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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
32/80

(32) 気持ち

病室の前から気を失って運ばれた妃奈が目を覚ました時、処置室の彼女の枕元では、大人達が声を抑えて言い争いをしていた。

「…困るんですよ、本当に!当院の沽券(こけん)にも関わります!」

「病院の体面なんて、そんな物は患者に何の関係もありませんよ」

「何を仰ってるんですか、武蔵先生!?貴方の病院でしょう!?」

「だからこそです。病院は患者の為にあるもので、病院や医者の体面等を気にしてはならない。()してや、彼女は入院患者だ。我儘(わがまま)で起こしている行動でない事は、先生方だってご存知の筈でしょう?」

「しかし…」

「ならばいっそ、別館の精神病棟で入院させた方がいいんじゃありません?そちらの看護師なら、彼女の様な奇行(きこう)への対応も慣れているでしょうし、いざとなったら拘束服で点滴も食事も与えられますでしょう?勿論、行動も…」

「……何の…話?」

ノロノロと起き上がると、鷹栖武蔵が心配そうな表情で妃奈の顔を覗き込んだ。

「大丈夫かい、高橋さん?気分はどうかな?」

「…普通。それより、何の話?」

「貴女の事よ、高橋さん」

妃奈の担当内科医が、腰に手を当て眼鏡を擦り上げて高飛車に言い放つ。

「ベッドでは休まない、食事や投薬も拒否する、看護師の言う事にも従わない…挙げ句、暴言を吐く。貴女のやっている事は、我儘な患者によるパワハラだわね!」

「…だから?」

「改める気はないのかしら?」

「ないって言ったら?」

「…」

「アンタ等の方こそ、どうなんだ?理由も言わず自分達のやりたい様に患者を(いじ)くりまわして、言う事聞かなきゃ無理やり薬盛って治療して…挙げ句、集団で吊し上げって…これも虐めとかパワハラになるんじゃねぇのか?」

「何ですって!?」

「患者は、お前等の実験動物や玩具じゃねぇんだよ、オバサン!」

「そんなに文句があるなら、出て行けばいいわ!!」

妃奈を忌々しそうに睨む担当内科医を、鷹栖武蔵が(たしな)める。

「先生…それは、医師の発言とも思えませんね」

「そうでしょうか?治療する気のない患者を面倒見る必要はないと思いますよ、武蔵先生。私達は、慈善事業(じぜんじぎょう)をしている訳ではないんですから!そうですよね、事務局長!?」

「えぇ…まぁ…」

曖昧に返事をする事務局長と呼ばれたスーツを着た男性が、チラリと鷹栖武蔵と妃奈を見比べた。

「彼女は私の患者で、私は彼女の主治医です。先生は、彼女に主治医だと認められていますか?」

「それは…」

「その努力を(おこた)っているのではありませんか?」

「……」

「私達医師は『先生』と呼ばれる事で勘違いしがちですが、医者という専門職に就いた職人なんです。人の上に立った様な勘違いを起こす様な事は、断じてあってはならない…肝に命じて下さい」

「…わかってます」

ふてぶてしく頭を下げると、担当内科医は他の医師達と共に(きびす)を返して処置室を出て行った。

「悪かったね、高橋さん。彼女には、ちゃんと話して置くから」

「…別にいい」

「何なら、担当を替える様に内科に言って置くよ?」

「必要ない…出て行くだけだし」

「高橋さん!?」

「あのオバサンが言ってた事が本音だろ?治療しない奴に居座られたんじゃ、迷惑なんだろ?(しか)も問題起こした奴なんて、とっとと出て行って欲しいに決まってる」

妃奈が事務局長に視線を向けると、彼は困った様に視線を泳がせ曖昧な笑みを浮かべた。

「心配すんなよ、出てってやるから…その代わり、頼みがあるんだ」

「何でしょうか?」

「あの部屋は、しばらく空けられない…黒澤が良くなる迄、使わせて欲しいんだ」

「黒澤さんとは?」

「ここの病院に金払ってくれてる奴だよ!アタシの事で無理し過ぎて倒れたんだ…ちゃんと治療して、休ませてやって欲しいんだ!」

事務局長に掛け合う妃奈に、鷹栖武蔵が優しく声を掛けた。

「勿論黒澤さんには、あの部屋で治療して、ゆっくり休んで貰うよ。約束する」

「…頼むよ」

「でも、君の退院はまだ無理だよ。もう少し体力が戻らないと…」

「それこそ無理な話だ。ここに居ても、良くなる気がしない…」

「…高橋さん」

「ここの奴等がどう思ってるかなんて、先刻承知なんだよ、武蔵先生。それに、これ以上黒澤に無駄な金使わせたくないんだ」

「……」

「…そんな顔すんなよ。アンタには世話になった。感謝してるからさ、武蔵先生」

苦笑した鷹栖武蔵は、真剣な眼差しで妃奈の肩に手を置いた。

「退院しても、僕が君の主治医である事には代わりないからね。ちゃんと通院して来るんだよ?」

「来ないよ、多分」

「何故だい?」

「アンタに相談するには、金が掛かるんだろ?」

「…高橋さん、やっぱり黒澤さんの所から出て行く積りなのかな?」

「あそこにも、戻れないって言ったじゃん」

「…いいのかい、それで?」

「……別にいい…慣れてるし…」

「君は、黒澤さんの所に居たいんだろう?」

「……黒澤の所は…心地いい……安心出来るし…」

「君はね、黒澤さんの事が好きなんだよ?」

「……」

「黒澤さんを大切に思ってるだろう?」

「……」

「黒澤さんが倒れて、心配だったろう?」

「…心配」

「昨夜も黒澤さんが熱を出して、必死に看病していたんだね?」

「…熱…高くて……早く冷さないと、死んじまうって思って…」

「だから、テラスの雪で冷やしたのかい?」

「水道の水じゃ、追っつかなかったんだ!」

「熱が下がったのは、いつ頃?」

「…多分…明け方」

「無茶するなぁ」

「……」

「君は、黒澤さんを守ろうと必死だったんだね」

「……」

「それが、人を好きになるって気持ちだよ」

鷹栖武蔵の言葉に、妃奈は俯いて目を泳がせた。

「どうしても黒澤さんの元を離れたいと言うなら、新宿署の幸村刑事に相談するといい」

「…幸村?…少年係のか?何でサツなんかに…」

「役所関係の事も良く知ってるだろうし、力になってくれるよ。僕からも話して置くから」

「…一応覚えとくよ。でも…多分行かない…もう、少年係なんかと関係ねぇし…」

「でもその前に、ちゃんと黒澤さんと話し合わないといけない…わかるね?」

「……わかった」

妃奈は俯いたまま小さく頷いた。



過労だと診断され、3日間の入院宣告と投薬を受けた黒澤の元に妃奈が戻って来たのは、その日の夜の事だった。

車椅子に乗せられた妃奈は、病室に入るなり飛び下りて部屋の隅にうずくまる。

「少し辛い思いをされましたので、慰めて上げて下さいね」

看護師はそう言って、車椅子を押して出て行った。

「…妃奈」

「……」

「おいで、妃奈…何があった?」

「……別に」

俯いたまま首を振り()れた声で答える妃奈は、そっと自分を抱き締める素振りを見せた。

「…それより、黒澤…躰は大丈夫なのか?」

「あぁ…言っただろう?少し疲れが出ただけだ」

「…ごめん」

「何故、お前が謝る?」

「……」

「妃奈が悪い訳じゃないだろう?俺の体調管理が不十分だったからだ」

「……ごめんなさい」

少し震える声で謝る妃奈は、黒澤に(おび)えた様な視線を寄越す。

まだ声は(かす)れているが、ちゃんと話が出来る様になった事に黒澤は安堵(あんど)して言った。

「いいから、こっちにおいで…俺は3日程入院する事になった。丁度いい機会だから、2人でゆっくり休もう」

「……わかった」

妃奈はそう言って(おもむろ)に立ち上がり、病室の扉を開け様と手を掛けた。

「…何してる、妃奈?」

不機嫌に響く黒澤の声に、妃奈は扉を向いたまま答える。

「外で寝る。黒澤は、ゆっくり休め」

「何言ってるんだ、お前は!?」

「何が?」

振り向いた妃奈は、無表情な顔を黒澤に向けた。

「何故、お前が外に出る!?」

「…何怒ってるんだ、黒澤?」

不思議そうに尋ねる妃奈に近付くと、黒澤は彼女の腕を掴み強引に畳に座らせた。

「黒澤?」

「妃奈、いい加減にしないか!!」

「……」

「お前は、何で…」

「……」

黙って黒澤を見上げる妃奈に、黒澤は彼女の肩を掴んで揺する。

「妃奈は何も悪くない…妃奈が責任を感じる必要はない!!」

「…わかったから、黒澤…ちゃんと休め」

「わかってない!!何、取りなそうとしてる!?何故俺が、何も知らない奴に(さと)される様な事を言われなきゃならない!?」

「落ち着けって、黒澤…布団に入って横になれよ」

「お前もだ、妃奈!」

妃奈の躰を布団に組伏せると、途端に嫌悪感に満ちた表情で妃奈は身を(すく)ませた。

「……済まない…」

「……」

「…妃奈…俺は…」

「…黒澤…アタシは、普段通りにしてるだけだ」

「え?」

「黒澤の家に居る時と同じ事をしている。何が不満だ?」

「……」

「アタシは、家に居る時も座って寝てた。黒澤は部屋の中で、アタシは廊下で寝てた。黒澤に、家に居る時と同じ様にゆっくり休んで欲しい…だからアタシは廊下で寝る。大丈夫だ。黒澤の睡眠を邪魔する奴は、アタシが蹴散らしてやる!この部屋には、誰も入れない…アタシが守ってやる!だからゆっくり休んで元気になれ」

「……」

「……何か、間違ってるか?」

曇りのない真っ直ぐな瞳で見上げられ、黒澤は溜め息を吐いた。

「間違っていたのは、俺だ」

「何が?」

「妃奈との接し方を…間違えていた様だ」

妃奈を組伏せていた黒澤は、ゆっくりと躰を落とし、彼女の躰を抱き締めた。

「最初から…こうしておくべきだった」

「……」

「そうだ…最初から妃奈は、俺の腕の中でしか休めなかったのに…」

腕の中でむずかる妃奈の躰を絡め取る様に抱き締めると、黒澤はゆっくりと妃奈の髪を撫でてやった。

「妃奈は…俺の腕の中に居ればいい」

「……」

「資格がないとか言うのはなしだぞ…もう、妃奈を解いてやる積りはないからな。お前はずっと、俺の中で…」

「だ…駄目だ、黒澤!これじゃ、お前が休めない!」

「…妃奈」

「アタシはっ、黒澤に休んで欲しいだけだっ!」

腕の中で暴れながら、妃奈がむずかって叫ぶのを、黒澤は強引に唇で口を塞いだ。

「…っ」

「誰が、守って欲しいなんて言った!?」

「…だって」

「俺は、お前に守って貰おうだなんて思ってない!!」

黒澤の腕の中で、妃奈の躰がビクッと痙攣(けいれん)した。

「妃奈…わかってくれ。俺は、お前を守りたいんだ…」

「……」

「愛してるんだ、妃奈…」

黒澤の言葉に妃奈は顔を背け、徐々に力を抜いて行った。

だが、彼女の躰は黒澤に添う事はなく、唯グニャリと人形の様に脱力してしまったのだ。

「…妃奈?」

「……」

「どうした?」

「……」

「何だ!?どうしたっていうんだ!!ちゃんと話せ!!」

「……」

それから妃奈は、どれだけ尋ねても何も言わず、唯グニャリとした無気力な躰を黒澤に預け、時折静かに涙を流す。

相変わらず妃奈は、大事な事は何も話さない…腕の中に居る妃奈の心が見えないもどかしさに、黒澤は悶々とした夜を過ごした。



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