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          〇


「もういい?」

 藤村がそれを訊くのは、もう三度目だった。

「まだだって言ってるでしょう。少しは落ち着けないの?」

「だって部活がさあ……」

「動かないで」

 校庭を見ようと首を回すのを、ぴしゃりと制した。

 しぶしぶ藤村は顔をこちらに向けて止まった。相変わらず女の子みたいな顔をしているけれど、目つきとか、鼻筋とか、よくよく見れば男の子を感じる。いったいどうしてと訊ねられたら困るくらいに、些細な印象だけれども。

「雫とはどうなの?」

 絵に集中していたせいで、うっかりと訊ねてしまった。

「どうもこうもないな。飯食って、送って、それだけ。お互い部活もあるし」

 その言い方がなんとなく余裕を感じさせて、それがすこしムッとさせた。

「感謝しなさいよ」

「はいはい、だからモデルなんてわけのわかんないこと、引き受けてるだろ」

 合唱コンクールの日、私は先生に頼んで歌う順番をすこしだけ変えてもらったのである。二年で最初に歌う一組を、最後に回してもらった。せいぜい十分程度の気休めで、できることは全部やったと思うための言い訳だったけれど、結果的に役に立った。

「あ、でも最近、ちょっと口が悪くなったな、あいつ。ずけずけ物を言う」

「いいじゃない? これまでが大人しすぎたのよ」

 あれ以来、学校で見かける雫は、楽しそうだったり、悲しそうだったり、いろんな表情を、いろんな人に見せている。そのことが寂しい気もしたけれど、すくなくとも以前より綺麗になったと思う。

 拒絶されることを覚悟して謝ったときには、キスするふりをして頭突きをされた。「驚いたんだから」と、おでこをさすりながら、照れた顔で言われた。

 きっと、どんどん私の知らない彼女が増えていくのだろう。けれども――それで良いと思えた。私の自由にならない雫を、私は愛している。

「そうだ。今日は雫、うちに招待してるのよ。だから、あんたの家には行かない」

 藤村はちょっと驚いたように「あっそう」と返事した。

「はい、いいわよ。協力してくれてありがとう」

「じっとするのってしんどいな」

 と、立ち上がった藤村を見て、おやと思う。

「ねえ、藤村。身長伸びた?」

「え?」

 私も立ち上がると、やはり少し伸びている。

「やっぱり伸びてる」

「俺にもやっと来たかな、成長期」

 すくなくとも変声期はまだの子供の声だった。そのまま立ち去ろうとした藤村は、ぴたりと足を止めて振り返る。

「そうそう。人間もするんだよ」

「なにを?」

「脱皮。この前、言ってたろ。それで考えてたけど、するんだよ、脱皮。わかりにくいけどさ」

「ああ、そういえば……」

 脱皮ができたらいいと、言った気もする。

「皮膚の一番外側あるだろ。あれがボロボロ剥がれるんだよ、垢として。ちょっとずつ剥けるからそうは思わないけど、あれだって脱皮だろ」

 正解を出したぞというすっきりした顔で、藤村は軽く手を振って部活へ向かった。

 スケッチブックを広げてみる。藤村の隣のページをまっすぐに立てると、その後ろに描かれた雫の絵が現れて、二人が並んだように見えた。手を加えていないはずの、絵の中にいる雫の表情が、ふっと和らいだように感じた。どうしようもなく纏っていた侘しさに、やわらかな温度が加わったみたい。

 間にある一ページは、きっと私の嫉妬だ。

 親指を口元に持っていきかけて、その傷が治りはじめていることに気が付いた。昨日のお風呂ではがれた瘡蓋の下に、透明で薄い皮ができている。その傷の外縁に、古い薄皮がぴらりと残っていた。

 私はそっと、それを噛んだ。

 明日の私が今日よりも、ほんの少しずつでも大人になれるように願いをこめて、薄皮をめくる。

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