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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
74/80

(74) 入国

ぼんやりと眺める視線の先は、見た事のない様な美しい雲海が広がっていたが、妃奈の心は一向に晴れなかった。

私は、何をしているんだろう…。

いきなり『王女様』と言われ、『王太子殿下(おおたいしでんか)』と言われ、DNAの鑑定が出る迄の一週間、カナハン王国大使館で過ごす妃奈は、訳がわからぬままに膨大(ぼうだい)なDVDを観る様に強要(きょうよう)された。

カナハン王国の建国の歴史、国土、経済、観光、国民の紹介等々…。

幾ら妃奈が『王女になる気はない! 』『国を治める積もりは絶対にない!! 』と叫ぼうと、ムラーテ大使も大使館の職員も困った表情を浮かべ『我々では、どうしようもない』と答えるばかりだった。

会いたくもない国王である父親に会って、直談判(じかだんぱん)するしかない…そう思って機上(きじょう)の人となったのだが…。

生まれて初めての空の旅…本当はニューヨークに向かって、心踊る様な旅になる筈だったのに!

「ヒナ・アル・アミーラ」

頭からスカーフを被った美しい女性が、仏頂面(ぶっちょうづら)で座る妃奈の席の横に(ひざまず)いた。

「…アラビア語を話されても、わかりません」

「失礼致しました、妃奈王女様。そう仰られるので、此方(こちら)をお持ち致しました」

ニッコリと笑うこの女性は、ナディアといい、ムラーテ大使の三女だと紹介された。

日本に赴任(ふにん)した父親と共に来日し、今年の春に日本の大学院を卒業したらしい。

言葉が不自由な妃奈の、通訳(けん)話し相手という役目らしいが、実際は秘書の様な仕事もこなしている。

イスラム教が国教であるカナハン王国では、国民の90%以上がイスラム教徒であるムスリム()しくはムスリマらしく、男性社会と女性社会が分けられていると聞いた。

法律に置いても、シャリーアというイスラム法が国の法律と共に存在し、全てに置いて男性優位、ムスリム中心の世界の様に妃奈には思えた。

ムスリマである女性は、家族以外の男性に肌を(あら)わにしないらしく、ナディアもヘジャブという髪と耳と首を(おお)うスカーフを常に着用している。

「タブレットです。使い方は、ご存知ですか?」

「…いいえ。使った事はありません」

「通話が出来ないだけで、スマホと同じです。機能的には、パソコンと同じ様な物です。此方(こちら)に、翻訳アプリもダウンロードして置きました。文章も会話も、どちらもアラビア語から日本語に翻訳出来ます。又、その反対も可能です」

ナディアがアプリを起動させ、『アラビア語→日本語』に設定して、何やらアラビア語で話すと、タブレットから女性の声で翻訳された日本語が流れた。

「私が居ない時には、此方(こちら)が役に立つと思います」

「……ありがとうございます」

「王女様、私共にその様な言葉使いは不要だと、申し上げましたでしょう?」

「まだ、慣れません。それに、ナディアさんこそ…王女様は止めて下さいとお願いした筈です」

「困りましたね」

ナディアはそう言って、白い歯を見せて笑った。

「本国で日本語が理解出来るのは、国王陛下と日本からのビジネスマンと、日本に駐在(ちゅうざい)していた役人…後は日本語の通訳をする者くらいですから、私が少々砕けた物言いをした所で、気が付く人間は居ませんが…」

「構いません」

「それにしても…妃奈様は、とても美しい日本語を話されますね?」

妃奈は眉を寄せると、タブレットに視線を落としたまま(つぶや)いた。

「そんな事、初めて言われた…」

「そんな風に、妃奈様の()のお言葉でお話し下さい」

「……」

妃奈は不機嫌に溜め息を吐き、タブレットのアプリを次々と開いていった。

「妃奈様、到着後の事について、少しお話しさせて頂いて宜しいですか?」

「…はい」

「先日もお話しさせて頂きましたが、現在我が国の世情(せじょう)は、国王陛下の病状が長引いている事もあり、非常に不安定な状態にあります。妃奈様が入国される情報も、既に国内に流れていると考えられます」

「……」

「空港に到着する前に、妃奈様には…此方にお着替え頂きたいのです」

そう言って、ナディアは黒いドレスと大きな黒い布を妃奈に見せた。

「…これは?」

「ドレスは、アバヤ。頭から被る布は、ニカブといいます。ムスリマの成人女性が、外出の際に着用する衣装です」

「…私は、イスラム教徒ではありません」

「いえ…これは、妃奈様をお守りする為に着替えて頂きたいのです」

「どういう事ですか?私が入国する事を、(こころよ)く思っていない人間が居るという事ですか?」

「詳しくは、お話し出来ませんが…」

「また、国王に聞けと?」

「申し訳ありません」

ナディアを責めても仕方がない…妃奈は、(あきら)めて黒い衣装に袖を通し、ニカブを被った。

外に出ている箇所(かしょ)は、手首から先と目元だけ。

これでは、誰が誰だか見分けが付かない。

機内アナウンスがアラビア語で何かを告げると、妃奈と同じ様にアバヤとニカブを装着したナディアが妃奈の座席のシートベルトを()め、隣の座席に座った。

窓の外にはペルシャ湾が見る見る広がり、やがて土埃(つちぼこり)舞う滑走路に飛行機は到着した。

「妃奈様の荷物は、後程お運び致します。どうぞ、手ぶらで降りて下さい」

「…わかりました」

「大丈夫ですよ。私が一緒に参ります」

ナディアは妃奈を先に歩かせると、後ろからタラップに誘導(ゆうどう)する。

飛行機からタラップに出た瞬間、今迄味わった事のない様な熱気が妃奈を(おそ)った。

一体、何度あるのだろう!?

身体中の毛穴が一気に開く様な感覚と、乾いた空気…遠い異国の地に来てしまったという事を、妃奈は思い知らされた。

(ほこり)っぽい滑走路の(はるの)か向こう側には、背の高い煙突(えんとつ)が建ち、その先には赤い炎が揺らめいている。

タラップの下には、黒い衣装の一団が妃奈を待ち構えていた。

全員ニカブを(かぶ)り、目元しかわからない一団の中に飲み込まれながら、隣から滑走路をしばらく歩く様にと指示される。

妃奈の周囲を歩く一団は、妃奈を取り囲んだり入れ替わったり、目まぐるしく動きまわる。

やがて滑走路近くに建つ格納庫(かくのうこ)に入ると、黒い衣装の集団は幾つかのグループに分かれ、1つのグループは庫内に停めてあったマイクロバスに乗り込んだ。

もう1つのグループは、同じく停めてあった黒塗りの車に乗りこみ、残る1つのグループは建物から外へと出て行った。

「彼女達は?」

「妃奈様の影武者(かげむしゃ)です」

影武者(かげむしゃ)?」

(おとり)です。空港から宮殿に向かうには、幾つかのルートがあるのです。橋を渡り陸路(りくろ)で向かうルート、連絡船に乗り水路(すいろ)を使って移動するルート。通常は、この2つのルートが使われます。王族の方々は、普段専用車で宮殿に入られますので、陸路(りくろ)はマイクロバスと専用車、2種類のダミーを用意しました。先程建物から出て行った一団は、今から連絡船に乗り込みます」

「…そんなに警戒(けいかい)しなければならないのですか?」

「大変申し上げにくいのですが、専用機から降り立った瞬間から、妃奈様は監視(かんし)されていると見て間違いありません」

「……」

「ニカブを被った一団の中から妃奈様を見分けるのは、多分出来ないでしょうが、ここは念には念を入れませんと」

「それで、私達はどうやって宮殿に向かうのですか?」

空路(くうろ)を使います」

そう言ってナディアが手を上げると、黒塗りの車とマイクロバスがエンジンを掛け、格納庫の入り口から出て行った。

ナディアのニカブから覗く目が、じっとその車の後を追う…何故そんなにも真剣にと不思議に思う妃奈の視線に気付くと、ナディアの目は優しい光を(たた)えて妃奈に向き直った。

「妃奈様には、此方(こちら)に乗って頂きます」

「ヘリコプターですか!?」

ナディアが手を(かざ)す先にあるヘリコプターへ2人が乗り込むと、整備士(せいびし)達がヘリコプターの乗った台車を車で牽引(けんいん)し、格納庫(かくのうこ)から滑走路(かっそうろ)へと運んで行く。

「このヘリコプターは、緊急時用に使われるのですが、最近は医療関係者を宮殿に運ぶのに使われる事が多いのです」

ナディアの説明に頷くと、妃奈は渡されたヘッドホンを耳に装着した。

やがて操縦士(そうじゅうし)が乗り込み、ヘッドホン越しにも聞こえるバラバラという大きなプロペラ音と共に、機体はフワリと垂直に浮き上がる。

高度を上げたヘリコプターは、格納庫(かくのうこ)の上を旋回(せんかい)すると、空港から伸びる道と水路(すいろ)沿()ってゆっくりと機体を傾けた。

長く伸びる道の向こうに建つビル群、あれは大使館のDVDで見た商業地だ。

そして、その向こうに広がる茶色い部分が旧市街地と呼ばれる住宅地。

そして、2つの地域を分ける水路の中洲(なかす)に建てられた、夕陽に照らし出された大きな宮殿。

中洲(なかす)全体が小高い丘になっている為、宮殿は他の建物より高い位置から市街地を見下ろしていた。

大使館で見たDVDによると、かつて漁業と真珠採取(さいしゅ)で栄えた島国であるカナハン王国は、『ペルシャ湾の真珠』と呼ばれていた穏やかな国だったという。

それが、20世紀後半に発見された油田の恩恵(おんけい)を受け、国の経済は大きな変動を見せる。

海外企業の進出、農業プラントの整備、国防の為の軍隊の強化…街にはビルが建ち並び、元々あった水路に加え、無数の道路が国を縦横無尽(じゅうおうむじん)に走る…。

突然、眼下で光る火柱に、隣に座るナディアが身を乗り出した。

道路の一角で火災が起こり、後続の車が立ち往生している。

事故だろうか?

路上に車から降り立った人々が、右往左往(うおうさおう)している姿が見えた。

「あぁ!! 」

隣のナディアが声を上げた瞬間、次なる爆発が続いた。

道路に沿って流れる水路を進む船が、突然爆発炎上(ばくはつえんじょう)したのだ。

ひょっとして、あれは…!?

ヘリコプターは急に高度を上げ、速度を上げて現場を離れる。

やがてヘリコプターが高度を下げて着陸したのは、宮殿の裏側にあるヘリポートだった。

ヘッドホンを外して降り立った妃奈は、ナディアの腕を強く引いて問い(ただ)す。

「あれは、どういう事です!?」

「……」

「あの事故は、両方共…私を狙ったという事ですか!?」

「どうぞ、お気持ちをお静め下さい」

「あの人達は!?」

「妃奈様、どうかお部屋の方に…話は、それからに致しましょう」

(なか)ば強引に案内された豪華(ごうか)な部屋で、妃奈はニカブを脱ぎ捨て怒りを爆発させた。

「いい加減、ちゃんと説明して!!」

「妃奈様、どうか…」

「説明しなさいっ!!」

手に持ったニカブをナディアに投げ付けると、彼女は手を胸に当て片膝(かたひざ)を折った。

「あれは…あれは、妃奈様の入国と即位(そくい)(はば)もうとする勢力の仕業(しわざ)だと、推察(すいさつ)されます」

「…彼女達は?」

「あの者達は、(ほとん)どが囚人(しゅうじん)だと聞いています。どうぞ、お気になさらず…」

囚人(しゅうじん)だから、死んでも構わないって!?冗談じゃない!!」

「彼女達は、生き延びれば恩赦(おんしゃ)が与えられるのです…(みずか)ら進んで立候補した者達でした」

「…さっき、(ほとん)どって言ってましたね?」

(ひざまず)いたナディアの頭が深く()れ、一息着くと彼女は落ち着いた声音(こわね)で答えた。

「…先程、王室専用車に乗り込んだ者の中には、我々の協力者がおりました」

「何て事…」

「彼女も、覚悟を持って与えられた(にん)()いておりました」

「…知り合い?」

「……はい。幼い頃からの…友人でした」

妃奈はこめかみに手を当てると、深く大きな溜め息を吐き、ナディアの手を取って立たせた。

「確認するけど、私は…命を狙われている?」

「残念ながら」

「誰に?」

「それは、私の口からは申し上げられません」

「…私を守る様に、彼女達を(おとり)に使ったのは誰?」

「御命令を下されたのは、国王陛下と前国王であられる国母陛下です」

「その2人には、何時(いつ)会える?」

()ぐにでも」

妃奈は頷くと、テーブルに置いてある水差しに手を伸ばした。

「お待ち下さい、妃奈様!!」

「何?」

「大変申し上げにくい事ですが、宮殿で出される飲食には、お手を付けない様に…ご進言(しんげん)申し上げます」

「…毒でも入ってるの?」

「……」

ナディアは何も答えず、部屋の隅に置かれたダンボールからペットボトルの水を出し、紙コップに注いで妃奈に渡した。

「宮殿で出される食器にも、ご注意下さい。口にされる物は、私か、後程紹介致します妃奈様専用の侍女がご用意致します。これから先、(みつ)ぎ物等が数多く届けられるでしょうが、決して口にされません様に」

ニカブから覗くナディアの瞳には、切羽詰(せっぱつ)まった光が宿っていた。

「…わかりました」

妃奈はナディアに向かって、深く頭を垂れ腰を折った。

「貴女の…幼なじみの方には、本当に申し訳ない事をしました。どうぞ、ご家族の方にも、お悔やみ申し上げますと…申し訳ありませんでしたと、お伝え下さい」

「ヒナ・アル・アミーラ!?」

そう叫ぶと、ナディアは再び片膝(かたひざ)を折り、深く頭を下げた。

「必ず、必ず、申し伝えます!」

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