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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
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(4) 交通事故

「今夜、時間は作れるか?」

事務所に帰って直ぐに入った森田組長からの電話に、黒澤は短く答えた。

「大丈夫です」

「仕事ではない。堂本組長が、お前と食事をしたいと仰ってな」

「…そうですか」

この土地を(ゆず)る気はないかと打診して来たのを断ったのが、余程気に入らなかったという事か?

文句を言わせない様に、事務所迄移転させたのに…。

「土地のお話しでしたら…」

「いゃ、その件は先方も承知している。唯…」

「唯?」

「…少し文句が言いたいのだろう」

「そうですか」

「大丈夫だ。私も…それに女性も同席するから、荒事(あらごと)にはならない。何なら、誰か同伴するといい」

「それでは、小塚を同席させて頂きます」

「相変わらず、色気のない男だな」

フッフッと笑う森田組長の声に、最近様々な所から持ち出される見合い話ではないと(とら)えて安堵する。

場所と時間を確認して、黒澤は椅子に沈んだ。

前のオーナーから、この土地を相続したのだと噂が流れた時、様々な人間が譲って欲しいと連絡をして来たが、黒澤は(ことごと)()()けた。

いい加減煩いさえずりを排除する為に事務所を移転させ、本来ならシンプルなインテリアが好みの黒澤が、このクラシックな建物を潰さなかったのには、ある理由があっての事だった。

しかし…無機質で人工的なコンクリートのマンションとその景色に満足していると思っていたが、緑溢れる庭と落ち着いた古い家具に囲まれた所長室に居ると、昔住んでいた自宅兼事務所を思い出してしまう。

こんなに広い土地ではなかったが、それでも自宅には子供が遊べるだけの庭があり、事務所は祖父から引き継いだ古い家具に溢れていた。

机の一番上の引出しを開け、黒澤は中の写真立てを取り出して眺める。

司法試験に合格した時、事務所で父と兄と共に撮影した物だ。

その自宅兼事務所も、写っている家族も…今はない。

組弁護士をしていた父と兄が、抗争に巻き込まれ命を落として6年になる。

その頃、父の(はやと)は堂本組傘下の寺嶋組の弁護士を務め、兄の鷹也(たかや)が森田組の弁護士を務めていた。

最初、父と共に寺嶋組の弁護士を務めていた兄は、その優秀さを買われ、堂本組の若頭を務める森田組長に引き抜かれたのだ。

勿論、移籍に関しては円満だった…森田組長と寺嶋組長は、共に堂本組内でフロント企業として(しの)ぎを(きそ)ってはいたが、元経済学の大学教授をしていた寺嶋組長に、森田組長が教えを請う様な関係だったからだ。

移籍した兄は、森田組長から密命を受け、堂本組の内部調査に奔走(ほんそう)していた。

そして兄は、まだ見習い弁護士だった黒澤に言ったのだ。

(しゅう)…もしも、俺に万が一の事があったら…」

「万が一って、何だよ兄貴!?」

「もしもの話だ。その時は、(かね)てから言ってある物を持って逃げ延びろ!いいか…絶対に、誰にも渡すんじゃないぞ!?」

「森田組長にも?」

「そうだ…まだ、全てが把握出来てない。どこで誰が繋がっているのか…全てが把握出来る迄、誰にも知られる訳にはいかないんだ…」

「何調べてるんだ、兄貴!?」

「身内の調査だ…それ以上は言えない」

「兄貴!?」

「これが公になれば…堂本組だけじゃない…新宿という街が、ひっくり返る事になる…」

ノックの音がして、思考が中断される。

「小塚です」

「…入れ」

「失礼します」

小さなワゴンを押した小塚が、扉を開け中に入って来た。

少し眉を潜めると、黒澤は手に持っていた写真立てを机の引き出しに入れた。

「…何だ?」

「根津さんから、昼食を持って行く様に言われました」

そう言って、小塚は応接セットに運んで来た食事を並べた。

「表札とアーチの看板の取り付け、及び確認作業を終了致しました。隠しカメラ、盗聴器共に問題ありません」

「そうか」

「根津さんより、厨房に人を雇い入れ、事務と派遣部の人間に食事を提供したいという要望が出ています」

「…又、あの人は…」

机から応接セットに移り、用意された握り飯をほうばる。

幼い頃から面倒を見て貰っている根津栞は、黒澤にとって育ての親も同然だった。

祖父の代から事務所で働いていたが、今は黒澤の世話をしつつ、事務の仕事をしてくれている。

「如何致しましょう?」

「…そうだな」

「何なら、以前こちらの店に勤めていたシェフを呼び戻しましょうか?」

「え?」

「こちらの店を、贔屓(ひいき)にしていらっしゃいましたので」

「いゃ…必要ない。料理が目的で通っていた訳ではないからな」

「では、やはり…こちらのオーナーとお知り合いだったからですか?」

「…今日は色々と詮索(せんさく)して来るな、小塚?」

「申し訳ありません。私も、そう思います」

「…料理人の事は、考えて置く」

「承知致しました」

数年前、兄の懸念(けねん)通り新宿を震撼(しんかん)させる麻薬の事件が起きた。

それを皮切りに起きた堂本組内を真っ二つにする様な一連の事件の後、麻薬を扱う事を止める意向の堂本組内では、組内を一新させる様な大きな改革を行い、おおよその(うみ)は出し切ったと判断している様だ。

だが…黒澤自身の問題は、何も解決していない。

父と兄を殺害し、自宅兼事務所に放火した犯人の確定も…黒澤の軽率な行動で、被害を(こうむ)った者への(つぐな)いも…まだ何も終ってはいないのだ。

「…小塚」

「はい」

「お前には、何か目標があるか?」

「ぇ?」

「…」

「いぇ…特には…」

「…追い掛けていた目標が、突然尻切れ蜻蛉(とんぼ)の様になくなってしまったら…お前なら、どうする?」

「…新たに、他の目標を探すでしょうか?」

小塚の答えに、黒澤は影のある表情で(つぶや)いた。

「…砂浜に落としたダイヤが…実は()っくに……海に流されていたとしたら……やはり、(あきら)めるべきなのか…」

「所長?」

「いゃ…何でもない。7時半に会食がある。お前も来い」

「承知致しました」

腰を折り小塚が退出すると、夏の陽射しに照り返る裏庭を眺め、黒澤は大きく溜め息を吐いた。



7時を回ったのに、まだ空が薄明かるい…車のエンジンを掛けて、サウナの様な車内をクーラーでギンギンに冷やし、店の場所をナビに入れ、車内の設備をチェックする。

建物から黒澤が出て来た気配を察して車から出た小塚は、黒澤に付き従う壮年の男性に眉を上げた。

寺脇(てらわき)部長も同席されるのですか?」

「いえ…自分は運転手として同行するだけです。小塚さんも、どうぞ後ろに…」

「ぁ…では、私は助手席に…」

小塚はそう言って2人に頭を下げ、黒澤が乗り込むのを見届けると助手席に乗り込んだ。

普段、黒澤の乗る車は小塚が運転する…小塚は黒澤の秘書であると同時に、運転手でありSPだからだ。

派遣部の責任者である寺脇は、森田組の人間だ。

小塚は社会人になって直ぐ、組関係の事とSPの仕事を寺脇に、弁護士秘書としての仕事を栞に、みっちりと仕込まれた。

その頃から寺脇は、小塚の事を敬称(けいしょう)を付けて呼ぶのだ。

呼び捨てにするのは、派遣部の人間である森田組の身内だけ…堅気(かたぎ)の人間には、敬称を付けるというのが寺脇のポリシーらしく、派遣部の人間は皆それに習っている。

「…所長、今日はどなたと会食なのですか?」

「…堂本組長と…だそうだ」

「私などが同席して、宜しいのですか!?」

驚いて後部座席を振り返る小塚に、黒澤は憮然(ぶぜん)と答えた。

「心配するな…森田組長も、それに女性も同席されるそうだ」

「…そうですか」

「では…」

小塚に代わり、寺脇が会話を引き継いだ。

「何だ?」

「こちらも、女性同伴の方が良かったのではありませんか?」

「…」

寺脇の言葉に、黒澤は不機嫌な顔でバックミラー越しに彼を(にら)む。

「一体、誰を同伴しろというんだ?」

「それは…磯村先生とか…根津さんとか?」

「ありえんだろう…」

「そうですか?まぁ、小塚さんを同伴される方が良いのかもしれませんが…」

「どういう意味だ?」

「いぇ…最近、所長の周りには見合い話が沢山来ている様なので…案外、今夜もそういう席なのかもしれませんね?」

「森田組長の口振りから、それはない」

そう黒澤が吐き捨てた途端、寺脇が急ブレーキを踏んだ。

キキーッという音と共にドンッという衝撃…車内の全員が前のめりになろうとするのを、シートベルトが(はば)んだ。

「大丈夫ですか!?所長!!」

「…何があった?」

「…申し訳ありません…どうやら、人を()ねた様です」

「!?」

沈痛な面持ちで答える寺脇に、小塚が口を添えた。

「歩道から、急に…後ろ向きに飛び出して来ました。あれでは、避けようがありません!」

小塚はそう言ってシートベルトを外し、車外に飛び出して()ねられた人物に駆け寄った。

「…寺脇、脇見していた訳ではないな?」

「はい」

「カメラは?車からの撮影は、されているか?」

寺脇は、フロントガラスに取り付けられたカメラを確認して(うなず)いた。

「大丈夫だ…まずは、こちらから警察に連絡する」

黒澤がそう言って携帯を取り出した時、運転席の窓ガラスを叩く音がした。

寺脇がパワーウィンドウを下げた途端、数人の若者がニヤニヤと笑いながら窓を取り囲んだ。

「あ〜ぁ、オッサン…何やってくれちゃったかなぁ?」

「よくも、俺達の仲間を()ね飛ばしてくれたなぁ…この落とし前、どう付ける気だよ?」

成る程…当たり屋に引っ掛かったという訳か…。

「ここに居ろ、寺脇」

「…しかし、所長!?」

「お前が下手に動けば、ややこしくなる…窓を閉めて、汐留(しおどめ)の方に連絡を頼む」

「何だと、コラッ!?」

「誰に喧嘩を売ったのか…思い知らせてやる!」

そう言うと、窓の外で叫ぶ若者達の相手をする為に、黒澤は携帯を掴んだまま車外に出た。

長身で強面の男に、若者達は一瞬(ひる)んだ表情を見せた…と、黒澤はいきなり若者達に向けて携帯のカメラのシャッターを切った。

「ッ!?」

「何すんだ、コラッ!?」

「お前達の仲間の方から車に飛び込んで来たんだ。被害者は、こちらの方だ」

「何言ってんだ、コイツ!?」

「俺達の仲間は、大怪我してんだぞ!」

黒澤は、チラリと道に倒れている人間に目を走らせた。

大怪我をしたと言う割に、倒れている人間に付き添うのは、小塚ともう1人…オロオロとする男だけだった。

「まぁまぁ、アンタもさぁ…運転手付きの車に乗ってるって事は、社会的地位にある人なんだろ?こんな事が世間にバレたら、ヤバいんじゃねぇの?」

「…何が言いたい?」

「だからさぁ…俺達も、魚心あれば水心ありって事だよ」

「…」

「金で解決してやるって言ってんの!わかる、オッサン!?」

(いき)がる若者達の言葉に、ヤレヤレという風に頭を振ると、黒澤は不機嫌に言い放った。

恐喝罪(きょうかつざい)だ」

「はぁ!?」

「今、お前達がやっている事だ。恐喝罪…10年以下の懲役(ちょうえき)になる」

「…お前…」

「お前達の仲間にしてもそうだ。自ら飛び込んで来たのなら、危険運転致死傷罪(きけんうんてんちししょうざい)…15年以下の懲役になる。もしも、お前達に突き飛ばされたのなら…」

「…何者だ…お前…」

「私は、弁護士だ」

「チッ‼」

舌打ちする若者に、他の仲間が加勢する。

「証拠は!?突き飛ばしたなんて証拠、何もねぇじゃん!?」

「そうだ!吹かしてんじゃねぇぞ!!」

「…という事は、突き飛ばしたんだな?」

「…」

「残念ながら、証拠はある」

「何だと!?」

「あの車には、走行中の車内外を撮影する車載(しゃさい)カメラが搭載(とうさい)してある。最近は、タクシーにも搭載されているカメラだ。警察で解析(かいせき)すれば、誰が突き飛ばしたのかもわかるだろう」

「…せめて、医療費と見舞金位、出せよな!」

「何を言っている?普通の事故なら(まだ)しも、当たり屋をする様な奴等に払う金等、私は持ち合わせていない」

「畜生ッ!!」

「ついでに言って置くが、車のカメラの映像と一緒に、先程撮影した写真も警察に提出しておいてやるから、その積りでいろ」

黒澤が勝ち誇った笑みを浮かべた時、どこからかピューッという指笛が鳴った。

その途端、若者達は悪態(あくたい)を吐き捨て散々(ちりぢり)に駆け出した。

「ズラかるぞ!」

「覚えてろッ!!」

そして、路上に倒れた人間に付き添う仲間に呼び掛ける。

「行くぞ、善吉!」

「で、でも…」

「放っとけって!あんなに()ね飛ばされたんだ!クロ助も助からねぇって!!」

「…」

「来いッ!!退却(たいきゃく)の合図だ!!マズいんだよっ!!」

そう言うと、仲間の首を抱えてズルズルと引き()って行く。

「ヒナッ!?ヒナァッ!!」

叫びながら遠ざかる若者の声に、勝ち誇っていた黒澤がビクリと反応した。

「…何…だと?」

バクバクと跳ね上がる心臓を抑え、慌てて小塚の元に近寄ると、黒澤は倒れている人物をマジマジと見入った。


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