(40) 監禁
目の前に突き付けられたフラッシュメモリーと、プリントアウトされたその内容に…そして、夏目が示唆した新宿で出回っているドラッグに関する調査と、署内の裏サイトからの情報に、佐伯啓吾は唸り声を上げた。
かつて自分が解決した事件の裏で、とんでもない不正が行われていたかもしれない事実、そして全て解決出来たと思っていた、自分自身の驕り…。
「間違いないのか、夏目?」
「…恐らくは」
「う~む……しかし、黒澤さん」
「何でしょうか?」
「コレを表に出してしまって…本当に宜しいのですか?」
「どういう意味でしょう?」
「いぇ…コレを表に出す事で、貴方の身に危険はないのですか?」
訝しむ佐伯に、黒澤は難なく答える。
「あぁ…問題ありません。上の許可は、取ってあります」
「……」
「まぁ…妃奈を助ける為には、許可がなくても使う積りではありましたが…」
森田組の許可を得ているという事か…しかし、幾ら過去に起きた事件で現在は解散しているとはいえ、三上組の名前や幹部の名前が出てくるのだ…。
これを公表する事で、黒澤に堂本組の制裁がなされる危険があるのではないだろうか?
「…私共としては、とてもありがたい申し出ですが…」
「佐伯さん、私は何も、貴殿方にこのフラッシュメモリーを差し上げる訳ではない…これは、妃奈を取り戻す為の餌に過ぎません。唯、これ以上妃奈が奴等に付きまとわれる事のない様に、妃奈を取り戻した後に毛利を逮捕する材料にして頂きたいのです」
「貴方は、どうなさるお積りですか?」
「毛利を呼び出し、妃奈を引き渡す交渉材料にします」
「渡してしまうお積りですか?」
「妃奈の命には、変えられません」
「…わかりました。特別班の方で、少しお待ち頂けますか?」
佐伯の言葉に立ち上がった黒澤を、夏目警視が会釈して案内に立つ。
「…これで、事態が動きます」
「どういう事です?」
「恐らく、本庁が動きます…署長が人払いをしたという事は、そういう事です」
「本庁…警視庁が動くのですか?妃奈の誘拐事件に?」
「いぇ…」
曖昧な笑みを浮かべ、夏目警視はエレベーターのボタンを押した。
ここでは、これ以上話したくないのだろう。
特別班のある地下1階のボタンを押した夏目警視に、黒澤は思わず声を掛けた。
「…そういえば、地下なんですね?」
「あぁ…黒澤さんは、よくこちらにおみえになるんですよね?」
「えぇ…まぁ、仕事柄。ですから、前回お伺いした時には、驚きました」
「本庁に次ぐ大きさを持つ新宿署ですが、どこも飽和状態なんです…というよりは、ウチの班とは肩を並べたくないというのが、各課の意向の様ですね」
「……」
「しかし、便利な部分もあるのです。直ぐに現場に向かう事が出来ますし、自分達の好きな様に使えます。何より良いのが、情報が漏れないという事でしょうか?」
初めて会った時とは違う、幾分柔らかな雰囲気を醸し出して話す夏目警視に、黒澤は小さな笑みを浮かべた。
駐車場の警備を抜けて直ぐにある、グレーの大きな扉には『特別班』と書かれた紙がテープで貼り付けてある。
キャリアで然も若い女性にも関わらず、体裁に拘らないタイプなのだろうか?
小さな躰で鉄の扉を開けると、夏目警視は中にある扉のインターホンを鳴らした。
「…どなたです?」
「私です。開けて下さい」
「…合言葉は?」
「カメラで見ているのに、必要ですか?」
「…合言葉を」
「……メアリー1世は、トマトジュースが大好き」
「確認しました。どうぞ」
真っ赤になる夏目警視の後に続くと、倉庫の片隅に並べられた机の周辺で、大の男達がクスクスと笑っていた。
「…何ですか、今のは?」
「娯楽ですよ、セキュリティという名のね」
「何せ、ホラ…こんな地下に追いやられてるもんですから、我々はね」
年若い女性上司をからかう風潮は、どこの職場でもある様だが、夏目警視は余り気にする様子もなく黒澤を応接ブースに誘った。
「お嬢ちゃん、進展はあったのかい?」
「えぇ…毛利剛の件と合成麻薬の件は、本庁が動く事になるでしょう」
「本店が!?」
「今、署長が上と交渉しています」
「じゃあ、ウチに丁場が立つのか?」
「いぇ…多分、本庁内に立ちます。ここに丁場を立てると、情報が漏れる可能性がありますから」
「何だよ、つまんねぇ…俺達が掴んで来たネタだろうよ!?」
「ですが、本庁が出張るとすれば…所轄は捜査から外され、世話係にされてしまいますよ?それでも良ければ、推薦しますが?」
夏目警視の言葉に、部下達は一様に黙り込んだ。
「物は考え様です。これで、当初の捜査に専念出来る訳ですから」
「……」
「私達の捜査は、拉致監禁事件です。高橋さんを拉致した坂上恭と協力者を逮捕し、彼女の身柄を速やかに救出する事です」
「ですが班長、どこに監禁されているか…今のところ皆目検討がつきません。それにあれ以来、坂上の行方も掴めていません」
三田村刑事の言葉に、黒澤が口を挟んだ。
「菱川組は…お調べになりましたか?」
「流石に森田組の弁護士さんだ。組の方でも、他に情報掴んでるのかい?」
「他に情報というと?」
「例えば、新しく流れ始めた、合成麻薬とか…」
年配の刑事が、くわえ煙草で黒澤に尋ねた。
「いぇ…情報は、組からではありません。しかし、菱川組は脱法ハーブの他に、合成麻薬にも手を出しているんですか!?」
「そうみたいだな…かなりキツイヤツで、死人が出てる。高橋さんに使われてなきゃいいが…」
刑事の言葉に、黒澤は膝頭を握り締めた。
「妃奈は…妃奈は、坂上に度々薬を使われていた様です。入院させた時も、肝臓の数値が悪くて…」
黒澤の言葉に、夏目警視の目付きが変わった。
「高橋さんは、ドラッグを使われていたんですか?」
「えぇ…坂上に躰を奪われる時には、度々使われていた様です」
「他には、何か聞いていませんか?」
「…坂上の知り合いの医大生に、治験体にされている様な事を…」
「成る程…医大生ですか。これは、盲点でした…他には?」
「えっ?そうですね……以前、ラブホテルで使用された時、出血が酷く置き去りにされ、警察沙汰になったと聞きました」
「いつ頃の話ですか?」
「さぁ…躰中の孔から血が溢れて止まらなくなったと聞いています」
「班長!?」
「文字通り、治験体にされていた可能性がありますね。直ぐに坂上と菱川組周辺の医大生を洗い出して下さい。過去の事件も、警察沙汰になっているなら記録が残っている筈ですから調べて下さい。それと、茂木良介にも確認を取って下さい」
「茂木に?奴は、兄貴殺害の件で坂上に脅されただけじゃ…」
「彼も医大生です。誘われていても、おかしくないと思いませんか?何にしても急ぎましょう!本庁より先に動かなければ、被疑者を持って行かれます!!」
「…了解しました!確認して来ます!」
バタバタとパソコンに向かったり、走り出す部下を横目に、夏目警視は黒澤に言った。
「黒澤さん、フラッシュメモリーを少しお借り出来ませんか?」
「えぇ」
「コピーを取らせて頂いて…少し細工をさせて頂いても宜しいですか?」
「構いません」
差し出したフラッシュメモリーを受け取ると、夏目警視は立ち上がり部下の机に態々出向き、メモリーを渡しながら言った。
「和田君、コピーと…トラップを仕込んで下さい」
色々と指示を出す夏目警視に視線を向けていると、目の前に温かな湯気を上げるお茶が置かれた。
「熱いですから、気を付けて下さい」
「…ありがとうございます」
お茶を置いた三田村刑事は、目の前のソファーに座って言った。
「大丈夫ですよ。ああ見えて、ウチの班長は遣り手なんで…」
「ドラッグも絡んでるんですか?」
「えぇ…かなり強烈なドラッグで、数年前に三上組が絡んだドラッグの改良版の様です」
「…先程、坂上の居場所がわからないという話でしたが?」
「坂上の自宅や店、交遊関係、菱川組関連の店等、監禁出来そうな場所は軒並み捜しましたが、収穫はゼロでした」
「……」
「後考えられるのは、毛利名義の場所です。自宅、別荘、坂上の母親とは別の愛人に持たせてある店やマンション…しかし、手が出せず監視を続けている状態です」
「…成る程」
「この後、黒澤さんはどうなさるお積りですか?」
「毛利に、妃奈を無事に引き渡す交換条件に、フラッシュメモリーを渡すと連絡を入れ様と思います」
「乗って来るでしょうか?」
「えぇ、必ず」
「自信があるんですね?」
「えぇ…何せ、私は…父と兄の殺害現場に居た、生き証人ですから」
「…1人で行かれるお積りですか?」
「勿論です」
「…ならば、貴方以外に連絡を付けられる人物を教えて下さい」
「承知しました」
黒澤は携帯電話を取り出すと、小塚に特別班に来る様に連絡した。
躰中が軋む様な痛みと悪寒、そして鼻の奥にある粘膜のヒリ付く痛み…。
口の中の生臭く鉄臭い臭いに辟易して寝返りを打つと、ジャラリという音にゾクリとして喉の痛みを思い出す。
茂木良介と待ち合わせをし、自首する様に説得する積りだった。
だが良介は鼻で笑い飛ばし、『お前の責任だ』と言って妃奈に薬を嗅がせた。
それから意識が泥の様に沈み…気が付いた時には、全裸で繋がれていたのだ。
そう…本当に犬の様に首輪をされ、手枷迄付けられ…鎖に繋がれていたのだ。
こんな事をする奴は、1人しかいない!!
「…やっぱ駄目じゃねぇか…血ぃ吹き出すわ、ちっともよがらねぇわ…」
「俺達のせいじゃない!この女の感度のせいじゃないのか!?」
「そうだよ…それに、他の人間には成果が出てるんだし…」
「それも、刺激求めて量を取って、死人迄出してりゃ…コッチに手ぇ回ってもおかしくねぇんだぞ!?現にウチの店や家や、菱川ん所にもポリ公に入られたんだ!」
「ねぇ…そろそろ止めた方が、いいんじゃないのかなぁ?警察沙汰は困るよ…」
「今更、何言ってやがる!?あれっぽっちの薬で、大金手に入れたんだろうが!?」
「あれだって、君が押し付けた様な物だろう!!」
坂上と、学生の様な2人の男が言い合う声が頭に響く…。
男の1人には見覚えがある…何度か妃奈の事を治験者だと言って、薬を口に入れた奴に違いない。
「それに俺が許しても、菱川が許す訳ねぇだろ!?金は、菱川から出てんだからな」
「全く…ヤクザが絡むなんて、聞いてないぞ!」
「馬鹿じゃねぇか!?」
坂上が、近くにあった椅子を蹴り飛ばした。
「合成ドラッグだぞ!?ヤクザが絡んでないと思う方が、どうかしてんだろ!!」
黙り込んだ男達に悪態を吐き、坂上はケッと言って妃奈の所に来ると鎖を掴んで引き上げた。
「大体…コイツに効かなきゃ、意味ねぇんだよ!」
グッと息が詰まり、首輪を掴み喉をかきむしる妃奈を、3人の男達が冷やかに見下ろした。
「まぁ、薬が効かねぇなら…痛みで服従させるしかねぇよなぁ、クロ?」
「…ふざ…けんな…」
「お前が、ちゃんとご主人様の所に帰って来ねぇからだろ?俺が、ペットにしてやるって言ってんのによ!」
坂上は、妃奈の手枷をベッドのフックに掛けて固定すると、妃奈を俯せにして背中に跨がった。
「暴れるな!!大人しく俺に服従しろ、クロ!」
「嫌なこった!!誰がお前なんかに…」
首輪の鎖が引かれ、又息が詰まる。
坂上は力の入らない妃奈の腰を持ち上げると、強引に身を重ねた。
「…俺達は、失礼する」
「言って置くけど、その娘にそれ以上薬を使うのは、お薦めしないよ。下手すれば、命を落とすからね」
「煩せぇよ!!さっさと行けっ!!」
男達が部屋を出ると、坂上は妃奈の背中をナイフで切り付けながら凌辱を繰り返した。
「俺の物だ…クロ…お前の飼い主は、俺だ!!」
「……殺せ…」
身を切り裂かれる痛みと、躰を凌辱される悲しみ、人間として扱われない屈辱よりも、もう黒澤の元には戻れない悲しみの方が大きかった。
もうあの手で撫でられる事も、あの腕に抱き締められ、熱い口付けを交わす事もない…。
妃奈は目を閉じて、坂上の暴行にひたすら堪えた。
気が付いた時、坂上はベッドの横に座り電話をしていた。
「…何言ってんだ、親父!?アレは、俺の物だ!!何で、そんな取引きに使わなきゃならない!?……はぁ?知らねぇよ、そんな事!…あぁ…あぁ……わかった。連れて行くだけでいいんだな?あぁ…じゃ、後で」
ベッドに携帯電話を放り投げた坂上が、再び妃奈に覆い被さる。
「もう少ししたら、散歩に連れて行ってやるぜ、クロ」
「……」
「お前を連れ戻したいって男が、親父の欲しい物持って現れるとよ」
「!?」
「勿論、渡す積りなんてねぇが…気になるのは、親父の方だ。お前を取り戻してから、連れて来いって矢の催促だ。お前、俺の親父とも何かあんのか?」
訳がわからず、妃奈はユルユルと首を振った。
「だよなぁ?まさか、親父がどこかでお前を見て、気に入ったって事もないだろうが…」
「……」
「まぁ、誰が何と言おうと、お前は俺の物だ!!死ぬ迄飼い続けてやるからな」
けたたましい高笑いをする坂上に、妃奈はガックリと首を落とした。




