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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
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(64) 沙汰の場

悲観(ひかん)に暮れる妃奈に、松浪忍から電話があったのは、それからしばらくしての事だった。

「明けましておめでとう、妃奈」

「おめでとうございます、奥様」

「正月早々悪いんだけどね、ちょっと浅草迄来てくれるかい?」

「…本日で…ございますか?」

「そうだよ。ちょっと急ぎの用でね」

「…承知致しました。これから、お伺い致します」

どうやら、今日の黒澤との約束は守れそうにない…。

電話を切った妃奈は、嘆息(たんそく)して黒澤にメールを打った。

「どなたからのお電話ですか?」

栞が琥珀を遊ばせながら、妃奈に問い掛ける。

「松浪の奥様からでした。何か、急用だという事で…今から浅草に来て欲しいと…」

「あら、まぁ…じゃあ、坊っちゃんとのデートは、先送りですかねぇ?」

「…黒澤さんには、メールで事情をお伝えしました」

「そうですか…残念ですが、致し方ありませんね。琥珀君は、私がお預かりしますから、浅草に行ってらして下さいな」

「申し訳ありませんが、お願い致します」

妃奈はそう言って栞に頭を下げると、琥珀を抱き上げて目を合わせた。

「琥珀…母さんは、用事で出掛けます。栞叔母ちゃんと、お留守番出来ますね?」

「…かっかぁ?」

「ちゃんと、琥珀の所に帰って来ます。良い子で待っててくれますか?」

琥珀はじっと妃奈の目を見詰め、指をくわえて手を上げた。

「良い子ね、琥珀…」

妃奈は琥珀を抱き締めると、栞にお願いしますと小さな躰を預けた。

正月の来客の接待で、台所の(まかな)いが足りないのだろうか?

妃奈は、松浪の家で働いていた時と同じ様に黒のパンツに白いブラウスを着て、鞄の中に前掛けを突っ込むと、女中仲間から貰った色褪(いろあ)せたジャケットを羽織り、寒風吹きすさぶ表に出た。



「旦那様、奥様、明けましておめでとうございます」

「おめでとう、妃奈。寒かったろう?さぁ、こっちにお入りな」

松浪宅に到着した妃奈に、松浪寅一と忍が笑顔で座敷に招き入れた。

「琥珀は?連れて来なかったのかい?」

「はい。あの子が居ては、仕事の(さわ)りになりますので、置いて参りました。それで、私は何をお手伝いすれば宜しいでしょうか?」

持参した前掛けを着けながら、妃奈は忍に伺いを立てた。

「何言ってるんだい、妃奈?お前に手伝って貰う事なんて、ありゃしないよ」

「…ぇ?」

「やっぱり、何も聞いてないのかい?」

「……何をですか?」

怪訝(けげん)な表情を浮かべる妃奈に、松浪寅一と忍は顔を見合せて笑い出した。

「まぁ、いいよ…時間がないからね。直ぐに準備しなくちゃならないんだよ」

「…あの…奥様?」

「いいから、今日は何も言わずに、あたし達の言う通りにおし」

「……承知致しました」

嬉々とした忍に連れられ、忍の自室に入ると、部屋の中には所狭しと着物が広げられている。

忍は、妃奈を姿見の前に立たせると、手当たり次第に広げてある着物を妃奈に羽織らせた。

「…あ…あの…奥様?」

「やっぱり、赤が似合うね!う~ん、こっちの色味の明るい方が似合うかねぇ?…これは、柄が(うるさ)いね。妃奈には、襟元がスッキリした方が似合いそうだ」

十数枚もの着物を羽織らされた後、妃奈は長襦袢姿でドレッサーの前に座らされ、女中達総出で化粧を(ほどこ)され、髪を結い上げられる。

鏡の前で、どんどん変わって行く自分の姿に(おのの)きながら、妃奈は自分の爪にネイルをする女中に小声で尋ねた。

「一体、これは…どういう事なのか、ご存知ですか?」

「私もよくは知らないけど…何か、お祝い事みたいよ?」

「祝い事?にしても、何故私がこんな姿に?」

「さぁ?お正月だからじゃないの?成人式も近いし、晴れ着位着せてやろうって、旦那様と奥様の心遣いよ、きっと」

「…はぁ」

「いいんじゃない?今迄働いたご褒美(ほうび)だと思って、ありがたく受ければいいのよ!」

「…そういう物でしょうか?」

「あ…でも、この後、旦那様と出掛けるみたいよ?車の用意させてるみたいだし」

「……」

初詣(はつもうで)にでも、連れて行って下さるんじゃないかしら?」

いいわねぇと笑う女中達に世話をされ、鏡の中の妃奈は美しく変身して行った。



通された座敷には、霊峰(れいほう)富士を描いた掛軸に、松に南天、葉牡丹を()けた見事な生花が設えてあった。

この家は、古き良き日本の風習を大切にしているのだと、改めて思う…それは、極道(ごくどう)という生業(なりわい)が為せる(わざ)なのだろうが…。

雪見障子から見える庭には、昨夜降った雪が枯山水(かれさんすい)を彩り、庭に響く鹿威(ししおど)しの音が、ここが都会の真ん中である事を忘れさせた。

廊下の足音に居住まいを正し、揃って現れた紋付き袴の男達に頭を下げる。

「明けまして、おめでとうございます」

「おう、黒澤。どうだ、傷の具合は?」

「お陰様で、全快致しました。その節は、色々と…」

「堅苦しい挨拶はいい。この後、嫌という程聞かなきゃならねぇからな。それよりも…だ。例の物……持って来たんだろうな?」

黒澤は、懐から取り出した分厚い封筒とUSBメモリー、それにCD-ROMを自分の前に置いた。

上座右側、付け書院の前に座っていた聖社長が立ち上がり、それらの品物を上座中央に座る堂本組長の前に置くと、再び自分の席に戻る。

「書類は、これで全部か?」

「原本とコピーした書類が4通、これで全てです」

「こっちのUSBは?」

「インターネット拡散用に作ったデータです。内容は、書類とほぼ同じ物が入っています。そちらのCD-ROMの方には、あの日の会話を録音したデータが入っています」

「……コピー等、取っていないだろうな?」

上座左側、床の間の前に座った森田組長が、腕を組み黒澤を睨み付けた。

「ありません。これで、全てです」

黒紋付き袴の正装で居並ぶ極道(ごくどう)の威圧は、半端なく黒澤にプレッシャーを与える。

機嫌が悪いのは、森田組長だけで本当に良かったと、黒澤は心底思った。

「…黒澤」

「はい」

「お前の事務所の奴等は、この中の物…見てねぇだろうな?」

「それは、断言出来ます。お確かめ頂ければわかりますが、原本以外、全て二重封筒になっております。事務所の者達は、皆誰も、表の封筒も開封しておりません!」

黒澤の言葉に、聖社長が丹念に封筒を確認し、堂本組長に頷いた。

「…どうやら、本当の様だな」

「誓って、嘘は申しません」

「わかった。事務所の連中は、不問に処す」

「ありがとうございます!」

ホッと肩を落とした黒澤に、堂本組長は口端を上げた。

「だが…お前には、きっちり(つぐな)ってもらうぞ」

「はい」

「玉取られても、文句は言わせねぇ」

「覚悟は、出来ております」

顔を強張らせながら答える黒澤に、堂本組長がニヤリと笑う。

「何だ、短い間でも新婚生活を満喫したか?」

「…いえ。妃奈とは未だ、籍を入れておりません」

「何だ…まだ、揉めてんのか?」

堂本組長が眉を寄せて隣に視線を送ると、森田組長がわざとらしい咳払いを返す。

「人聞きの悪い事を言う物ではない、黒澤」

「お前が反対してんだろう、森田?」

「いえ。私は、黒澤に好きにして構わないと伝えております」

(いぶか)しむ様に眉を寄せる堂本組長に、黒澤は言葉を添えた。

「お陰様で、長年誤解していた父と和解が出来ました。息子の事も孫だと認めて頂きましたが、妃奈の事には…立場上、これ以上譲歩(じょうほ)は出来ないそうです」

「ふ~ん、いいじゃねぇか。反対してる訳でもなし」

「しかし…それでは、妃奈が納得しないのです。父の賛同を得られる迄、婚姻は出来ないの一点張りで…」

「……」

口をへの字に曲げる堂本組長に頭を下げると、黒澤は森田組長に視線を移した。

「…親父…妃奈は、琥珀だけを籍に入れれば、自分は栞と同じ様な立場で子供を見守って行けると、本気で考えている」

「…何?」

「子供の祝い事にしても…親父が参加する行事には、今後も自分は裏方に徹すると言った。親父と俺と琥珀…家族である3人に、水を差す様な事は出来ないと言ったんだ」

「……」

「今迄の人生を恥じ、(いず)れ俺や琥珀に(うと)まれて、俺との結婚が破綻(はたん)すると(おび)えている…そう思い込ませたのは、親父だろう?」

「…間違いでは、ないだろう」

「確かに妃奈は、精神的に未熟だ。だがそれも、幼い頃に両親を奪う様な目に合わせた、俺達の責任だと思わないか!?」

「…どういう事だ、森田?」

眉を寄せて尋ねる堂本組長に、森田組長は無表情に頭を下げる。

「正月早々、組長のお耳を汚す様な話ではありません」

「それは、俺が判断する事だ。黒澤、洗いざらい話せ」

「組長!?」

「黙ってろ、森田‼」

堂本組長の恫喝(どうかつ)に森田組長が眉を寄せて口をつぐむと、黒澤は居住まいを正し堂本組長と向き合った。

「妃奈は…黒澤の父と兄の亡くなった事件の被害者です」

「何だと!?そんな報告、受けてねぇぞ!?堅気(かたぎ)()き込んだのか!」

黒澤は、全てを話した。

森田組長の命令で、兄が堂本組内を調べていた時に判明した、新宿署組織対策課長であった毛利剛の押収品横流しの不正。

それを兄が、検察に告発しようとしていた事が毛利にばれ、手下の菱川組に父と兄を殺され、自宅を燃やされ、目撃した黒澤自身も命を狙われた事。

逃亡途中に妃奈と妃奈の両親に助けられ、自分が大阪に逃げる手助けをして貰った事。

自分を追って来た毛利が、妃奈の両親を拷問して殺害し、妃奈を脅した事で彼女は記憶と声を失い、白髪になった事。

養護施設から養育里親に引き取られた妃奈の過酷(かこく)な生活、そして里親宅で一緒に育った茂木良介に強姦され妊娠、中絶をした事。

その後、妃奈の命を狙い茂木良介が放火をした事、里親に生命保険を掛けられ里親宅を飛び出した経緯(けいい)

家を飛び出しホームレスをしながらも、茂木良介の兄である西堀善吉の借金の為に、毛利剛の息子である坂上恭に身を任せる事を強いられ、流産を繰返して来た事。

躰を奪われながら、クスリの治験体にされ、坂上恭に煙草やナイフで傷付けられて来た事。

交通事故で黒澤と再会し引き取りはしたが、記憶を無くし人間不振になっていた妃奈は、死ぬ事ばかりを望み、なかなか心を開かなかった事。

遺産を狙う親戚の出現、妃奈を取り戻そうとする坂上恭の存在、西堀善吉が殺害され妃奈に容疑が掛かり逮捕され、毛利剛の策略で冤罪(えんざい)被害者にされそうだった事。

そんな中で少しずつ黒澤と心を通わせ、妃奈と婚約した事。

西堀善吉から送られて来たライターを手掛かりに、妃奈は茂木良介に自首を勧める為に会いに行き、待ち構えていた坂上恭に拉致(らち)されて凌辱(りょうじょく)されてしまった事。

毛利剛に呼び出され、兄のデータを餌に人質の妃奈を取り戻そうとする中で、妃奈の命を狙う毛利剛と菱川正己は逮捕され、妃奈の命を守ろうとして息子の坂上恭が目の前で命を落とした事。

ようやく落ち着いて生活をしようとしていた矢先に湧き起こった、黒澤と嶋祢蝶子との結婚話。

森田組長に説得され、妃奈は黒澤の為を思い出奔(しゅっぽん)した事。

そこに出くわした親族に命を狙われ、奥多摩の山中で崖から落とされたが、九死に一生を得た事。

山中で独り生活をする内に、黒澤の子供を宿している事がわかった事。

釣りに来て怪我をしていた松浪組長を助け、それが縁で松浪組の世話になり、子供を産み育てていた事。

黒澤の事務所の人間が松浪組で働く妃奈を見付け、彼女の遺産を相続させる為に事務所に呼び寄せた時、再び妃奈親子は親族に命を狙われた事。

尋ねて来た嶋祢蝶子と森田組長に罵倒(ばとう)され、森田組長が翌日琥珀を誘拐する暴挙(ぼうきょ)に出た事、その後の堂本組長宅での出来事。

撃たれた黒澤が死んだと思い込み、連城弁護士に息子の里親探しと土地の管理を頼み、入院していた病院で自分で精神を壊そうてしていたが、寸での所で連れ戻す事が出来た事。

黒澤と琥珀の為に黒澤の家に戻ったが、父親である森田組長の事を(おもんぱか)り、妃奈は籍を入れる事を了承(りょうしょう)しない事。

「……壮絶な人生だな」

「妃奈は度重なる不幸に見舞われ、自らの感情に蓋をして生きて来ました。『喜び』や『楽しみ』という感情を知らず、過去の生活を恥じ、自分には幸せになる資格がないと思っています」

「……」

「少しずつ教えて来たんです。世の中の(ことわり)も、人の温もりも…。己の身を(てい)して相手を守る事が、人を愛する形だと思い込んでいる妃奈は、私と琥珀…そして、血の繋がる森田組長の幸せだけを望む、(いびつ)な愛情表現しか示せないんです!」

大きく息を吐く堂本組長に、隣の森田組長が眉を潜めて意見する。

「…いけません、組長」

「何がだ?」

「堂本の(かしら)ともあろうお方が、情に流される様な事…あってはならない事です!」

「…お前は、知ってたのか…森田?」

「……ある程度は」

「あの時、お前に組の内情と勢力図を調べろと命令したのは、俺だ」

「しかし、黒澤鷹也が死んだ直接の原因は、毛利剛の事を勝手に追い詰めた結果です!組長の責任ではありません‼()してや、高橋妃奈の両親の殺害に関しては、組長とは何も関係のない事件です!」

「それでもな、森田……あの女の家族が、お前の息子を助けて亡くなった事には、変わりないだろう?」

「…それは…」

「覚えてるか、森田?俺が子供の頃、陽子の墓で誓った事…」

哀しげな笑みを浮かべて此方(こちら)を窺う堂本組長を、森田組長は沈痛な面持ちで(いさ)めた。

「…だから、組長には…お知らせしなかったのです。貴方は、あの頃の様に純粋なままだ。その様な世迷い言に、いつまでも(とら)われていては…」

「ひでぇ事言うなよ」

「…申し訳ありません」

「40をとうに越えた親父だぞ?しかも、お前に育てられた堂本の(かしら)だ。俺が甘いのは、家族に対してと、組の為に必要な時と…陽子にだけだ」

「……」

「わかってんだろ?俺にとって、陽子は別格なんだ」

そう(さと)す様に言葉を掛ける堂本組長に対し、森田組長は手を着いて深々と頭を下げる。

「それでも、私の立場では…これ以上折れる訳には参りません」

「…森田」

如何(いか)に息子の恩人の娘であれ、嶋祢会長と蝶子お嬢さんにしでかした失態と、松浪組長や堂本組に掛けたご迷惑を考えると……堂本の若頭としては、息子とあの女が1つ屋根の下で暮らす等、不届き千万!」

「…お前」

「先程黒澤が話した、あの女の身の上話にしても、どこまで信用してよいやら」

「俺が、この場に至って嘘を並べると言うのか!?」

黒澤の叫び声に、森田組長が冷ややかな視線を送る。

「あの女の為ならば、お前は嘘八百を並べる位、造作もない事だろう‼」

「親父!?」

「……孫の事を認めただけでも…私には最大限の譲歩(じょうほ)なのです!ご理解下さい、組長‼」

「……面倒くせぇな、全く」

平身低頭(へいしんていとう)する森田組長に、堂本組長がうんざりした声を上げた時だった。

「組長、失礼致します」

「おぅ、何だ?」

「松浪組長が、おみえになりました。こちらの座敷にお通し頂きたいとの事ですが…」

「松浪の親父が?……わかった。通せ」

程無くして座敷に現れた松浪組長の後ろに続き、同じ様に黒紋付き袴姿の佐野と、(あで)やかな振り袖姿の妃奈が緊張した面持ちで現れた。

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