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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
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(46) ガーデン ウェディング

「済みません、黒澤さん…急なお願いをしてしまって」

「いえ…構いませんよ、一向に…」

リビングのソファーに座る、ウェディングドレスを着た愛らしい花嫁が、黒澤に向かって微笑んだ。

「来週の披露宴は、組関係の方々が大勢いらっしゃいますし…大学の友人や知人をお招きする訳にも行かなくて」

「…そうですね」

「でも、この時期って謝恩会等で、めぼしい会場は軒並(のきな)み予約されていて…そうしたら、棗さんが黒澤さんの事務所の庭で、ガーデンパーティーが出来るんじゃないかって言って下さったんです」

「そうでしたか」

「本当に、ご迷惑じゃありませんでしたか?」

堂本組長の養女である萌奈美嬢が、心配そうに黒澤を(うかが)った。

「いえ、本当に構いません。事務所の厨房も通常使用しておりますし、レストラン時代の機材も食器も全て(そろ)っておりますので…お役に立てて良かったと思っております」

「本当に、ありがとうございます。幼い弟や妹も参加出来るので、嬉しそうで…」

「今日は、萌奈美さんのご親族もいらっしゃるのですか?」

花嫁は少しはにかみながら、へにゃりとした笑顔を作る。

「私に、血縁者はおりません。唯一の親族である叔母の家族には、縁を切られた状態なんです」

「それは…失礼致しました」

「いえ…今では堂本や聖の組の方々が、私の家族ですから。一気に人数が増えて、大変ですけど」

何不自由ない幸せそうな笑顔を振り()く萌奈美嬢にも、辛い出来事があったのかも知れない。

それを乗り越えての聖社長との結婚なのだろう。

「本当に綺麗ですね、このステンドグラス…ずっと、拝見したいと思っていたんです」

「ありがとうございます。私の婚約者も…大変気に入っておりました」

「嶋祢会長のお嬢様ですか?」

「いぇ…彼女ではありません」

「あら、ごめんなさい!私、てっきり…」

「いぇ…誤解されている方が多いので…」

あれから1ヶ月、妃奈の行方は(よう)としてわからない…。

田上や、松岡のホームレスのネットワークにも、何も引っ掛からなかった。

唯一、警察に行方不明者届の手続きに行った時に再会した幸村刑事から、柴夫妻が妃奈を見掛けたらしいという話を聞いた。

急いで柴の事務所に出向いて話を聞くと、ツインビルの広場で、柴の奥方と言葉を交わしたらしい。

「根城を変えると、言っていたそうだ」

「…そうですか」

「お京…幸村から、色々あった事は聞いている。だがその後、アンタが引き取って面倒見ていた筈だと聞いたぞ?」

「……」

「俺の事を、まだ刑事だと勘違いした様で、逃げられてしまったがな…一体、どうなってるんだ?」

「……」

「おいッ!?」

「…妃奈は…多分、私の為を思って…出て行ったのです」

意気消沈する黒澤に、以前の様な鋭さはない…唯、鬼火の様なユラユラとした火が男の中に揺らいでいた。

危ないな、この男…一歩間違えば、何を仕出かすかわからない…そんな不気味な物を腹に抱えていると、柴は眉間に皺を寄せ黒澤を見詰めた。

ナオが気になる事を口走っていたが…今は、言わずにいた方が良さそうだ。

「新宿から捜索範囲を広げた方が良さそうだ。俺の方でも、情報が入ったら知らせてやる」

「…宜しくお願い致します」

「大丈夫なのか、アンタ…」

「…妃奈と…婚約していたんです」

「え?」

「なのに…彼女は、私に一言も言わず…出て行きました」

「……」

「…そんなに…信用されていなかったんでしょうか?」

沈痛な表情で(うつむ)く黒澤は、かつての柴そのものだ。

以前、柴に心を寄せる女に傷付けられたナオが、柴の元を離れていた1年半…柴は酒に溺れ、仕事だけを坦々(たんたん)とこなしていた時期があった。

自分も、こんな顔をしていたのだろうか…。

「そんな事はねぇよ…それは、彼女の気遣いだろ?」

「……」

「行き先に、心当たりは?」

「以前根城にしていた新宿中央公園には、知り合いが居ますので…姿を現せば、直ぐに連絡を入れてくれる筈です。世話になっていた養父母の家には…おそらくは寄り付かないでしょう。一番気に入っていたツインビルの広場には、私も度々探しに行くのですが…」

「…携帯とか、持って行かなかったのか?」

「いぇ…何も……彼女が幼い頃から唯一持っていた、鍵束のネックレスも…一番大切だと言っていた私達の家の鍵も…置いて出て行きました」

「…突発的ではない…覚悟の家出って事か…」

「しかし、妃奈は何一つ持ち出していないのです!現金も…何もない状態で…どうやって生活する積りなのか…」

「まぁ、そこは…元ホームレスだからな。生きる方法は、俺達より詳しいかもしれねぇしな」

「…今、新宿を中心に、役所やNPOの福祉団体に問合せしています。幸い妃奈の容姿は目立つので、もし出会った人間が居れば、記憶に残るでしょうし…」

「黒澤さん、アンタ…ちゃんと寝れてんのか?」

「……」

目の下に黒々とした隈を作り押し黙る黒澤に、柴は溜め息を吐いた。

「気持ちは、わかるけどな。ウチも結婚前に、ナオが姿を消した事があったから…」

「そうなんですか?」

「まぁ…ナオは、突発的に出て行って、運良く画家の爺さんに(かくま)われていたんだが…。高橋妃奈も、誰かに世話になってるかもしれねぇだろ?気休めかもしれねぇが、案外幸せに暮らしてるのかもしれねぇぞ?」

「……」

「じっくり捜すんだな。大丈夫…必ずどこかで元気にしてる」

「…ありがとうございます」

互いに気休めと知りながら、会釈を交わして別れた。

自分の意思で出て行った者が帰るのは、やはり自らの意思で帰るしかないのが現状で…何もかも置いて出て行ったという事は、それが『覚悟の自殺』もありえるという事を、互いに理解していた。

それでも(あきら)めろと言わないのは、柴の優しさであり、自らの経験から来るものなのだろう。

(あきら)め切れる物ならば、(はな)から捜したりはしないのだ…。

「…黒澤さん?大丈夫ですか?」

黒い巻き毛を揺らし、心配そうに見詰める花嫁が黒澤を気遣う。

「大分、お疲れの様ですが…お座りになられた方が、良いのではありませんか?」

「…大丈夫です」

「お仕事、お忙しいんですか?」

「いぇ…主にプライベートな事ですので、御心配には及びません」

ノックの音がして、棗がリビングに姿を現した。

「時間だぜ、お嬢ちゃん!」

堂本萌奈美はブーケを持って立ち上がり、たくしあげたベールの前を下ろして、少しはにかみながら黒澤を振り返る。

「今度、黒澤さんの婚約者の方にも、是非会わせて下さいね」

「…私も…彼女を貴女に会わせたいと思います」

「約束ですよ?楽しみにしています」

「…えぇ…必ず」

ニッコリと微笑む萌奈美嬢は、棗の腕を取って隣を見上げた。

「では、参りましょうか…お兄様?」

「ヤメロって言ってんだろうが…参ったな…」

愉しそうにやり取りする2人に、黒澤は深々と頭を下げた。



「大丈夫か、お前?」

両手にシャンパングラスを持った棗が、黒澤に片方のグラスを渡しながら言った。

「とても、他人の結婚を祝うって顔してねぇぞ?」

「…申し訳ありません」

「まぁ…噂は聞いてるからな。そんなに(ひど)いのか?」

「…は?」

「惚けんな、嶋祢の毒蛾(どくが)だよ!」

「…あぁ…度々(たびたび)いらしてますが、何て事はありませんよ」

そう鼻であしらう氷の様な表情に、棗はゴクリと喉を鳴らした。

元々強面で気難しいが、黒澤鷲という男は根が素直で明るい男だった。

仕事以外でこんな表情を見せる事は、(まれ)な筈なんだが…。

それは、夏以来久し振りに打合せの為に会った時にも感じた事だった。

やつれたな…それが、黒澤に再会した第一印象だった。

顔色が悪く頬は()げ、ギラギラとした神経が剥き出しになっている様な…ここに居る本職の極道(ごくどう)より、余程極道の様な顔付きをしてやがる。

「そろそろ結納の話も出てるんじゃねぇのか?」

「とんでもない…お断りしますよ。嶋祢会長からも、お許しを頂きましたからね」

「当人同士の話し合いで決めろって話か?嶋祢会長も、いい加減毒蛾の永久就職先を決めたいんだろうな」

「その様です」

「堂本組長も、承知してるのか?」

「受けるも断るも、好きにして構わないと言って下さいました」

「…という事は、問題は森田組長だけか…」

「……」

「揉めてんのか?」

「…まぁ…そうですね」

「仕事にも、影響するんじゃねぇのか?」

「多分、そういう事になるでしょう。色々、手を回している様ですから」

「大丈夫なのか、お前…」

心配そうに窺う棗に、黒澤は視線を遠くに立つ森田組長に定め、大きな犬歯を剥き憎々しげに吐き捨てる。

「…あの男は…俺がいつまでも大人しい飼い犬だと、(あなど)っているんですよ」

「シュウ!?」

「……」

「止めとけよ…森田組長と正面切って喧嘩しようっていうのか!?」

棗の言葉に、黒澤は冷たい視線を送る。

「…先に喧嘩を売って来たのは、あちらですよ」

「…シュウ」

「あの男は…俺の一番大切なモノを追い詰めて…葬ったんです」

「それは、お前の生まれる前の話だろう!?」

黒澤と森田組長の間柄を知る、数少ない人物の1人である棗の言葉に、黒澤は(あざけ)る様な笑みを浮かべた。

「いいえ…つい、先日の話ですよ…棗さん」

「何だと?」

所詮(しょせん)、あの男にとって大切なのは、堂本組長だけなんですよ。他の人間は、堂本組長を守る為の将棋の駒位にしか考えてないという事です」

「…一体、誰が()られたっていうんだ?」

「俺の…婚約者です」

「えっ!?」

「あの男は、嶋祢蝶子と俺の縁談をまとめる為に…身寄りもなく、俺しか頼る事の出来ない妃奈を…追い詰めて…放り出したんです」

固唾を飲んで聞いていた棗は、少し安堵した表情を浮かべた。

「……()っちまった訳じゃねぇんだろ?案外森田組長が(かくま)ってんじゃねぇのか?ウチのお嬢ちゃんの時は、森田組長が用意したホテルに(かくま)われていたんだが…」

「あの男は…妃奈を嫌っていました。一応は、彼女の面倒は見る積りだと、住む場所も生活も保証すると話したそうですが、妃奈は一切必要ないと断ったそうです」

「……」

「俺は、それを聞いて確信しました。妃奈は…出て行きたくなんてなかったんです。それでも、あの男から俺の為だと脅されて…泣く泣く出て行ったんです」

黒澤は、遠くで堂本組長と歓談する森田組長を睨み付けた。

「嶋祢蝶子も、あの男も…俺は絶対に許さない!!」



…何だろう…あの光は…?

ぼんやりしていた頭が覚醒するに従い、近くを流れる沢の音、木立を抜ける風の音…そして緑と土の匂いが、妃奈の意識に入り込む…。

…生きてる…何で?

地面に大の字になり、(またた)く星を見上げながら、妃奈は思考を巡らせた。

日出夫と文彦に連れ去られ、崖から落とされた筈だ。

そっと手を握ると、日出夫に踏み付けられた指が鈍く痛んだ。

間違いない…じゃあ、何で…。

妃奈は、寝たままゆっくりと躰のあちこちを動かしてみた。

一番痛いのは、右肩と右膝…だが、骨に支障がある訳ではなさそうだ。

ゆっくりと起き上がりふらつく頭に手をやると、頭から流れた血が乾いて顔と髪に貼り付いている。

だが、何とか動けそうだ…妃奈はソロソロと立ち上がり辺りを見回した。

沢から少し入り込んだ河原だろうか?

フワフワとした足元には、枯葉が山になっている。

これがクッションになって命を繋いだのか…何て運がいいのだろう!?

それと、家を出る時に着込んだフリースと、庭仕事をする時に着る裏地がボアのベンチコート。

森田組長と話していて、身も心も寒くなってしまって…いつもの妃奈では、あり得ない程着込んで出掛けたのだ。

寒くなるのが早かった今年の冬は、暖かくなるのも早い様で、今年の桜は例年より早く咲くだろうとテレビの天気予報で言っていた。

とはいえ、まだ2月の下旬なのだ…しかも山の中で…。

もし着込んでいなければ、凍死していたのかもしれない。

暗く(ほとん)ど何も見えない辺りを窺い、溜め息を吐く…。

っていうか…又、死に損ねた…あの2人に殺されるのは本意ではないけれど…世の中の全てから拒否されてた様な感覚に、妃奈はすっかり怖くなった。

唯一の拠り所だった黒澤の元を離れてまで、アタシに生きる価値は、意味はあるんだろうか?

もう、あの温もりに戻れる筈もないのに…そう思いを巡らす妃奈の胃が、盛大な音を立てた。

躰は正直だ…まだ生を(むさぼ)りたいと腹を鳴らす。

水には不自由ない…後は、ねぐらと食料と…。

明るくなったら、付近を散策してみよう。

暗闇の中、妃奈は風の避けられる場所を探し、今後の事を考えながら、体温を温存する様に膝を抱えて夜を明かした。

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