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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
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(59) 精神科病棟

鷹栖総合病院別館、精神科病棟…本館から渡り廊下を抜け、度々(たびたび)武蔵医師の部屋に訪れてはいたが、精神科外来受付の先にある入院施設に入るのは初めてだ。

鍵を開けて入れられた閉鎖病棟(へいさびょうとう)の、一般病棟と異なる雰囲気に、黒澤は身を引き締めていた。

明るく開放感のあるデイルームに置かれたテーブルには、患者や介護士が座り、ある者は楽しげに、ある者は深刻そうに会話をしている。

壁際に並べられた椅子に大量の本を積み上げて読む者、床にトランプを意味無く並べる者…。

「このデイルームは食堂も兼ねていて、日中はここか、和室である談話室で皆さん過ごされる事が多いんですよ」

入院の下見と思われたのか、看護師がにこやかに案内する。

「…ここには、重篤(じゅうとく)患者が収容されているんですか?」

「全員という訳ではありません。ですが、開放病棟よりも沢山の患者さんが入院されています。何故だか、わかりますか?」

「…いえ」

「比較的自由に生活出来る開放病棟だと、そこを家だと認識して…居着いてしまう患者さんが多いんです。閉鎖病棟(へいさびょうとう)だと、先程の入口より外には、医師の許可が無ければ出る事は出来ません。生活も規則正しく、自室に持ち込む物も制限されています。ある程度の規制の中で生活された方が、早く退院出来る場合が多い事も事実なんですよ」

「成る程」

ナースステーションに案内された黒澤に、中に居た武蔵医師が手を上げて微笑んだ。

「いらっしゃい、黒澤さん。お久し振りです」

「ご無沙汰致しております」

「怪我は?もう、大丈夫なんですか?」

「お蔭様で、何とか。高橋医院の方に、度々(たびたび)ご連絡を頂いていた様で…」

「出来れば、こっちに転院して貰いたかったんだけど…けんもほろろに断られましたよ」

苦笑いする武蔵医師に頭を下げながら、黒澤は眉根(まゆね)を寄せて問い掛ける。

「…それで、妃奈は?」

「連城から、話は聞いてますか?」

「えぇ…私が死んだと思い込んで、琥珀の里親を探して欲しいと依頼したそうですね?」

「どれだけ説明しても、信じて貰えなくてね。一刻も早く、黒澤さんと会って安心して欲しかったんだけどね…」

「…申し訳ありません。術後の炎症が中々引かなくて…思いの外、入院生活が長引いてしまいました」

「聞いてますよ。もう、平気なんですか?」

「えぇ…万全の状態で退院しましたので」

武蔵医師は、安堵(あんど)した様に柔らかな笑みを向けた。

「高橋さんの手術も、無事に成功しました。多分内科の担当医から、後程詳しい説明があると思いますが、(ひど)い胃潰瘍だったそうで、胃の1/3を切除したと聞いています」

「術後の経過は?妃奈は、ちゃんと治療を受けていますか?」

予想通り、武蔵医師は苦い顔で首を振った。

「それが、相変わらず治療を…」

そう廊下を歩きながら話していた武蔵医師が、突き当たりのドアを開けた途端、辺りに響き渡る叫び声や激しく病室の扉を叩く音に、黒澤は思わず足を止めた。

「あぁ、騒がしい時に当たってしまった様ですね。大丈夫、スタッフが対応していますから」

「はぁ…」

「ここは、特に症状の(ひど)い方が入っていましてね。病室と廊下を挟んで反対側は、保護室(ほごしつ)になるんですよ」

そう言って武蔵医師はポケットから鍵を取り出し、『第2保護室』と書かれた金属製の扉に差し込んだ。

「…ここに妃奈が!?そんなに、(ひど)いんですか!?」

「いえ。彼女がここに入っているのは、また別の理由でね。…どうぞ」

そう(うなが)されて入った病室は、(ひど)く殺風景なものだった。

部屋の中には何もない…普段敷かれているのであろう畳は、剥がされて壁に立て掛けてある。

鉄格子の()まる小さな窓が、部屋の高い位置にあり、仕切りの向こうにはポータブルのトイレが置いてあった。

ベッドの枕元には様々な計測をするのであろう機械が置かれ、無数のコードが伸びている。

そして、部屋の中央に置かれたベッドには、太いベルトでベッドに縛り付けられ、首から下を包帯でぐるぐる巻きにされた妃奈が横たわっていたのだ。

「…これは…これは、一体どういう事ですか!?」

「落ち着いて下さい、黒澤さん…これは、高橋さんの安全の為にしているんですよ」

「安全の為?」

「彼女には、相変わらず治療を受けて貰えなかったんです。何度も暴れて自傷行為(じしょうこうい)が治まらないので、この部屋に入って貰いました。ここなら、24時間モニターで監視が出来るのでね。ベッドと包帯で拘束しているのは、点滴の針を抜かない為の措置(そち)なんです」

「しかし!?」

「食事も治療も(こば)む、彼女を守る延命処置(えんめいしょち)だったんです。ご理解下さい」

「……」

「ですが、躰の自由を奪われた高橋さんは…今度は、自分の精神を壊しに掛かった。彼女の症状では、抗うつ剤を与える訳にも行かず、栄養剤と鎮静剤、抗生物質を点滴している状態です」

「…相変わらず、死ぬ事を考えているんですね」

「誰かの言葉に、囚われた様ですね。心当たりがありますか?」

「…えぇ」

「何にせよ、貴方の存在を確認させて、安心させて上げて下さい」

「確認?」

(いぶか)しむ黒澤に、武蔵医師は苦い表情を見せた。

「普段はああしてぼんやりと過ごしていますが、時として手が付けられない程に暴れます。人を拒絶するのも、以前より(ひど)くなっていましてね…僕の事もわからない様で、誰も寄せ付けないんです。すぐに貴方だとわかればいいが…」

「…拘束(こうそく)を…解いてやっても構いませんか?」

「えぇ。唯、点滴や心電図等のモニターケーブルは外さないで下さい」

「承知しました」

黒澤の返事に頷くと、武蔵医師はにこやかな笑顔を見せた。

「それでは、僕はモニターで経過を見ていますので。何かあったら、カメラに向かって声を掛けて下さい」

そう言って、武蔵医師は保護室(ほごしつ)を退室した。



保護室(ほごしつ)の中で会話していたのにも関わらず、妃奈は武蔵医師と黒澤の方に視線を寄越(よこ)す事は一度もなかった。

ぼんやりと光の差し込む窓を眺める妃奈のベッドサイドに黒澤が立った時、彼女は初めて眉を寄せて身動(みじろ)ぎ、警戒の色を表す。

「…妃奈」

黒澤が呼び掛けても彼女は反応せず、(まま)ならない躰をよじって黒澤から逃げ様とした。

黒澤は、ベッドに縛り付けている太い皮ベルトを外し、ベッドのハンドルを回して上半身を起こしてやると、妃奈の耳元で落ち着いた声音で話し掛ける。

「妃奈…妃奈、よく聞きなさい。今から包帯を解くから、大人しくするんだ…いいな?」

「……」

「点滴の針も、躰に付けられたコードも取らないと約束出来るか?」

「……」

何も答えず視線も合わせず、俯き瞳を泳がせながら身を強張らせる妃奈の躰から、黒澤はゆっくりと包帯を取ってやった。

しかし、腕が自由になった途端、妃奈は腕に刺さった針を抜こうとする。

「駄目だ、妃奈!」

妃奈の腕を取り、その躰を抱き締めると、彼女は言葉にならない叫び声を上げて黒澤の腕の中で暴れた。

たったの20日程度で…人は、こうも壊れてしまうものなのか…!?

(けもの)の様に()えて暴れる妃奈の躰は、まるで枯れ木の様で…風呂にも入れなかったのか、撫でてやる髪はベタつき、躰からはすえた臭いとアンモニア臭が漂っている。

「落ち着け、妃奈…怖がらなくていい…」

「うあぁぁっ!あぁぁっ!」

「妃奈、俺だ…(しゅう)だ、黒澤鷲だ!わからないか?」

「いやぁぁっ!あぁぁっ!」

腕から逃れ様と暴れる妃奈を抱き込んで、黒澤は妃奈の髪や背中を撫でてやる。

「妃奈…妃奈…心配させて悪かった。俺は無事だ!ちゃんと生きてる!だからお前も、ちゃんと生きろ!!」

「やっ!やあっ!!」

「……Princess(プリンセス) Amber(アンバー)…」

その呼び掛けに、腕の中の躰がビクンと跳ねる。

「…Princess(プリンセス) Amber(アンバー)…今度こそ、お前を迎えに来たんだ!ちゃんと治療して、早く良くなれ…琥珀も待ってる」

黒澤はそう言ってネクタイのノットを(ゆる)めると、首から下げていたチェーンを外し、妃奈の首に掛けてやる。

そして、先に下がる鍵束を妃奈の手に握らせた。

「お前の鍵だ。俺達の家の鍵だ、妃奈」

「……」

妃奈は黙って胸の鍵を握り締め、先程とは打って変わり、大人しく黒澤の腕に収まった。

「良い子だ、妃奈…早く良くなれ…」

そう言って撫でられる程に彼女の躰から力が抜け、妃奈は黒澤の胸に頬を寄せて静かな寝息を立てた。

暴れる事もなくなり、点滴も大人しく受ける様になった妃奈が、以前入院していた特別室に移ったのは、それから1週間後の事だった。

精神科病棟の他の患者が立てる物音や叫び声に、妃奈が過敏(かびん)に反応し(おび)える事と、頻繁(ひんぱん)に訪れる黒澤への病院側の配慮だったのかもしれない。

以前の様に畳を敷き詰めた病室で、妃奈は胸の鍵を握り締め、一日中ボンヤリと過ごしている。

唯、黒澤に対しての態度は、以前と変わってしまったのだ。

手を伸ばしても逃げ惑い、畳に手を着いて額を擦り付ける。

声を発する事のない口からは、吐かれる息と共に(かす)れた音で謝罪が繰り返され、涙に暮れるのだ。

「お前が謝る必要なんてないんだ、妃奈」

「……」

どれだけ(なだ)めても妃奈は謝罪を繰り返し、黒澤の腕を(こば)み続けた。

無理に腕に閉じ込め様とすると、身を強張らせて震え上がる。

「責任を感じているんだと思います」

「妃奈が悪い訳ではありません!!」

「それでも貴方が撃たれ、命の危険に(さら)した事を、彼女自身が許せないのでしょうね」

深い溜め息と共に言葉を連ねる武蔵医師に、黒澤は反論する事が出来なかった。

「見舞いに来られる方々に対しても、謝罪し続けている様ですね?」

「えぇ…私の事務所の人間なので…」

折角(せっかく)手術した潰瘍(かいよう)が、再発しなければいいんですが…しばらく、面会謝絶にした方が良いかもしれませんね」

「先生!?それではこの前の様に、妃奈は自分自身を追い込む事になりませんか!?」

「まぁ、それはそうなんですが…」

「無理矢理にでも納得させないと、妃奈は家に帰る事が出来なくなってしまう!!」

「黒澤さん、余り強引に事を運ばない方が…」

「先生も聞いたんですよね!?妃奈は、私や琥珀から離れた方が良いと思い込んでいる!!自分は死ななければならないと思い込んでいる!!」

「……」

「冗談じゃない!!私は、二度と妃奈を手放しませんよ!彼女が(おび)え様が、怖がろうが、絶対に離しません!!」

黒澤の剣幕に、武蔵医師は嘆息(たんそく)して言った。

「わかりました。(ただ)し、今は高橋さんに落ち着いて貰いましょう。3日…いや、5日間面会を控えて下さい」

「先生!?」

「大丈夫です。少し落ち着いて、治療に専念させて上げましょう」

「……」

押し黙る黒澤に、武蔵医師が人懐っこい笑顔を向ける。

「そうだ、黒澤さん…高橋さんは、以前携帯電話を持っていたんですよね?」

「…えぇ」

「又、彼女に持たせて上げて貰えませんか?少しでも意思の疎通(そつう)が出来れば、黒澤さんも安心でしょう?」

「…以前持たせていた携帯を保管してあります。今日中に手続きをして持って来ますが…」

「何か?」

「いぇ…妃奈は…以前から、必要最低限の事しか返信して来ないので…」

そう(つぶや)く黒澤に、武蔵医師がニコニコと笑い掛けた。

「今は、違うかもしれませんよ?」

「…ぇ?」

「彼女は、今…声が出せない状態ですらね。謝罪も含めて、話したい事が沢山あるんじゃないでしょうか?」

「……」

「しばらくは、高橋さんと遠距離恋愛(よろ)しく、文通なさって下さい」

武蔵医師の言葉に従い、黒澤はその日の内に保管していた妃奈の携帯を再手続きし、病室に差し入れた。


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