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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
57/80

(57) 沙汰

「……はい……はい…承知致しました。はい…失礼致します」

長い電話の後、堂本はやれやれと大きな溜め息を吐いた。

「…嶋祢会長は、何と?」

眉を寄せて尋ねる森田に、(ぬる)くなった湯飲みの茶で喉を潤し、堂本は肘掛(ひじかけ)にもたれ掛かり手を振って見せた。

「どうもこうもねぇよ。あの話は、あれで(しま)いになった…それだけだ」

鎮痛(ちんつう)な面持ちの森田が、何を考えているか…今の堂本には、手に取る様にわかる。

息子と蝶子の婚約が破棄されたにも関わらず、慰謝料(いしゃりょう)として差し出す筈の土地を渡せないと()ってしまった事。

拳銃(チャカ)がご法度(はっと)のこの組の…(しか)も、組長の自宅で、発砲事件を起こしてしまった責任。

そして、息子が堂本組に対してしでかした裏切り。

それもこれも、自分が息子に蝶子との結婚話を無理強(むりじ)いしてしまったからだと、森田は考えている。

実際、その通りなのだが…それは、森田が何事も一番に堂本組の事を考えて行動している結果だ。

(おのれ)の組も、身内も…堂本の組の為には、非情な迄に切り捨てる。

あれからずっと堂本の屋敷に留め置いているのは、自分の組に帰したら皺腹(しわばら)()()って責任を取りそうだったからだ。

「…面倒臭せぇなぁ…」

「……」

「蝶子との婚約破棄の慰謝料(いしゃりょう)は、黒澤に撃ち込まれた鉛弾でチャラだとよ」

「しかし…」

「松浪の親父と、忍(ねぇ)さんが付いてんだぜ?あの2人は、高橋妃奈を可愛がってるみてぇだし…あの娘の子供が居るから、余計に可愛がってるんだろうがな」

「…その様です」

「それに、Panther(パンサー)が絡んでる。あれで手を引かなきゃ、蝶子が発砲(はっぽう)した事や、自分に拳銃(チャカ)向けられた事を公にするとでも(おど)したんだろうぜ?何せPanther(パンサー)は、高橋妃奈の代理人だったんだからな」

「…蝶子お嬢さんは?」

「いつもの通りだ。佐野が、付きっきりで(なだ)めたんだろ?全く、蝶子の奴…さっさと佐野に惚れてる事を自覚して、所帯(しょたい)を持てばいいものを…」

「……」

苦虫を噛み潰す様な表情を浮かべる森田に、小指で耳を穿(ほじ)りながら堂本は気の無い様な言葉を吐いた。

「そんなに慰謝料(いしゃりょう)が払いてぇなら、札束10個も積んでやりゃあいいんじゃねぇか?…蝶子は、明日から当分海外だそうだからな」

「…御意(ぎょい)

「お前…妙な事、考えてんじゃねぇだろうな?」

(おのれ)のしでかした責任を…きちんと果たしたいと思っております」

「当然、責任は取らせる!!(ただ)し、俺の命令通りのな!!」

「…組長」

「先ずは、上納金(じょうのうきん)…向こう10年間、3割増しだ」

御意(ぎょい)

若頭(わかがしら)の地位は、そのまま留め置く。今迄以上に、身を粉にして働け!!」

「組長、それは!?」

(あせ)る森田に、堂本はギロリと睨み返した。

「何だ!?不服でもあんのか!!」

「お願いです、組長!どうか若頭(わかがしら)の座は…誰か他の者に!!」

「誰に?」

「……」

黙って下を向く森田に、堂本は膝を寄せる。

「言っとくが、聖にゃまだ無理だぞ?確かに若い奴等を良くまとめちゃいるが、老獪(ろうかい)な年寄り連中相手にゃ、まだまだ役に立ちゃしねぇ。代替わりで若くなりつつあるウチの組をまとめるには、お前と聖が必要だ!…二枚看板あってこその堂本組なんだからな!!わかってるか!?」

「…組長…」

「わかってんなら、文句言わずにチャキチャキ働きやがれ!!」

「…ありがとうございます」

畳に額を擦り付ける森田の肩を、堂本はポンポンと叩いた。

「ところで、お前…隣に…黒澤の見舞いにゃ行ったのか?」

「…いぇ」

「ひでぇ父親だな?一度もか?」

「黒澤の事務所の者から、無事に手術は終わったと連絡がありましたので…」

「あの、秘書か?」

「いぇ…黒澤を育てた女性です」

「…あぁ…黒澤の家で女中をしてた…まだ、一緒に暮らしてるのか?」

「はい。黒澤の世話をしながら、事務所の仕事もこなしております」

「もう、結構な歳だろ?」

「60は越えている筈ですが、未だ元気に飛び回っている様です」

「黒澤の母親代わりか…どうだ、いっその事、その女性と所帯(しょたい)を持って見ちゃ?」

ニヤニヤと笑う堂本に、森田が目を()いた。

「ご冗談でしょう!?」

「案外、本気だったりしたら…どうする?」

「ご勘弁下さい、組長!この歳で…今更…」

「だが、お前…黒澤に、跡目(あとめ)を継がせたかったんじゃねぇのか?」

堂本の言葉に、森田は少し目を見開き、口端を上げて言葉を(つむ)いだ。

「…そう考えた事もありましたが…本人が望まぬ以上、致し方ありません」

「……そうか」

「それに私は、自分より強い女性を(めと)る気にはなりませんね」

「ぇ?」

「ご存知ありませんでしたか?彼女は、黒澤の武術の師匠です」

「…確か、ちっこいオバちゃんだったよな?」

「はい」

「そんなに、強ぇのか?」

「昔…腕前が見たいと、一度だけ手合わせをした事があります」

「本気で?」

「えぇ…恥ずかしながら、彼女の(えり)を取る事も出来ませんでした」

「…へぇ。だが、教えを受けた黒澤は、何だって蝶子の弾を食らったんだ?避けるなり、()じ伏せるなり、出来たんじゃねぇか?」

「あの場で()じ伏せていれば、蝶子お嬢さんは余計に逆上したでしょう。多分、黒澤は…あの娘の為に、早くあの事態に収拾(しゅうしゅう)を着けたかったのでしょう」

「…何度も血ぃ吐いてたからな…その、高橋妃奈の容態は?」

「…存じません」

「冷てぇ男だな…そんなんで、嫁舅(よめしゅうと)の関係、上手く行くのか?」

「……」

「日本人離れした、エキゾチックな別嬪(べっぴん)だったじゃねぇか?そんなに気に入らねぇのか?」

「……まぁ…色々と…」

父親として、息子が嫁に選んだ娘が気に入らないという心境なのだろうか…それとも、組に迷惑を掛けた女を許せない、あくまでも排除する構えなんだろうか…?

「…面倒臭せぇな、全く…」

「は?」

「取り敢えず、お前は…黒澤と和解しろ!」

「…仰る意味が、良くわかりませんが?」

「いいか!?和解だ!!これ以上、お前達の親子喧嘩に振り回されるのは、真っ平だからな!!」

「……御意(ぎょい)

「…アイツの専門は、確か民事だったな?」

「…左様ですが…何か?」

「いや…まぁ、色々とな…例の告発文書の件は、きちんと片を着けなきゃなんねぇしな」

御意(ぎょい)

「黒澤の処分については、それからという事でいいな?」

何も言わずに顔を強張らせ、森田は堂本に深く頭を下げた。



…熱い……覚醒するにつれて、躰に焼け火箸(ひばし)を突き立てられた様な痛みと熱さが(よみがえ)る。

首を動かすと、頭の下で氷枕の氷がガラガラと動く音がした。

「…坊っちゃん、坊っちゃん!気が付かれましたか!?」

「……あぁ…」

黒澤の気だるそうな返事に、栞は安堵(あんど)した様な涙声で坊っちゃんと呼び続けた。

「大丈夫ですか、所長!?」

「……小塚…」

「所長!」

「……妃奈は?」

「ご安心下さい。鷹栖総合病院に搬送され…無事に手術を終えられました」

「…そうか……どこが…悪かった?」

「胃を切除したとしか、私は伺っておりません。詳しい病状は、親族にしか教えられないという事でしたので…」

「……」

今迄は、妃奈の未成年者後見人という立場上、病状を聞き出す事も出来たが…妃奈が成人した今では、黒澤の婚約者という立場しか使えない。

だが、それは…とても弱い立場でしかない事を、弁護士である黒澤は承知していた。

早く妃奈と籍を入れなければ…いや、その前に、妃奈を身元不明という立場から開放し、琥珀に早く戸籍を作ってやらなければ…。

黒澤が痛みを押して起き上がろうとするのを、栞と小塚が慌てて止める。

「何やってらっしゃるんですか、坊っちゃん!?」

「所長!無理なさらないで下さい!!」

「…何言ってる……こんな傷…」

そう言った途端、栞から強烈な平手打(ひらてう)ちを食らい、黒澤は面食らった。

「何言ってるんです!?撃たれたんですよ!!」

栞はそう言って、布団に突っ伏して泣き声を上げた。

「…弾が肝臓を掠めて…かなり危ない状態でした。手術後も感染症を起こして…5日も意識が戻らなかったんですよ!?」

叱り付ける様な小塚の言葉に、黒澤は(あきら)めて氷枕に頭を預けた。

「根津さんも、磯村先生も田上さんも…どれだけ心配されたか…」

「…すまん…お前にも、心配掛けた」

「当然です!」

その後に診察に来た福助医師に、怪我の状態等を聞き、消毒を受ける。

「いつ頃退院出来ますか、先生?」

「まだ、炎症起こして発熱してるしな。感染症の経過も診なきゃなんねぇし…もうしばらく入院だな」

「…そうですか」

「まぁ、幸い消化器官に損傷は無かった。食欲さえ戻れば、明後日頃から好きな物食っていいぜ。躰を少しずつ動かしても良いが…無理は絶対に禁物だ。入院長引かせたくなけりゃ、医者の言う事ちゃんと聞くんだな」

「わかりました。所で、先生…鷹栖総合病院から、妃奈の病状の事を、お聞きになってませんか?」

「…あぁ。何度か連絡は来てるがな…」

「どんな症状だと!?」

眉を寄せる福助医師は、溜め息を吐きながらガリガリと頭を掻いた。

「かなり(ひど)潰瘍(かいよう)でな…胃がザルみたいに穴だらけで、腹ん中血塗(ちまみ)れだったらしいぜ?どんな処方してたのかって怒鳴られたが、ウチの患者でもねぇし、転院させただけの患者の事なんか知る訳ねぇしな」

「…申し訳ありませんでした。それで…手術は?」

「あぁ、胃の1/3を切除したみてぇだな。一応は、成功したみてぇだが…」

「何か言ってましたか?」

「いゃ…お前を寄越して貰えないかと、しばらく催促(さいそく)されだが…意識も戻らねぇ感染症の患者に、何かあったらどうしてくれるって言い合いになってな。ウチが退院させる迄、絶対に渡さないって啖呵(たんか)切って…それ切りだ」

「…そうでしたか。申し訳ありません」

「いゃ…まぁ、早く元気になって行ってやれ」

福助医師は、そう言って病室を出て行った。

「…栞」

「何ですか、坊っちゃん?」

「琥珀は?松浪組に居るのか?」

「いえ、ご自宅の方に居りますよ。大阪から士郎の母親に応援を頼みましてね…磯村先生と士郎と3人でお世話しておりますので、ご安心下さい」

「そうか…宜しく言っておいてくれ。それと、悪いが明後日から、弁当を作ってくれるか?そうだな…昼がいい」

「わかりました。何か、食べたい物がありますか?」

「あぁ、肉にしてくれ。1日も早く治さないとな…」

「わかりました」

「今日は、もう帰れ…明日1日ゆっくり休んで、明後日から宜しく頼む」

「…それでは、その様にさせて頂きます」

栞はそう言って、洗濯物を入れた袋を抱えて帰って行った。

「所長、少し宜しいですか?」

「…その前に…妃奈の様子を報告しろ」

「……」

「お前の事だ…あっちにも、顔を出しているんだろう?」

小塚は苦い顔を見せながら、背筋を伸ばした。

「所長が撃たれた後、高橋さんの事は連城弁護士が引き受けて下さいましたので、私は所長に付き添いました。所長の手術が無事に終了した後、鷹栖総合病院に向かいましたが、高橋さんの手術はまだ続いていました。連城弁護士にお引き取り頂き、明け方の手術終了まで待ちましたが…医師からは、詳しい病状は教えて貰えませんでした。唯、胃を切除したという事と、手術は成功したという報告を受けました」

「…それで?」

「翌々日、高橋さんは目を覚ましたそうですが…異常な興奮(こうふん)状態で、医師も看護師も手を付けられない状態に(おちい)り…その日の内に、外科病棟から精神科の病棟に移動になりました」

「……」

「担当医の鷹栖先生より、所長の携帯に、急ぎお越し頂きたいという連絡を何度も頂きましたが…所長の意識も戻らない状態でしたので…」

「…そうか」

「鷹栖先生より、所長を鷹栖総合病院に転院して頂けないかという要望を、高橋医院に出された様ですが、高橋先生にお断りされたそうです」

「……わかった。お前は、妃奈に会ったのか?」

「いえ。手術以降、高橋さんは面会謝絶でした」

「そうか。鷹栖先生に連絡を頼めるか?退院次第、そちらに伺うと」

「承知しました。それから、所長…例の手紙の件ですが…」

「…止めたんだな?」

「はい」

「良く判断してくれた。礼を言う」

「いぇ…それより、堂本組長より催促(さいそく)がありました。最終的に例の手紙をどうするのか、解答を待っていらっしゃいます」

「わかった。皆に配った手紙を回収してくれ。お前に渡したUSBもまとめて、堂本組長に渡す」

「承知しました」

「俺が渡したままの形状で、皆持っているんだな?中身を見た者は?」

「大丈夫です。誰も中身を見ていません」

「わかった。(そろ)ったら、ここに持って来てくれ」

承知したと言って、小塚も病室を出て行った。

中身を見ていないなら、事務所の連中に実害は無いだろう。

黒澤にどんな処分がされるかは、予想も出来ないが…そんな事より心配なのは、妃奈の病状だ。

彼女の手術後に武蔵医師から連絡があった…(しか)も、入院している黒澤を転院出来ないかと要望があったという事は、妃奈の術後の治療に支障をきたしているという事だ。

自分が行ってやれない事で、妃奈は不安になっているのだろう。

一刻も早く退院して、妃奈の元に行ってやらなければ…。

黒澤は、ゆっくりと立ち上がると、稼働出来る限りの運動を始めた。


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