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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
58/80

(58) 妃奈と連城

鷹栖総合病院精神科の隔離室(かくりしつ)の中で、妃奈は全身に包帯を巻かれ、太いベルトでベッドに縛り付けられていた。

ありえない痛みに目が覚めた時、妃奈の目に映ったのは、無機質(むきしつ)な病室の白い天井と壁、そして枕元に置かれた機械と点滴台…。

何故病院なんかに…ぼんやりとした頭が覚醒(かくせい)すると、妃奈の頭には例え様もない後悔と悲しみで満たされた。

あらん限りの声を張り上げ、点滴台を()ぎ倒し、自分の腕から針を(むし)り取ると、駆け付けた看護師達が妃奈の躰を押さえ付け、注射を打つ。

そんな事が何度か繰り返され、目が覚めた時には芋虫の様な姿でベッドに縛り付けられ、点滴を入れられていたのだ。

何とか自由になろうともがく妃奈の目に、部屋の金属製の扉をゆっくりと開けて入って来る男達が映る。

「気が付いたかい、高橋さん?」

白衣の男性が声を掛ける。

「久し振りの再会なのに、のっけからこんな扱いで申し訳ないね」

「…又、私の躰を…勝手に切り刻んだんですか!?」

「高橋さん…」

「縛り付けて薬漬けにして…どういう積りですか、武蔵先生!?」

「手術は、緊急処置だったんだ。あのままじゃ、君は確実に命を失っていた」

「勝手な事しないで!!」

自由にならない手足に歯噛(はが)みしながら、妃奈は鷹栖武蔵と弁護士だと言っていた連城仁を睨み付けた。

「貴女は、まだ死にたいと思っているんですか?」

「当たり前でしょう!!」

連城の質問に、妃奈はハッキリと答え涙を流す。

「だって、もう…あの人は…居ないのに…」

「ぇ……いや、違うよ、高橋さん!彼は生きている!」

「嘘!!」

「本当だよ!黒澤さんは、生きている」

「嘘です!だって、シュウは…私の腕の中で死んだもの!!」

「高橋さん…」

「私を(かば)って…あの女性(ひと)に撃たれた…貴方だって見た筈です!!」

妃奈の視線と言葉に、武蔵医師がギョッとして隣の連城を見た。

「本当か、連城?」

「えぇ」

「あの人の躰から、血が沢山流れて…私の腕の中で……こんな筈じゃなかった…あの人を守る為に…守る為に、あそこに行ったのに!!」

「高橋さん、落ち着いて話をしよう。黒澤さんは、無事だよ」

「嘘っ!!」

「本当だよ。確かに怪我をされたそうだけど、無事に手術も終わったと聞いている。大丈夫だよ」

「……武蔵先生は…そう言って、私に又治療させようとしてるだけでしょう!?」

「違うよ、本当に彼は…」

「信じない!!もう、誰にも(だま)されたりしないっ!!」

「……」

「…この包帯を解いて下さい…点滴なんかしないで……治療しても、私には払うお金なんてありません」

「貴女は、身勝手な女性(ひと)ですね」

妃奈に向かって発せられる、怒りをはらんだよく響くバリトン。

「……」

「貴女は、母親の癖に…自分の事しか考えていないのですか?」

「…母親って…高橋さん、お子さんが居るのかい?」

驚いた顔をする武蔵医師が、妃奈と連城の顔を見比べる中、連城は冷たい表情で言葉を続ける。

「先日の堂本邸でもそうでしたが…貴女は、何故そうも簡単に子供を捨てる事が出来るんですか?」

「…捨てる…貴方には、そう見えるのかもしれませんが……私と一緒に居ても、あの子は幸せにはなれないんです!子供の幸せの為に…それが一番良い方法なんです!!」

「誰かに、そう言われたのかな?」

「…それは…」

武蔵医師の質問に妃奈が眉を寄せ口籠る中、連城の不機嫌なバリトンが再び響いた。

「貴女の息子は、不幸だ」

「連城!」

「どんな事があろうと…親に捨てられた子供が、幸せな筈がない!」

「何も…何も知らない癖に!勝手な事を言わないで!!」

「……」

「私は…私は、琥珀の幸せしか考えてない!!今となっては、琥珀の幸せだけが…」

何も言わずに妃奈を睨む連城に、妃奈は涙を流しながらもキツい目で睨み返した。

「貴方は弁護士で、私の代理人だと言いましたね?」

「…そうです」

「なら、何故あの時…あの女性(ひと)(あお)る様な事を言ったんです!?」

「…貴女の利益を守る為に」

「何故あの女性(ひと)を責めたんです!?」

「貴女を守る為に」

「そんな事、誰も頼んでない!!」

もがきながら叫ぶ妃奈の腕から繋がれた点滴台が、ガチャガチャと音を立てる。

「私が死ねば済む話だった!!あの土地を渡してしまえば済む話だった!!」

「……」

「あの女性(ひと)は、愛されたかっただけなのに…それが叶わぬ恋だっただけなのに……貴方は責めた!その結果、シュウは撃たれて死んだわ!!」

「……」

「私は、貴方を許さない…絶対に!!」

「……私に、どうしろと仰るのです?謝罪しろと?」

「そんな事…どうでもいい…」

「では、どうしろと?」

連城の静かな声に、妃奈はフゥと一息着くとゆっくりと視線を天井に向けた。

「…私を自由にして」

「ベッドからという意味なら、君がちゃんと治療を受けてくれるなら…」

「治療は受けない。私は、退院します…その自由を、病院と交渉して下さい」

武蔵医師の声を遮る様に吐かれた妃奈の言葉に、連城は溜め息を吐いた。

「私は貴女の弁護士である以前に、鷹栖総合病院の顧問弁護士(こもんべんごし)です。貴女をこの状態のまま退院させるのは、病院の倫理観(りんりかん)に反する。よって、この依頼は受けかねます」

ホッと胸を撫で下ろす武蔵医師と対照的に、妃奈は落胆(らくたん)した様な溜め息を吐いた。

「…自分の命さえ(まま)ならないなんて…なんて…」

「役立たずの弁護士で申し訳ない」

連城の言葉に妃奈が(あざけ)る様な息を吐くと、彼は再び尋ねた。

「他に、何かありますか?」

「……琥珀の…」

「お子さんの?」

「…琥珀の里親を…探して下さい…」

「高橋さん!?」

武蔵医師の呼び掛けを無視して、妃奈はポツリポツリと言葉を紡ぐ。

「…優しく…あの子を(いつく)しんで下さる方を……琥珀が幸せになれる様な里親を…探してやって下さい」

「…わかりました」

「連城!?」

「…それと…あの土地の管理を……あの子にとって、一番良い様に……琥珀の命が…危険に(さら)されない様に……お願いします」

全身に拡がる痛みが(しび)れに変わり、意識が朦朧(もうろう)とするのに(あらが)いながら、妃奈は連城に視線を送った。

「承知しました」

「……良かっ…た…」

そう言って、妃奈はホゥと溜め息を吐いた。

「……先生……本当に、もう…治療は…」

「駄目だよ、高橋さん…君の大切な人は、僕が必ず連れて来る!だから、頑張って生きるんだ!」

武蔵医師の言葉に答える事なく、天井に視線を向けた妃奈の(まなじり)から涙が零れ落ちる。

「……シュウ…」

そう一言呟くと、妃奈は(まぶた)を閉じた。



「…不愉快ですね」

武蔵の部屋のソファーに座るなり、連城が眉間に皺を寄せて苦言を吐く。

「俺には、理解が出来ない!」

高校の水泳部の後輩である連城に、()れたての珈琲を注いだカップを渡しながら、武蔵は苦笑いを浮かべた。

「…子供の事か?」

「何故子供を(のこ)して、平気で死のうなんて考えるんです!?」

「まぁ、そう言ってやるなよ。彼女は、病気なんだ…だから、入院してる。それより、何があったか話してくれ」

弁護士という職業であるにも関わらず、連城が高橋妃奈の言葉に過剰反応するのは、彼自身が施設で育った生い立ちがあるせいだろう。

そして、連城の最愛の妻である椿は、自身の血脈(けつみゃく)を恐れて自ら子供が産めない様に手術をしている。

自分達が、どんなに望んでも手に入れる事が出来ない子供を、あっさりと手離そうとする高橋妃奈の事が許せないのだ。

連城の掻い摘んだ説明を聞いた武蔵は、珈琲を継ぎ足しながら静かに尋ねた。

「お前は、会ったのか?」

「子供ですか?…チラッとだけです」

「どんな子供だった?」

「普通の赤ん坊ですよ。もうすぐ1歳だそうですが、もうヨタヨタ歩いてました」

「…元気そうな子供だったか?」

「えぇ…まぁ…」

「彼女が、手塩にかけて育てて来たんだろうな」

武蔵の言葉に、連城は口をへの字に曲げる。

「だったら、何故子供を捨て様だなんてするんです!?」

「誰かに言われたんだな…多分」

「……」

「高橋さんは、椿ちゃんと同じ…回避性パーソナリティ障害、APDなんだ」

「誰かの言葉に、(とら)われたというんですか?だが、それにしたって…」

「連城、自分達の立場に置き換えてはいけないんだ。わかるか?」

「…ぇ?」

「辛い経験をして来たのは、彼女も同じだ」

「そんな事はわかってますよ、先輩。彼女は虐待(ぎゃくたい)を受け、ホームレスだった為に人を信用しない。それに、記憶を失っていたというんでしょう?しかし、過去の記憶は取り戻したと聞きましたが?」

「…記憶を取り戻したからといって、感情を取り戻した訳ではないんだ。彼女が死のうとする事も、子供を手離そうとする事も、彼女の愛情表現なんだよ」

「あれですか?感情に歪みが生じているという…喜びや楽しみ、愛情という感情を理解しきれない部分があると?だが、そんな…」

反論する連城を、武蔵は手を上げて止めた。

「彼女にとっての愛情とは、その対象者を守る事なんだよ、連城」

「…そんな事は…当たり前でしょう?」

「だが、それ以外を知らないんだ」

「…は?」

「愛する者を守る…命懸けで守る。彼女は、それしか人を愛する方法を知らない。そして、愛される方法を知らないんだ…」

「…黒澤さんに対しても…ですか?」

「そうだよ」

「……」

「まだ、何もわかっていない…やっと人の愛情をわかりかけた所だったんだ。黒澤さんの優しさに触れて、やっと彼を信じて愛し始めた。でも、その方法は(ひど)くぎこちなくてね…」

「彼女は、昔の記憶を…実の親の記憶を思い出したんですよね?」

「あぁ、事実としての記憶は取り戻した。だが、本の中の出来事の様に、実感のない記憶だったそうだ」

「親から受けた愛情は…」

「覚えていない。そういう意味では、お前と同じじゃないか、連城?」

「……」

「これ迄彼女が愛情を向けて来たのは、養育里親だった父親と、君も事件に関与した兄の西堀善吉だけだ。養父にも兄にも、彼女は恩を返したいと躰を張って来た。兄の借金の為には、売春行為を甘んじて受け入れてただろう?」

「…父親には、どんな?」

「彼女には、養母から1億の生命保険が掛けられていたそうだ。火事で怪我を負った養父や一緒に育った兄、そして里親宅の娘の学費の為に…彼女は、ずっと自分は死ななければならないと思いながら、ホームレス生活をしていたんだ」

「……」

「黒澤さんが引き取ってからも、入院している時も、あんなに(ひど)い目に()わされていた西堀善吉の事を、ずっと心配していた。そして養父の為に、死ななければいけないから治療はするなと叫び続けて来たんだ。愛情を示す対象者に対して、彼女はどこまでも優しくなれる。彼女が黒澤さんの幸せを望むと言ったのは、そういう事だよ。以前ここでの治療を承諾(しょうだく)したのは、黒澤さんが彼女に懇願(こんがん)したからだ」

「……」

「まだ納得しないか?」

不機嫌な顔をする連城に、武蔵は苦笑いを向けた。

「大体、彼女が子供を愛していない訳がないんだよ」

「何故です?」

「わからないか?何度も身を汚されて、何度も流産を繰り返して来た彼女が、黒澤さんの元を飛び出して、たった1人で産み育てて来たんだろう?並みの決心と想いがなければ、絶対にあり得ないよ。それは一重(ひとえ)に、その子供が愛する黒澤さんの子供だったからだ」

「……」

「確かに(いびつ)な愛情だが、彼女の愛情は本物だ。…だから、怖いんだけどね」

「どういう事です?」

「APDだと言っただろう?どれだけ説明しても、黒澤さんが死んだと思い込んでいる。だから、子供を里子になんて考えるんだ。それに彼女は、自己嫌悪(じこけんお)が著しく高くてね。このままでは、どうなるか…お前ならわかるだろう、連城?」

連城の妻である椿は、以前事件に巻き込まれ、心に大きな傷を負い記憶を無くした後、退行を起こした。

幸い無事に記憶は戻り、幸せな結婚生活を送っているが、あの時連城自身も気が狂う程心配していた。

「一刻も早く黒澤さんの無事な姿を見せて、安心させてやらないと…心を閉ざしてしまう前に…」

そう言うと、武蔵は黒澤の入院しているという高橋医院に電話を掛けた。


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