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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
55/80

(55) 萌奈美と蝶子

ふらふらとする妃奈に肩を貸して進む小塚を、聖夫人が先導する。

以前、会食に参加出来なかった小塚に弁当を持たせる心遣いを見せたかと思えば、小柄で女子高生の様な容姿の割には、えらく強引な性格なのだと小塚は溜め息を吐いた。

妃奈の気持ちも理解するが、黒澤が命懸けで妃奈を助け出したというのに、それこそ本末転倒(ほんまつてんとう)だ。

自分の役目は、妃奈と琥珀を無事に病院に連れて行く事なんだが…。

「こっちです!」

高橋医院の裏口から続く木戸を潜ると、広い裏庭の奥に回り廊下を配する大きな日本家屋(にほんかおく)が現れた。

嶋祢会二次組織、東京・横浜を取り仕切る堂本組長の自宅…本来、一介の弁護士秘書である小塚などが出入り出来る場所ではない。

堂本組長の養女である聖夫人は、2人を表庭迄案内すると、妃奈を気遣う様に背中を撫でながら言った。

「大丈夫ですか?」

「……はい」

「私、養父(ちち)達がどこで話し合いをしているか、誰かに聞いて来ます。少し、ここで待っていて下さいますか?」

そう言って、回り廊下に妃奈を座らせる。

「…申し訳ありません」

「こちらで待たせて頂きます。宜しくお願い致します」

小塚は、妃奈と共に聖夫人に頭を下げ、彼女の後ろ姿を見送った。

途端に妃奈の躰はグラリと(かし)ぎ、小塚は慌ててその躰を支える。

「大丈夫なんですか、高橋さん?やはり、病院に向かった方が…」

「…平気です」

「今、ここに所長がいらっしゃるなら…所長は、直ぐにでも貴女を病院に連れて行くと思いますが」

「…今…私が行動を起こさなければ…二度と黒澤さんに会えなくなるとしても…ですか?」

「…それは」

妃奈の言葉に小塚がたじろいだ時、廊下の角から現れた構成員が、眉を寄せながら近寄って来た。

「おいっ!誰だ、てめぇら!!どこから入り込みやがった!?」

そう言って、小塚の胸元を締め上げる。

「…怪しい者ではありません!!私達は、森田組弁護士である黒澤の事務所の者です」

「嘘付け!!その弁護士なら、聖社長と一緒に来た!事務所の人間なんか、誰も一緒じゃなかったぞ!」

今ここで反撃に出る訳には行かない…何とかして、この男に理解させなければ…ギリギリと締め上げて来る構成員に、小塚は必死に呼吸を確保しながら反論する。

「ですから…私達は、こちらのお嬢様の…聖社長の奥方と…」

(うる)せぇ!!怪しい奴め!!」

「何事だ!?騒々しい!!」

回り廊下を進んで来た一団から怒号(どごう)が飛び、胸元を絞められていた小塚は(あえ)ぐ様にその面々に視線を移した。

「旦那様!!」

「妃奈!?おめぇ…どうして、こんな場所に?それに…どうした、その腕は!?」

廊下に正座して手を着く妃奈に、小柄な和装の男性が声を掛ける。

「寅…この娘は?」

もう1人の和装に大きな毛皮の襟巻きをした初老の骨張った男性が、『寅』と呼ばれた松浪組長に尋ねる。

確かこの方は、箱根のパーティーで遠目に見た…上座に座り、皆の祝辞を受けていた…嶋祢会会長、嶋祢千太郎(しまね せんたろう)その人ではあるまいか!?

「ウチで面倒見てる娘なんだがな。ホレ、さっき話した…黒澤の…」

そう言って松浪組長は、2人の後ろで顔を引き()らせる嶋祢蝶子に視線を送った。

「……何故…何故そんな娘が、お兄様の屋敷に居るの!?」

怒りに震える声でそう吐き捨てた嶋祢蝶子は、ズイッと父親達の前に出ると、廊下で手を付く妃奈を何度も足蹴(あしげ)にし庭に転がり落とした。

あまりの出来事に呆然としていた小塚は、慌てて妃奈を抱き起こす。

「大丈夫ですか、高橋さん!?」

そう小塚が妃奈に声を掛けた時…。

「何をしているの!?」

長い廊下の奥から走って来た聖夫人は、小塚に抱き起こされた妃奈に気遣う視線を落とすと、黒い巻き毛を揺らして嶋祢蝶子の前に立ちはだかり、彼女に強烈な平手打(ひらてう)ちを食らわせた。



「お養父様(とうさま)は?」

「お客人がいらしてます」

「わかっているわ。取り次いで貰えますか?」

「申し訳ありやせん、萌奈美お嬢さん…大事なお客人だそうで…」

この人達の融通(ゆうずう)の無さには、毎回イライラする…萌奈美は、憮然(ぶぜん)として構成員の前を離れると、屋敷の奥にある台所に向かった。

「萌奈美お嬢様、何か御用ですか?」

「さっき、お養父様(とうさま)のお客様にお茶をお出ししたのは誰です?」

「…ぁ…私ですが…何か、粗相(そそう)でもありましたか?」

心配そうな若い女中に、萌奈美は愛想笑いを浮かべた。

「そうじゃないのよ。後で私が持って来た菓子を、お出ししようと思って…どちらのお部屋にいらっしゃるのかしら?」

「梅の間にいらっしゃいます。ですが、菓子なら後程私が…」

「いいのよ。私が、見計らって持って行くわ」

梅の間は屋敷の中程にある、割合と小さな座敷だ。

障子を開けると、庭に立派な紅梅が見える座敷だった筈…。

部屋を割り出した萌奈美は、表庭に待たせてある妃奈達の元に急いだ。

「……何故…何故そんな娘が、お兄様の屋敷に居るの!?」

廊下の向こうから、ヒステリックな女性の声がして、萌奈美は嫌な予感に足を走らせた。

ガッ、ガッという音を立て、派手に着飾った女性が妃奈を足蹴(あしげ)にし、庭に()落とす姿を見て、萌奈美は悲鳴に近い叫び声を上げた。

「何をしているの!?」

廊下の面々の視線が一斉に注がれるのを物ともせず、萌奈美は庭に落ちた妃奈と、彼女を庇い抱き起こす小塚に視線を送り無事を確認した。

そして、腕を組み小柄な萌奈美を馬鹿にした様に見下ろす派手な女性の前に立つと、腕を伸ばしてその頬に平手打(ひらてう)ちを食らわせた。

「なっ!何するのよ!?」

「それは、こちらの台詞です!!何て事するんですか!?」

「貴女、誰よ!?この私を、誰だと思ってるの!!」

「存じません!!そんな事より、何故彼女にこんな無体な事をするんです!!」

「だから、貴女誰よ!!」

「私は、聖萌奈美です」

「蝶子、この娘は…堂本組長の娘だよ」

苦笑いする松浪組長に、萌奈美は頭を下げる。

「いらっしゃいませ、松浪様。到着早々お見苦しい所をお見せして、申し訳ありません」

挨拶をする萌奈美の横で、蝶子と呼ばれた女性が、ヒステリックな声を張り上げる。

「…お兄様の…娘ですって!?どういう事、お父様!!」

「落ち着きなさい、蝶子。彼女は堂本の養女で、聖組に嫁いだ女性だと聞いている」

「萌奈美さん、こちらは嶋祢会長と、その娘の蝶子さんだ」

松浪組長の紹介に、萌奈美は驚いて廊下に正座すると、手を着いて深く頭を下げた。

「初めてお目に掛かります。私、Saint(セイント)興業社長、聖夜(ひじり ないと)の家内で萌奈美と申します」

「嶋祢千太郎だ。堂本にも聖にも、世話になっている」

娘に無体な行動を取ったにも関わらず、嶋祢会長は萌奈美に柔らかな笑みを称えて見下ろした。

「たかが三次団体の女房が、この私に対して、とんだ無礼を働いてくれたものだわね!?」

「無礼なのは、貴女の方ではありませんか?」

「何ですって!?」

萌奈美は、黙って見守る嶋祢会長と松浪組長に会釈を送ると、背筋を伸ばして嶋祢蝶子を見上げた。

「彼女達は、私の客人です。貴女に足蹴(あしげ)にされるいわれはありません」

「何言ってるの、貴女?」

「謝って下さい!!」

「謝るのは、貴女の方でしょ!?私に対しての無礼な振舞い、許さないわ!!」

「それなら、私が貴女に謝罪すれば、貴女は彼女に謝罪して下さいますか?」

「謝る訳ないじゃないの!あの女は、私の婚約者を寝取った泥棒猫よ!!」

「それは、違います」

「何ですって!?」

年甲斐(としがい)も無くギャンギャンと(まく)し立てる嶋祢蝶子に、萌奈美は落ち着いて答えた。

「黒澤さんが婚約者と認めているのは、ここに居る高橋妃奈さんです。彼等の間には、琥珀君という子供迄居るんです。横車を押しているのは、貴女の方じゃありませんか?」

「そんな事、関係ないわ!!」

一際大きな声で言い放つと、嶋祢蝶子は庭に座り込む妃奈を、汚い物でも見る様に見下ろした。

「私と黒澤の結婚は、決まっている事よ!」

「黒澤さんは、承知してませんよね?」

「それも、関係ないわ!!私が、そう望んでいる事…それが、全てよ!!」

「随分と、傲慢(ごうまん)なんですね?」

溜め息混じりに(こぼ)す萌奈美に、嶋祢蝶子は眉を上げる。

「貴女、随分と生意気だわ!」

「よく言われますし、私自身自覚しています。ですが、間違った事は言っていないつもりですが?」

絶句する嶋祢蝶子に、萌奈美は畳み掛ける様に質問する。

「貴女は、結婚を何だと思っていらっしゃるんですか?片方の気持ちだけで成立するとでも、思っていらっしゃるんですか?」

「貴女も黒澤と一緒で、愛だの恋だのが必要だって言うの?」

「当たり前です」

「笑わせないでよ!!貴女だって、お兄様の養女になって極道(ごくどう)に嫁いだんでしょ?要は、組同士の繋がりの為の婚姻じゃないの!」

「違います」

「何が違うって言うの?言ってみなさいよ!!」

この女性は、本当に心の繋がりを信じてないんだろうか?

そんな結婚をしても、幸せに等なれないのに…。

嶋祢蝶子が青筋を立て(まく)し立てるのを、萌奈美は落ち着いた声で対応する。

「主人は、婚約者が居たにも関わらず、唯の女子大生だった私を見初めて口説き落としてくれました。色々困難もありましたが、2人で結婚を決めた後に堂本の養父(ちち)が私を養女にと申し出て下さり、『堂本萌奈美』として嫁に出して下さいました」

「……」

「確かに私は堂本家の娘として嫁ぎましたが、私達夫婦は、確かな愛情で繋がっていると自負しています」

「…(うるさ)いわよ…」

養父(ちち)養母(はは)にしてもそうです。一般家庭で育った養母(はは)の事を、養父(ちち)は今でも心の底から愛しています」

(うるさ)いわよっ!!」

激昂(げっこう)した嶋祢蝶子は、正面に正座する萌奈美の肩を蹴り上げた。

「奥方様!?」

廊下に仰向けに倒れた萌奈美に、庭に座り込んでいた妃奈が駆け寄り助け起こす。

「…大事ありませんか?」

「ありがとう…大丈夫よ」

心配そうな妃奈に笑顔を送ると、萌奈美はキリッと嶋祢蝶子を睨み返した。

「本当に貴女は…何様の積もりですか?」

「私は、嶋祢会会長の娘…嶋祢蝶子よ!!」

「…だから?」

「…ぇ?」

「確かに貴女のお父様は嶋祢会のトップで、とても(えら)い方なのかもしれませんが…貴女ご自身とは、何の関係もない事でしょう?」

「何言ってるのよ!!」

「わかりませんか?」

「……」

「皆さん、貴女のお父様のご威光で、貴女に頭を下げるのかもしれませんが…貴女ご自身には、何の権力もないんです。いい年をして、そんな事もわからないんですか?」

再び萌奈美を蹴ろうとした嶋祢蝶子から、妃奈が身を(てい)して庇う。

「妃奈さん、大丈夫!?」

「…平気です」

「貴女は、小さな子供と同じだわ!!気に入らなければ、直ぐに暴力に訴える子供だわ!!」

萌奈美がそう叫んだ時、背後に数人の足音が響いた。

「妃奈!!」

「萌奈美!?何があったの!?」

女性達に駆け寄る黒澤と聖が、嶋祢蝶子の背後に立つ男達に顔を強張らせて会釈する。

「嶋祢会長、松浪の親父…急なお越しですね?」

「堂本、到着早々賑やかな出迎えだな」

「ウチの自慢の娘が、何か致しましたか?」

ニヤニヤと笑い合う養父と嶋祢会長に、嶋祢蝶子が噛み付いた。

「お兄様!!この生意気な女達、何とかしてよ!!」

「…何とかって、何だ?」

「処分してって言ってるのよ!」

「何で?」

「この私に向かって、言いたい放題言うのよ!?許せないわ!!」

「…萌奈美は、俺の養女(むすめ)だ。この家で何を言おうと、自由だろ?」

「お兄様!?」

「それより蝶子、お前はこの家に出入り禁止にした筈だろ?」

養父の言葉に瞳を潤ます嶋祢蝶子を見て、萌奈美は()に落ちない物を感じた。

まさか、この女性(ひと)…。

「まぁ、こんな所では何ですから…どうぞ、こちらへ…」

「いや、出来ればもう少し…このやり取りを見てみたい」

嶋祢会長の一言に眉を上げた養父は、近くの障子を開けると廊下に居た女中に座布団を並べさせ、嶋祢会長と松浪組長、松浪組の若頭の佐野、そして森田組長と黒澤弁護士、夫である聖夜、あと1人…以前萌奈美の事でも世話になった事のある、連城弁護士を座敷に(いざな)った。



座敷に座った男達の前で、怒りを(あらわ)にして廊下に仁王立ちする嶋祢蝶子…そして、萌奈美嬢を庇う様にして座る妃奈は、この状況に戸惑う様に黒澤と森田組長の顔を見比べている。

「…萌奈美、何を言ったの?」

聖社長の心配そうな問いに、萌奈美嬢は澄まして答えた。

「この方が、大きな勘違いをされている様だから、教えて差し上げたのよ」

「どういう事?」

「親の七光りに胡座(あぐら)をかいて、周囲がちやほやするのは自分が偉いからだと勘違いなさっている様だったから、少し意見したら…反論出来ずに暴力に訴えられたの」

萌奈美嬢の言葉に、嶋祢会長と松浪組長、堂本組長は声を上げて笑い出し、連城と佐野は苦笑を漏らし、聖社長は頭を抱えて嶋祢会長に頭を下げた。

「妻の無礼の段、平にご容赦下さい」

「いや、いや…なかなか威勢(いせい)の良い娘を嫁にした様だな、聖」

「この世界の事は何も知らない、素人(しろうと)同然の娘です」

「構わんよ。アレに正面切って意見するなど、蝶子の母親でも出来ずにいたのでな」

「失礼を承知で言わせて頂きますが…嶋祢会長は、お子様の教育を間違ったのではありませんか?」

「萌奈美!?」

嶋祢会長に向かって手を着いて意見をする妻に、聖社長は慌てて制止に掛かる。

「間違った事をちゃんと正してやる事は、親の努めだと思います。悪い事をすれば叱り、人を傷付けたなら謝らせる…失礼ですが、会長のお嬢様は、人としての…」

「貴女!?お父様に向かって意見するなんて!!」

三つ指を着いて意見する萌奈美嬢に向かって、嶋祢蝶子が再び手を挙げようとするのを、妃奈が身を(てい)してその身に受ける。

「妃奈!」

「止めねぇか、蝶子!みっともねぇ!!」

松浪組長の言葉に、嶋祢蝶子は唇を噛んで座敷の隅に座り、佐野がそっと蝶子に寄り添った。

「萌奈美さんと言ったな」

「はい」

「君は、私が恐くはないのか?」

「はい」

ハッキリと肯定(こうてい)する萌奈美嬢に、嶋祢会長は眼を細め顎を擦る。

「君の言葉によって、私が聖に詰め腹を切らせるかもしれないとは、思わんのかね?」

「嶋祢会長は、そんな事はなさらないと思います」

「ほぅ…何故?」

「私の事を怒っていらっしゃるなら、私がお嬢様に手を()げた時点で、成敗(せいばい)されているのではありませんか?」

「……」

「その後、私がお嬢様と言い合っていても、嶋祢会長も松浪組長も、一度も制止なさいませんでした。それは、私の行動を黙認していると(とら)えました」

「…成る程」

「それに、嶋祢会を牛耳る程の方が、人としての道理がわからない方である筈がありません」

「……」

「生意気な口を叩きますが、私は人として間違った事は言っていないと思います。そんな私に腹を立てて、主人を成敗(せいばい)なさる様な…嶋祢会長は、そんな度量(どりょう)の狭い人間ではないと信じておりますので」

そう言って、萌奈美嬢は嶋祢会長にヘニャリとする気の抜ける様な笑顔を向ける。

「…これは、一本取られたな」

嶋祢会長は、松浪組長と顔を合わせると、ひとしきりゲラゲラと声を上げて笑った。

(さと)い娘だ!何より、その度胸が気に入った!聖、良い(あね)になりそうな娘を(めと)ったな」

「ありがとうございます」

聖社長は安堵(あんど)した様に肩を下げ、萌奈美嬢と共に深く頭を下げた。

「私の自慢の養女(むすめ)ですよ」

そう言って笑った堂本組長は、少し真顔になって萌奈美嬢を見詰める。

「萌奈美、もういいだろ?お前は、奥に下がってろ」

「お養父様(とうさま)!?」

「お前が人質になる必要も、もうねぇだろ?ここから先は、黒澤と蝶子と…そこの女の問題だ」



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