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悪役令嬢の神託を受けたから旧王都を出ることにしましたが、結局屋敷から一歩も外に出られそうにありません。

作者: 原雷火

 朝起きたら私は悪役令嬢になっていた。昨日まではどこにでもいる、しがない軍閥貴族の娘だったのに。


 なんでも、間もなくこの世界で“主人公”という女の子が目覚めるかららしい。


 起き抜けに神様の啓示なんて、後にも先にも人生で一度きりだと思う。


 主人公か――


 それはきっと私と同年代で、もしかしたら学友のアノ子やアノ子、もしくはアノ子のお付きのメイドなのかもしれない。


 もはや全員敵である。視界に入る同世代女子の誰もが敵だ。


 敵だ、敵だ、敵だ、敵だ。


 学園の半数が潜在的な脅威と化した。


 一方、味方になってくれそうなのは一人きり。


 黒髪黒目の長身執事――クロードは「これは楽しい……もとい愉快なことになりましたねお嬢様」と、目を細めた。あえて言い直す意味とは?


 そこは「大変なことになりましたね。お労しや」とでも言えないのだろうか。


 主人たる私の不幸を積極的に楽しむつもりでいるから、もう最悪。けど、クビにしたくても有能だから、屋敷から追い出すこともできなかった。


 彼がいなければ快適な生活の危機である。学園で気を張る分だけ、屋敷では楽をしたかった。


 クロードは全部わかっていて、わざといじわるなことを言うのだ。




 今日は初めて学園を休むことにした。


 普段よりも時間をかけて、ゆっくり朝食を摂る。


 メニューはグリーンサラダにクロワッサンとカリッと焼いたベーコンと、チーズを包み込んだ半熟のオムレツだった。


 ティーポットを高く掲げ、紅茶のお代わりをカップに注ぐクロードに訊いてみる。


「どうにか主人公が目覚める前に、この世から亡きものにできないかしら?」


「まず相手を消す方法から考える。立派な悪役令嬢ですねお嬢様」


 生まれてこの方、私は自分の幸福を優先してきたつもりだ。


 一方的に誰かの幸せを祈る生き方なんて、馬鹿げているとさえ思う。


 優等生を演じ、学園での立ち居振る舞いに気を遣ってきたのも、そこに利用価値があると信じてきたからだ。


 その努力も私が神託を受けてしまって水泡に帰したけど。


 ともあれ誰にも私が幸せになることを止める権利はない。たとえそれが神に選ばれた少女しゅじんこうだったとしても。


「わかったわ。百歩譲って……誰がその主人公なのか調べはつかないかしら?」


 それさえ判明すれば、私の人生からその女の子を排除するだけで問題は解決する。


 なにも倒す必要はないのだ。遠ざけて視界に入らないようにすればいい。


 クロードは白い首をそっと左右に振った。


「歴史書に曰く、誰が主人公かは悪役令嬢たるお嬢様が出会うまでわからず、出会ったときにはお嬢様の敗北は必至でしょう。即ち破滅です」


 さすが主人公。出会って二秒で負けそうだ。破滅というのが具体的にどうなってしまうのか、想像もしたくないけれど、とかく神話の時代から主人公補正とは恐ろしいと聞いている。


 私は物語を読むのが好きで、唯一の趣味と言ってもいいくらいだ。クローゼットを買い足すよりも本棚を増やす方が満足する。


 世界は主人公が幸せになるハッピーエンドの物語で溢れていた。


 つい昨日までの私は、そんな物語を収集して、手放しにそれを喜び読んでいたのだ。


「今朝のクロワッサンは、なんだかしよっぱい味がするわね」


「流した涙が隠し味になっておりますねお嬢様」


 クロードは眉一つ動かさない。


「しばらく休学するわ。それと屋敷の若いメイドはみんなクビにしてちょうだい」


「お嬢様。もとよりお世話係はわたくし一人にございます」


「あら、そうだったわね。冗談よ」


 この有能な執事にかかれば、私一人を満足に生きさせるくらい簡単なのだ。


「今後、来客があってもうかつに取り次がないようにしてね。特に若い女の子には要注意よ」


「イエスマイレディ」


 トーションを腕にかけてクロードは深々とお辞儀をした。


 ひとまず私のそばに同年代の女の子を近づけさえしなければ、即破滅とはならないだろう。


「ねえクロード。私、これから引きこもりの令嬢になろうと思うの」


「なるほど。でしたら主人公による破滅からは逃れられるやもしれませんが、お嬢様のお父様はきっと哀しみにくれてしまわれるでしょうね」


「お父様は私に破滅しろというのかしら?」


「生き恥をさらすくらいなら、潔く散れ……と仰るかと」


 お父様の戦争屋! 鬼! 悪魔! 人でなし! 王国の狂犬! 国王の右腕! 世界の敵! 帝国を崩壊させし者!


 きっと私が悪役令嬢に選ばれたのも、お父様の歩んだ覇道のせいに違いない。


「ふふふふ。今日の紅茶、なんだか海水みたいにしょっぱいわ。変わった茶葉ね?」


「お嬢様の激変した境遇と違って、紅茶は昨日までと同じモーニングブレンドですよ。お気を確かに」


「このまま破滅を迎えるしかないのかしら? そうね……学園全体で主人公を探すパーティーを開催しましょう。どうせ散るなら華々しくありたいものね」


 クロードは白い綿手袋をした指先で、自身の細いあごにそっと触れながら真顔で言う。


「すぐに宴の支度をいたします」


「冗談よ。少し考えたいことがあるので失礼するわね。朝食、美味しかったわ。ごちそうさま」


 クロードはもう一度深くお辞儀した。




 本棚に囲まれると不思議と気分が落ち着いた。


 書斎で一人、考える。


 悪役令嬢にされてしまった私が、生き延びるにはどうするべきか。


 物語の詰まった棚から一冊取り出して、ペラペラとページをめくる。


 このままだと私は破滅だ。千年の繁栄を誇った旧王都ミレニアの歴史に汚名を刻むことになるだろう。


「そうだ……新王都ニューミレニアに行こう」


 生活水準を落とさずに遠くへ行くなら他に選択肢もない。


 海を渡った先に王国は拠点を移して久しかった。国王様もお父様もあちらで執政している。


 新大陸には蛮族や魔物が跋扈しているというけれど、私からすれば現在の生活圏の方がよっぽど危険なのだ。 


 すると書斎のドアがノックされた。


「軍艦を一隻チャーターいたしました。港まで客室付きの馬車もご用意しております」


「さすがクロードね。優秀すぎて寒気すらしてきたわ」


 私の考えそうなことなど、この執事には筒抜けらしい。




 こうして旧王都脱出ミッションが開始された。


 真の敵は主人公にあらず。それを送り込んできた運命さえも操る神なのだ。


 私は神への反逆者となった。


 クロードの用意した馬車は十二台。すべてダミーである。


「四号車が子供を轢きそうになって転倒。八号車は馬が暴走して商店につっこんだそうです。それ以外もまともに港へはたどり着けなかったとの報告が入っております」


 伝書鳩や魔法通信を駆使するクロードは、情報収集に余念がない。もたらされた情報は残念なものばかりだったけど、相手の本気を理解できた。


 これはもはや戦争だ。裏を返せば、この生まれ育った旧王都さえ出れば、私は神に勝利する。


 こちらには征服者として名を馳せたお父様のお金と権力があるのだから、勝ち目は十分にあると思う。


 クロードがまたしても、眉一つ動かさずに私に報告した。


「呼び寄せた軍艦が港の入り口で座礁したそうです。幸運にも死傷者は出なかったとのことですが、港が封鎖されて復旧の目処が立っておりません」


「こちらの一手を逆手に取られたわね」


 陸路も海路も潰す徹底ぶりに、逃すまいという執念を感じた。神の見えざる手なんて、本当に良い迷惑だ。




 午後三時――


 私は結局、屋敷から一歩も出られていない。


 安住の地であるはずの新王都は遠かった。


 リビングでアフタヌーンティーの香りを楽しみながら、クロードからの提案に耳を傾ける。


「転送魔法を使える魔導士を手配してみてはいかがかと」


「名案ね。転送事故で主人公の目の前に跳ばされなければ」


 今なら一万分の一とも言われる転送失敗の確率も、引き当てる自信があった。


「ではいかがいたしましょう?」


「紅茶のお代わりを」


「イエスマイレディー」


 執事はティーポットを高く掲げて、琥珀色の滝をカップに注いだ。


「学園に行かずこうして屋敷でのんびりするのも、たまには良いものね」


 カップの縁に口をつけると同時に、来客を知らせるチャイムが鳴り響いた。


 クロードに見に行かせる。すぐに執事はリビングに戻ってきた。


「ご学友の皆様が、無遅刻無欠席の優等生なお嬢様がお休みになられたことを心配して、わざわざお見舞いにいらしてくださいました。いかがいたしましょう?」


「皆様ではわからないわ。具体的には誰が来ているの?」


「辺境伯様のご長男カーライル様と、妹君のシンシア様。王家の縁戚にあたる公爵様の孫にあらせられるレオン様に、王立大学の学長の子息にして学園一の英才、様々な魔法発明の特許をもつファーレン様。それから隣国イルパニアの姫君であらせられるエリーゼ様といった、学園でも指折りのそうそうたる顔ぶれです」


「シンシアとエリーゼにはメイドがついていないかしら?」


 恵まれた境遇の二人よりも、危ないのはその従者だ。緊張が稲妻のように背筋に走る。


「もちろん随伴しております。お嬢様、もし面会を断るようなことがあれば、外交問題にも発展するやもしれません」


 国同士は和平を結んだけど、イルパニアのエリーゼと私は犬猿の仲だ。きっとお節介なレオンあたりが無理矢理引っ張ってきたに違いない。


「わかったわ。会いましょう。ただし……」




 私は午後のティータイムを中断して、パジャマに着替えるとベッドに潜り込んだ。


 上掛けで顔のほとんどを隠す。


 そして、クロードにこう説明させた。


「申し訳ございません。お嬢様は非常に感染力が強い少女風邪をこじらせてしまいまして。男性には伝染しないのですが、この通り……咳が止まらないのです」


「ゲッフゲフゴフンゲフゴフン! 本日はゲフン! このようなゴフン! 姿でゲフゴフン!」


 寝室にまで招いたのはカーライルとレオンとファーレンだけ。三人も私の咳があまりにひどく、会話すらまともにできないとわかると、山ほど果物が入った篭を残してすぐに帰っていった。


「ここでお嬢様にクイズを一つ。本日のお夕食後のデザートはなんでしょう」


 正解を目の前にしてクロードはこの調子だ。


「メロンがいいわね。外皮が編み編みになっているものにするわ」


「承知いたしました」


 クロードはゆっくりと頭を下げた。


「ねえクロード、どうして貴方はそこまで尽くしてくれるのかしら?」


 頭を下げたまま執事は返す。


「お嬢様のお父様より、くれぐれもと頼まれておりますので」


「それは金銭的な契約があるからでしょう?」


「一流の執事は報酬も一流です。それに見合う仕事をすることこそが執事の誇りでもありますから」


 そしてゆっくりとクロードは顔を上げた。


「ですからお嬢様も、わたくしが生涯、胸を張ってお仕えできるような立派な方になってください」


「なれないわよ。破滅が待っているもの」


「破滅がなんだというのです。お嬢様ならきっとこの困難も乗り越えて、人生を豊かにするための糧にすることができますとも。わたくしもお手伝いさせていただきますから」


 まるでプロポーズをされたような気持ちになった。


 生涯尽くすというのは、添い遂げるというのと同じようなものだ。


 途端に、これまでただただ優秀なだけの執事が、一層特別な存在に思えてきた。


 吊り橋効果なのかもしれない。それでも、私の窮地にクロードだけはずっとそばにいてくれるような気がした。


「そうだわクロード。貴方、私と婚約しなさい」


「それはできませんお嬢様」


「ど、どうして? 一生添い遂げ……つ、仕えてくれるんでしょ?」


 執事は眉一つ動かさずこう告げた。


「婚約とは対等なものですし、なにより悪役令嬢と婚約することは祖母からの遺言で禁じられておりますので」


 人生とは上手くいかないものだ。婚約する前に破棄どころか却下されてしまったのだから。


 こんなことなら思い切って告白なんてしなければよかった。


 屋敷に引きこもる限り、クロードとの間にずっと変な空気を抱えていなければならないなんて、そんなの耐えられない。


 これならもう、いっそ破滅してしまった方がマシかもしれなかった。


「クロード。今すぐ新王都までの竜空便を手配して。今夜の最終便で発つわ」


「危険ではありませんかお嬢様?」


「賭けというものはベットしなければ結果が出ないものなのよ」




 クロードが駆る馬車で無事、飛竜場までたどり着いたのは奇跡と言えたかもしれない。


 その日、最後の竜空便は、港の事故の影響もあって大混雑だった。


 お金を積んで座席を確保する。その点、抜かりはない。


 あとは飛竜艇の客室乗務員に“主人公”がいないことを祈った。もしかすれば、今日の出来事はすべて、この座席に私を誘い込むための罠だったのかもしれないのだから。


 空の上では逃げ場も無い。


 けど、何も起こらずに飛竜艇は無事に旧王都から飛び立ったのである。


 この瞬間、私は神に対して勝利を確信した。




 新王都に到着すると、お父様から旧王都にある別邸と同じくらいの屋敷をあてがわれた。


 もちろん私が悪役令嬢になったことは伝えていない。知られれば覚悟を決めろと言われるのが目に見えている。


 急な転居については「あちらの学園での人間関係に疲れてしまったから」と、正直に話すことにした。お父様は多少はいぶかしがったけど、とりあえずは納得してくれた。


 執事もクロードのままだ。


 私は主人公の魔の手から逃げ切り、新天地で自由気ままに生きていけるのである。


 歴史上、主人公に勝利した唯一無二の聡明かつ勇敢なる悪役令嬢として、後世に名を残すことになるに違いない。


 広々としたリビングで、新大陸でも変わらない味のアフタヌーンティーを楽しんでいると――


「お嬢様。大変なことになりました」


 クロードが書状を手にリビングへとやってきた。


 ちょっと変な空気になったことなんて、ケロッと忘れているみたいにクロードは普段通りだ。


「昨日みたいに大変なことなんて、そうそう起こらないでしょう」


「いいえ二度あることは三度あるのです。旧王都の学園長より、このような魔法通信書状が届いております」


 それは新大陸で新設されたばかりの、学園の分校への転入手続きが終わったという通達だった。


「まんまと嵌められたわね」


 そこに主人公が潜伏している可能性は十分に考えられる。結局、屋敷の外に出る限り疑心暗鬼の種はつきない。


「いかがなさいますかお嬢様?」


「当然、私は運命に抗うわ」


 手渡された書状をビリビリに破って捨てた。


「おやおや、そのようなことをしてしまってもよろしいのですか?」


「かまわないわ。ねえクロード、破滅を回避して幸せになれば私の勝利だと思うの」


「窮地に追い込まれようとも勝利にこだわる……負けを認めなければ実質勝利。常勝の名をほしいままにしたお嬢様のお父様と、そっくりにございます」


「う、うるさいわね。よくよく考えてみたら、本と紅茶と……あ、貴方がそばにいれば私はそれだけで幸せなのよ。ほら、貴方は大概のことはなんでもできるでしょう? 私は貴方ができること以上を望んだりしないわ」


「お褒めにあずかり光栄ですお嬢様」


「一日お休みしてみてわかったけど、学園で他人に気を遣ったり気を遣わせたりするのは煩わしいの。国王様の右腕の娘というだけで、浴びたくも無い注目を浴びてきたし」


 他人の幸せを願うなんて馬鹿げている。自分はやりたいように生きてきた。


 なのに私はずっと「立派であらなければならない」と、心の片隅で想い続けていた。


 ティーカップをソーサーの上にそっと戻して、今度こそ胸を張る。


「だから、お父様がなんと言おうと私は引きこもることに決めたの……だめ……かしら?」


 クロードは眉一つ動かさないまま、沈黙を置いてからニッコリ微笑んだ。


「良いお考えかと」


 初めて見る笑顔に、なんだか胸の辺りがモヤモヤウズウズドキドキしてくる。


 やっぱり、一つ屋根の下でクロードと二人きりっていうのはちょっと辛いかもしれない。

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