかな場合、数百年間でその事故が何回起きるかをだいたい予想できるんだ。まあ、数百年間その確率が変わらなければ、だけどね」

 一旦俯いていたニコルが顔を上げる。その表情には、どこか差し迫ったものを感じさせる。

「でもそれって、なんだか残酷なのです。事故が起きることはわかっているのに、それでひどい目にあう人を助けることはできないのです」

 残念そうな表情になってタクミが答える。

「まあね。あくまでも数字の上での予想だから。……でも、事象によっては、その確率を下げられることもある。そうやって苦しむ人を減らせるだけでも、この学問には意味があると思ってるよ。さ、夕方の講義が始まる。また後で」

「はいです」

 夕方の講義が終わり、自宅に戻るタクミ。昼のうちに汲んでおいた新鮮な水を口にし、机の前に設えられた簡易な椅子に腰掛ける。ガイアに日報を記録していると、扉が叩かれる音が響いた。

「どうぞ」

 補講を受けにきたニコルが促されるままに鴨居をくぐり、室内へ進む。

「こんばんはなのです。……盗み聞きするつもりは無かったですが、タクミの声が聞こえた気がしたですよ。誰かいたです?」

 ああ、と声を漏らしたタクミがタブレットを差し出す。これを見て、ニコルは怪訝そうな顔をする。

「通訳の板です?」

「うん。もうそろそろニコルに紹介しようと思ってたんだ。実はこのタブレットはただの通訳装置ではなくて、知能を持っているんだよ」

「知能? 考えたり喋ったりできるですか?」

「うん。名前はガイア。地球から連れてきた助手みたいなものだよ。ガイア、自己紹介を」

 タクミはすでに二ヶ月近く通訳を要しなかったため、ニコルがその電子音を耳にするのは久しぶりである。

「初めまして。ガイアと申します。地球からここまで、様々な面でドクター・ヤザキの補佐をさせていただいております。先日までは通訳に特化してお手伝いさせて頂いておりました」

 あっけにとられていたニコルが我に返り、挨拶を返す。

「あ、知ってるかもですが私はニコルというです。よろしくです」

「よろしくお願いいたします」

 タクミに向き直ったニコルが困惑の表情を見せる。

「なんでこれまで紹介してくれなかったです?」

「うん。ニコルと初めて出会った時、僕に剣を向けていたの覚えてる?」

 一旦考えるそぶりを見せたニコルが、はいです、と返答する。

「こちらに警戒している相手に、あまり過剰な知識を披露しないほうが安全かなと判断したんだ。混乱したり、パニックになったらいけないからね。実際、もしあの時にひとりでに喋る板を紹介しだしたら、ちょっと恐怖したんじゃないかな」

「それは……否定できないです」

「でしょ。それと、せっかくニコルに色々教えられるようになったんだから、ガイアのことを少しでも理解できるようになるまで待ったほうがいいのではないかとも思ってね。ちょっと時期を伺ってたんだ」

「理解するってどういうことです?」

「さっき、確率について話したよね」

「はいです」

「確率や統計という分野を突き詰めていくと、人工的な知能を作り出すことができるんだよ。あり合わせの知識の組み合わせからその先を予想する。高速でたくさん予測計算するんだ。そうやって知能が発達するんだよ。だから、ガイアは魔法でも奇跡でもなんでもなく、ニコルが勉強している学問の先にある一つの完成品なんだ。そう考えると、得体の知れないものという感じもしないし、忌避感も薄れるんじゃない?」

 ニコルがガイアに近づいてしげじげと眺める。

「私たちが勉強していることをたくさん計算して、知能を生み出してるです? すごいと思うですし、親近感が湧くのですよ。ガイアは頭がいいですね」

「お褒めに預かり光栄です」

「実は、通訳から解放されたガイアに一つお願い事をしていたんだ」

 タクミに向き直るニコル。

「なんです?」

「僕の日報や周辺から得られる情報の体系化と、地球から運んできた断片化された情報の復元。ニコルや数人の村人の学習速度が速いから、もうちょっと専門的な分野の参考文献が欲しくなってね。墜落した船からコピーできた情報から専門書くらい復元できないか試してもらったんだよ」

 ガイアが答える。

「複数分野の基本的な専門書の復元に成功しました。随時アクセスが可能です」

「というわけで、ニコルがもっと何かを知りたいと思ったら、今後はガイアに質問することもできるからね」

「心強いのです。よろしくなのです!」

「承りました。……せっかくニコルさんがいらしたので、一つ確認させて頂いても宜しいでしょうか」

 キョトンとした顔を見せるニコル。

「もちろん良いのです」

「以前ご教授いただいた地理関してですが、この村はランダ王国のランス村であるということで、間違いはありませんか?」

「正しいのです」

「では、ランス村は王国のどのあたりに位置するのでしょうか」

 ああ、とニコルが声を漏らす。同時に、大陸の輪郭がタブレットに表示され、暫定的な国境線が描かれた。ニコルが感嘆の声をあげた。

「すごいです。こんなこともできるですね」

「光栄です」

「えっと、ランス村はランダ王国の北東なのです。公国との国境近くなのですよ」

 タブレットの上に指をさしたニコル。触れた点に赤い点が表示され、驚きで手を引っ込める。タクミが口を開く。

「大丈夫だよ。この板は、こうやって触って操作もできるんだ。村の位置をもういちど指差してもらえるかな」

 恐る恐る北東の国境線付近に触れるニコル。正確な位置に赤点が表示される。タクミが口を開いた。

「本当に国境近くなんだな。あの森を超えたらもう公国じゃないか」

「はいです」

「僕たちが墜落したのを見た公国の人たちが探しにきたりしてないかな」

 頬に指を当て考え込むニコル。

「多分きていないのです。森の向こうは、あまり人が住んでいないですから。それに森からこちらは王国の領地なのです。森の中に落ちたものの調査は普通できないのですよ。王国の許可がいるです。公国側に被害が出ていなければ、そんな面倒な手続きはやりたがらないですし、きっと調査はしないのです」

「なるほどね。でも逆に、王国の首都から調査団が来たりしないの? 空から何か落ちてきたなんて、普通は大ごとだよね」

「一昔前ならそうなのです。でも、赤い星が青くなった日から、こんなことは日常茶飯事なのです。村の方から救援を呼びに行かなければ、王都も動かないのですよ」

 赤い星が青くなった。この惑星にその意味を知るものはいないだろう。しかし、彼らにとっては一つの星の色が変わっただけの珍事も、タクミたち地球人にとっては地獄の幕開けであったのである。天文学者の話では、もともとこの星系に存在した同質量の惑星と地球が入れ替わったらしい。何もない空間に地球ほどの質量が突然出現すれば、時間的に不連続な重力ポテンシャルの変化で強力な重力波が生じる可能性があり、周辺惑星に影響を及ぼしたはずだというのだ。一方で、この第二惑星の探査からそのような兆候が得られなかったため、惑星入れ替わり説が有望であろうとのことであった。ちなみに、この惑星に日常茶飯事に落ちてきていたものは、いうまでもなく地球の探査機である。

 タクミが口をひらく。

「まあ、大ごとにならないのは何につけてもいいことだ?」

「なのです」

「よし、じゃあ、今日の講義を始めようか」

「あ、ちょっと待ってもらってもいいです?」

「何かな?」

「このところ、タクミは頑張りすぎなのですよ。教えてもらえるのは嬉しいですが、もしタクミが働きすぎで体を壊したら、私は悲しいのです。村のみんなもそう思ってるですよ。少なくとも数日に一回は休みの日を入れるのがいいと思うです」

 ふとこれまでの自分の仕事ぶりを省みるタクミ。

「でも僕は畑に出られないし、食料をもらってる分は働かないと」

 呆れたような表情で軽くため息を漏らすニコル。

「もう十二分に働いてるです。むしろ村のみんなは、タクミが働きすぎで倒れないか心配しているですよ。ジムおじさんからも、休むよう伝えて欲しいと言われてるです」

「そ、そうかな……。じゃあお言葉に甘えて、これから七日に一日は最低でも休むようにするよ」

 笑顔が戻ったニコルが言う。

「それがいいのです! ちなみに、もう直ぐ太陽が南の端に行って収穫の時期になるですが、北に戻り始めたら、若いみんなは都に仕事探しに行こうとしているです。それを見送ったら、もっと休めるようになるですよ」

「はは、楽しみにしてる。ちなみに、ニコルはどうするの。彼らと一緒に都に行くの?」

「少し時期を遅らせるです。太陽が天頂を通る時期に騎士団の採用試験があるです。それに参加するのです」

「なるほどね。じゃあまだ詰め込む時間はあるわけだ」

 意地悪そうな笑みを浮かべるタクミ。それに対し、自信に満ちた表情でニコルが答える。

「望むところなのです!」


 それからの一月は、これまでに比べて平穏に過ぎていった。週一回の休みは心身に癒しをもたらし、生活に余裕を持たせている。

 この時期には、緩やかに風が吹くことが多くなり気温が下がる一方で、昼のスコールも見られなくなる。空では赤みを帯びた太陽が南をうろちょろするだけになっており、ほぼ一日中暗闇に包まれる。講義は松明を燃やして壁面を照らし出してなんとか続けているが、日照時間が長い時期に比べて講義時間を短くせざるを得なかった。

 このため、ここ数日のタクミは空いた時間を使って村人の冬支度の手伝いをしている。刈り入れが終わった畑作組が依然として慌ただしく動き回っており、意味もなく家の中に寝転がっていても居心地が悪かったためである。

 この日、ニコルはジムおじの蔵で脱穀作業をしており、タクミもそれに同行していた。

「あんちゃん! この包みをどんどん作るから、蔵の奥に運んでくれや」

「わかりました」

 米袋サイズの麻袋に米が詰め込まれ、口が閉じられたものが積み上がってゆく。

 米俵を担ぐことになるのではと心配していたタクミであったが、このサイズであれば二つずつ運ぶことが可能であり、テキパキと運搬を済ませてゆく。脱穀を終えたニコルも残りの袋を運んでいたが、彼女は一ダースほどをいっぺんに運んでいたため、タクミが自分で思うほどにも役に立っていないのかもしれない。

 ともあれ、夕刻には仕事も一区切りし、タクミがニコルとともに蔵の入り口で待機していると、ジムが声をかけてきた。

「よう! お二人さん。今日はお疲れ。助かったぜ」

「おじさん。お疲れ様ー!」

「お疲れ様です」

「ところで、これから夕飯なんだが、二人も食っていかないか? 息子が森で採ってきた肉と果物もあるぞ」

 目を輝かせるニコル。しかし、タクミは自分の貢献度を考えるとあまり甘えることもできないとやんわりと断ろうとする。それに対し、呆れたような表情でジムが口を開く。

「あんちゃん。俺は手伝ってくれたことに感謝してんだ。どれだけ貢献できたかなんていちいち考えんな。食ってけ食ってけ。……まあ、腹の調子が悪いとかなら無理強いはしねえけどよ」

 タクミは頬を軽く掻き、少し恥じ入ったように答える。

「いえ、お腹は絶好調です。ご相伴に預かります」

「私もご馳走になるです!」

 満足げに頷いたジムおじが、二人を隣の家へ誘導する。中では、彼の息子二人が椅子に座っていた。息子たちはタクミの教え子である。

「あ、先生」

「せんせーこんばんはー」

「二人とも。こんばんは」

 すぐに奥からジムの妻が姿を現した。両手にはそれぞれ丸椅子を握っている。

「よくおいでくださいましたね。ちょっと待ってくださいね」

 そういうと、座っていた息子二人に向き直って奥さんが口を開く。

「ほらお前たち! 倉庫から古い椅子を持ってきたから、こっちに座りな。綺麗な椅子はお客さん用だよ!」

 ぶーたれる子どもたち。タクミが慌てていう。

「いえいえ。私はそちらの椅子で十分です」

 ニコルも口を開く

「私もです」

 奥さんが二人に向き直り、申し訳なさそうな表情で答える。

「そうですか。すみませんね。今、上を拭きますからね」

 そういうと奥の台所に姿を消し、よく絞った濡れ布を運んできた。手際よく椅子を拭ってゆく。

「はいはい、お待たせしました。どうぞ」

 タクミとニコルは促されるままに椅子に腰掛ける。机には鍋に入ったスープと七面鳥サイズの鳥の丸焼き、そして野菜とパン、果物が置いてあった。

 驚いたタクミが口を開く。

「すごいですね。毎晩こんな感じですか」

 奥の椅子に座ったジムが豪快な笑いを響かせる。

「まさか! こんなのは一年に一回さ。今日で冬支度も一区切りだからな。お祝いさね」

 一通りの食器を並べた奥さんが自分の席に着いた。

「さあさ、冷めないうちに召し上がってくださいな」

 七面鳥の丸焼きと思しき肉は、皮の食感が北京ダックのようであり、内臓も野菜と合わせると非常に美味であった。スープはありふれた豆スープかと思いきや、ほうとうやいも煮鍋のように野菜がゴロゴロと入っており、栄養満点といった風である。パンは相変わらずであるが、スープに浸して食べると旨味が口に広がって、これも楽しめる。果物は、どうやら柿のようである。角切りになった果物を自分の皿に取り、口に放る。

「甘い! すごいですね。こんな大きさの甘柿は久しぶりに見ました」

 奥さんが答える。

「森の入り口の木に毎年なるのよ。たくさんあるから、好きなだけ食べてね」

 大きな塊を口の中で転がしていると、部屋の脇に同じような柿がたくさん並んでいることに気づいた。

「あれもみんなそうですか?」

 ジムがそちらに目をやり、渋そうな顔で答える。

「ありゃダメだ。渋くてかなわん。日持ちもしないしな。すりつぶして、畑の肥やしにするだな」

 ニコルが口を開く。

「あれはあれで趣があるです。私はよく食べるですよ」

 ふむ、と思案するタクミ。すぐに口を開く。

「ちょっと気候が僕の故郷と違うのでうまくいくか分からないんですが、一つ試してみたいことが。うまくいけば、あれらも美味しく食べられるかもしれません」

「ほう? 何をするんだ?」

「台所をお借りしても?」

「いいぞ」

 椅子から立ち上がり、コロコロした渋柿に近寄るタクミ。二つほど見繕い、台所に向かう。興味深げについてくる一同。

 タクミが鍋を釜の上に乗せる。

「お湯を沸かしてもいいですか?」

 奥さんが答える。

「いいですよ」

 鍋に水を入れ、火にかける。その間に柿の皮をむいてゆく。ジムが口を開いた。

「何をしようってんだ?」

「干し果物を作ろうと思います」

「ほほう?」

「こうやって皮をむいてヘタの部分に残った枝に紐を結びます。紐のもう一方にも同じように皮をむいた柿をつなげて……」

 鍋の湯が沸騰しゴボゴボ音を立てている。

「で、この二つを十秒ほど沸騰した湯につけます。これで、干している間にカビがつきにくくなります」

 持ち上げ、湯気が立ち上る柿をぶら下げてみせる。

「で、これを軒先きの雨がかからない風通しの良い場所に吊します。本当は日光が当たった方がいいんですが、もう今の時期だとあまり陽が昇らないので、かけになりますね。ダメだったら、肥やしにしちゃってください」

 そう言いながら、勝手口の外の突起に紐を引っ掛け、柿同士がぶつからないように位置を調整してみせる。

「あとは、五日から七日に一回の頻度で軽く揉んでやれば、十五日程度で完成です。成功すれば、中身がとろとろの干し柿ができるはずです。カビが生える可能性があるので、それらしきものが見えたら迷わず捨ててください。完成品は特別日持ちするわけではないですが、普通の柿がダメになる頃に食べごろが来て、しかもかなり甘くなっていると思います。ここだと暗い時期が二ヶ月程度なので、はじめの一月は甘柿を、後半はこの干し柿を食べることができると思います」

 ほう、と感心する一同。はじめに口を開いたのはジムであった。

「タクミは、さすがは先生だな。本当に物知りだ」

 恥ずかしげにタクミが答える。

「いえ、これは私の地元でよく作られていたものなんです。旅行者のお土産などとして、よく売られていました」

 そう言いながら、一同を食卓へ戻すタクミ。食後のデザートがてら甘柿をつつきながら、会話を続ける。しかしながら、ややばつが悪そうな表情の一同を前に、タクミが恐る恐る聞く。

「えっと、僕何かおかしなことをしましたか?」

 ジムと奥さんが顔を見合わせている。ニコルが代わりに答えた。

「タクミに故郷のことを思い出させてしまって、悪かったと思ってるですよ」

 タクミが探査隊の仲間を失い、故郷へ帰る望みが絶たれたことは村人全員が知っている。望郷の念を抱かせ、苦しめてしまったのではないかと、不安になったようだ。タクミが慌てて言う。

「あ、いえ、大丈夫です。本当にお気になさらず」

 どうやら、祝宴に水をさしてしまったようである。黙々と柿を口にする一同に向かい、タクミが再び口を開いた。

「実は、今の僕の故郷では、もう干し柿は作っていません。僕がここに来る数年前から、作れなくなってしまったんです。なので……もしよければ、ここでは干し柿を軒先に吊るしてもらえないでしょうか」

 困ったような表情でタクミに問いかけるジム。

「あんちゃん……タクミはそれでいいのかい?」

「私は確かに、きっと故郷に帰ることは叶わないでしょう。万一帰れたところで、私の記憶の中の故郷はもうありません。ですが、だからこそ、思い出の中の故郷の風景は、大切にしたいのです。本当に、皆さんが良ければなのですが、干し柿を吊るして、私に故郷の風物詩を思い出させてくれませんか?」

 しばらくして、膝をポンと叩いたジムが、口を開いた。

「よし! やってやろう! うまくいきゃあ俺たちの生活もよくなる。タクミも幸せになる。やらない手はないだろう!」

 ニコルも同調する。

「私の家でも吊るすです。村のみんなにも教えるですよ!」

 突然立ち上がったジムが台所に向かい、樽を転がしてきた。

「今晩は飲もう! 俺の秘蔵の酒だ。村の新しい風物詩誕生の前祝いだ!」

 そう言うと、人数分のコップに果実酒を注いでゆく。香りはワインそのものである。ジムが器を持ち上げた。

「新しい村の風物詩をもたらした仲間に」

 ニコルが続く。

「尊敬し、敬愛すべき仲間に」

 そして一斉にこの声が響いた。

「乾杯!」

 酔った一家とニコルにより、室内が飲み屋の様相を呈する。騒ぎを聞きつけた周辺の住人も加わり、各々がつまみを持ち寄ったことで大宴会に発展してしまった。普段であれば、夜半に至るまで起きていることがない村人たちであるが、どの家でも刈り入れが終わった祝いをしていたらしく、いささか羽目を外した人々がジムの家で騒ぎ明かすこととなった。馬鹿騒ぎのなか、タクミも雰囲気に飲まれてゆく。ここにきて、初めて心の底から大笑いすることとなったのである。

 陽の昇らない明け方、男も女も酔いつぶれた家から、タクミが抜け出す。外の風に当たるためであったが、街明かりにさらされることのない満点の星空が彼の頭上を覆い尽くし、それに圧倒されてしまった。今日は月も出ていないため、より一層、星々の輝きが際立っている。その中に、ひときわ明るく輝く青白い星。家の外壁にもたれかかり、それに目を向けるタクミ。しばらくすると、タクミがいないことに気づいたニコルが家の外に現れた。すでに酔いは冷めているらしく、タクミの横にちょこんと座り込み、ともに空を眺める。タクミが口を開いた。

「数ヶ月。あっという間だったよ」

「タクミはすごい頑張ったです」

「みんな気のいい人たちだね」

「自慢の仲間、家族なのです」

 ひんやりとした爽やかな風があたりを吹き抜ける。そして、森のざわめきだけが響いた。

「……ニコルが森で剣を向けてきたとき、実は僕は、死を覚悟したんだ」

「そんな風には見えなかったです」

「はは。言葉が通じるかもわからない異邦人に剣を向けられて、危機感を持たない人はいないよ」

「それは……」

「いや勘違いしないでほしい。別に責めてるわけじゃない。ただ、あの時の僕は、折を見て簡単に死を選ぶような人間だったと言うことさ」

 ニコルが沈黙する。タクミが続けて口を開く。

「実のところはさ、僕の故郷はもうないんだ。家族も、友人も、ご近所さんも……そして婚約者も、みんな死んでしまったんだよ」

 タクミの方に目をやるニコル。沈黙を守っている。

「だから、危険を伴うここへの調査隊に志願したのも、ある意味で死に場所を求めていたんだろうな。孤独に耐えられなくなったんだ。そして我武者羅になって、凍りゆく地球から逃げ出した。そんなんだから、墜落するときも、剣を向けられた時も、ああ、これで終わるんだな、くらいにしか思わなかったよ」

 沈黙が空間を支配する。再びタクミが話し始めた。

「でも、ニコルが僕の話を聞いてくれた。共感して、悲しんでくれたんだ。村のみんなも、僕のことを受け入れて、心配までしてくれて……。今地球を見て、それが急に分かったんだ。……途端に、死ぬのが怖くなった。自分のため、人のために頑張って、認められて、人と交流して、分かり合って……これが人間らしい生き方、人間としての尊厳が守られた生き方だって、一昔前には当たり前だったことに気づかされたよ。後悔に満ちた孤独な死があたり前だなんて、怖くないだなんて、そんなのはおかしな世界なんだ」

 一息置いて、タクミが口を開く。

「そんな当たり前のことを思い出させてくれて、僕を死にたがりでなくしてくれた村のみんな……特にここで初めて僕の手を握ってくれた君は……命の恩人なんだ。――ありがとう。……これからも、よろしく付き合いのほどを頼めるかな?」

 ニコルがここで初めて口を開いた。

「はいなのです。当然なのですよ。タクミはもう、私たちの家族も同然なのです。これからもずっとよろしくなのです」

 ニカッと輝くような笑顔をタクミに向けるニコル。それに対し、彼も笑顔で返す。その目尻には、小さな水滴が光っていた。彼が安心し、幸福感から涙したのは、地球が凍り始めてからこれまでで初めてのことであった。


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