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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
37/80

(37) 良介

「…出掛けたって…どういう事だっ!?」

打合せから帰った黒澤は、警備員から妃奈の外出を知らされると、激昂(げっこう)して彼の胸ぐらを掴んだ。

「落ち着いて下さい、所長!?」

慌てて止めに入る小塚の声にようやく手を離し、それでも警備員を射殺す勢いで睨み付けながら黒澤は問い詰めた。

「何故外に出した!?」

「しょ…所長のお許しを得ているという事でしたので…」

「何だと!?」

「高橋さんのお話では、今朝所長から…好きにしていいという許しを得たという事でした」

「なっ!?」

「確認しようにも、所長は外出された後でしたので…」

確かに、今朝一方的に突っ掛かって『好きにしろ』と言った…言ったが…。

「どこに行くか、言っていたか?」

「ツインビルで、どなたかと待ち合わせだと…」

「待ち合わせ?誰と!?」

「さぁ…知り合いという話でした。その他にも回るかも知れないので、遅くなるかもというお話でした」

「くそっ!」

「携帯をお持ちになっています…ご自宅にも、メモを残されているという話でした」

「何時頃に出た?」

「2時を…少し過ぎた頃だったと思います」

『申し訳ありません』という警備員の声を背に、黒澤は小塚を伴い自宅に急いだ。

確かにメモは残されていた…簡単なメモが…。

『外出して来ます。心配しないで下さい。妃奈』

狙われているかも知れないのだ!!

確かに妃奈に詳しくは話していないが…それでも、先日の警察での話を聞けば、わかりそうなものではないか!?

「…駄目ですね…応答しません」

小塚が携帯を握り締めて眉を寄せた。

黒澤も自分の携帯から妃奈に電話したが、直ぐに留守番電話になってしまう。

「ツインビルに行ったと言っていたな?」

「行かれるのですか?しかし…かなり時間が経っていますが…」

「まだ、買い物でもしているのかもしれない!」

「しかし…」

「何だ!?」

「所長は、彼女に現金を渡されていますか?」

「…え?」

「恐らく、高橋さんは…無一文に等しいのではないでしょうか?」

迂闊(うかつ)だった…買い物に行かせた時も、小塚にカードを持たせていた。

日々の買い物も、小塚か栞に任せている。

外出を禁じている妃奈に、現金を渡す様な事は必要なかったのだ。

「…一応、警察にも連絡を入れた方が、良いのではありませんか?」

「いや…まだ家出とか、誘拐だと決まった訳ではない。やはり、ツインビルに行ってみる」

「では、私が参ります。所長は、ご自宅で待機していて下さい」

「いや…家には、栞を待機させる。直ぐに呼び出してくれ」

家で待ってなど居られない…居ても立ってもいられないのだ。

「それでは、私も同行致します」

「しかし…」

「人捜しは、人数が多いに越した事はありませんから」

「…済まない」

小塚の真摯(しんし)な言葉に、黒澤は頭を下げた。

「…まだ、事件だと決まった訳ではありません」

栞に留守を預けた後、ツインビルに向かう車内で、黒澤を宥める様に小塚が穏やかな声を掛けた。

「高橋さんは、心配しないでとメモに書いて行かれました。遅くなるかもという伝言も…という事は、帰って来るお積りで外出されたのです」

「……」

「大丈夫です」

「…あぁ」

冬の日暮れは早い…陽の傾いたツインビル前の広場には、待ち合わせの若者や買い物帰りの親子連れで賑わっていた。

目立つ妃奈の容姿なら、見付け出す事は容易かもしれない…その場に居れば…。

「…居ませんね…」

手分けしてビル内の店舗を回っても、妃奈はどこにも居なかった。

ここの他にも回る予定だったのだ…だが、行き先がわからない。

それに、一体誰と待ち合わせていたというのだろう?

妃奈は、一匹狼だと聞いていた…ストリートチルドレンやホームレスの仲間が居るとは、考えにくい。

まさか…坂上に会いに行ったのだろうか!?

西堀善吉の死に、坂上が関与していると思い、暴走したのだろうか!?

だとすれば、非常に不味い…あの親子には、絶対に会わせてはならないのだ!!

「…所長、あれを…」

悶々と考え込む黒澤に、小塚が一点を指差した。

広場の中央で店を開いている似顔絵描きの後ろに、色々な人物画が展示してある。

デフォルメされた顔がアップで描かれた人物画に混じり、鉛筆で書かれた素描(そびょう)が一枚展示してあった。

ベンチに座る若い女性…白い髪に、見覚えのあるトレーナーとストール。

寒そうに少し肩を竦め、足を組み頬杖を付いて、憂い顔で胸元の鍵を(もてあそ)んでいる所を切り取ったデッサン。

黒澤は大股で絵描きに近付くと、展示してある絵を指差した。

「おいっ!?この娘は!?」

驚いた絵描きは、黒澤の剣幕に目を白黒して怯える。

「お尋ねしますが…この人を、見掛けたんですね?」

黒澤の前にズイッと出ると、小塚が小さく会釈して丁寧に尋ねた。

「…えぇ…見ましたけど…」

「何時頃ですか?」

「ん〜…2時半は、過ぎてたかな?雰囲気のある娘だったから、ここからスケッチさせて貰ったんです」

「独りでしたか?」

「3時過ぎた頃に、連れが来て一緒にビルに入って行きましたけど?」

「連れは!?どんな奴だった!?」

勢い込んで尋ねる黒澤に、絵描きは眉を寄せた。

「制服着た…女子高生でしたけど……何なんですか、一体!?」

女子高生…妃奈の知り合いで女子高生といえば…。

済みませんでしたと謝る小塚と共にその場を後にしようとした黒澤は、(きびす)を返して絵描きの後ろに貼られてある妃奈の素描を手に取った。

「…この絵を買おう」

「……」

「幾らだ?」

「……2万…?」

法外な値段に文句も言わず、黒澤は財布から2万円を取り出した。

絵描きは目を見張りながらも、台紙に絵を挟むと袋に入れて差し出した。

「…その娘…20分程して、1人でビルから出て来ましたよ」

「え?」

「そこのベンチで、携帯取り出して…どこかに電話してました」

「それから!?」

「駅の方に向かって、歩いて行きましたけど」

「…ありがとう」

絵を受け取ると、黒澤は気を利かせて車を取りに行った小塚に連絡した。

「小塚か?正面に着けてくれ。あぁ…これから、蒲田に向かう」



運動不足だ…2時間やそこら歩いた位でこんなにへたばるとは、思っても見なかった。

思えば、退院して幾日も経っていなかったんだっけ。

だが、無理をしてでも今日中に用事を済ませたかったのだ。

何も言わずに外出した事を、黒澤は怒っているに違いない…明日から又、閉じ込められてしまうに決まってる。

電話で待ち合わせをした本郷給水所公苑は、思っていたよりも大きな公園だった。

園内にはバラ園やオブジェ、池や子供が遊べる川も作られてある。

春や夏なら、色とりどりの花も咲き乱れ水遊びも出来て、いい憩いの場になりそうだが…冬の日暮れの公園は、閑散としていてうら寂しい。

(もっと)もアタシにとっては、どうって事のない景色だが…。

陽が落ちて下がった気温に、妃奈は首を竦めてブルリと震えた。

今年は寒気の南下が早く、異常に寒い…何か上着を借りて来れば良かった。

路上で生活していた時なら、ビニールシートや段ボール、新聞紙で寒さを(しの)いだが…。

ブーンと、今日何度目かの携帯電話が震える。

相手は出なくてもわかっている…怒鳴られるのも、叱られるのも、一度で沢山だ。

それに、好きにしろと言ったのは黒澤なんだから…。

白い息を吐き、ストールを顔に引き上げた妃奈に足音が近付く。

「…待たせたな」

黒いダウンジャケットを着た神経質そうな瞳が、冷やかに妃奈を見詰めている。

善吉より少し小柄で華奢な体躯…だが、面差しは彼に良く似ていた。

「…良兄ちゃん」

「お前、寒くないのか?っていうか、見てるこっちが寒くなりそうだ」

クイッと顎をしゃくると、茂木良介は妃奈の前を歩き出した。

明るい月明かりに照らされながら、チラチラと風花(かざはな)が舞う。

良介は公園の中を進み小川脇にある東屋(あずまや)に向かったが、そこには1人の先客が居た。

新聞紙で躰を包む様にしてベンチに横たわる男に、良介は冷たく言い放つ。

「…邪魔だ!あっちに行け!!」

「良兄ちゃん!?」

ホームレスの男は、高飛車な良介に眉を寄せ、狭いベンチの上でゴロリと寝返りを打った。

「おいっ!?」

「……」

「……仕方ないな」

そう言って良介は、ポケットから携帯を出すと耳に当てた。

「……あ、警察ですか?公園にホームレスが居りまして…迷惑条例違反で逮捕して頂きたいんですが…」

良介の言葉に舌打ちすると、ホームレスは荷物を抱えて公園の闇に消えて行く。

「ケッ!…クソが…」

「…酷いよ、良兄ちゃん…」

「何が?」

「あの人が先に居たんじゃん!?何もしてないのに…」

「奴等は、社会のゴミだ」

「何言ってんだよ!?あの人だって、()むに()まれぬ事情があって、路上生活してんのかもしんないだろ!?」

「それでも、公共の場所で寝泊まりしていい理由にはならない…違うか?」

確かに良介の言い分は(もっと)もだ…だが…。

同族相憐(どうぞくあいあわ)れむか、妃奈?」

「……」

「同じホームレス仲間に肩入れするのか?」

「…なんで…知って…」

「お前の事なら、大概の事は知っている」

「…美子から聞いたのか?」

「アイツはお喋りだからな」

「……だからって、あの言い方はないだろ?」

「…妃奈、お前は俺とホームレス談義をする為に、ここに来たのか?」

「……」

「違うだろう?」

「……兄ちゃんの事だ」

良介は東屋(あずまや)のベンチに腰掛けると、溜め息を吐きながら目を伏せた。

「…どうやら、兄貴の言っていた事は、ハッタリじゃなかった様だな」

「…兄ちゃん…会いに来たんだな?」

「……」

「何でだよ、良兄ちゃん!?」

「……」

「2人切りの兄弟だろっ!?」

「…そうだ…2人切りの兄弟だ」

目を伏せていた良介が再び妃奈を見上げた時、そのゾッとする程冷たい視線に、妃奈は思わず後退(あとずさ)った。

「その兄弟の仲を引き裂いたのは、お前だ」

「何言って…」

「…お前のせいだ…妃奈…」

「……良兄ちゃん」

「全て…お前のせいだろう!?」

良介の腹の底から絞り出す様な叫びに、妃奈は顔を歪めて下唇を噛んだ。



児童養護施設から妃奈が菅原家に引き取られた時、善吉は16歳、良介は14歳だった。

最初から敵意剥き出しだった美子の部屋に同居させる訳にも行かず、義父は妃奈を善吉と良介の部屋に連れて行った。

「今度引き取る事にした高橋妃奈だ。2人共、宜しく頼むよ」

義父の言葉に善吉は目を輝かせ、良介は黙って頷いた。

「ヒナ…ヒナっていうのか?幾つだ、お前?」

ウキウキと尋ねる善吉に、義父は少し戸惑いがちに答えた。

「妃奈は、両親が亡くなったショックで、一切の記憶と声を失っているそうだ」

「…そっか…大変だったんだな、お前」

頭に(かざ)された手に、妃奈は(おび)えて義父の後ろに隠れた。

「…俺は西堀善吉、こっちは弟の良介だ。今日から俺達が、お前の兄ちゃんだかんな!」

そう言うと、善吉は(おび)える妃奈に手を振った。

高校に入って間もない善吉は、登校もせずブラブラとしている事が多かった。

そして家に居る時は、言葉が話せない妃奈の発声練習に付き合ったり、菅原家の事を色々と教えて世話を焼いてくれた。

そんな善吉を、良介はずっと苦々しく見ていたのだ。

「兄貴…アイツは、雛子(ひなこ)じゃない!」

「…わかってる」

「わかってないっ!!あんな奴、俺達の雛子じゃない!!雛子に対する冒涜(ぼうとく)だっ!!」

「そんな言い方するな、良介。ヒナだって、俺達の妹だ」

「…俺は、認めない…あんな奴!!」

「…良介」

「絶対に認めないからなっ!?」

一家心中の生き残りだった2人は、両親と共に妹の雛子を亡くしていた。

そして長男だった善吉は、妹を救えなかった事をずっと悔やんでいたのだ。

仲の良かった兄弟は、度々(たびたび)妃奈の事で喧嘩になった。

(しいた)げられていた妃奈を善吉が構い、その度に良介の機嫌が悪くなり、それを見た美子が妃奈に辛く当たる…まるで負のスパイラルだった。

そんな時に、優秀な良介に養子の話が沸き上がったのだ。

養子に入る条件は、指定された大学へのストレート合格…そしていずれは、里親の経営する病院を継ぐ事だという。

良介は必死だった…親のない子供が、金持ちの子供になれるチャンスなんて、宝くじが当たるよりずっと小さな確率だ。

この暮らしから抜け出せるなら…そう思う気持ちは理解出来る。

養護施設でも里親候補が来る度に、皆最上の作り笑いをして養子にしてもらおうと(こび)を売っていた。

元々文系の得意だった良介にとって、そのストレスは相当な物だったのだろう。

だから…あんな事をしでかしたんだ…。

あの日、高校を中退し工場で働いていた善吉は、付き合い始めた彼女とデートだといって出掛けて行った。

夕飯の片付けを終えて風呂に入り、生活していた小屋に帰ろうとした時、リビングに置かれていた兄達の洗濯物に気が付いた。

妃奈は洗濯物を抱えると、兄達の部屋をノックした。

「良兄ちゃん…入るよ?」

中で人の動く気配がして、細くドアが開かれた。

薄暗い部屋の中で、机の上の蛍光灯だけが仄かに白く光り、逆光を浴びた良介の暗い影が妃奈を見下ろした。

「これ、洗濯物…リビングに、置きっぱだったから」

そう言って差し出した洗濯物を持った妃奈の腕を、良介はいきなり掴んで部屋の中に引き摺り込んだ。

バランスを崩して床に倒れた妃奈に、良介が伸し掛かって来て……正直、何が起こったのかわからなかった。

唯、洗濯物を口に入れられた息苦しさと、身を裂かれる様な痛み…そして、良介の言葉…。

「…お前が悪いんだ…妃奈…お前がっ…」

事が終わった後、呆然とする妃奈に良介は言った。

「絶対、誰にも言うな!!義父さん達にも、兄貴にも!!」

「…」

「言ったら…お前を殺すからな!?わかったか!!」

怖くなって、小屋に走って帰った。

何か、とんでもなくいけない事をしでかしたんだ…その罪悪感だけが、妃奈を(さいな)んだ。

それからも、良介は時々妃奈の小屋にやって来た。

「誰にも、言ってないだろうな!?」

「言ったら、どうなるか…わかってるだろうな!?」

「お前が悪いんだからな、妃奈…全部、お前の責任なんだからな!!」

良介は毎回そう言いながら、妃奈を()凌辱(りょうじょく)した。

良介が大学に合格して菅原家を出た時、妃奈は本当にホッとしたのだ。

これで秘密は、永遠に葬り去られると安堵した。

だから、まさか自分が良介の子供を身籠(みごも)るなんて、思いもしなかったのだ。

大騒ぎになって、義父や善吉にも散々罵られ…それでも、良介の名前を出す事が出来なかった理由は、これ以上義父や善吉に辛い顔をさせたくなかったし、良介を慕う美子の顔が浮かんだからだ。

そんなある日、産婦人科からの帰りに近所の(うるさ)い年寄りに捕まり、路上で小言を言われていると、買い物帰りの善吉と鉢合わせた。

「…兄ちゃんと会って…助かった」

「そうだな。あのババァ(うる)せぇから…」

「……」

「行くぞ、ヒナ」

コンビニの袋を振り回しながら、のんびり前を歩く善吉を追いかけていた妃奈は、突然止まった背中にぶつかった。

「…良介?」

前を向いたままの善吉が小さく呟き、そのままハハハと寂しく笑った。

「…な訳ねぇよな?アイツの幻まで見るなんて、俺も相当キテんだなぁ…」

「…兄ちゃん、お昼何しよっか?チャーハンがいいかな?」

「……そぉだな…義父(とう)さん待ってんだろ?早く帰んぞ」

そう言いながらも、善吉は再びのんびりと歩き出す。

だが家の近く迄来た時、辺りに漂う異様な臭いに2人は走り出した。

その日、工場は臨時休業だった。

義母は銀座に買い物に行き、美子は学校帰りに友達と遊びに行くと言っていた。

当然工員逹は不在で、家に居るのは義父独りだけ…。

家の敷地に入ると、工場横にある妃奈の生活する小屋が燃えていて、その前でバケツの水を掛けながら義父が叫んでいた。

「妃奈ぁ!!妃奈ぁっ!?居るのかっ!?」

義父(とう)さんっ!?」

「善吉!?妃奈が…」

義父(とう)さん、しっかりしてくれ!!ヒナは無事だ!!」

先に走り込んだ善吉が妃奈の無事を知らせると、義父はホッとした顔で後から到着した妃奈を見詰めた。

そして、火事に気付いた近所の人達と共に、風に煽られ火の手が回った工場の消火に向かった。

妃奈の生活していた木造の小屋は、周りの壁に古新聞や枯れ枝が置かれ、火がゴウゴウと燃えていた。

義父が水を掛けてくれたドア周辺は火の手が抑えられていたが、何故か外から(かんぬき)がされていた。

「…お前…閂なんてして出たのか?」

妃奈は首を振って閂を外すと、ドアを開けて小屋の中に走り込んだ。

図書館から借りた本があった事を思い出したからだ。

「おいっ!?あぶねぇから、ヤメロ!!」

「大丈夫!!兄ちゃんは、工場の方に!!」

小屋の外に比べ、中はさほど燃えてはいなかった。

唯、小屋の中央に敷かれた、こんもりと盛り上がった布団の中央に火の手が上がり、布団綿をブスブスと燃やしていた。

火の手の上がる物なんて、小屋の中には何もない筈なのに…。

妃奈は借りていた本の事も忘れ、毛布で焼ける掛け布団の中央を押さえ付けると、火元である銀色の物体を発見し、近くに落ちていたタオルで包んで持ち出した。

妃奈が小屋を飛び出して直ぐ、消防車が到着し消火活動が始まった。

義父は火事で大火傷を負い、小屋も工場も全焼した。

火元は妃奈が生活していた小屋で、放火による火事だろうと発表され、一通りの事情聴取がなされた後、妃奈は善吉を呼び出した。

「どうした?」

「兄ちゃん…誰が放火したと思う?」

「知らねぇよ。でも大丈夫だ…お前が犯人じゃねぇのは、俺がちゃんと証言してやったし、その内に犯人も捕まんだろ?」

「…兄ちゃん…小屋に閂掛かってた事、誰かに話した?」

「…そういや、言ってねぇわ。言った方がいいよな?俺、今度警察に…」

「あのね…小屋の中に…コレあったんだ」

妃奈は、タオルで包んだままの銀色の物体を善吉に見せた。

「!?」

「…コレ、兄ちゃんのだよね?」

「……」

「兄ちゃんのお父さんの形見…だよね?」

「……」

「このライター…良兄ちゃんが養子に行く日に、『父さんの形見だから、これだけは持って行け』って、良兄ちゃんに渡したライターだよね!?」

「……ヒ…ナ…」

「あの時、買い物の帰り道で…良兄ちゃんの事、見掛けたんじゃ…」

「ヒナッ!!」

善吉の悲痛な叫びに、妃奈はビクリと首を(すく)めた。

「…この事…誰かに話したか!?」

「…ううん…言ってない」

「いいか、ヒナ…誰にも言うな!」

「でも…」

「まだ、良介が犯人だと決まった訳じゃねぇし…あの時見掛けたのだって、他人の空似かもしんねぇし…」

「でも、このライターは…」

「いいから、黙ってろ!」

「……」

「良介は…良介は、努力してやっと…やっと幸せ手に入れたんだよ!……こんな所で、(つまず)かせる訳にはいかねぇんだ!」

「……」

「それに、ほら…良介が、放火なんかする訳ねぇだろ?」

「……」

「そんな訳ねぇよな?ねぇし…絶対…ねぇよ…」

そう言って、善吉は妃奈の手からライターを取り上げた。



その後、どれだけ考えても、妃奈には良介が犯人だという答えしか導き出せなかった。

小屋の周りにわざと燃えやすい物を置いて火を点け、その上火の()いたままのライターを小屋の中に放り込むと、外から(かんぬき)を掛けたのだ。

堕胎(だたい)した日から、妃奈は学校に行っていなかった。

あの日は、たまたま病院に行っていたが、いつもなら小屋に閉じ籠って寝ていた筈だ。

もしかしたら…良介は、本当に妃奈の事を殺そうとしていたのではないだろうか!?

目の前で冷たい視線を投げ掛ける良介に、妃奈はポケットの中のライターを握り締めて尋ねた。

「…サツから…連絡あったんだろ?」

「……」

「何で、兄ちゃんの遺体…引き取らなかったんだよ!?」

「…アイツとは…もう、赤の他人だ」

「兄弟だろっ!?」

「じゃあ、何で俺の邪魔をするんだ!?」

「邪魔なんて…」

「何で、今更…金なんて借りに来るんだよ!?」

「……」

「もう関係ないって…縁迄切って来たっていうのに……お前等、(うじ)が湧くみたいに俺に群がりやがって…」

「…良兄ちゃん」

「義母さんは…義父さんが怪我をして直ぐに電話して来た。今迄散々面倒見てやっただろうって、俺の事を脅したんだ!!」

「…義父さんは、感謝してたって聞いた。良兄ちゃんが、申し出てくれたって思ってる」

「新しい両親に、俺がどれだけ肩身の狭い思いをしたと思ってる!?」

「じゃあ、断れば良かったじゃん!?」

「…出来る訳…ない……美子も一緒だ。未だに俺にまとわり付く…」

「美子の気持ちなんて、最初からわかってた事だろ?嫌なら、ちゃんと振ってやれよ。それが、誠意ってもんだろ!」

「アイツには…利用価値があったんだ」

「…利用?」

「お喋りな美子は、俺の情報源だった…主に、お前のな」

「…アタシ?何で…」

「お前が火事で死に損なっても、家を飛び出してホームレスになった迄は良かった。いつ死んでも、おかしくない状況だったからな?だが、いつの間にか変な弁護士が、お前の事を引き取ってると聞いて…」

「……良兄ちゃんも、アタシが死ぬの…待ってたんだ…」

「当たり前だ!!じゃなきゃ、何で態々(わざわざ)危険迄犯して、放火なんかしたと思ってる!?」

「…何で」

「何故かって?今更?」

(あざけ)る様にして笑う良介を、妃奈はグッと睨み返した。

「わからないのか?本当に!?」

「何でだよッ!!」

「お前が…俺の子供なんて妊娠しちまうからだろ?」

「……」

「中学生だったお前を抱いてた事が明るみに出てみろ…俺の養子の話なんて、ぶっ飛ぶからな」

「……」

「その上、妊娠させたなんて事が知れてみろ…俺の輝かしい未来の、どんな汚点になるかわかるか!?お前なんかの命と、俺の輝かしい未来…どっちが重いと思ってる!?考えなくてもわかるだろう!!」

「……」

「お前さえ、あの時に死んどきゃ…こんな事にならなかったんだ」

「………」

「兄貴が、俺を脅す様な事も……俺が…兄貴を手に掛ける事も…」

「兄ちゃんが…脅したっていうのか?」

「金を無心に来ただろ!?」

「幾ら?」

「…10万」

「10万ぽっちで殺したのか!?」

「あんな奴!!一回渡して終わりにする訳ないだろう!?一生食い物にされるに決まってる!!」

「………」

「断ると、俺に渡したライターを持ってるって…お前に預けてあるって言いやがった!!てっきり、頭の薄い兄貴のハッタリだと思ったんだが…どうやら、兄貴も馬鹿じゃなかったらしい…。それで?お前は俺に何をさせたい?やっぱり、金か?だが、今更慰謝料もないだろう!?お前、あれから散々男とヤリまくって、流産繰返してんだって?淫売(いんばい)してる様な奴に、慰謝料もクソもないだろう!?」

「……自首してよ、良兄ちゃん」

「自首?何で?」

「何でって…」

「俺は、正当防衛だ。だって、そうだろ?実の兄貴とはいえ、俺の未来を潰す権利はないからな!!」

「…おかしいよ…良兄ちゃん。元はと言えば、良兄ちゃんの責任だろ!?」

「違うな」

「え?」

「お前だ、妃奈…お前の責任だ」

「……」

「だから…これから起こる事も…全て、お前の責任なんだからな?」

言葉の意味が読み取れず、妃奈は良介の顔を見詰めて質問しようとした。

だが、その瞬間…腕を取られ、鼻と口を何かで覆われた。

ツンとする薬品の臭いと、ぼやける意識の中で、良介が妃奈の顔を見下ろして、ジーパンのポケットからライターを奪い取った。

「やっぱりお前が悪いんだ、妃奈…じゃなきゃ、この俺が…あんな奴に脅される事もなかったんだからな」

良介が何を言っているのか訳もわからないまま、妃奈の意識はゆっくりと真っ暗な泥の中に沈み込んで行った。

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