(36) 美子
「申し訳ありません、署長」
「何を言っている、夏目…お前は、十分やってくれている」
佐伯啓吾は、署長席の前に項垂れる夏目警視に優しい眼差しを送った。
「彼女から、もう少し上手く話を聞き出せれば良かったのですが…私の力が足りませんでした」
「彼女は他人を信用しないのだそうだ。お前の力量云々の話じゃない」
「…お気遣い、ありがとうございます」
「それで?どこ迄わかった?」
佐伯の質問に、夏目はプリントアウトした資料を渡しながら報告する。
「ガイシャの勤務先である『パンク』の店長、坂上恭ですが…従業員共々、殺害当時のアリバイは完璧ですね。出入りの酒屋、オシボリ業者、来店客等、多数の目撃者の証言が取れています」
「仲間内のトラブルは、なかったのか?」
「ガイシャは坂上に心酔していましたので、トラブルはなかった様です。あるとすれば、借金でしょうか?以前ガイシャが勤務していたホストクラブの借金も、坂上が全て払ってやった様です。その代償に高橋さんを連れて来る様に言われて、ガイシャは病院迄迎えに行った様ですが、彼女に追い返されたとの事です」
「…仮にも、一緒に育った妹に売春行為をさせるなんてな…。だが、あの娘も何故言いなりになってたんだ?」
「ガイシャは、高橋さんが絶対に逆らわない自信がある様だったと、従業員の証言が取れています」
「何か弱味でも握られてたか…何れにしても、生きていたら立派な児童虐待だな」
まだ18だという事だったが…真っ白な髪に褐色の肌、日本人の名前である事に違和感を覚える程、エキゾチックな娘だった。
ツンドラの雪豹とは上手い例えだな…怯えながらも激しく牙を剥く目が美しく、ついつい構いたくなって頬が緩んだ。
それにしても、安心した…あの黒澤という弁護士の事は信頼している様だ。
「他の関係者は?」
「以前の職場のホストクラブでも、特別親しい人物はいませんでした。別れた恋人、養子に行った弟、養育里親の家族にも話を聞きましたが、現在は殆ど接点がなかった様です」
「…そうか。そういえば、遺体は福祉課送りになってたんだな?」
「はい。ガイシャは、無理心中の生き残りでした。実弟である茂木良介さんが遺体の引き取りを拒否されましたので、区の福祉課で行旅死亡人として処理されました」
何も話そうとしない高橋妃奈が、最後に1つだけ質問したのが、西堀善吉の遺体の事だった。
実弟が遺体の引き取りを拒否したと聞いた途端、彼女はライターを握り締めて、小さく『…嘘』と呟いたのだ。
「夏目…お前だったら、親しい人物が殺害された時、警察に一番に尋ねたい事って何だ?」
「そうですね…犯人の目星、若しくは殺害理由でしょうか?」
「だよな?殺害理由やホシの目星が付いていない場合は?」
「…疑わしい人物のアリバイを知りたいと思うのではないでしょうか?」
「…高橋妃奈は、その3つ共尋ねなかった。一番疑わしい坂上恭の事も、何も聞かなかった…何故だ?」
「考えられる事は幾つかありますが…坂上と毛利氏の親子関係を知っていて、又事件を有耶無耶にされてしまうと思ったか……若しくは、坂上はガイシャを殺害しないと確信しているとか…」
「…成る程…その線もあり得るな。他には?」
「…犯人を知っている可能性も、捨て切れないと思います」
「何故そう思う?」
「手紙の中のライターを確認する前と後では、彼女の態度が微妙に違った気がしました。私の思い過ごしかもしれませんが…」
「刑事の勘か?」
「……」
「お前でも、そんな事を言う様になったんだな?」
「思い過ごしかも知れないと、申し上げました」
「いいって…お前がそれだけ、班の連中と上手くやってるって事だ」
「畏れ入ります」
「しかし…ガイシャが、このタイミングで高橋妃奈にライターを送り付けて来たのには、必ず理由がある筈だ。それがわかれば、自ずとホシも見えて来る」
「はい」
「先ずは、ホシの確保だ。あらゆる可能性を想定して動いてくれ。毛利剛の件は、じっくり追えばいい」
「承知致しました」
夏目は佐伯に向かって、深く頭を下げた。
手紙を見せるのではなかった…幾ら信書だからといっても、妃奈に恨まれ様とも、1人で警察に届けるべきだったと黒澤は後悔していた。
あれから妃奈は、ライターを握った手を胸に当て、もう片方の手で自分の肩を抱き、膝に顔を埋めて何も言わずにうずくまったままだ。
「…妃奈」
「……」
どれだけ抱き締めても、どれだけキスを与えても、妃奈は黙って自分の殻に閉じ籠った。
やっと手に入れたと思った心さえ、今は遥か遠くに感じる。
妃奈は2日間うずくまり、丸1日昏々と眠りに着くと、4日目には何事もなかったかの様に朝食の用意をした。
「…もう、躰の調子はいいのか?」
「平気だ。何て事ない」
平然と振る舞う妃奈を心配しながらも、黒澤の中には釈然としない物が渦巻いていた。
「…お前は、本当に辛い時には、ああやって自分の殻に閉じ籠るんだな」
黒澤の不機嫌な声に、妃奈は朝食を準備する手を止めた。
「…何か怒ってるのか、黒澤?」
「何故、俺に分けてくれない!?」
「……」
「お前の辛さを分けてはくれないのか…妃奈?」
苦しい胸の内を吐露した黒澤に、妃奈は不思議そうに首を傾げた。
「何言ってるんだ?」
「……」
「物じゃないんだ…気持ちなんて、分けられる訳ないだろ?」
「…妃奈」
「馬鹿な事言ってないで、朝飯食べろよ。仕事だろ?」
妃奈はそう言って自分のカップを持ってダイニングテーブルの席に着くと、チラリと黒澤を見上げた。
「…人と…気持ちを分かちあった事がないのか?」
テーブルに着きながら尋ねる黒澤に、妃奈はケロリとして答える。
「何、ソレ?」
「2人で気持ちを分けあうんだ…喜びは2倍に…悲しみは半分になる」
「気持ちなんて形のない物、どうやって分けんのさ…訳わかんない事言うなよ」
「話すんだ、妃奈!話し合って、お互いの気持ちを…悲しい気持ちを共有して、心の負担を軽くするんだ」
「…話しても、悲しみや辛さなんか変わんない。それに、黒澤には関係ない事だ」
「そんな事はない!!」
バンッとテーブルを叩くと、黒澤は妃奈を睨み付けた。
「俺は、お前の婚約者だろうっ!?」
「……」
「…婚約者だ」
「婚約者ってのは、そうやって気持ちを分けあわなきゃならないのか?」
「……」
「結構、面倒なんだな?」
「……お前は…」
「心配してくれてるのは、わかってる。でも、この件に関しては、気持ち分けあう積りなんてないから」
「お前が思い悩んでるのに、支える事も出来ない…手も差し出せないっていうのか!?」
「…これは、アタシ逹兄弟の問題だ。黒澤には関係ない」
「なっ!?」
「……」
「確かに…俺は強引に婚約させたが……お前には、全く気持ちはなかったっていうのか!?そんな薄っぺらな気持ちで、OKしたというのか!?」
「馬鹿にするな」
「……」
「アタシだって、ちゃんと…」
「……」
「だけど、黒澤が婚約解消したいんなら、アタシは従うだけだ。元々結婚なんて、アタシが望んじゃいけない物だった訳だし、仕方がない」
いとも簡単に投げ出してしまおうとする妃奈に、哀れみと腹立ちがごちゃ混ぜになり、黒澤はもう一度拳でテーブルを叩いて立ち上がった。
妃奈は、何もわかってない…それは、情緒を育む環境に育って来なかったからだ。
優しく誰かに守られたり、人と関わりあう様な事を避けて来たからだ。
寂しさを抱え込み、独りで堪える妃奈を見ると、心が張り裂けそうになるのに…妃奈は、放って置いてくれと言わんばかりの態度で…。
「…お前…ちっともわかってない…」
「何が?」
「もういいっ!!好きにしろ!!」
黒澤は食事も摂らずに上着を掴むと、溜め息を吐く妃奈を置いて家を出た。
黒澤鷲という男は、とても短気で怒りっぽい。
沸点も低いと思う…きっと、血圧も高いんじゃないだろうか?
兄ちゃんからの手紙には、見覚えのあるライターが入っていた。
亡くなった兄ちゃんのお父さんの形見のライター…黒澤から未開封の手紙を見せられ、右下がりの下手糞な字を見た時、予感はしたんだ…中身はライターだって…。
黒澤が残した朝食を平らげ、一通りの家事を済ませると、妃奈は電話台の前で息を整えた。
受話器を上げ、記憶を辿りながら番号を押す…トゥルルルという音が数回繰り返され、プツッという音と共に若い女性の声が受話器から流れた。
「…もしもしぃ?」
「美子?」
「…そーだけど…誰よ、アンタ?」
「妃奈だ」
「あっ…アンタ…」
「久し振りだな?今、学校?」
「そーだけどさ…今更、何の用?」
「ちょっと聞きたい事あるんだ。時間作って欲しいんだけど」
「……いーょ、別に…アンタ、今どこに居んの?」
「新宿…北新宿」
「ならさぁ、ツインビルわかる?あそこの1階に、今人気のカフェあるじゃん?」
「カフェ?…行けばわかると思う」
「じゃあ、そこに3時でどうよ?」
「いいけど…アタシ、金ないよ?」
「嘘ぉ!?弁護士に世話になって、贅沢三昧してんじゃないの?」
「世話になってるし、不自由ない生活してるけど、金なんて持ってない」
「…わかったわよっ!そこで、待っててくれたらいいから」
「わかった。じゃあ、後で…」
店に入るなら、少しはまともな格好をして行かないと…だけど、冬物の洋服なんて、殆どないし…。
結局、病院で散歩の時に着ていたトレーナーにジーンズを履き、いつもの迷彩のストールを巻いて家を出た。
事務所の庭から駐車場に回ると、警備員が眉を潜めて尋ねて来る。
「駄目ですよ、高橋さん!所長に許可を頂いてないでしょう?」
「黒澤は、好きにしろって…言ってました」
「伺っていませんが?」
「今朝言ってました。確かめて下さい」
「生憎と、所長は先程外出されました」
「なら、いい…と思いますが?」
「しかし…」
「ちゃんと、メモも書いて来ました」
「どちらにお出掛けですか?」
「近くです…ツインビル。知り合いと、待ち合わせしてるんです」
「わかりました。何時頃、お帰りになりますか?」
「わかんない…です。他も回るかもしんないし…遅くなるかもしれません」
「携帯は、お持ちですね?」
「…持ってます」
普段ぞんざいな言葉しか話さないから、普通に話そうとすると苦労する。
中学に行ってた頃は、ちゃんと話せてたのに。
やっぱり小塚さんの言う通り、ちゃんと話さないと不味いかな…言葉がつっかえる。
それにしても、この警備員…何だか口煩い父親みたいだ…娘を心配する父親ってこんな感じかな?
そういえば、義父さんも時々美子に言ってたな…アタシには自由な時間なんてなかったけど、学校帰りにカラオケに行ったり、休みの日に夜遅く迄遊び歩く美子を見かねて、義父さんが溢してたっけ。
「お気を付けて…いってらっしゃい」
そう声を掛けた警備員に、妃奈はペコリと頭を下げて、小さく『行ってきます』と言った。
黒澤の事務所からツインビル迄は、然程距離はない…少し早目に出た妃奈は、ぶらぶらと歩いて待ち合わせ場所に向かった。
久し振りに1人で外を自由に歩ける解放感は堪らない…思えば、ずっと黒澤の家に監禁されて来たのだ。
黒澤は…あのまま、ずっとアタシを閉じ込めておく積りなんだろうか?
アタシの安全の為だと言っていたけれど、兄ちゃんが死んで、坂上との接点も切れたんだ…もう自由に出歩いても大丈夫だろう。
外で仕事をするのも悪くないな…ちゃんと自立して、金を稼いで…。
黒澤は怒るかな?
ちゃんと家に帰れば、許してくれるかな?
それとも、もう…許して貰えないのかな?
今朝は、少しきつく言い過ぎたのかもしれない…。
黒澤は怒っていたけれど、とても寂しそうな目をしてた。
…黒澤の心を守ると約束したのに…。
でも、この件だけは、黒澤に知られたくないんだ。
ツインビルに到着し、しばらくベンチに腰掛けて通り過ぎる人の波を眺めていた。
警備員が広場に店を開いた似顔絵描きの青年を冷やかし、妃奈の前をゆっくり通り過ぎる。
少し前迄は、ここの植え込みで警備員の目を盗み、うずくまっていたのに…人の目なんて、当てにならないもんなんだな…。
この場所は、ビルが建つ前から妃奈のお気に入りの場所だった。
崩れた白壁から中に入ると、鬱蒼とした木々と雑草に囲まれた大きな古い屋敷があって、小柄な骸骨みたいな爺さんが、同じ様に皺くちゃな手伝いの婆さんと2人で住んでいた。
最初は姿を見掛けると爺さんに追い払われていたけれど、その内に野良猫の侵入を諦める様に、妃奈が庭に入り込む事を許してくれて…。
時々人相の悪い奴等がやって来たが、そんな時には床下に隠れ息を殺した。
婆さんは、時々縁側におにぎりを置いてくれて…爺さんとは、直接言葉を交わした事はないが、独り言といって生きてく為の色んな事を教えてくれた。
いつの間にか、庭の水道を使う事も許してくれたり、結構住み心地良くて…。
しばらくして爺さんが死んで、婆さんもどこかに行ってしまって…ある日、ショベルカーとか工事の車が来て、建物を潰して行った。
その直ぐ後…警察やマスコミの車が山の様に来てた。
屋敷の中央にあった社の下から、何体ものミイラが出て来たのだ。
爺さんが生きてる頃、『榊の女』という昔話を誰に聞かせる訳でもなく話していた。
この場所は、巫女が住まう神聖な場所なんだと言っていた…今でも歴代の巫女逹が住んでいると。
人混みに紛れて運び出されるミイラを見て、あれが『榊の女』なんだと思った。
今は綺麗なビルが建ち当時の面影はないが、こんなビルに似つかわしくない祠だけが、植え込みの中にポツリと建っている。
「ちょっと、妃奈!!」
学校帰りの制服を着た菅原美子が、プリプリと怒りながらベンチの前に立った。
ベージュのエンブレムの付いたブレザーに、リボンタイ…派手なチェックのミニスカートからは、にょっきりとした逞しい足が生えている。
「アンタ、カフェで待っててって言ったでしょ!?」
「あぁ…ごめん」
無賃でカフェのテーブルに着く方が無茶だと思うが…と思いながら、妃奈は美子に逆らわずに謝った。
「よく、ここに居るのがわかったな?」
「…良くも悪くも、アンタって目立つのよ。ホラッ!行くわよっ!?」
美子に連れられて入ったカフェは、店内に珈琲の香りが漂い暖かい陽の差し込む、明るい雰囲気の店だった。
「……奢るから」
「え?」
「好きな物…注文しなさいよ」
「…いいのか?」
「いいって言ってんでしょ!?何にするのよ?」
急かされてメニューを見た妃奈は、カタカナばかりの飲み物に首を傾げた。
「…よくわからない」
「面倒な子だわね!?一緒のでいいでしょ!」
「…うん」
美子はウェイターに注文すると、鞄の中から鏡を出して髪型やマスカラをチェックしながら尋ねて来る。
「…で?何の用?」
「……」
黙り込む妃奈に、美子は鏡からチラリと視線を寄越す。
「何よ?」
「…誘っといてなんだけど……正直、会ってくれると思わなかった」
「…アンタねぇ…あれから、何年経ってると思ってんの?」
「……」
「時効よ、時効」
「…時効…ね」
「だからぁ、アンタも水に流しなさいよね!?」
「……わかった」
「それでぇ~?何の用なわけぇ?」
「聞きたい事あるんだ」
「…善吉の事件の事?」
「え?」
「ウチにも刑事が来たわよ。アンタが捕まったのも、テレビで見たし…その後の警察の会見もね」
「……そっか」
「父さんなんか、しばらく気落ちして寝込んでたしぃ」
「……」
そうだと思った…義父さんは、兄ちゃんと一緒に仕事をしてたし、頼りない兄ちゃんの事を、ずっと気に掛けていた。
「まぁ、母さんは貸してた金が戻らないって溢してたけど…」
「……」
「犯人なら、心当たりないわよ」
「…あぁ…そぅ」
「ところで、アンタはどうして、あんなイケメンの所に居るのよ!?」
「…黒澤に会ったのか?」
「父さんと話してた所、見たのよ!!」
「黒澤は…アタシの本当の親の知り合いで、アタシの保護者だ」
流石に婚約者とは言えない…知ったら、美子は大騒ぎするだろう。
「弁護士なんだって?幾つなの!?独身!?」
「…32かな?一応…独身」
「イイ暮らし、させて貰ってんでしょ?豪邸に住んでんだって?」
「敷地に、事務所もあるから…」
「…妃奈の癖に、ブランドのトレーナーなんて着ちゃってさ…」
美子が妃奈の着た白地に銀糸の刺繍の入ったトレーナーをチラリと見て言った。
「……」
「あんなイイ男と、2人きりで暮らしてるなんて…アンタ、玉の輿でも狙ってんの?」
「……」
「冗談よ!無理に決まってんじゃない。まぁ、その点…アタシの方は、上手く行ってんだけどねぇ」
ヘラヘラ笑いながら、美子は携帯の待ち受けを妃奈に見せた。
そこには、満面の笑みを浮かべる美子と、その向こう側に素知らぬ顔をしている茂木良介が写っていた。
「良兄ちゃんと、会ってんのか?」
「勿論!」
「…元気?」
「こないだ会った時は、元気だったわよ?」
「そう……美子…」
「何?」
「良兄ちゃんの連絡先、教えてくんないかな?」
妃奈の言葉に、美子は忽ち不機嫌な顔を見せる。
「良介さんに、何の用!?」
善吉と違い、良介は頭も良くしっかり者だが、少し冷たい所がある兄だった。
美子は幼い頃からそんな良介に憧れ、恋心を抱いているのだと、蒲田に居た頃善吉が言っていた。
事ある毎にまとわり付く美子を、良介は里親の娘である事で邪険にはしなかったが、適当にあしらっている様に見えたんだけど…。
それが養子に出てからも美子に付き合ってやっているのは、やはり今迄の恩を感じているからだろうか?
「兄ちゃんの事を、話したいだけだ」
「…失礼致します」
ウェイターがやって来て、2人の前にカップを置いた。
カプチーノの泡で可愛らしい動物を描いたカップが美子の前に、妃奈の前には美しい葉の様なデザインを描いたカップが置かれ、各々の前に手作りのトリュフチョコレートの乗った皿が置かれた。
芸術的なカップに見惚れる妃奈の前で、美子はチョコレートをかじりカプチーノを啜った。
慌てて妃奈も真似をする…口の中で甘いチョコレートがトロリと溶け、苦味のある珈琲の味と芳醇な香りが溶け合った。
美味しさに目を見張る妃奈の顔を見て、美子がケタケタと笑い声を上げる。
「…ヒゲ…ヒゲ生えてる、妃奈!」
「え?」
鼻の下を指され、美子は尚も笑い声を上げた。
「アンタ…ヒゲ生やしたら、そんな顔になんだ…」
鼻の下を紙ナプキンで拭う妃奈を見て笑いを引っ込めた美子は、携帯を取り出した。
「…紙に書く?」
妃奈が自分の携帯を取り出すと、美子は『妃奈の癖に生意気』と言いながら、良介の番号やアドレスのデータを送ってくれた。
「…良介さん、忙しいんだからね!?ちゃんと、気を遣いなさいよ!」
「わかった」
美子は次いでにと言って自分の情報も妃奈に送り付けると、妃奈の情報も強引に転送させて満足した様に携帯を仕舞った。
「本当に、善吉の事聞くだけなんでしょうね!?」
「…あぁ」
「まぁ、良介さんがアンタの事なんか相手にする訳ないしぃ…別に構わないんだけどぉ…」
「……」
「……これでも、感謝してんだからね!?」
「え?」
「アンタが…アタシの学費の事なんか…心配してくれてたって聞いてさ…」
「あぁ…でも、結局金は入らなかったろ?」
「……」
「大学は?行くのか?」
「専門学校に行く事にした。アタシ馬鹿だからさ…良介さんの大学なんて、絶対行けないしぃ」
「…そっか」
「看護師なんて柄じゃないし…難しそうなんだけどさ…」
「……好きな事、勉強した方がいい」
「…え?」
「その方がいい…絶対に」
「……」
「美子は昔、ケーキ屋さんか美容師になりたいって言ってた」
「……ぁ…アンタなんかに言われなくたって、わかってるわよ!」
「それなら、いい」
妃奈はカプチーノを飲むと席を立ち、座ったままの美子に言った。
「じゃ、アタシは行くから」
「……」
「義父さん逹に、宜しく言っといて」
妃奈は考え込む美子を置いて、『ご馳走さま』と言ってカフェを出た。




