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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
44/80

(44) 失踪

ベッドサイドに置いた小さなランプに照された、しなやかな躰が汗に濡れて(うごめ)く。

傷付けられた自分の躰を見られたくないのか、妃奈は明るい光の下で抱かれるのを極端に嫌がった。

仄暗(ほのぐら)い灯りの中で(あえ)ぐ、伸びやかな四肢。

華奢な躰に、まだ幼さの残る乳房。

切な気に漏れる、鈴を転がす様な声。

年に似合わぬ程に溢れ出る色香と、まとわり付く様に締め上げる結合部。

…黒澤は、再び妃奈に溺れた。

これは、手離せない…坂上が妃奈に執着(しゅうちゃく)したのも(うなず)ける。

だが最初、妃奈は義務感の様に黒澤に躰を預け様とした。

(おび)えて躰を強張らせる妃奈に、黒澤はキスを落としながら優しく囁いた。

「怖いなら、いいんだ…無理をする必要はない」

「…でも…」

「なら、嫌な事があったら言ってくれ」

そう言ってゆっくりと寝かせると、妃奈はおずおずと胸元で握った両の手を差し出した。

「…縛らなくて…いいのか?」

「…ぇ?」

「……猿ぐつわも…クスリも、飲まなくてもいいのか?」

「……」

「…た…煙草の火と、首輪で吊るされるのだけは嫌だ!ナイフで切られる方が、まだまし…」

「お前…俺が、そんな事をすると…本気で思ってるのか?」

妃奈は震えながら(おび)えた目で黒澤を見上げ、小首を傾げた。

…違う……暴力的なsexしかされて来なかった妃奈は、sexは男による無体な暴力だと思い込んでいるのだ。

差し出された両手を引き上げて座らせると、黒澤は妃奈の躰をそっと抱き寄せた。

「…違う、妃奈」

「何が?」

「sexは、暴力じゃない!」

「……」

「本来、sexは…生殖活動だ」

「知ってるよ、それ位」

「……」

「昔、学校のテレビで見た…年に1度、発情期が来て…雄は雌の匂いに誘われて、雌がOKしなきゃ、させて貰えないんだって」

「…そうだな」

「人間だけだ…年中発情して、雌の事なんてお構いなしで、雄が好き勝手して…」

「だから、違う」

「何が?」

「人間にとってのsexは、生殖行為と共に愛情表現の1つだ。互いの愛情を確かめ合う行為だ」

「……」

再び妃奈をそっと寝かせると、黒澤は彼女に伸し掛かった。

「俺の事、好きか…妃奈?」

「…うん」

「俺が怖いか?」

「…うぅん…怖くない…」

少し(おび)えながら、妃奈は首を振った。

「大丈夫…俺は、お前を傷付けない…」

ゆっくりと深く口付けを落としながら、黒澤は少しずつ時間を掛けて妃奈の躰を開いて行った。

「…シュウ…」

いつもは黒澤と苗字でしか呼ばない妃奈が、抱かれる時にだけ甘く呼び掛ける自分の名前に、黒澤は幸せを噛み締めた。



年末に籍を入れた堂本組長の養女である萌奈美嬢と聖社長の結婚披露宴が、3月末に執り行われる事が決まり、森田組周辺も何かと慌ただしい。

式や披露宴の段取り、参列する各組長の接待、それら全てが森田組の仕切りで行われるからだ。

黒澤も度々呼び出されたが、最近その様相が変わって来た。

毎回、嶋祢会長や娘の蝶子が同席するのだ。

時には、蝶子1人に呼び出される事もある。

「どういう事ですか、森田さん?」

「……」

「こういった接待は、本来私の仕事ではない筈です」

「…これも、仕事だ」

「本当に、仕事ですか?」

「……」

「先日、嶋祢会長に…婿養子(むこようし)の件について尋ねられました」

「…そうか」

「私には婚約者が居りますとお断りしたら、驚いておられました。森田組長に聞いていた話と違うと言われましたが…どういう事ですか!?」

「…余計な事を…お前は、黙って我々の指示に従っていればいい」

「冗談じゃない!!その話は、前々からお断りしている筈です!!私の結婚相手は自分で決める…貴方の指図は受けません!!」

素知らぬ顔をする森田組長の背に、黒澤は悪態を吐く。

「…いい加減、私のプライベートな事に介入して来るのを止めて頂かないと、こちらにも考えがあります!!」

「ほぅ…どうする積りだ?」

「私は弁護士です…当然、法的手段に出させて頂きます!!」

「そんな事、出来る訳がなかろう…お前は、私の飼い犬だ」

「これだから、法に無知な方は困る…そういう場合は、貴方と私の契約は不履行になるのですよ」

「…何だと?」

「貴方は、私の雇い主でも何でもない…唯の訴訟相手に出来ると言ったんです!」

「…私の元を去ると…組弁護士を辞めると言うのか!?それがどういう事か、わかっているのか!!」

「当然です」

「……」

「これ以上、私のプライベートに介入しないで頂きたい」

釘を刺したのが功を奏したのか、それから森田組長が黒澤の結婚問題で難癖を付けて来る事はなくなった。

だが相変わらず黒澤の仕事は忙しく、又、結婚相手と目された人物…嶋祢蝶子(しまね ちょうこ)は納得しなかった。

「私、欲しい物は必ず手に入れる事にしているの」

ネイルサロンの帰りに寄ったと言って強引に所長室に入って来ると、出された珈琲に見向きもせずに、嶋祢蝶子は派手な爪先をチェックしながら言った。

確か、今年40歳になると聞いた…金を掛けると、女は幾らでも化ける事が出来る…そんな言葉が一番当て()まる孔雀(くじゃく)の様な女だ。

嶋祢会長には、3人の子供が居る。

長女は嶋祢会の会長補佐(かいちょうほさ)になる程の実力者に嫁ぎ、長男は仙台に拠点のある嶋祢組の組長で、行く行くは嶋祢会の会長を継ぐ人物だ。

要は跡継ぎにも恵まれ、安泰なのである。

だからなのか、年が離れて出来た末娘の蝶子には、嶋祢会長も兄弟達も滅法(めっぽう)甘く、それこそ蝶よ花よと育てられたと聞いている。

「最初に(つまず)いたからかしらね…同じ(てつ)は、二度と踏まないって決めたのよ」

「…堂本組長との事ですか?」

「そう…清和兄様とは、幼なじみなの。昔から私の気持ちを知っていた筈なのに、あんな女に入れ揚げて…」

「……」

「でもまぁ、昔の話よ。それからは、きっちりと欲しい物はもぎ取って来たわ」

()もあらん…この女に関する噂話は、後を断たない。

その場の気分で結婚と離婚を繰返し、財産を吸い取られて破産した会社や組がごまんとあるらしい。

「素敵な事務所だわね…気に入ったわ」

「ありがとうございます」

「私ね、セレクトショップを開きたいのよ」

「……」

「お父様なんて、元は東京に住んでいた癖に、結婚しないと仙台から出さないって言うのよ!馬鹿馬鹿しいと思わない?」

「さぁ…私には、何とも」

「貴方、気に入ったわ」

「……」

「何故、何も言わないの?私は、この場所も、貴方の事も気に入ったと言ったのよ?」

「…私には、婚約者が居ります」

「そんな事、関係ないわ」

「それは、貴女の(おご)りです」

「若い癖に、年寄りみたいな事言うのね?」

フフンと鼻で笑うと、蝶子は挑発的な視線を黒澤に投げた。

「私は、必ず手に入れるわ。貴方も、この土地もね」

「両方共に無理です。私は婚約者を愛しているし、私の財産も、()してやこの土地も、貴女に渡す積りはありません」

「これは、滑稽(こっけい)な事を言うのね?貴方みたいな人が、愛なんて…そんな物、本気で信じているの?」

「以前の私なら、笑い飛ばしていたかもしれません。だが、それは本当の愛情を知らなかったが故です」

「人の気持ちは変わるわ…力によって幾らでも変えられる。金や権力、暴力…世間の目によっても変わる。人の心程、曖昧(あいまい)な物はないわ」

「貴女は本当の愛情をご存知ない。その者の為なら、命を投げうる程の愛があると…私は婚約者に教えられました」

「さて…どうかしら?」

再びフフンと笑うと、蝶子は立ち上がった。

「今の内に理想論を唱えておくといいわ。いずれ、全て私の物にしてみせるから」

自分勝手な自信に満ちた女が所長室から出て行くと、黒澤は辟易(へきえき)しながら椅子に沈んだ。

厄介な女に目を付けられたものだが、嶋祢会長の娘とあっては邪険に扱う訳にも行かず、といって言いなりになる事は()平御免(ぴらごめん)だった。

元はと言えば、年末に嶋祢会の会合が東京で行われるに当たり、籍を入れる直前だった聖社長に、嶋祢会長に同行する蝶子の触手(しょくしゅ)が伸びない様にと、黒澤がスケープゴートに仕立て上げられたのだ。

仕掛けたのは、森田組長…妃奈を助ける為にフラッシュメモリーを使った代償(だいしょう)なのだと割り切り、黒澤は務めを果たした。

その蝶子が、黒澤を気に入ったとまとわり付き出したのだ。

「…ただいま…妃奈?」

夜中に仕事から帰宅した黒澤は、電気の落ちた1階を通り過ぎ2階の寝室へと向かった。

誰も寝ていないベッドに溜め息を吐くと、黒澤はクローゼットの扉を開ける。

黒澤が一緒でないと、相変わらずベッドで休む事が出来ない妃奈は、最近黒澤のクローゼットにこうやって(もぐ)り込む事が増えた。

スーツの並ぶクローゼットの床に、使用済みのシーツを頭から被り、内壁にもたれ小さく(うずくま)(かたまり)を揺り起こす。

「…妃奈…妃奈…」

ビクッと痙攣(けいれん)して、焦点の合わない瞳で見上げた妃奈から、ポロポロと涙が溢れた。

「…どうした、妃奈?」

覗き込む黒澤に手を伸ばし、妃奈は黒澤に(すが)り付く。

「…嫌だぁ…どこにも…行きたくない…」

「妃奈?」

「黒澤と一緒に…一緒に居る…ここに居る…」

(すが)り付く妃奈を優しく撫で、黒澤は妃奈の髪にキスを落としながら囁いた。

「どうした?寝ぼけてるのか?」

クシクシと黒澤の胸に顔を擦り付け、妃奈は小さく頭を振る。

「……少し…夢を見ただけだ」

「まだ、不安なのか?」

「……」

「妃奈?」

「…そんな事ない」

キュッとシャツと胸元の鍵を握ると、妃奈は黒澤の胸に顔を押し付け深呼吸をした。

「…黒澤の…匂いだ…」

そんなに体臭がキツイと感じた事はないのだが…匂いに敏感な妃奈が、それで安心出来るならそれでいい。

それよりも、まだまだ不安がる妃奈に、嶋祢蝶子の事は決して悟られてはならない…黒澤は、その思いを強くした。



そんなある日…妃奈が、突然姿を消した。

『ありがとう。幸せでした』という置き手紙を残して…。

そして手紙と共に、いつも妃奈が胸から下げていた鍵束が残されていた。

「……何故だ…」

鍵を握り締めて(ひざ)から崩れ落ちた黒澤に代わり、小塚が事務所に飛んで行き、栞と共に情報を集めて戻って来た。

「森田組長が訪ねて来られたそうで…一緒に外出されたそうです」

「…森田さんが?何で?」

「少し前から、時折いらっしゃる様になってたんですよ?ご存知ありませんでしたか?」

心配そうな栞の言葉に、黒澤は項垂れたまま首を振った。

「最近は、頻繁(ひんぱん)にいらっしゃる様になって…。毎回、高価なお土産を持参なさって、いつも最後には、妃奈さんと共に自宅で(くつろ)がれて帰られるんです」

「妃奈と…度々会っていたのか!?」

「…えぇ」

黒澤は直ぐ様森田組長にアポイントを取ると、ツインビルの最上階にある森田組の事務所に(おもむ)いた。

「どういう事か、説明して下さい!!妃奈を、どこにやったんです!?」

「落ち着け、黒澤」

「貴方の仕業(しわざ)なんでしょう!?妃奈に、何をした!?」

「私は、何もしていない。唯、彼女と話をしただけだ」

「何を言った!?……まさか、縁談の事…」

黒澤は森田組長に詰め寄ると、胸倉を掴んで叫んだ。

「アンタ、まだわからないのか!?断ると言っただろうが!!」

「…彼女は、(みず)から身を退いた」

「それは、アンタが脅したからだろう!?」

「蝶子さん自身が、お前との結婚を望んでいる。私に何が出来る?」

「アンタが仕掛けた事だ!!アンタが責任を取れば済む話だろう!?俺に、アンタの尻拭(しりぬぐ)いなんかさせるな!!」

「高橋妃奈は、納得した」

「…俺の為に無理矢理納得させたんだろうが!?」

「それでもだ…彼女は、(みずか)ら決断した。彼女の気持ちを()んでやれ」

「……ふざけんなっ!!」

ガツッという音と共に、森田組長の躰がソファーに倒れた。

「…妃奈は、鍵を置いて行った…記憶を失っていた時にも手離さず、態々(わざわざ)俺の所に取り返しに迄来た鍵だ!!婚約指輪なんか要らないと、一番の宝物だと言っていた家の鍵も置いて行った!!」

「……」

「…妃奈の心の()り所だ…俺以外に頼る場所のない妃奈が、心の()り所の鍵迄置いて行った気持ちが、アンタにはわかるか!?」

「……」

「…妃奈は死ぬ気だ…その積りで出て行った」

「…(しゅう)

「名前で呼ぶな!!」

大きな犬歯を剥き出しにして、黒澤は森田組長を睨み付けた。

「お前は、愛情と同情を履き違えているのだ。確かに不遇な環境で育った娘だ。きっかけは、私達の事だったかもしれないが、お前はその罪悪感から彼女に思い入れ、そしてその思いを愛情だと勘違いしたに過ぎない」

「違うっ!!」

「冷静になれ、黒澤」

「アンタこそ、何を寝ぼけた事を言っている!?同情と愛情を履き違えるだと!?勘違いだというのか、この想いが!?」

「……」

「それは、本当の愛情を知らない人間の言葉だ…今迄、誰にも愛情を注いだ事のない人間の言葉だ」

「……それは、違う」

「そうか…そうだな。アンタは、ずっと仕事を愛して来た。アンタにとって何より大切なのは、堂本組長だからな」

黒澤は額に手を(かざ)し、乾いた笑い声を上げた。

「妃奈が一体何をした?…妃奈には、俺しか居ないのに…何故…」

「彼女は、お前の為に(みずか)ら決断した」

「そんな事、わかっている!!」

「…黒澤…彼女の気持ちがわかるなら、私の気持ちも()(はか)れ」

苦し気に眉根を寄せる森田組長に、黒澤は辛辣(しんらつ)な言葉を吐き捨てた。

「何故今頃になって、俺に構って来る!?」

「…子供の幸せを願わない親は、いないものだ」

「笑わせるな!!全部、堂本組の将来の為の行動だろう!?」

「……」

「…アンタは、生まれたばかりの俺を捨てた」

「……」

「そして、俺の本当のお袋を…見殺しにした……それが全てだ!」

「……」

森田組長は何も言わず、眉間の皺を更に深くした。

「俺の親は、黒澤の両親だけだ!!戸籍謄本(こせきとうほん)にも、アンタの名前は欠片(かけら)も出て来ない!!アンタと俺は、赤の他人だ!!…唯のクライアント……それだけだ」

大きく深呼吸をすると、黒澤は森田組長に向き直った。

「妃奈は、どこです?」

「知らん」

「そんな筈はない。私の事務所から、貴方の車に乗り込んで外出した事は明白なんです。何なら誘拐事件として、警察に介入させましょうか?」

「…本当に、知らん」

黒澤が内ポケットから携帯を取り出すと、森田組長は溜め息を吐いて言った。

「確かに、お前の事務所から出る時には一緒だった。だが、彼女は直ぐに車を降りた」

「どこに行ったんです!?」

「知らん…彼女の面倒は見る積りだと、住む場所も生活も保証すると話したが、一切必要ないと言って車を降りた」

「どこで!?」

「お前の事務所から、ここに戻る途中の道だ」

「……わかりました」

携帯を握り締めて話していた黒澤は、通話ボタンを押して小塚を呼び出し、捜索の指示を与えた。

「妃奈に何かあったら…私は、貴方を一生許さない」

「……」

「その時は、貴方の一番大切な物を頂きます」

「…何?」

「貴方自身や森田組に報復(ほうふく)しても、貴方は痛くも痒くもない人間だというのは知っています。そうですよね?」

「……」

「やはり狙うなら、貴方の一番大切な堂本組ですか…組長は無理だとしても、家族の方を狙うなら、私にも可能かもしれません」

氷の様に冷たい視線で見下ろす黒澤の口元が引き上がり、猛獣の牙の様な犬歯が光る。

「黒澤!?」

「貴方がやった事と同じ事をすると言っているんです」

「……」

「それが困るなら、貴方の方でも妃奈を探して下さい。無傷で、私に返して下さい」

「……」

「私は、本気ですよ…森田さん」

「…尽力(じんりょく)しよう」

「嶋祢蝶子さんの件も、貴方の責任に(おい)てきちんと嶋祢会長に断って下さい。でないと、私は彼女にも制裁(せいさい)を与えるかもしれません」

黒澤はそう突き付ける様に森田組長に吐くと、森田組の事務所を後にした。


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