(54) 対峙
押し黙る森田組長の横で堂本組長の長い昔語りが終わると、座敷の中に張り詰めた空気が流れた。
「…済まない、黒澤。ガキだった俺の軽卒な行動が、森田やお前から…かけがえのない存在である、陽子を奪う事になっちまった」
「……」
「黒幕は、当時新宿に進出しようとしていた同業者だ。そっちは直ぐに俺の親父が片を付けて、きっちりと落とし前を付けさせた。唯、実行犯だった奴等は取り逃がしちまってな。森田が長年掛けて奴等の尻尾を追い続け、やっと制裁を加えたのは7年前…丁度、お前が森田の元で働く直前の事だった」
「…殺したんですか?」
「そこは、お前が知る必要はねぇ」
堂本組長の言葉は、再び空気をピンと張り詰めさせる。
「黒澤…お前、森田や陽子の話…誰に聞いた?」
「…養子である事は、学生の頃に父から聞かされました。森田組長が父親だと聞かされたのは…この業界に入ってからです」
「余り良い噂を聞かなかったか…この件は公にはしちゃいねぇんだが、何処かから漏れ聞いた奴等が、森田へのやっかみ半分で流した噂が広まってるしな…。お前を養子に出させたのは、俺の親父だ」
「そうなんですか?」
「森田は自分の元で育てると言ったが、乳飲み子を育てるには、どうしたって女手がいる。独身の森田じゃ無理な話だ。だからといって、陽子が亡くなって直ぐに結婚ってのも酷な話だってんで、当時ウチの金庫番だった先代の聖組長と親父が相談してな…聖組長の実弟だった寺嶋の所に、養子先を探す様に頼んだんだそうだ」
「ウチの父が、関与していたんですか!?」
驚いた顔を見せた聖社長に、森田組長が重い口を開いた。
「…大学で経済学の教鞭を取っていた寺嶋組長には、度々教えを乞う間柄で…私は寺嶋組長をその人柄と共に、とても尊敬していた。それを知った聖の先代は、黒澤を寺嶋組長の養子にと考えられた様だ。だが、寺嶋組長も独身だった為に、寺嶋組長の最も信頼を寄せる黒澤弁護士の元に養子に出す事になった」
「覚えてねぇかもしれねぇがな、俺は子供の頃に、何度も黒澤の家に行ってるんだぜ?」
ニヤニヤと笑いながら、堂本組長は黒澤を見詰めて顎を撫でた。
「お前の兄貴の鷹也とは、歳も近くてな。2人でよく、お前の子守りをしたもんだ」
「…そうでしたか」
堂本組長が我が家に来ていたという事は、当然守役の森田組長が付き添って来ていたに違いない。
父が母を見捨てたという噂は、間違いだった。
父が自分を捨てたという事も、間違いだった。
…自分は…ずっと見守られて来たというのか!?
「黒澤の奥方は病弱な方だったが、降って湧いた様な養子の話を、二つ返事で承諾してくれた。唯、病弱で入院がちな自分に代わり、実際に世話をする女性が承諾すればという条件で、お前を養子に出した」
「…それは…」
「当時から、黒澤家を切り盛りしていたのは、根津女史だったからな」
「……」
「根津女史の素性は、寺嶋組長から聞いていた。お前を抱いた彼女は、承知したと言って……どんな男に育て上げればいいかと問うてきた」
「……」
「強い男にと……そして…人並みの幸せを与えてやって欲しいと…私は答えた」
黒澤の方には一切視線を寄越さず、森田組長は自らの膝を掴み、少し背を丸め、絞り出す様に言葉を吐いた。
深い澱の様な憑き物が黒澤の肩からストンと落ちた時、隣から小さな咳払いが聞こえ、連城の低いがよく通る声が響いた。
「…黒澤さんが養子に出された経緯は、さて置き…それと、高橋妃奈さんへの自殺強要、琥珀君誘拐の事実は、別問題だと思いますが?」
「確かに、そうだが…森田としても、我が子の幸せを願っての事だ。幸い子供は黒澤の元に戻ったし、女も無事だったんだろう?」
「それで、無かった事にしろと?」
「冗談じゃない!!」
「同感ですね」
叫び声を上げた黒澤に連城が同意して、冷たい視線を堂本組長と森田組長に投げる。
「彼女は、貴殿方の様な生業の女性ではありません。松浪組の従業員とはいえ、唯の家政婦です。そちらの常識を適用して頂いては困ります」
「どうするつもりだ?」
「黒澤さんの要求を通して頂くのが、彼女に取って最良の道だと思います」
「…私は…あの女に自殺など強要していない!あの女が勝手に手首を切っただけだ」
「まだそんな事を!?」
「本当の事だ」
睨み合う黒澤と森田組長を横目に、堂本組長が連城に視線を移す。
「Panther…手を引く積もりはねぇか?」
「何故ですか?」
「黒澤は…この場に取引材料として、コレを持ち出して来た」
森田組長から渡された黒澤の告発文書を指先で叩くと、堂本組長はギラギラとした目で連城を睨み付けた。
「傘下の組の、一介の弁護士が…俺に脅しを掛けて来たんだ。これは、俺等の生業じゃあ、決してあっちゃあならねぇ事だと…お前ぇだってわかってるだろう?」
「何度も言わせないで頂きたいですね」
「何だと?」
「私は、貴方の世界の事なんて、知った事ではありません!それこそ、表の世界の一介の弁護士なんですよ、堂本組長」
「Panther…」
「それに、私は…表の世界の住人である、高橋妃奈さんの代理人としてこの場に居るのです」
「…何する気でいる…Panther?」
「表には、表の戦い方があるのですよ。彼女への自殺強要の罪が立証出来なくとも、誘拐罪として立派に訴訟が成り立ちますのでね」
「何だと!?」
「…っ…孫を連れ出したからと言って、罪に問われる訳が…」
思わず口を挟んだ森田組長の強張った顔に、連城がニヤリと笑みを返す。
「孫と、お認めになるのですか、森田組長?」
「……」
「貴方は忘れていらっしゃる様ですが…高橋妃奈さんは、まだ黒澤さんと婚姻されていません。当然琥珀君は、高橋妃奈さんの婚外子で、『高橋琥珀』となる訳です」
「そっ…それは…」
「先程の話だと、黒澤さんの実母である仲村陽子さんも、貴方との婚姻前に黒澤さんを出産し、黒澤家に養子に出されている。黒澤さんの出生証明書や戸籍にも、貴方の名前は記載されていない様ですが?」
「……」
「森田さん…法律上は、黒澤さんも琥珀君も、貴方とは何ら関係のない赤の他人なんです。その他人の子供を、一時的とはいえ貴方は誘拐した。立派に誘拐罪が適用出来るんですよ」
「待て、Panther!」
「堂本組の若頭が、自ら一般家庭の幼児を誘拐したとあっては、世間の反響は如何許の物でしょうね?」
連城の余裕の笑みに堂本組長がホゥと肩を落とした時、部屋の表のから呼び掛ける声がした。
「失礼します、組長!」
「何だ!?」
「嶋祢会長と、松浪組長…それに、嶋祢会長のお嬢さんがおみえです!」
「何だと!?」
「…それが…庭で、萌奈美お嬢さんと言い争いをしてらして…」
座敷に居た男達は、一斉に立ち上がり庭に向かった。
左手の疼く様な痛みと脇の下のじんわりと伝わる熱に、妃奈は重い瞼をうっすらと開けた。
…どこだろう…ここは…?
寝かされているベッドの周囲を取り囲む様に天井に設えられたカーテンレール、微かに漂う薬品の匂い…。
部屋の隅からは、抑えた様な話し声が聞こえて来る。
「…高橋さんは、自殺を強要されたんですか?」
「わかりませんが…彼女は自ら死ぬ為に堂本の家に来たのだと言いました。多分、森田組長の意に沿った行動だったのだと思います」
「動脈を切断する様な傷だったんですよ…2回も手首を切っていて…」
…あれは…根津さんの声だ……もう1人は小塚さんと…。
「なるほど…それで所長は、例の手紙を使って堂本組長を脅しに掛かったんですね」
「養父をですか!?」
「えぇ。森田組長を説得するには、一番効果的ですが…一番無謀な手に出た様です」
妃奈は脇の下ですやすやと寝入る琥珀が握る自分の服をそっと外すと、布団にのめり込みそうな躰を何とか起こした。
「妃奈さん!?大丈夫なんですか!?」
栞の叫び声に頷くと、妃奈は堂本組長の娘に会釈した。
「…先程は…お世話をお掛けしました」
「いぇ。私、聖萌奈美と申します」
「聖?…堂本さんでは…」
「高橋さん、確かにこちらは堂本組長のお嬢様ですが、現在はSaint興業の聖社長の奥方でいらっしゃいます」
「お加減は如何ですか?もうじき、転院の準備が整うと…」
「そんな事より、黒澤さんが堂本組長を脅すって…どういう事です!?」
聖萌奈美の言葉を遮って、妃奈は小塚に詰め寄った。
「貴女が心配なさる事では、ありません」
「手紙って、何なんです?」
「貴女が知る必要はありません」
「黒澤さんが堂本組長に会いに行ったのは、私の為なんですよね?」
「…そうです」
眉を寄せる小塚に、妃奈は尚も詰め寄った。
「堂本組長を脅す様な暴挙に出れば、黒澤さん自身の命が危ないのではないですか?」
「…それは…」
「何故、止めて下さらなかったんですか、小塚さん!?」
「……」
「貴方の仕事は、黒澤が…黒澤さんが無茶な事をしない様に見張る事でしょう!危ない目に遭うとわかっているなら、それを回避するのが貴方の仕事じゃないんですか!?貴方は、黒澤さんを守ってくれる人だと信じていたのに…何故…何故止めて下さらなかったんですか!?」
激昂した妃奈は、小塚に掴み掛からんばかりに罵倒した。
「妃奈さん、落ち着いて…」
「そうよ、躰に障るわ」
栞と聖萌奈美の取りなしを、妃奈はキツイ眼差しで撃退する。
「私が、何の為に黒澤さんの元を出て行ったと思ってるんです!?何の為に堂本組に迄行って、手首を切ったと思ってるんですか!!」
「…妃奈さん」
「全て、黒澤さんと琥珀の命を守る為です!!なのに、黒澤さんが自分から命を曝す様な事をするなんて…これじゃ、本末転倒じゃないですか!!」
興奮し貧血の為に肩で息をしながらも、妃奈は眼だけをギラギラと光らせて小塚を睨んだ。
「私が止めます…黒澤さんを守りますから、堂本組に連れて行って下さい!!」
「無理ですよ、妃奈さん」
「無理でも何でも…行かないと、どんな事になるか…一番わかっているのは、根津さんでしょう!?」
「……」
「黒澤さんに、もしもの事があったらどうするんですか!!」
「大丈夫よ、妃奈さん。黒澤さんは、1人で養父に対峙している訳ではないそうよ」
「…どういう事…ですか?」
「貴女の代理人の弁護士と一緒だそうよ。そうですよね、小塚さん?」
「はい。ですので高橋さんは、病院で大人しくしていて下さい」
「そうよ。それに、ウチの主人も同席しているわ。きっと大丈夫よ」
「…貴女のご主人は、堂本組長より偉い方なんですか?」
「…それは…」
「堂本組長の命令に、逆らえる立場の人間ではないんですよね!?私の代理人という弁護士も、堂本組長相手にどこ迄役に立つか、わからないじゃないですか!『きっと』じゃ駄目なんです!!『絶対』じゃなきゃ!!」
「貴女が行って、何が出来ます!?所長の立場が不味くなるだけです!!」
「私になら、止められるんです!!」
小塚の言葉に反論した妃奈は、胸に手を当てて眼を伏せた。
「大丈夫…私が行けば、森田組長が黒澤さんを守ってくれます」
「妃奈さん…貴女、まさか…」
栞の窺う様な瞳に、妃奈はゆっくり頷いた。
「黒澤さんは…短気で強引で、我が儘で…寂しがり屋で甘えたで…それでも、私なんかに一番優しくて…。親を亡くした私に責任を感じて世話をしてくれたのも、本当は親の縁が薄い自分の身に置き換えていたからです!本当の親が生きて目の前に居るのに、甘える事が出来なくて…その寂しさを…全部私にぶつけていたんです」
「…妃奈さん」
「私は、黒澤さんに…家族と仲良くして欲しいだけです!黒澤さんの寂しさを、家族に…森田組長に埋めて欲しいだけなんです!!」
「……」
「家族という物に憧れを持つ黒澤さんに…本当の家族を取り戻してあげたいだけ…」
「…わかったわ」
妃奈の話を黙って聞いていた聖萌奈美が、一歩進み出て妃奈の手を取った。
「私が、養父の所に連れて行くわ」
「……奥方様」
「要は、森田さんと黒澤さんを、仲直りさせればいい訳でしょう?その為に貴女が何をしようとしているのか、大凡検討が付くけれど…大丈夫よ、何とかなるわ!」
「…ありがとうございます、聖の奥方様」
へにゃりと笑う聖萌奈美に栞が深々と頭を下げる。
「所長…いぇ、坊っちゃんと妃奈さんを…宜しくお願い致します」
「祢津さん、貴女はここで琥珀君と待機していて下さい。福助先生には、転院の準備をしたまま待機する様に言って置いて下さいね」
「承知致しました」
「小塚さん、貴方は私と妃奈さんと共に同行して下さい。私1人では、妃奈さんを抱えられませんから」
「……了解しました」
渋々と頭を下げる小塚が、妃奈に肩を貸して立ち上がらせると、聖萌奈美は再びへにゃりと笑い一同を見回した。
「それじゃ、黒澤さんを救出に行きましょうか!」




