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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
39/80

(39) 交渉

茂木良介に連絡が付かなかった時点で、黒澤はようやく警察に連絡を入れた。

ところが、特別班の夏目から直ぐに新宿署迄お越し頂きたい、妃奈の行方は把握(はあく)していると言われ、黒澤は急いで新宿署迄出向いた。

「どういう事です!?夏目さん!!妃奈の居場所を把握しているというのはっ!?」

特別班の部屋に飛び込んで(まく)し立てる黒澤に、電話を掛けている夏目警視に代わり三田村刑事が応接ブースに(いざな)った。

「落ち着いて下さい、黒澤さん。どうぞこちらに…」

「どういう事なんです!?」

「先日、貴殿方がこちらにいらしてから、我々は班長の命令で、高橋妃奈さんの警護をしていました」

「え?」

「本日昼過ぎ、高橋さんは1人で外出されましたが…黒澤さんは、ご存知だったのですか?」

「…いぇ…私の知らない内に、外出してしまって…。私も出先から帰って始めて知りました。ウチの警備の人間にツインビルに出掛けたという情報を聞き、現地に向かったのですが、既にその場所を離れてしまっていて…。ツインビルで会っていたのが、妃奈の養育里親の娘の菅原美子さんだとわかり、彼女に会って来ました」

「それは、それは…」

「妃奈は彼女から、西堀善吉さんの弟の茂木良介さんの連絡先を聞いたというのです。直ぐに茂木さんに連絡を入れたのですが、携帯が繋がらないのです」

「…茂木良介は、現在署内に居ります」

「は?」

黒澤は訳がわからず眉根を寄せた三田村刑事の顔を見詰めていると、電話を終えた夏目警視が応接ブースに姿を現した。

「茂木良介は、西堀善吉さん殺害の容疑者です」

「えっ!?」

「それに…中学生だった高橋妃奈さんを妊娠させ、その事実を隠蔽(いんぺい)する為に菅原家に放火した犯人だった様です」

「何ですって!?」

「高橋さんは、貴方に何も話さなかったのですか?」

「…いえ…何も…」

「…そうですか」

「妃奈は…妃奈は、どこに!?こちらに保護されているのですか!?」

「それが…」

顔を曇らせる夏目警視に代わり、三田村刑事が眉を寄せたまま謝罪した。

「申し訳ありません、黒澤さん…高橋さんは、拉致(らち)されてしまいました」

「何だとっ!?」

申し訳ありませんと頭を下げる目の前の2人に、黒澤は(うな)り声を上げながら机を叩いた。

「何故!?何故、そんな事になっている!!妃奈を警護していたんだろう!?」

「…申し訳ありません」

「いえ、班長…我々の失態です。班長の指示に従わず、高橋さんを泳がせて犯人を確保しようと焦った、我々の責任です」

「いえ…計画を立てたのは私です。一刻も早く、彼女を奪還(だっかん)しなくては…」

「妃奈の居場所は…拉致した犯人は、わかっているんですか!?」

「はい…拉致したのは、坂上恭です」

一番出て来て欲しくない名前が出た事に、黒澤は愕然(がくぜん)とした。

「黒澤さん、至急高橋さんの捜索願いを出して頂けませんか?坂上恭の家や店を捜索するにしても、我々も動き様がないのです」

「…承知しました。今度こそ…妃奈の安全を第一に、捜索して下さい」

ところが、乗り込んだ坂上の自宅にも、歌舞伎町の『パンク』にも、妃奈の姿はなかったのだ。



暗い所長室の電気を付け、机の横に置いてある金庫のダイヤルを回す…。

中には黒澤が個人的に扱う重要書類と共に、小さな箱が納めてあった。

箱を取り出して金庫の扉を閉め、黒澤は溜め息を吐いて椅子に沈んだ。

箱の中に納められてある手帳を取出し、震える手でそっと撫でる。

これは…父と兄が、命懸けで守った物だ。

兄がコツコツと調べ上げ、黒澤に託した物だ。

あの事故の夜、黒澤が妃奈と再会して直ぐに取った行動は、幼い妃奈に預けた鍵を取り戻す事だった。

我ながら、現金な事だ…妃奈の行方を探していたのは、何も人道的な事だけではなかったのだ。

あの時、敵に捕まるかもしれなかった状況で、自分に好意を寄せる年端(としは)も行かない少女に預けた方が、奴等の欲しがる証拠品を奪われる確率が少ないと読んだ。

路上で生活し、過去の記憶の一切を失っても尚、妃奈は胸に下げた鍵を大切に持っていた。

まさか、後日妃奈が鍵を取り返す為に、態々(わざわざ)黒澤の事務所を訪ねて来るとは思わなかったが…あの時の約束も、覚えている筈がないのに…。

衝突事故の翌日、妃奈が病院から逃げ出したと連絡を受け警察に捜索願いを提出してから、黒澤は銀行に(おもむ)き貸金庫の中から手帳とUSBフラッシュメモリーを取り出すと、他の書類と入れ換えた。

兄が森田組長から依頼されたのは、堂本組内の裏切り者を洗い出す為の証拠を集める事だとは聞いていたが、詳しい内容について黒澤は何も知らなかった。

几帳面な兄の手帳には、堂本組内の麻薬推進派と反対派の勢力図、Asia製薬の詳しい内情、麻薬推進派の組とAsia製薬の癒着(ゆちゃく)、当時Asia製薬が作ろうとしていた合成麻薬の情報、Asia製薬が上海やロシアのシンジケートとコンタクトを取っている事等がビッシリと書かれてあった。

これらは、黒澤が大阪に居た頃に起こった麻薬絡みの事件の背後関係だろうと思われる。

黒澤が森田組の顧問弁護士を引き受けて以降も、事件の話はあちらこちらから聞いていた。

だが、兄が殺害された時に脅されていた、検察庁に告発される様な公人が絡む事件ではない。

黒澤は、再度手帳を深く読み込んだ…すると、新宿警察署に関するメモ書きが、所々に記載されている事に気が付いたのだ。

特に麻薬摘発の時期と、麻薬推進派の組の銀行の動き、その後の麻薬の動き。

そして『M』と書かれた下に、何度もアンダーラインが引かれる事に疑問を持った。

最初は、合成麻薬の事だと思っていたが…。

それが新宿警察署組織犯罪対策課の元課長、毛利剛の事を指すとわかったのは、パスワードを解いてUSBフラッシュメモリーを開いた時だ。

毛利の経歴、暴力団との癒着(ゆちゃく)、そして…摘発押収(てきはつおうしゅう)した麻薬を暴力団に横流しし、キックバックを要求している事実…。

『これが公になれば、堂本組だけじゃない…新宿という街が、ひっくり返る事になる』

あの時、兄はそう言っていた。

そして、検察庁に提出する告発文の下書きが、フラッシュメモリーのファイルに残されていたのだ。

怒りに燃えた黒澤は、兄から託された資料を元に、事実の確認に奔走(ほんそう)した。

当の毛利剛は既に警察を退職し、天下りでNPO団体の相談役になり、都議会議員に迄なっている。

彼の選挙資金や政治資金は、やはり麻薬横領の裏金が使われたという事なのだろうか?

だとすれば、毛利の息の掛かった警察関係者に、今も引き続き指示を出している可能性がある。

麻薬に関しても、扱う事を禁止すると公言している堂本組と、新宿で2大勢力の(つい)を成す佐久間組とで(そろ)って意見の一致を見ている今、堂本・佐久間の配下の組は、盟約(めいやく)均衡(きんこう)が崩れる事を怖れて手を出さない筈だ。

新宿中央公園の松岡の情報から田上が調べ上げた所、坂上の店に資金提供をし脱法ハーブを(おろ)しているのは、やはり菱川組で間違いないだろうという事だった。

ならば現在、毛利剛が横領している麻薬を横流ししているのも、菱川組ではないだろうか?

黒澤は、田上を毛利に張り付かせた。

毛利が、菱川組とコンタクトを取っている証拠を掴む為だ。

都議会議員の毛利にとって、暴力団と関係があるというだけでスキャンダルになる…(しか)も彼は、元警察官なのだ!

妃奈が逮捕された時、警察に持ち込んだ毛利剛と新宿警察署の米田刑事課長との通話記録が録音出来たのは、全くの偶然だった。

都内某所のパーティー会場に潜入していた田上が、隠し持った盗聴機で毛利剛の通話を拾い録音したのだ。

違法な録音ではあったが、妃奈を助ける為に()むなく警察に提出した…まぁ、警察の大き過ぎるスキャンダルに、そんな事実等ぶっ飛んでしまったが…。

父と兄、妃奈の両親を殺害した実行犯は、恐らく菱川組の人間…そして、妃奈に濡れ衣を着せ葬り去ろうとして指示を出しているのは毛利剛に違いない!!

だが…決定的な証拠がないのだ。

毛利は、このフラッシュメモリーと手帳を欲しがっている。

しかしコレを奴に渡す事は、森田組を…いや、堂本組への裏切り行為だ。

だが…妃奈を助け出すには、これを餌に取引するしかないと、黒澤は確信していた。

中身を全てプリントアウトし、フラッシュメモリーと手帳のコピーを取ると、黒澤は森田組長に電話を入れた。



「…持っていたのか」

森田組の事務所ではなく、堂本組長の自宅に呼び出された黒澤に、森田組長が低く(しゃが)れた声音で尋ねた。

「何故…再会して直ぐに提出しなかった!?」

「信頼出来る者に、ずっと預けておりました。私の手元に戻ったのは、今年の夏です」

「夏だと?今は、もう年の瀬だぞ!?」

「…誰にも渡すな…背後関係が掴めていないと……兄が私に申しました」

「だが!?」

「兄の、最後の遺言でした」

言い切った黒澤に、森田組長は苦虫を噛み潰した様な表情を見せた。

「それで?お前は、これをどうしようってんだ?」

提出した手帳にフラッシュメモリー、内容をプリントアウトした資料を前に、着流しに丹前(たんぜん)を羽織り上座で立て膝に頬杖を着いた堂本組長が、ニヤリと口端を上げて尋ねた。

「毛利剛に、くれてやろうと思います」

「…へぇ…折角のネタ……(しか)も、お前の兄貴が命懸けで掴んだネタだ。それを、みすみす毛利に渡して、お前に何のメリットがある?」

「私の…婚約者が、毛利の息子に拉致されました」

「何だと?」

「これを、彼女の身柄を取り返す取引材料に使いたいと思います。お許し頂けませんでしょうか?」

任侠映画の様な装いの堂本組長に、少々芝居懸かって土下座する黒澤に、横から森田組長の怒号が響く。

「何を考えている、お前は!?堂本組の内情を、外に漏らそうというのか!?」

「しかし、妃奈を救うには、他に手がありません!」

「ホームレスの小娘1人と堂本組を始めとする傘下の組を、天秤に掛けようというのか!?あり得んだろう!!」

「私には、それだけの価値のある娘です!!」

森田組長の険のある言葉に、黒澤は睨み返して噛み付いた。

「父と兄が、命懸けで遺してくれた物です!!」

「そうだ…お前の家族が、命懸けてお前に遺した。お前は、家族の(かたき)を取るんじゃなかったのか?」

「…死んだ家族より、今から家族になる娘を選んで、何が悪いというのですか!?」

「それが、お前の為になると、本気で思っているのかッ!?」

「…私の為とは、どういう意味です!?」

黒澤の反論に、森田組長の眉間に深く皺が刻まれる。

「…貴方に、そんな事を言う資格がありますか?」

「……」

「貴方に、私の何がわかります!?私の幸せは、私が決める…私の妻になる女性は、妃奈です!!貴方に、とやかく言われる筋合いではない!!」

「…黒澤、その辺で止めとけ」

堂本組長が手帳を繰りながら、やんわりとたしなめた。

「森田も諦めろ。コイツは、お前の思い通りになる奴じゃねぇよ」

「しかし、組長!?」

「お前が仕事にしゃかりきになる様に、黒澤は女に入れ揚げてるって事だ」

「あり得ません!!」

「そう言うな…俺ん時も、そうだったじゃねぇか」

「あの時、組長は高校生でした!黒澤を、幾つだとお思いですか!?」

「年なんて、関係ねぇよ…コレと決めた女に、早く出会うか、年食って出会うかの差だろ?」

ヘラリと笑った堂本組長は、黒澤に視線を移すと少し声音を低くして手に持った手帳を振って見せた。

「だがな、黒澤…コレを渡す訳にはいかねぇな」

「そこを、何とか…」

「お前の兄貴は、凄腕(すごうで)の調査員でもあったみてぇだな?」

「…自慢の兄でした」

「森田がお前の兄貴に調べさせてたのは、ウチの組内でヤクを扱ってた組を洗い出す事と、組内の派閥(はばつ)の構図だった。当時は、俺がヤクを扱うのを縮小しようとする事に反発する組も多くてな…。そんな矢先に三上とAsia製薬が(つる)んで勝手に新しい合成麻薬なんかを作りやがって、上海やロシアと手を結ぼうとしやがった挙句(あげく)…死人や逮捕者なんかも出しちまった」

「……」

「…だが、この中には…お前が目の敵にしてる毛利の情報だけじゃねぇ…他には出しちゃなんねぇネタも書き込まれてる。まぁ、お前は読んでもわからなかったろうが……な…」

やはり無理か…こうなったらコピーした手帳を元に、ダミーを作るしかないのかも知れない…。

「だがな…こっちのフラッシュメモリーの方は、渡してやってもいい」

「本当ですか!?」

「組長!?」

森田組長の叫びを無視して、堂本組長はニヤリと笑って手元にあったフラッシュメモリーを黒澤に投げて寄越した。

「構わねぇよ。こっちにゃ、毛利の件と三上の野郎の事しか載ってねぇ…」

フラッシュメモリーの内容をプリントアウトした資料を森田組長に投げ渡すと、堂本組長は面倒臭そうに森田組長を睨んだ。

「お前が何でその娘を嫌うのか…わからねぇでもねぇがな。これ以上、黒澤と()めんじゃねぇよ…じゃねぇと、この馬鹿は出しちゃなんねぇ物迄毛利の奴に渡しちまうぜ?」

「…御意(ぎょい)

凍てつく眼差しを黒澤に投げると、森田組長は渋々頭を下げた。

「黒澤…森田は黙らせた。だから、お前の手元にある資料…燃やしちまえよ」

「…は?」

(とぼ)けんな…手帳の写し…取ってあんだろうが!!」

「……」

「燃やせ…お前には、必要のねぇ物だ」

「…畏れ入ります」

見透かされる様な堂本組長の視線に、背中に嫌な汗が吹き出した。

「跡形もなく、処分致します」

深く土下座をして、黒澤は堂本組長の前から退出した。


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