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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
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(3) 妃奈

都心に現れたオアシス…北新宿の白亜のツインビルの前に作られた石畳の広場は、そんな言葉がピッタリだ。

気持ちの良い木陰に作られた小さなせせらぎは、昼は買い物に付いて来た子供達の絶好の遊び場だし、夜になるとライトアップされ恋人達の憩いの場所になる。

置かれたベンチにもガーデンテーブルにも、設計者のセンスが光っていた。

そこが、かつて大量のミイラが発掘された土地だと覚えている人間は、一体何人居るのだろう?

広場に作られた植え込みの中に小さな(ほこら)があるのを見ても、思い出さない人間の方が多いだろうに…時折、その祠に花と供え物が置かれてあるのだ。

…やった…今日は、一番乗りだ!

祠に供えてある饅頭(まんじゅう)を手にすると、高橋妃奈(たかはし ひな)は人目を避ける様に植え込みにしゃがみ込み、表面が乾いた饅頭の皮を器用に薄く()いだ。

ようやく口に入れようとした矢先、突然背後でガサリと音がする。

「オイッ!!」

慌てて植え込みから飛び出して、転がる様に走って逃げる…警備員だろうか、それとも縄張りを荒らされたホームレスか?

人混みに紛れながら広場を横切り、ビルの裏手に回り込むと、物影に座り込んで辺りを窺う。

まだ治まらない動悸(どうき)に顔をしかめ、妃奈は空になった掌を眺めた。

又、食べ損ねた…どうして、こんなにドジなんだろう…。

滝の様に掻いた汗を吸った長袖のTシャツと鼻の下迄伸ばした前髪が、ベッタリと身にまとわり付いて気持ち悪い。

躰に籠った熱を少しでも逃がそうと、妃奈は首に巻いた大きなストールをパタパタと胸で振った。

この大きな綿のストールは、(すぐ)れ物だ…肌寒い時には肩に羽織ればいいし、夜には布団代わりになる。

今の時期なら日除けになるし、何より暗い迷彩柄は…彼女の目立つ容姿を隠してしまうのに持ってこいだった。

「…行かなきゃ」

空腹と暑さにフラフラとする躰を何とか立ち上がらせ、妃奈は駅に向かって歩き出した。

今日は第3金曜日…夕方に、仕事前の兄と会う日だ。

暗くなる前に待ち合わせの場所に行けば、コンビニのおにぎり位は食べさせて貰えるかも知れない…。

淡い期待を胸に、歌舞伎町のアーチに程近い路地の影に身を潜ませた。

夕方だというのに一向に暗くならない空と室外機が吐き出す熱風が、余計に体感温度を上げている。

「よぅ!」

茶髪に安物の派手なスーツを着た男が、手を上げヘラヘラと笑いながら近付いて来た。

「元気してたか?」

「…うん」

上げていた手を妃奈の頭に置き、男は笑いながら彼女の頭を鷲掴(わしづか)みグリグリと揺らす。

西堀善吉(にしぼり ぜんきち)と妃奈の間に、血の繋がりはない。

親を亡くして連れて行かれた養育里親(よういくさとおや)の家に、先に引き取られていたのが西堀兄弟だった。

「相変わらずドロドロだな、お前…又、植え込みで寝てたのか?」

「…うん」

妃奈の髪に付いた木の葉を取りながら、善吉は困った様に尋ねた。

「…まだ、帰ってねぇのか?」

「……帰れる訳、ねぇじゃん…」

「ヒナ」

「…あれ以来、ずっと義父(とう)さんも入院してるし…仕事場も、火事の時のまんまだしさ…」

「……義母(かあ)さん達は、まだ…」

「疑ってるよ…アタシがやったって…」

3年前に里親宅で起きた火事は、小さなメッキ工場を営んでいた里親の自宅以外…作業場と、火元だった小屋を全焼した。

養父の菅原邦彦(すがわら くにひこ)は、火事の時の怪我と後遺症で未だ入院生活を強いられているという。

出火当時、妃奈には近所の主婦と一緒に居たというアリバイがあったにも関わらず、養母の貴美子(きみこ)や娘の美子(よしこ)は、妃奈が放火をしたと疑っていた。

「…ごめんな、ヒナ」

「兄ちゃんが謝る事じゃねぇじゃん」

「…けどな…」

「それより、ホストの仕事どう?順調?」

高校を中退して善吉は色々な職に就いたが、どうも今一つ長続きしない。

現在は歌舞伎町でホストをしているが、店の寮費も払えず、今は昔の彼女の所に転がり込んでいる。

「…それがな」

「又、辞めた!?」

「いゃ…店は辞めてねぇんだけど…アパート追い出されそうで…」

「え?」

「今月末に部屋代払わねぇと、出てけって言われてて…」

「…」

「それでな、ちょっと…お前に頼みあって…」

顔もルックスも悪くはないが、気が弱く(こら)え性のない善吉に、路上で新規の客をキャッチする等、至難の技なのだろう。

それでも、少しでも客が引ける様に身なりを整えなければならない。

そんな金が必要な事態になると、色々な所から無心してしまうのが、善吉の悪い癖だった。

養父が元気な頃には、度々里親宅に無心していたが、今は…困ると妃奈を頼る様になっていた。

「…兄ちゃん…この間で最後って言ったじゃん!」

「頼むよ、ヒナ…もう、これっ切りにするからよぉ」

「…兄ちゃん」

「それに…もう、金借りちまったんだ」

「…誰に?…まさか…」

背後に近付く足音と、カチャカチャというライターを操る音に、妃奈は顔を引き()らせた。

「善吉、クロと話は付いたのか?」

くわえた煙草に火を点けながら、数人の仲間を従えた男がニヤリと笑った。

坂上恭(さかがみ きょう)…新宿に幾つもあるコミューンの1つ、『新宿パンク』のリーダーだ。

「坂上さん!今、言って聞かせてる所で…」

首を振りながら逃げ出そうとした妃奈の腕を、坂上の手下が()じ上げる。

「オット、どこ行くんだ、クロ助?」

「離せよっ!」

「暴れんなって…善吉から話聞いたんだろ?」

「坂上さん、こんな奴のどこがいいんです?」

鼻の下迄伸びた妃奈の白い髪を掻き上げ、坂上は彼女の浅黒い頬を舐めた。

「…俺に(なび)かない所」

坂上の後ろで、派手な化粧の女が眉をしかめた。

「毛色が変わってるのも乙だよなぁ、クロ?」

「クロって呼ぶな!」

「今日は、優しくしてやろうか…クロ?」

クックッと笑いキスして来ようとする坂上を突飛ばすと、透かさず頬を張られ持っていた煙草を目の前にちらつかされる。

「又、コレで焼いて欲しいのか?それとも、クスリを使って欲しいのか?」

途端に(おび)えた表情を見せる妃奈を庇い、善吉が口を挟む。

「坂上さん、ヒナには俺が言って聞かせます!だから、(ひど)い事は…」

「酷い?俺は、クロの(よろこ)ぶ事しかしてねぇぜ?」

「…ヒナ…頼むよ。もう俺は、お前しか頼れねぇんだ…」

「…」

「坂上さん、クスリも止めて下さい…コイツ、この間も具合悪くなって…」

「それは、クロ次第だ。それに、善吉…お前、俺に指図出来る立場か?えぇっ!?」

凄まれてビビる善吉は、それでも必死に坂上に懇願した。

「頼んます、坂上さん…前にも言いましたが…ヒナは…ヒナは、胸が…」

「ケッ!」

路上に唾を吐くと、坂上は手下から妃奈を乱暴に奪い、ズルズルと引き摺って行った。



妃奈には、親の記憶がない。

聞いた話では、『父、高橋道雄(たかはし みちお)(享年38)。母、智美(ともみ)』となっているそうだ。

押し込み強盗か、事件に巻き込まれてか…(いず)れにしても自宅アパートで殺されたと、入院していた病院に来た刑事が妃奈に話した。

「君は、犯人を見たのかい?」

「…」

「誰か、来客の予定があったとか…」

「…」

「君の名前は、高橋妃奈ちゃんって言うんだよ。11歳の小学5年生なんだ…覚えてるかい?」

医者からの質問に黙って首を振る妃奈を見て、苦虫を噛み潰した様な表情を見せる刑事に医者が口を添えた。

「筆談なら、少しは出来るかも知れません」

しかし、刑事の質問には何一つ答える事は出来なかった。

数日前迄一緒に暮らした両親の事も、学校や友達や近所の事も、自分自身の事さえ、妃奈は一切の記憶を失っていたのだ。

『私は、日本人?』

そう書いたメモ帳に、刑事が再び眉を潜めた。

「…君のご両親は、日本人だ」

『じゃあ、何で?』

ミンナト、チガウノ?

病院で目覚めた時、全ての記憶を失っていた妃奈は、自分の顔すら忘れていた。

だが、初めて鏡を見た時のショックは、そんな事ではなくて…。

明らかに日本人とは違う、浅黒い肌。

堀の深い顔立ちに、小さな顔に似つかわしくない程の大きな目と濃い眉。

そして、根元から3センチ程…真っ白になった髪。

「ご両親から、何も聞いてないかな?」

医者が掛ける優しい声に、妃奈は首を振った。

「ご両親の事も、何も覚えてない?」

『おぼえてない』

「じゃあ、親戚とかも…」

(たま)らなくなって、妃奈は持っていたメモ帳を医者に投げつけ、布団に潜り込んだ。

それ以来心を閉ざした妃奈は、施設に送られても(ひど)い虐めにあった。

噂では、親戚にも見離され、引き取りを拒否されたらしい。

しばらくして、集団での生活にはそぐわないと見なされたのか、養育里親である菅原邦彦の家に引き取られた。

既に西堀善吉、良介(りょうすけ)兄弟を引き取って育てていた菅原邦彦は、娘の美子と同い年の妃奈を引き取る事を快諾(かいだく)したらしい。

養父の邦彦は、とても厳しく寡黙(かもく)な人だったが、言葉を発しない妃奈にも、ちゃんと愛情を掛けてくれていた。

だがキツイ性格の妻貴美子と、母親のミニチュア版の様な美子とは、引き取られた当初から全く反りが合わなかった。

「何で私が、こんな()の面倒見なきゃいけないのよ!?訳わかんない!!」

「汚いなぁ…ちゃんと洗ってんの、アンタ?」

「アンタ、何か臭くない?」

事ある(ごと)に、脳天から突き上げる様な声で美子に罵倒(ばとう)される。

学校でも、虐めを先導しているのは美子だった。

元々強い性格だったのか、妃奈は言葉が話せなくても負けておらず、学校でのトラブルは日常茶飯事で…その度に学校から呼び出される貴美子は、次第に妃奈を(うと)んじる様になって行った。

仕事で忙しい邦彦に代わり、日常的に妃奈の面倒を見て庇ってくれたのは善吉だった。

「大丈夫、ヒナは汚くなんてないし、臭くもない」

「良い子にしてな、ヒナ…兄ちゃんが、(そば)に居てやっから」

叱られて折檻(せっかん)されると、決まって善吉がお握りを作って持って来てくれた。

そしていつも食べ終わる迄、隣に座ってくれていたのだ。

妃奈が徐々に心を開き言葉を取り戻せたのは、善吉が傍に居てくれたからだ。

だから善吉には恩がある…彼が困っているなら、自分が出来る事は何でもしなければならないが…。

ラブホテルの一室に連れ込まれ風呂に入れられると、暴れない様に後ろ手に縛られ、口にガムテープを貼られ、次々と男の相手をさせられる。

ここ3年で、こんな事が何回行われただろう?

息苦しくて気を失い掛けると、やっと口に貼られたガムテープが()がされた。

(あえ)ぐ様な息を繰り返す妃奈の口を()じ開けてクスリを放り込むと、坂上が再び覆い被さって来る。

「相変わらず、不感症のマグロだな、お前」

「…早く済ませろ、クソ野郎…」

「いつまでも反抗的だと、又火傷する事になるぜ?」

「クソッタレッ!!」

睨み付ける妃奈に、坂上が顔を近付け耳元で囁く。

「…クロ…いい加減素直になって、俺のペットになれ」

「誰が、お前なんかに!?」

「俺のペットになったら、善吉の借金の為に男に抱かれる事もねぇ…俺が飼ってやるからよ」

(うるさ)いッ!」

「おっ?躰は素直に反応したぜ?」

ニヤニヤと笑いながら躰を揺らす坂上に唾を吐くと、思い切り頬を張られた。

「…お前、18になったら店紹介してやる。そしたら、少しは男の悦ばせ方も覚えるだろうからな。でもまぁ…お前のその躰じゃ、雇ってくれる店があるかどうか…だがな?」

激しい抽挿(ちゅうそう)を繰り返しながら笑う坂上に、妃奈は硬く目を閉じて堪えた。



「…終わったぜ、善吉」

坂上の手下に肩を担がれ、表通りのカフェで待つ善吉に引き渡されると、善吉の目の前に座っていた女が、いきなり妃奈の頬を張った。

「泥棒ネコッ!!」

この派手な化粧のリノと呼ばれている女…確か、坂上の女の1人だ。

疲れ切って反論する気力もない…(しか)も躰の中には、まだクスリが残っている様で、足元も覚束(おぼつか)ない。

そんな妃奈の胸倉を掴み、散々悪態を吐いたリノは、そのままズルズルと妃奈の躰を車道近くに引っ張って行く。

「そんなに金が必要なら、もっと稼がせてやるわよ!!」

「止めろって、リノ…坂上さんに()たれるぞ?それに、その女…まだ、躰ん中に…」

「煩いわよっ!!」

リノの腕が思い切り妃奈の躰を突飛ばすと、何の抵抗もなく背中から車道に飛ばされた。

「ヒナッ!?」

善吉の叫び声と、いきなり浴びせられるヘッドライト。

辺りに響き渡るブレーキの音に続き、凄まじい衝撃と、躰の中で嫌な音が響いた途端、妃奈の躰は宙に舞った。

…これで……天国に…行ける…。

しかし、ガンッ、ガンッと叩き付けられた衝撃に、妃奈の意識は地獄に堕ちた。


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