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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
34/80

(34) 退院とプロポーズ

黒澤鷲という男は、実は本当に馬鹿なんじゃないかと思う。

あの日以来、起きている時も寝る時も、片時も妃奈を離そうとしない。

常に妃奈を囲い込み、甘い言葉とスキンシップで、妃奈から『好きだ』という言葉を引き出そうとする。

トイレや風呂に行く事すら(こば)もうとするのには、本当に閉口して…だから、絶対言ってやるもんかと思った。

布団に引き摺り込まれ、殆ど()し掛かられる様に抱き込む姿は、大きくて我儘な虎そのもので…いつかは、頭からバリバリと食われて殺されるんじゃないかと思う。

…まぁ、別に構わないけど…それにしても、この間の黒澤は怖かった。

雄の匂いを()き散らし、本気で犯されるんじゃないかと思った。

…sexは嫌いだ…男に躰を蹂躙(じゅうりん)されるのも、奉仕させられるのも、自分がどんどん汚されて(みじ)めな気分になって行く。

男の排泄物(はいせつぶつ)をぶちまけられるだけの行為に、一体何の意味があるんだろう?

思えば、最初に犯された時から最悪だった…『お前が悪いんだ』と散々悪態を吐かれ、訳もわからないままに強姦された。

黒澤も、あんなsexをするんだろうか?

見た目が優男(やさおとこ)の坂上でさえ、妃奈を(しば)り、無理矢理クスリを与えて煙草の火を押し付け、輪姦する様な暴挙(ぼうきょ)に出るのだ。

妃奈の知る中で最も躰が大きく、獰猛(どうもう)そうな黒澤は、もっと(ひど)い事をするんだろうか?

普段妃奈を甘やかすのは、本当はその行為に持って行く為の(えさ)なんだろうか?

…まぁ、それならそれでもいいや。

黒澤みたいな男が、妃奈の躰をどうこうしたいと本気で思う筈がないし、世話になってるし…それに、黒澤に抱き締められてキスされるのは嫌いじゃない。

何だかんだ言っても、囲われる鬱陶(うっとう)しさと同時に、守られる安心感が心地良いのだ。

だから黒澤の言う事を聞く振りをして、自分に言い訳をして、黒澤から本気で逃げ出そうとしないんだと思う。

黒澤が許してくれる内は、もう少し(そば)に置いて貰ってもいい…かな…?

でも、周囲の人間が許す筈がない…それは、今迄の経験で身に染みてわかっている。

退院の日、しっかりと妃奈の腕を掴んで離さない黒澤に、妃奈は悪態を吐いた。

「…腕、痛い」

「離したら、逃げるだろう?」

「アンタ、手錠持ってたら絶対に使いそうだよな」

「…何だと?」

上からギロリと睨み付けられ、しまった言い過ぎたかと首を(すく)めると、黒澤はいきなり妃奈の腹を(すく)い上げて小脇に抱えた。

「なっ!?何すんだよっ!?」

暴れる妃奈の尻を叩き、黒澤はズンズンと病院のロビーを進んで行く。

子供の様に扱われる屈辱と、周囲の注目を浴びる恥ずかしさに、妃奈は半泣きになって叫んだ。

「止めろって!!逃げないからっ!!」

「…最初から、そう言えばいいものを…」

ストンと床に下ろされると同時に、黒澤の大きな手が頭に乗せられる。

「意地を張るな、妃奈」

「……」

小塚が会計を終えて戻って来る姿を認めると、黒澤は再び妃奈の腕を掴んで言った。

「帰るぞ」

エントランスで小塚が回して来る車を待つ間、妃奈は腹の底が冷たくなる様な緊張感に包まれていた。

どうせ帰ったって、黒澤の事務所の人間に(うと)まれるだけだ…胃から迫り上げる物に口を押さえ、妃奈は黒澤の手を振りほどいた。

「妃奈!?」

「…気持ち…悪い」

建物の中のトイレに行くのは間に合わないと思い、妃奈は近くの植え込みに飛び込んで吐き戻した。

「…そんなに嫌か、妃奈?」

気遣う様に背中を撫でる黒澤が、心配そうに妃奈を窺う。

「……」

「高橋さん、これを…」

車から降りた小塚が、妃奈にミネラルウォーターを差し出した。

「…ありがとう」

受け取ってガラガラとうがいをすると、空元気(からげんき)を出して妃奈は立ち上がった。

「どうせ、強引に連れて帰るんだろ?」

「……」

「その代わり、駄目だったら…今度こそ出て行くからな!?」

「大丈夫だ…俺がお前の(たて)になる。ちゃんと守るから」

「…そういう事じゃねぇよ」

フィと黒澤の視線から逃れると、妃奈はサッサと後部座席に乗り込んだ。

事務所に到着した妃奈達を迎えたのは、歓迎の嵐だった…が、当然の様にそれは、妃奈を迎える物ではなくて…。

「お帰りなさい、所長!!」

「退院おめでとうございます!!」

「心配しました…回復されて良かった!」

「お疲れが溜まっていたんですよ。ここの所、些事(さじ)が多くて…」

花束を持って黒澤を取り囲んだ事務所の面々が、輪から外れた妃奈にチラリと視線を投げた。

…そら見ろ…やっぱり厄介者扱いじゃねぇか!?

黒澤と取り巻きの一団を無視して、退院祝いの為に飾られた事務所を突き抜けて自宅に向かう妃奈の後を、小塚が荷物を持って黙って付いて来る。

「…小塚さんにも、迷惑掛けた…ごめんなさい」

「いえ、仕事ですから…その様な気遣いは必要ありません」

「………」

「それよりも、本来なら高橋さんは、まだ入院が必要な体調なのですから、ゆっくりと休んで下さい」

「もう平気だよ」

「倒れたら、又病院に逆戻りですよ?」

「……」

「病院で使用していた畳は、どこに敷きましょう?」

「要らない」

「それでは、土蔵に入れる様に指示しておきます。必要なら、いつでも仰って下さい」

「わかった…ありがとう」

事務所の建物を通り抜け、裏口を開けようとした所で、後ろから高飛車な声が掛かった。

「待ちなさい、高橋妃奈!」

黒っぽいスーツに髪をアップにまとめた、仕事モードの磯村弘美が腕を組んで妃奈を呼び止める。

「あぁ…アンタか…」

「皆の事スルーして、どこに行こうとしてるのかしらね!?」

「磯村先生…高橋さんは気分が優れないので…」

小塚が弁明するのを、妃奈は小さく首を振って制した。

「退院パーティーは?」

「…黒澤が居れば十分だろ?」

「貴女ねぇ…そんな態度だから、皆に(うと)まれるの、わかってる?」

「……」

「まぁいいわ…ちょっと話があるのよ」

心配そうに見守る小塚に、磯村はカラカラと笑い声を上げた。

「大丈夫よ、小塚君。この娘とは、和解したから」

(いぶか)しむ小塚に、妃奈は再び小さく頷いた。

「大丈夫ですか?」

「平気。本当だから」

「それでは、私は荷物を置いて参ります。お話しでしたら、所長室をお使い下さい」

小塚はそう言って、所長室のドアを開け2人を中に(いざな)うと、一礼して出て行った。

「しっかり下僕(げぼく)してるわね、小塚君」

「そんなんじゃない」

「そう?」

「あの人は、黒澤の秘書だからだ」

「まぁね…出来過ぎな秘書だわ」

「それは、同意する」

互いに応接ソファーの対面に座ると、磯村は少し笑って妃奈に言った。

「先ずは、退院おめでとう」

「…ありがとう」

「体調は?退院したのに気分が優れないって、どういう事?」

「…叩き出された」

「何よそれ!?」

「…あそこじゃ、良くなる気がしない」

「……まぁた、何かしでかしたんでしょ!?」

「……」

「全く…まぁ、ここでゆっくり休みなさいな。この間、帰って来ないみたいな話してたから、心配してたのよ」

「…黒澤に、強引に連れて帰られた」

「でしょうね…さっきも、退院祝ってくれてる皆に、()ち噛ましてたわよ?」

「何て?」

「それは、黒澤本人から聞きなさいよ!」

カラカラと笑う磯村とは、妃奈が入院している時に数回見舞いに来た事で和解していた。

妃奈の抱える問題も、祖父の遺産の事も、黒澤がきちんと説明したらしい。

その上で、わざわざ病院迄謝罪に来てくれたのだ。

「……いぃ…想像付くから」

(むく)れる妃奈に笑顔を向けていた磯村は、急に顔を引き締めて言った。

「あの後、大変だったわね…もう、気分は落ち着いた?」

「…逮捕された事?」

(いぶか)しむ妃奈に、磯村が少し眉を寄せて答える。

「鶴岡さんから連絡貰ったのよ…あの日、見舞いに行ってたんだって?」

あの時、階段の踊り場から冷たい目で見下ろしていた男女の顔を思い出し、妃奈は小さく舌打ちをした。

「心配しなくても、あっちの依頼は断ったわ。あの業突(ごうつ)くジジイ共には、程々愛想が尽きたのよ」

「…そう」

「だから、貴女の依頼…請け様と思うんだけど…」

「……」

「決心は、変わらない?」

「変わんない」

「即答だわね。良く考えてる?唯一、貴女に遺された物よ?それだけのお金があれば、好きな事だって、一生贅沢三昧だって出来るのに…」

「…好きな事も…やりたい事もない。贅沢だって…何していいかわかんない。第一、アタシが持ってても、誰かに騙し取られるのがオチだ」

「まぁね…そうなんでしょうけど……潔いっていうか、無鉄砲っていうか…。ま、いいわ!書類作成しても良いのね?」

「宜しくお願いします」

妃奈は、磯村に深々と頭を下げた。



匂いという物は、どこにでも存在する。

街の匂い、山の匂い、海の匂い、建物の匂い…勿論人の匂いも…。

黒澤の自宅の玄関を開けた時、妃奈は眉を潜めた。

…匂いが…しない?

事務所の建物に入った時には、石造りの建物特有の匂いと、中の人間達の匂い、厨房から流れる料理の匂いがした。

病院に居た時も、独特の薬や消毒液の匂いや、すえた汗の匂い、運び込んだ畳の匂いがした。

だが、この家からは…。

靴を脱いでリビングのドアを開けると、『秋』のステンドグラスの赤い光が目に飛び込んで来る。

見慣れたダイニングテーブル、皮張りのソファーにムートンのラグ、棚に並んだ古い書籍…匂わない筈がないのだ。

ムートンのラグに座り込み、ソファーに鼻を近付けて匂いを嗅ぐ…ほら、ちゃんと皮の匂いがする…。

「…ここは…アタシの家じゃないのに…」

自分の匂いがわからないのと同じ様に、自分の家の匂いも感じなくなる。

蒲田の家でも、母屋の匂いは常に感じていたが、妃奈が生活していた小屋の匂いは、段々と薄れて行った。

駄目だ…この家からは、何れは出て行かなくてはならないのに…。

黒澤が許してくれる間だけの、仮の宿なのに…。

黒澤は、妃奈が成人した後も手離さないと言った。

一緒にこの家で、暮らして行こうと言ってくれた。

でも…ずっと一緒なんて、無理に決まっている。

人を愛する事がわからない妃奈には、黒澤の愛情にどう返していいのかもわからない。

どうせ直ぐに、飽きられて捨てられて…お払い箱にされる。

黒澤は、自分の事を信用出来ないのかと、直ぐに怒るけど…。

でも、本当は…逆らってばかりの妃奈の事なんて、既に疎ましく思っているのかも知れない…。

黒澤が妃奈の遺産を守る、未成年後見人だから…面倒を見てくれているだけ…。

その遺産も、手離す決心をしたんだ…アタシがここに居る意味って…もう…ないんじゃないか?

腹の底が又冷たくなって、妃奈はトイレに駆け込んだ。

どうしよう…今飛び出しても、警備の連中が外に出してはくれないだろう。

それに今飛び出せば、黒澤は事務所の人間がアタシを受け入れなかったからだと怒り出すだろう。

どうしよう…どうしたら…。

思い悩む妃奈の耳に、ドアを叩く音がする。

「妃奈?妃奈…大丈夫か?」

仕方なくトイレから出た妃奈は、ドアの前の黒澤に頷いて見せた。

洗面所で手を洗う妃奈を追って来た黒澤は、鏡に映る妃奈を見て心配そうに尋ねた。

「顔色が悪い…又、吐いたのか?」

フルフルと首を振ると、妃奈は黒澤の横をスルリと通り抜け、リビングのムートンラグに座り込んだ。

「…誰かに何か言われたか?磯村と話してた様だが?」

黙って首を振る妃奈に、黒澤は怪訝(けげん)な表情を浮かべた。

「……お帰りって…退院おめでとうって、言ってくれただけだ」

「本当に?」

「…あぁ」

ぼんやりとステンドグラスを見上げる妃奈に近付くと、黒澤はフワリと妃奈の躰を抱き込んで囁いた。

「どうした?」

「……」

「…又、何か思い悩んでるのか?」

「……」

病院を訪ねて来た磯村は、黒澤の信頼を失いたくないのだと言った。

その為なら、今迄気に入らなかった妃奈と和解する等、何でもない事だと言った。

栞は母親の様な愛情で、田上は兄を慕う様な愛情で黒澤に接し、それぞれの役目をこなしている。

小塚は完璧な秘書を全うする為に、時には黒澤に意見したり叱咤(しった)したり、妃奈の面倒も見たりしながら仕事を(さば)いている。

じゃあ、自分は…?

黒澤に拾われて、養われ甘やかされ…(わずら)わせ迷惑を掛けているだけだ。

好きだという気持ちも受け入れて貰えず、それでも心地良さに離れられず…唯、黒澤に寄生するだけの…。

「何考えてる、妃奈…?」

「……」

「ちゃんと考えてる事を話せ、妃奈…俺も一緒に考えてやるから」

「……やっぱり…出て行く」

「駄目だと言っただろう!?」

「何で?もう、アタシがここに居る意味なんてねぇんだよ!!」

「…どういう意味だ?」

「……」

「大体、どこに行くっていうんだ?もう、路上での生活は無理だと…お前もわかってる筈だ」

「…シェルターに…行く」

「ぇ?」

「役所でシェルター紹介して貰って、仕事探す…それで、いいだろ!?」

最後は半泣きになって叫ぶ妃奈に、黒澤は撫で甘やかしながら、穏やかな声音で語り掛けた。

「今度は、えらく具体的な事を示唆(しさ)して来たな?」

「……」

「それが、妃奈の本当の思いなら、俺も考えないでもないが…」

「……」

「…違うだろう?」

「……」

「本当は、何があった?」

身を添う様にして黒澤に撫でられると、いつも力が抜けてしまう…黒澤の匂いに包まれて…安心して…。

「……匂いが…しない…」

「匂い?何の?」

「…家……家の匂いが……アタシの家じゃないのに…」

「…妃奈の家だ。だから匂わなくなったんだろう?」

「どうせ直ぐに…出て行かなきゃならない」

「何故?」

「……」

「まだ、俺の事信用出来ないか?」

「どうせ…追い出されるんだ」

「そんな事はしないと言ったろう」

「…生意気な事言って…(うと)まれるんだ……お前なんか要らないって…」

「じゃあ、素直になって、甘えればいい」

「お前、モテるんだろ!?直ぐに、他の女に目移りするに決まってる!!」

グイッと胸を押して黒澤を見上げると、驚いた顔をした男は、やがて大きな犬歯を剥き出してニヤニヤと笑った。

「…何だよ!?」

「妬いてるのか、妃奈?」

「……」

「居もしない相手に嫉妬してるのか、お前?」

トンと躰を押され、妃奈の躰をラグの上に倒すと、黒澤は少し泣きそうな笑みを浮かべて妃奈に伸し掛かって来る。

「…自惚れてもいいのか…俺は?」

「…ぇ?」

「妃奈に…物凄く愛されてる」

「そっ…そんな事ない!」

「じゃあ、何故嫉妬してる?」

「それは…」

「俺の事、好きか?」

「キライだって言ってんだろっ!?」

「…それは、寂しい…」

「……」

「俺は、とっくにお前の物なんだがな…」

「…何言って…」

「俺はまだ…妃奈の心さえ…手に入れられない」

スッと黒澤の顔が下りて来て、妃奈の唇を優しく(ついば)む。

「腕に抱く事も、撫でる事も…キスだって受け入れる癖に……お前の心は、遠いままだ」

「……寂しいのか?」

「あぁ…寂しい。心が…寒い…」

心が寒くなるのは、嫌になる程経験して来た。

あれは駄目だ…どんどん冷たくなって、カチカチになって…躰を壊してしまう。

黒澤でも、そんな風に思うんだろうか?

黒澤が躰を壊したのも、心が寒くなったからだろうか?

「…どうしたら、治る?」

「……」

「どうしたら、心が寒くなくなる?」

「…妃奈が…俺を受け入れてくれたら…」

「…受け入れるって?sexしろって事?」

「そうじゃない!!」

「……」

「心を受け入れるという事だ…先ずは心を…躰は、二の次だ」

「…わかんない…どうすればいい?」

「妃奈が、俺を好きになってくれればいい」

「…それがわかんないから、聞いてんだろ!?大体、守って貰おうだなんて思ってないって、アタシの事拒否した癖に!」

「妃奈、お前……俺を守りたかったのか?」

再び驚いた顔を見せた黒澤は、砂糖みたいな甘ったるい表情を見せ、妃奈の頬をスリスリと撫でて言った。

「…そうか…そういう事か…」

「……」

「わかった…だったら妃奈は、俺の心を守ってくれ」

「心なんて、どうやって守るんだ?」

「俺の心が、寂しくならない様にしてくれればいい」

「……」

「例えば…妃奈が、俺の傍に居続けるとか…」

「…それは…」

そう言って目を反らす妃奈に、黒澤は溜め息を吐いた。

「お前が俺から離れ様とする事が、一番辛い」

「……」

「確証がなければ不安なのか、妃奈?」

質問の意味がわからない…確証って何だろう?

「お前も不安なんだろう?」

「……」

「…結婚するか、妃奈?」

「なっ!?」

「結婚しようと言った…俗に言う、プロポーズだ」

「ばっ、馬鹿じゃねぇの!?ってか、やっぱり馬鹿だろ、アンタ!?」

ボンッと頭の中で何かが爆発する音がした。

心臓がバクバクと高鳴り、『結婚』という2文字がグルグルと頭の中を廻る。

「何故?」

「何故って…ありえねぇだろ!?」

「何故だ?俺はお前を愛してる。お前も同じ気持ちだと知った今、結婚を考えるのは当然の事だろう?」

「お前の事なんかキライだ!!」

「嫌いって言うな…心が傷付く」

「……」

「俺と一緒になるのは、嫌か?」

「そうじゃなくて…アタシなんかと結婚なんて、あり得ねぇって言ってんの!!」

「自分を(さげす)むのは止めなさい、妃奈」

「……」

「妃奈が、今迄どんな生活をして来たか…どんな(ひど)い目に()って来たか、全て承知した上でプロポーズしている」

「……」

「と言っても、直ぐに結婚出来る訳じゃない。俺は、お前の未成年後見人だ。妃奈が成人する迄は、結婚出来ないが…それでもいいか?」

「それでもいいかって…だから…」

「プロポーズ…受けてくれないのか?」

考える暇を与えずに答えを引き出そうとする強引さに、黒澤の優しさが見て取れた。

考える猶予(ゆうよ)を与えると、妃奈が確実に断るのを黒澤は知っているんだ。

「…別に、結婚なんかしなくても、この土地はアンタに渡すって言ってんだろ?」

最後の足掻(あが)きの様な言葉に、黒澤は瞳の奥に怒りを表して大きな犬歯を剥き出した。

「…それ以上言うと、殴るぞ?」

「……」

「さっき事務所の奴等には、妃奈はいずれ俺が嫁に迎える女だと公表して来た」

「えっ!?」

この男は…妃奈に逃げ場がなくなる所迄、追い詰める積りなのか!?

だがそれは…誰の為でもなく、妃奈の為の行動で…。

「……わかった、受ける」

「じゃあ、俺に好きだと言ってくれるか?」

「…考えとく」

ハハッと声を上げて笑った黒澤は、覆い被さる様に力一杯妃奈の躰を抱き締めた。

「俺の『琥珀姫』は、本当に気難しい」

「……」

「ありがとう、妃奈…ホッとした」

「……うん」

黒澤は立ち上がり、妃奈の手を引くと2階のベッドルームに連れて行った。

少し緊張する妃奈をベッドに座らせると、書斎として使っている机の引き出しから鈍く金色に輝く真鍮(しんちゅう)の鍵を取り出し、妃奈の手に握らせた。

「この家の鍵だ」

「……」

「ずっと渡そうと思ってたんだが…なかなか、切っ掛けが掴めなくてな…」

そう言いながら黒澤は妃奈の首からチェーンを外し、他の鍵と一緒に通すと、再び妃奈の首に掛けて満足そうに微笑んだ。

「これで…ここが、お前の家で…俺の腕の中が、お前の居場所だ。わかるな?」

「……うん」

隣に座り腕を回して妃奈を抱き締める黒澤からフワリと雄の匂いが立ち上り、彼は妃奈に飴玉をしゃぶって転がす様なキスをして来た。

この男の匂いが、いい匂いだと思ったのは、いつ頃だっただろう?

この男のキスを不快に思わなかったのも、腕の中が安心すると思ったのも、最初からだ。

何だ…アタシは、最初から黒澤の事が好きだったんだ…。

「…妃奈…」

でも言ってやらない…これ以上黒澤を付け上がらせるのは、(しゃく)だから。

「……でも…良かった。sexしなくていいって言ってくれて」

「…ぇ?」

「アレ、怖くて気持ち悪いばっかでさぁ…大嫌いなんだ」

今日3度目の驚いた顔を見せた黒澤は、眉間に皺を寄せ、しばらく固まったまま微妙な表情を見せた後、ハァ~ッと深い溜め息を吐いた。

「お前は…俺を悩ませる天才だな、妃奈」

そう言って妃奈を抱き締めると、黒澤は肩を震わせて笑い出した。


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