(57) 沙汰
「……はい……はい…承知致しました。はい…失礼致します」
長い電話の後、堂本はやれやれと大きな溜め息を吐いた。
「…嶋祢会長は、何と?」
眉を寄せて尋ねる森田に、温くなった湯飲みの茶で喉を潤し、堂本は肘掛にもたれ掛かり手を振って見せた。
「どうもこうもねぇよ。あの話は、あれで終いになった…それだけだ」
鎮痛な面持ちの森田が、何を考えているか…今の堂本には、手に取る様にわかる。
息子と蝶子の婚約が破棄されたにも関わらず、慰謝料として差し出す筈の土地を渡せないと蹴ってしまった事。
拳銃がご法度のこの組の…然も、組長の自宅で、発砲事件を起こしてしまった責任。
そして、息子が堂本組に対してしでかした裏切り。
それもこれも、自分が息子に蝶子との結婚話を無理強いしてしまったからだと、森田は考えている。
実際、その通りなのだが…それは、森田が何事も一番に堂本組の事を考えて行動している結果だ。
己の組も、身内も…堂本の組の為には、非情な迄に切り捨てる。
あれからずっと堂本の屋敷に留め置いているのは、自分の組に帰したら皺腹を掻き斬って責任を取りそうだったからだ。
「…面倒臭せぇなぁ…」
「……」
「蝶子との婚約破棄の慰謝料は、黒澤に撃ち込まれた鉛弾でチャラだとよ」
「しかし…」
「松浪の親父と、忍姐さんが付いてんだぜ?あの2人は、高橋妃奈を可愛がってるみてぇだし…あの娘の子供が居るから、余計に可愛がってるんだろうがな」
「…その様です」
「それに、Pantherが絡んでる。あれで手を引かなきゃ、蝶子が発砲した事や、自分に拳銃向けられた事を公にするとでも脅したんだろうぜ?何せPantherは、高橋妃奈の代理人だったんだからな」
「…蝶子お嬢さんは?」
「いつもの通りだ。佐野が、付きっきりで宥めたんだろ?全く、蝶子の奴…さっさと佐野に惚れてる事を自覚して、所帯を持てばいいものを…」
「……」
苦虫を噛み潰す様な表情を浮かべる森田に、小指で耳を穿りながら堂本は気の無い様な言葉を吐いた。
「そんなに慰謝料が払いてぇなら、札束10個も積んでやりゃあいいんじゃねぇか?…蝶子は、明日から当分海外だそうだからな」
「…御意」
「お前…妙な事、考えてんじゃねぇだろうな?」
「己のしでかした責任を…きちんと果たしたいと思っております」
「当然、責任は取らせる!!但し、俺の命令通りのな!!」
「…組長」
「先ずは、上納金…向こう10年間、3割増しだ」
「御意」
「若頭の地位は、そのまま留め置く。今迄以上に、身を粉にして働け!!」
「組長、それは!?」
焦る森田に、堂本はギロリと睨み返した。
「何だ!?不服でもあんのか!!」
「お願いです、組長!どうか若頭の座は…誰か他の者に!!」
「誰に?」
「……」
黙って下を向く森田に、堂本は膝を寄せる。
「言っとくが、聖にゃまだ無理だぞ?確かに若い奴等を良くまとめちゃいるが、老獪な年寄り連中相手にゃ、まだまだ役に立ちゃしねぇ。代替わりで若くなりつつあるウチの組をまとめるには、お前と聖が必要だ!…二枚看板あってこその堂本組なんだからな!!わかってるか!?」
「…組長…」
「わかってんなら、文句言わずにチャキチャキ働きやがれ!!」
「…ありがとうございます」
畳に額を擦り付ける森田の肩を、堂本はポンポンと叩いた。
「ところで、お前…隣に…黒澤の見舞いにゃ行ったのか?」
「…いぇ」
「ひでぇ父親だな?一度もか?」
「黒澤の事務所の者から、無事に手術は終わったと連絡がありましたので…」
「あの、秘書か?」
「いぇ…黒澤を育てた女性です」
「…あぁ…黒澤の家で女中をしてた…まだ、一緒に暮らしてるのか?」
「はい。黒澤の世話をしながら、事務所の仕事もこなしております」
「もう、結構な歳だろ?」
「60は越えている筈ですが、未だ元気に飛び回っている様です」
「黒澤の母親代わりか…どうだ、いっその事、その女性と所帯を持って見ちゃ?」
ニヤニヤと笑う堂本に、森田が目を剥いた。
「ご冗談でしょう!?」
「案外、本気だったりしたら…どうする?」
「ご勘弁下さい、組長!この歳で…今更…」
「だが、お前…黒澤に、跡目を継がせたかったんじゃねぇのか?」
堂本の言葉に、森田は少し目を見開き、口端を上げて言葉を紡いだ。
「…そう考えた事もありましたが…本人が望まぬ以上、致し方ありません」
「……そうか」
「それに私は、自分より強い女性を娶る気にはなりませんね」
「ぇ?」
「ご存知ありませんでしたか?彼女は、黒澤の武術の師匠です」
「…確か、ちっこいオバちゃんだったよな?」
「はい」
「そんなに、強ぇのか?」
「昔…腕前が見たいと、一度だけ手合わせをした事があります」
「本気で?」
「えぇ…恥ずかしながら、彼女の襟を取る事も出来ませんでした」
「…へぇ。だが、教えを受けた黒澤は、何だって蝶子の弾を食らったんだ?避けるなり、捩じ伏せるなり、出来たんじゃねぇか?」
「あの場で捩じ伏せていれば、蝶子お嬢さんは余計に逆上したでしょう。多分、黒澤は…あの娘の為に、早くあの事態に収拾を着けたかったのでしょう」
「…何度も血ぃ吐いてたからな…その、高橋妃奈の容態は?」
「…存じません」
「冷てぇ男だな…そんなんで、嫁舅の関係、上手く行くのか?」
「……」
「日本人離れした、エキゾチックな別嬪だったじゃねぇか?そんなに気に入らねぇのか?」
「……まぁ…色々と…」
父親として、息子が嫁に選んだ娘が気に入らないという心境なのだろうか…それとも、組に迷惑を掛けた女を許せない、あくまでも排除する構えなんだろうか…?
「…面倒臭せぇな、全く…」
「は?」
「取り敢えず、お前は…黒澤と和解しろ!」
「…仰る意味が、良くわかりませんが?」
「いいか!?和解だ!!これ以上、お前達の親子喧嘩に振り回されるのは、真っ平だからな!!」
「……御意」
「…アイツの専門は、確か民事だったな?」
「…左様ですが…何か?」
「いや…まぁ、色々とな…例の告発文書の件は、きちんと片を着けなきゃなんねぇしな」
「御意」
「黒澤の処分については、それからという事でいいな?」
何も言わずに顔を強張らせ、森田は堂本に深く頭を下げた。
…熱い……覚醒するにつれて、躰に焼け火箸を突き立てられた様な痛みと熱さが甦る。
首を動かすと、頭の下で氷枕の氷がガラガラと動く音がした。
「…坊っちゃん、坊っちゃん!気が付かれましたか!?」
「……あぁ…」
黒澤の気だるそうな返事に、栞は安堵した様な涙声で坊っちゃんと呼び続けた。
「大丈夫ですか、所長!?」
「……小塚…」
「所長!」
「……妃奈は?」
「ご安心下さい。鷹栖総合病院に搬送され…無事に手術を終えられました」
「…そうか……どこが…悪かった?」
「胃を切除したとしか、私は伺っておりません。詳しい病状は、親族にしか教えられないという事でしたので…」
「……」
今迄は、妃奈の未成年者後見人という立場上、病状を聞き出す事も出来たが…妃奈が成人した今では、黒澤の婚約者という立場しか使えない。
だが、それは…とても弱い立場でしかない事を、弁護士である黒澤は承知していた。
早く妃奈と籍を入れなければ…いや、その前に、妃奈を身元不明という立場から開放し、琥珀に早く戸籍を作ってやらなければ…。
黒澤が痛みを押して起き上がろうとするのを、栞と小塚が慌てて止める。
「何やってらっしゃるんですか、坊っちゃん!?」
「所長!無理なさらないで下さい!!」
「…何言ってる……こんな傷…」
そう言った途端、栞から強烈な平手打ちを食らい、黒澤は面食らった。
「何言ってるんです!?撃たれたんですよ!!」
栞はそう言って、布団に突っ伏して泣き声を上げた。
「…弾が肝臓を掠めて…かなり危ない状態でした。手術後も感染症を起こして…5日も意識が戻らなかったんですよ!?」
叱り付ける様な小塚の言葉に、黒澤は諦めて氷枕に頭を預けた。
「根津さんも、磯村先生も田上さんも…どれだけ心配されたか…」
「…すまん…お前にも、心配掛けた」
「当然です!」
その後に診察に来た福助医師に、怪我の状態等を聞き、消毒を受ける。
「いつ頃退院出来ますか、先生?」
「まだ、炎症起こして発熱してるしな。感染症の経過も診なきゃなんねぇし…もうしばらく入院だな」
「…そうですか」
「まぁ、幸い消化器官に損傷は無かった。食欲さえ戻れば、明後日頃から好きな物食っていいぜ。躰を少しずつ動かしても良いが…無理は絶対に禁物だ。入院長引かせたくなけりゃ、医者の言う事ちゃんと聞くんだな」
「わかりました。所で、先生…鷹栖総合病院から、妃奈の病状の事を、お聞きになってませんか?」
「…あぁ。何度か連絡は来てるがな…」
「どんな症状だと!?」
眉を寄せる福助医師は、溜め息を吐きながらガリガリと頭を掻いた。
「かなり酷い潰瘍でな…胃がザルみたいに穴だらけで、腹ん中血塗れだったらしいぜ?どんな処方してたのかって怒鳴られたが、ウチの患者でもねぇし、転院させただけの患者の事なんか知る訳ねぇしな」
「…申し訳ありませんでした。それで…手術は?」
「あぁ、胃の1/3を切除したみてぇだな。一応は、成功したみてぇだが…」
「何か言ってましたか?」
「いゃ…お前を寄越して貰えないかと、しばらく催促されだが…意識も戻らねぇ感染症の患者に、何かあったらどうしてくれるって言い合いになってな。ウチが退院させる迄、絶対に渡さないって啖呵切って…それ切りだ」
「…そうでしたか。申し訳ありません」
「いゃ…まぁ、早く元気になって行ってやれ」
福助医師は、そう言って病室を出て行った。
「…栞」
「何ですか、坊っちゃん?」
「琥珀は?松浪組に居るのか?」
「いえ、ご自宅の方に居りますよ。大阪から士郎の母親に応援を頼みましてね…磯村先生と士郎と3人でお世話しておりますので、ご安心下さい」
「そうか…宜しく言っておいてくれ。それと、悪いが明後日から、弁当を作ってくれるか?そうだな…昼がいい」
「わかりました。何か、食べたい物がありますか?」
「あぁ、肉にしてくれ。1日も早く治さないとな…」
「わかりました」
「今日は、もう帰れ…明日1日ゆっくり休んで、明後日から宜しく頼む」
「…それでは、その様にさせて頂きます」
栞はそう言って、洗濯物を入れた袋を抱えて帰って行った。
「所長、少し宜しいですか?」
「…その前に…妃奈の様子を報告しろ」
「……」
「お前の事だ…あっちにも、顔を出しているんだろう?」
小塚は苦い顔を見せながら、背筋を伸ばした。
「所長が撃たれた後、高橋さんの事は連城弁護士が引き受けて下さいましたので、私は所長に付き添いました。所長の手術が無事に終了した後、鷹栖総合病院に向かいましたが、高橋さんの手術はまだ続いていました。連城弁護士にお引き取り頂き、明け方の手術終了まで待ちましたが…医師からは、詳しい病状は教えて貰えませんでした。唯、胃を切除したという事と、手術は成功したという報告を受けました」
「…それで?」
「翌々日、高橋さんは目を覚ましたそうですが…異常な興奮状態で、医師も看護師も手を付けられない状態に陥り…その日の内に、外科病棟から精神科の病棟に移動になりました」
「……」
「担当医の鷹栖先生より、所長の携帯に、急ぎお越し頂きたいという連絡を何度も頂きましたが…所長の意識も戻らない状態でしたので…」
「…そうか」
「鷹栖先生より、所長を鷹栖総合病院に転院して頂けないかという要望を、高橋医院に出された様ですが、高橋先生にお断りされたそうです」
「……わかった。お前は、妃奈に会ったのか?」
「いえ。手術以降、高橋さんは面会謝絶でした」
「そうか。鷹栖先生に連絡を頼めるか?退院次第、そちらに伺うと」
「承知しました。それから、所長…例の手紙の件ですが…」
「…止めたんだな?」
「はい」
「良く判断してくれた。礼を言う」
「いぇ…それより、堂本組長より催促がありました。最終的に例の手紙をどうするのか、解答を待っていらっしゃいます」
「わかった。皆に配った手紙を回収してくれ。お前に渡したUSBもまとめて、堂本組長に渡す」
「承知しました」
「俺が渡したままの形状で、皆持っているんだな?中身を見た者は?」
「大丈夫です。誰も中身を見ていません」
「わかった。揃ったら、ここに持って来てくれ」
承知したと言って、小塚も病室を出て行った。
中身を見ていないなら、事務所の連中に実害は無いだろう。
黒澤にどんな処分がされるかは、予想も出来ないが…そんな事より心配なのは、妃奈の病状だ。
彼女の手術後に武蔵医師から連絡があった…然も、入院している黒澤を転院出来ないかと要望があったという事は、妃奈の術後の治療に支障をきたしているという事だ。
自分が行ってやれない事で、妃奈は不安になっているのだろう。
一刻も早く退院して、妃奈の元に行ってやらなければ…。
黒澤は、ゆっくりと立ち上がると、稼働出来る限りの運動を始めた。




