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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
65/80

(65) 仁恵(じんけい)

緋色の卍繋(まんじつな)ぎの紋綸子(もんりんず)地に、肩から華麗な束ね熨斗(のし)紋様が(すそ)にひろがり、金彩や銀彩、疋田絞(ひったしぼ)りが熨斗(のし)紋様を彩る、所々に金銀の菊花紋(きっかもん)を刺繍した豪華な本振り袖。

黒字に金銀の乱れ咲く一重菊を刺繍した西陣織りの帯を華やかに結び、豊かな銀髪を高く結い上げた妃奈は、まるで着物のグラビアから抜け出た様な美しさだった。

妃奈が、こんなにも着物が似合うとは、思わなかった…。

緋色に金糸を織り込んだ帯締めに、白地の細かな疋田絞(ひったしぼ)りの帯揚(おびあ)げと黒地の帯との対比、黒の伊達襟(だてえり)白縮緬(しろちりめん)に艶やかな菊花を刺繍した半襟(はんえり)、そこからスッキリと伸びる、褐色(かっしょく)(うなじ)の美しさ。

「…綺麗だ、妃奈…」

松浪組長の後ろに佐野と並んで座る妃奈に声を掛けると、妃奈は困った様な顔をして、チラリと黒澤に(とが)める様な視線を送って寄越(よこ)す。

「これは、馬子(まご)にも衣装…ってレベルじゃねぇな。良く似合うじゃねぇか、高橋妃奈」

ニヤニヤと笑う堂本組長に、妃奈は黙って頭を下げた。

「で…どうしたんです、親父?年賀の会には、まだまだ時間がありますが?」

「割り入って済まねぇな。なぁに、ちょっと報告したい事があって、早目に来たのょ」

「何でしょう?」

尋ねる堂本組長に、破顔の松浪組長が答える。

「そろそろ、(わし)も引退を考えててな…」

「親父!?」

「何を仰います、松浪組長!?組長には、まだまだ相談役として、堂本組を支えて頂かなくては‼」

森田組長も身を乗り出して、松浪組長に意見する。

「いゃ、だからな…堂本の相談役と、組をまとめる二足の草鞋(わらじ)が、ちょっとキツくなって来てな。まぁ、寄る年波には、逆らえねぇってこった」

ガハハと笑う松浪組長に、堂本組長は少しホッとした表情を浮かべた。

「なら、親父には相談役に(てっ)して頂いて、組は佐野に任せては如何です?」

(わし)もそう思ってな。組長の許しを貰いに来たのよ」

「私が反対すると、お思いですか?」

「いや…ウチは、かかぁとの間に子供も出来なかったしな。これを期に、佐野と養子縁組(ようしえんぐみ)して、組を任せ様と思ってる」

「それは、いい!」

「おめでとうございます、松浪組長」

上座(かみざ)の両側から、森田組長と聖社長が(そろ)って賛同する。

「ありがとうございます。これからも松浪組の為に、粉骨砕身(ふんこつさいしん)努めて参ります。今後共、宜しくお引き回しの程、お願い申し上げます」

上座に向かい、手を着いて頭を下げる佐野に、上座からそれぞれ祝辞が述べられた。

「それで…何故お前が、この様な場所に顔を出しているのだ!?」

森田組長が、冷ややかな視線を妃奈に送る。

「…申し訳ありません」

「いや、妃奈は…」

松浪組長が妃奈に代わって申し立てをしようとした時、上座から堂本組長の横槍(よこやり)が入った。

「丁度いい、高橋妃奈!お前に、確かめたい事がある」

「…何でしょう?」

「お前達が来る前にな…黒澤から、お前の生い立ちを聞いててな」

「……」

「9年前、黒澤が大阪に逃げるのを手助けしたっていうのは、本当か?」

「…父が…運送会社を紹介したと…記憶しています」

「黒澤の素性は、知ってたのか?何があって、逃げてたのか…」

「存じません。私が覚えているのは…黒澤さんが弁護士だという事と……宝箱の鍵を預かった事だけです」

「宝箱?」

(いぶか)しむ堂本組長に、黒澤が言葉を添える。

「貸金庫の鍵です。兄の手帳とUSBメモリースティックを納めた貸金庫の鍵を、私が妃奈に預けました」

「お前が持っていたのか!?」

森田組長の恫喝(どうかつ)に、妃奈は驚いた様に顔を強張らせ、黙って手を着いて頭を下げる。

「止めて下さい、森田組長!妃奈は、何も知らなかった…責任は、追っ手を()く為に、いたいけな子供を利用した、私にあります‼」

黒澤の弁明にも、森田組長は妃奈を追及する様な視線を送り続ける。

「黒澤が、鷹也(たかや)の手帳を直ぐに渡さなかったのは、手元に鍵がなかったからって事か…まぁ、いいじゃねぇか。黒澤は、無事に俺の元に届けた事だしな」

「……」

不機嫌な顔付きで頭を下げる森田組長は、再び妃奈に冷たい視線を送る。

「高橋妃奈」

「…はい」

「森田は、お前の事が気に入らねぇみてぇでな…黒澤とお前の結婚を、両手(もろて)を上げて賛成は出来ねぇと言うんだが…お前は、どうする?」

「……お許しが出る迄…お待ちします」

「許しが出なかったら?」

「堂本組長、それは…」

口を挟んだ黒澤に、堂本組長の怒号(どごう)が飛ぶ。

「黙ってろ、黒澤!お前に聞いてんじゃねぇ!」

「……」

「どうする、高橋妃奈?」

「……私は…黒澤さんと、息子の(そば)に居さえすれば、それでいいと考えております」

「それは、結婚出来なくてもいいって事か?」

「…別に…構いません。唯…」

「何だ?」

「息子だけは……黒澤さんの籍に入れて頂きたいと…思っているのですが…」

消え入りそうな小さな声で答える妃奈に、堂本組長はフンと頷いてチラリと森田組長と黒澤を見比べた。

「黒澤から聞いたが、男達に散々オモチャにされて、(ひど)い目に()って来たみてぇだな?」

「……」

「森田は、その話すら黒澤の作り話だと疑ってる」

「……」

「どうだ、その話が本当かどうか…この場で証明してみちゃあどうだ?」

「証明…ですか?」

「そうだ」

「……」

「簡単な事だ。この場で、お前の躰を見せてくれるだけでいい」

「堂本組長!?」

「組長、それは…」

黒澤や聖社長が声を上げる中、松浪組長が苦笑しながら手を振った。

「組長、それはいけねぇ。妃奈の躰の傷の事を言ってるんなら、ウチの忍が確認してる」

「松浪の親父も、ご覧になったんですか?」

「いや、(わし)は見ちゃいねぇが…」

言葉を濁す松浪組長の後ろで、固く手を握り俯く妃奈に、堂本組長は再び声を掛ける。

「お前が証明して見せたなら、俺が森田を説き伏せてやる。その代わり、黒澤の話が嘘だとすれば…それ相応の仕置きは覚悟しなくちゃなんねぇが…どうする、高橋妃奈?」

「…本当の事だと証明したら…黒澤さんに何も手出しをしないと、お約束頂けますか?」

「二言は、ねぇ」

堂本組長の言葉に、妃奈は硬い表情のまま立ち上がった。

「やめろ、妃奈ッ‼」

帯締(おびじ)めを解く妃奈に、黒澤の切羽詰まった声が刺さる。

「お前が、そんな事をする必要はない‼やめるんだ‼」

「……別に…構いはしません」

「妃奈!?」

「何の酔狂(すいきょう)で、私の汚い躰をご覧になりたいと仰るのか……どうせ、男達に好きにされて来た躰だから、今更出し惜しみ等するなと言う事なんでしょうが…」

「違う‼妃奈、やめるんだ!」

シュルシュルという衣擦(きぬず)れの音と共に、妃奈の足元に帯や着物が落ちて行く。

「…大きな勘違いを…していました。綺麗な振り袖を着せて頂いて…優しい言葉を頂いて……私も、人並みに…扱って頂けるのだと、自惚(うぬぼ)れておりましたが……やはり、地を()う虫けらが…人として扱われる訳は…なかったという事ですね…」

妃奈の乾いた声が座敷に響き、黒澤が妃奈を抱き隠そうとする腕を、彼女は振りほどいて肌襦袢(はだじゅばん)を脱ぎ去った。

褐色の、細いが均整の取れた裸体…その背中の、肩や腰に付けられた煙草による無数の火傷(やけど)

そして、背中全体に切り刻まれたナイフの(あと)と腹に残る真新しい手術痕の痛々しい紅…。

「…もう、いいでしょう…」

妃奈の前半身を庇いながら立っていた黒澤が、自分の脱いだ上着を妃奈に羽織らせると、堂本組長が静かに了解の意を示す。

妃奈はその場に崩れ落ち、着物をかき集めると部屋の隅にノロノロと移動した。

「…幾ら子持ちだからって、嫁入り前の娘に…(ひど)い仕打ちじゃねぇか?」

「まさか、本当に脱いじまうとはな…」

「組長が(あお)って、脱がせたんでしょう?」

(とが)める様な視線を送る松浪組長と聖社長に、堂本組長はバツが悪そうな顔をして頭を掻いた。

「だが、これで黒澤の話は本当だと確認が取れた。森田、お前も…」

「彼女が、どんな人生を送って来ようが、彼女の躰にどんな傷があろうが…私の考えを(くつがえ)す理由にはなりません!」

森田組長の言葉に、今度は堂本組長がうんざりした声を上げる。

「いい加減にしろよ、森田‼」

如何(いか)に組長の命令であっても、あの様な女…」

憎々しげに妃奈を睨み付ける森田組長は、(いたわ)る様に妃奈に付き添う黒澤に()える。

「何故だ、(しゅう)!?そんな傷だらけの、他人の手垢(てあか)まみれの女!お前の人生を懸ける価値が、どこにある!?」

「妃奈は、私の全てを懸けるに値する女性です!」

睨み合う親子に、松浪組長が静かに言った。

「森田……価値があれば、いいのか?」

「……」

「妃奈に価値があれば、お前は納得するんだな?」

「…こんな女に、価値など…その様な事…」

呟く森田組長を無視すると、松浪組長は堂本組長に向かって居住まいを正した。

「組長、さっきの話には続きがあってな…」

「さっきの話?」

「佐野を養子縁組(ようしえんぐみ)するって話だ。組の(あと)を任すには、佐野が松浪の籍に入るだけで十分なんだが……ウチの忍が、どうしても、もう1人籍に入れてぇって言ってな…」

「ほぅ、佐野に嫁を取らせるんで?」

「いや…佐野には、その気はねぇらしい。こいつには、蝶子ってお荷物があるからな」

照れた様に頭を下げる佐野に、堂本組長が微妙な眼差しを送る。

「忍がな…どうしても、妃奈を養女にしてぇって言ってな。今日は、その報告もあって、妃奈を連れて来たんだが…」

「何ですって!?」

「親父…そんな大事な事、早く仰って下さいよ!そしたら、あんな茶番(ちゃばん)をせずに済んだものを…」

部屋の隅でいつの間にか長襦袢(ながじゅばん)姿に着替えた妃奈は、皆の話が聞こえない様に黙々と着物を畳んでいた。

「妃奈、こっちに来い」

松浪組長の言葉に、妃奈は黙って頭を振った。

「いいから、こっちに来い」

「…旦那様…やはり私には…そんな資格はありません」

「そうだ!お前に、そんな資格はない‼」

妃奈の言葉に便乗する様に吐かれた森田組長の言葉に、松浪組長の怒号(どごう)が響く。

「森田…(わし)が誰と養子縁組しようが、お前ぇに内輪の話を兎や角言われる筋合いはねぇぞ!?」

「……申し訳ありません」

「妃奈は、ウチの養女になる娘だ。今後妃奈を愚弄(ぐろう)する様な言動は、この松浪寅一を愚弄(ぐろう)するのと同じ事…よぉく肝に命じとけ‼」

何も言わず頭を下げる森田組長を見詰め、ひたすら首を振る妃奈に、松浪組長の厳しい言葉が降りかかる。

「妃奈、決まった事だ!おめぇも、黙って従え‼」

「旦那様!?」

「組長…妃奈は、ウチの養女として黒澤に嫁がせる。構わねぇな? 」

「私に依存はありませんがね…」

チラリと森田組長を(うかが)う堂本組長の視線を追い、松浪組長が再び森田組長に声を掛ける。

「森田」

「…はい」

「これでも妃奈に、価値はねぇか?」

「……」

「松浪寅一の養女では、お前の息子の嫁に不足かと聞いている」

「…いえ…決して、その様な事は…」

「では、黒澤の嫁として妃奈を嫁がせる事に、不服はないな?」

「…はい」

「それは、両手(もろて)を上げて賛成していると受け取っていいな?」

「…はい」

2人の緊迫したやり取りに、皆が安堵の溜め息を吐いた時、震える声が座敷の隅から漏れた。

「……いけません…いけません、こんな事…」

「妃奈!?」

「どうしてですか?何故、こんな…こんな、強引な事…」

「妃奈、妃奈…皆が、お前の為を思って、して下さった事だ!」

「待つと…お許しが出る迄待つと、言ったではありませんか!?なのに、こんな強引な事…」

黒澤の言葉にそう(むせ)び泣く妃奈に皆の視線が集まった時、森田組長が低い声で吐き捨てた。

「…偽善者(ぎぜんしゃ)め!」

ピンと張り詰めた空気が座敷を包み、泣き続ける妃奈意外、誰もが固唾(かたず)を呑んだ。

「黒澤」

薄氷(はくひょう)均衡(きんこう)を破った堂本組長が、深い溜め息の後に言葉を紡ぐ。

「はいっ」

「お前には、森田の元を離れて貰う」

「…はい」

「お前の身柄は、聖に預ける。聖、いいな?」

御意(ぎょい)

「こいつには、しばらく組の事に関わらせるな…またぞろ告発文書なんか作られたら、(たま)んねぇからな」

「畏まりました」

唖然と見詰める黒澤に、堂本組長は厳しい眼差しを送る。

「黒澤」

「はい」

「お前を助けるのは、これっきりだ。三度目は、ねぇぞ…」

「肝に命じて!」

黒澤が深々と頭を下げるのを満足した様に頷くと、堂本組長は森田組長に視線を移した。

「…森田」

「はい」

「…お前、明日からしばらく、自宅で謹慎(きんしん)しとけ」

「…はい」

「その間の森田の世話は、高橋妃奈に任せる。これは、命令だ!いいな!?」

思いも寄らなかった命令に、全員が堂本組長を凝視(ぎょうし)した。

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