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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
29/80

(29) Jazz&Cigar Bar

元麻布(もとあざぶ)にある背の高いテナントビル、その10階にあるジャズ&シガーバーに、連城と佐伯の姿があった。

連城の所有するこのビルには、飲食店やブティック、エステサロン、連城の弁護士事務所の他、多彩な事務所が入っている。

以前は最上階に連城の自宅があったが、妻である椿の健康を(おもんぱか)り、2年前に吉祥寺(きちじょうじ)に居を移していた。

連城夫妻の主治医兼秘書の七海(ななみ)と、連城の運転手兼SPの堀川(ほりかわ)は、共に吉祥寺に移ったが、第一秘書である山崎(やまざき)は未だこのビルに居を構えている。

数年前の事件で再会して依頼、連城夫婦と再び親交を温めた佐伯は、このビルのマンションの一室を借り受け、(わずら)わしい些事(さじ)から逃げ込む隠れ家にしていた。

「記者会見、あれで納得したのか?」

「黒澤が、どう出るかはわからんが…まぁ、ギリギリの落とし所だろうな」

夜10時から行われた緊急記者会見では、入院して精神的に不安定になっていた高橋妃奈が、捜査官の姿を見て(おび)えて逃走したのを誤って緊急逮捕したが、直ぐにアリバイが確定した為に謝罪してお帰り頂いたと発表された。

誤って逮捕した事、間違った情報を流した事、逮捕現場になった病院に多大な迷惑を掛けた事を謝罪すると、田尻署長初め、杉本副署長、米田刑事課長が揃って頭を下げた。

「本庁の方でも、結構大変だった様だがな…まぁ、何とか形になって良かった」

「やはりというか…警察OBの話は、一言も出なかったな?」

「まぁな…仕方ないっちゃ仕方ない…今の所はな」

佐伯はそう言ってグラスを空けると、ウェイターを呼んで同じ物をと注文した。

「そういえば、あの黒澤って弁護士…どう思った?」

「どうとは?」

「堂本組の若頭…森田組長のお抱え弁護士なんだろ?結構若いが、やり手なのか?」

「森田組の弁護士は彼だけではなく、数人居ると聞いている…が、森田組長が彼を買っているらしい。(さかき)の土地の件を早期解決したのは、彼の手腕だと聞いた」

「へぇ…お前に、似てなかったか?」

連城はピクリと片眉を上げると、不機嫌そうに佐伯を睨む。

「…そうか?」

「椿ちゃんの事で必死になってた頃のお前と、ダブって見えたんだがな……まぁ、アッチの方が、お前より獣っぽいけどな」

「『Panther(パンサー)』よりも?」

「あぁ…何かな…もっと獰猛な…虎とかライオンとか…」

フッと連城の口元が緩み、中空を見詰めてその姿を思い出す。

「アレは…腹の中に熱を溜め込んだ…飼い猫だ」

「飼い猫!?あれがか?」

「首輪に繋がれた飼い猫だ…虎になるには、まだまだだな…だが、腹に熱を帯びたまま、あの娘を取り込もうとしている」

「高橋妃奈か?」

「アレはツンドラの雪豹だ。心に氷の塊を抱えている。あの娘…あのままでは、余り長生き出来そうにないな」

「えっ?」

「署長室に行く前に、取調室の前に寄ってみた。あんな己が壊れてしまいそうな叫び声を張り上げるのは、(ろく)な人生を送って来なかったからだ」

「…救ってやろうとは、思わないのか?」

「何故?俺には関係のない娘だ」

佐伯はハァと溜め息を吐いて、連城を見詰めた。

「俺は時々、お前がわからなくなる…それでも弁護士か?図らずも、さっき救ってやった娘だろうが?」

「…失礼な奴だな。俺は鷹栖総合病院の顧問弁護士であって、病院の意向を通す為に動いただけだ。あの娘を救ったのは、唯の結果に過ぎない。それに、あの娘の心を救うのは、俺では無理だ」

「…」

「早く虎に成長して救ってやらなければ…あの娘は心も躰も両方壊してしまうだろう…自分でな」

「…怖い事言うなよ」

「先輩に聞いた。あの娘は、人を信用しないのだそうだ」

「…え?」

「両親の死で一切の記憶を失い、その後辛い経験で、感情に歪みが生じているそうだ。喜びや楽しみ、愛情という感情を理解しきれない部分があると…今日、わかったらしい」

「…」

「ようやく少し心を開き、『唯の知り合い』から『主治医』に格上げされたと言っていた。また他人を信用しない事態になれば、もう治療は出来ないかも知れないと…最悪、生きる気力をなくすかも知れないと懸念して、俺に彼女を取り戻す様に依頼して来たんだ。所詮(しょせん)病院の評判とか営業妨害なんぞ、あの人は何も考えてないからな。今日あそこで並べ立てた事は、全て建て前だ」

「……」

「だが、ここから先は、俺には何も出来ない。後は、医者と…彼女を愛する者の領分だ」

カランとグラスの中の氷を鳴らすと、連城は琥珀色の液体で唇を濡らした。

「ところで、来月から新宿署に赴任するなんて事、いつ決まったんだ?」

「ん?…つい最近な…」

「何かあったのか?」

眉を潜めた連城に、佐伯は苦笑を溢した。

「最近、あそこは荒れててな…まぁ、田尻署長のヘッポコ振りは元からなんだが、新しく入って来る中間管理職の奴等もキャリア組のガチガチで、今の職場は唯の通過点だと思っている奴ばかりでな…失敗する事を怖れるヘナチョコばかりなんだ。自然幅を利かせるのが、叩き上げのノンキャリの奴等なんだが…」

「今更な話だろう?昔も、大して変わらなかった」

「だがな…ちょっと厄介者が介入して来ちまってるんだ。お前、誰だかわかってて脅したのか?」

「…さっきの電話の(ぬし)か?いや、鎌を掛けただけだ」

「そうなのか……元々新宿署で課長をしてた人物でな…まぁ、ノンキャリの奴等の憧れの人物だったらしい。そいつが、現在都議会議員になってて…自分に都合の悪い案件には、(ことごと)く横車を押して来るんだと」

「署内で問題にならないのか?」

「声を上げる奴は閑職(かんしょく)に追いやられたり、飛ばされたり…キャリア以外、退職後天下りなんて出来ねぇからな。そっちの面倒も見てるらしくて、信奉者が多いんだよ」

「…大掃除の要員として指名されたのか?」

「そういう事だ。多数声も上がってるが、証拠がない。たが、目に余るってんでな…」

「ご苦労な事だ。だがそのOBが、何故高橋妃奈を狙う?他の事件の犯人にも仕立て上げようとしていただろう?」

「わからん。それを聞きたくて、もう1人呼んでるんだが…おっ、来た様だな」

ウェイターに案内され、キョロキョロしながら入って来た女性が、連城と佐伯の姿を見て会釈をする。

「遅くなりました、申し訳ありません」

「いや、構いませんよ」

「閉店の時間が近いんじゃないかと、焦りました」

ウェイターにアーリータイムズの水割りを注文すると、幸村は連城と佐伯に頭を下げた。

「今日は、本当にありがとうございました」

「幸村さん、佐伯には兎も角、私に礼を言うのは筋違いでしょう?少なくとも、今回私は貴殿方警察に敵対する立場でした」

「いぇ…高橋妃奈は、私が以前から面倒を見てきた娘です。あのままでは…偽証を強要され、殺人犯に仕立て上げられる所でした」

「…そうでしたか」

「佐伯さんも、ありがとうございます。胸がスッとしましたよ!来月から、宜しくお願いします!!」

幸村の水割りが来た所で、3人は乾杯をした。

「あの後、署内はどうだった?」

「もう、蜂の巣を突ついた様な状態でした!誰もが保身の為に、上へ下への大騒ぎ!!」

「そんなに、あのOBの手は各課に入り込んでいるのか?」

「佐伯さん…ご存知だったんですか?」

驚いた顔を見せた幸村は、少し俯きグラスを揺らした。

「在職中から信奉者の多い人でしたけど…私は、好きなタイプではなかったですね。仕事柄、あの人の息子に(わずら)わされる事も多くて…」

「息子?子供は居なかったんじゃないのか?」

「あぁ…結婚した奥さんとの間には居ませんよ。愛人との間に出来た息子です。姓も違うんですが…10代の頃からヤンチャが過ぎて、仲間と共に何度も警察沙汰を起こしてるんですけど、いつも父親の顔で無罪放免なんです。成人した今では、『新宿パンク』というコミューンのリーダーになって、最近は歌舞伎町に『パンク』っていう店迄持たせて貰ったみたいですよ?」

「へぇ…公務員が、堂々と愛人の子をねぇ…聖人君主って訳ではなさそうだな?」

「駆け離れてますね!人の弱味を握って、仲間に引き摺り込むタイプですよ。逆らう奴や気に入らない奴は、何もしていなくても攻撃して来る嫌な奴!!」

「余程嫌いなんだな、幸村?」

佐伯が笑いながら突っ込むと、幸村はグイッとグラスを(あお)りお代わりとウェイターに注文した。

「だってね、佐伯さん…柴は、アイツの為に警察辞めるハメになったんですよ!?」

「柴がか!?何故?」

「…以前から…組対(そたい)に、柴は目を付けられていて…それは、ご存知ですよね?」

「まぁな、佐久間組長の腹違いの弟で、元関東連合の総長なんて肩書きの奴が警察に入ったんだ。入った当時から有名だったが、アイツが並外れて優秀な刑事(デカ)だった事も有名になった理由だろ?認めてた仲間も結構居たし…前の副署長にも可愛がられてた筈だ。それに本人は、気にしてなかったんじゃないのか?」

「確かに…でも、優秀だったからこそ、面白くなかった奴も多かったんです。あの頃、組対(そたい)で暴力団絡みの店を定期的に摘発(てきはつ)していて…佐久間組に関連する店からだけ、何も出ないという事が続きました。それで、柴に疑いの目が注がれたんです。摘発(てきはつ)の日程が、柴を通じて佐久間組に流れているに違いないって。その話に尾ひれが付いて、摘発(てきはつ)されたブツを…柴が猫ババしてるって話が流れて…ご丁寧に柴の机から、摘発の日程表やヤクなんかが出て来て……柴はサツカンに面接されたんですよ!」

「それで辞めたのか?」

「きっちり犯人突き止めて、自身の潔白を証明してからですけどね!でも…犯人がわかった時点で、柴の奴悩んで…同期で、家庭の事情で金の為に甘言(かんげん)に乗せられた馬鹿な奴だったんですけど…結構苦い思いで辞めたんですよ。刑事って仕事も好きでしたからね」

「その頃の組対(そたい)の係長って、暴力団との癒着問題で懲戒免職(ちょうかいめんしょく)になってなかったか?」

「そうです…で、その直ぐ後に依願退職したのが、(くだん)のOB様ですよ。裏で糸引いてたのは、全てこの人だったっていう噂です」

「噂じゃなぁ…」

苦笑する佐伯に、幸村はズイッと顔を寄せて詰め寄った。

「じゃあ、退職して直ぐに都議会議員選挙に出馬なんて…どこからそんな資金が出るんです!?天下りして直ぐにですよ!?」

「資産家だったという事はないのか?」

連城の問いに、佐伯は首を振った。

「既に両親は他界しているが、実家は小さな部品工場を経営していた様だ。まぁ結婚したの妻の方が金持ちなんだろう…新宿区議会議員の娘だからな。だが、あの時は都議会、区議会のW選挙だったろ?とても義理の息子の初陣(ういじん)に資金を回す余裕はなかった筈だ」

「公務員で、課長の給料って言っても…都議会選に出る程貰ってませんよね!だけど、ご立派な選挙活動してましたよ!?豪華なホテルで発足会なんかやっちゃって…派手な選挙カーに鶯嬢引き連れて、応援には政治家や芸能人なんかも…一体幾ら掛かると思ってるんです!?」

「いや、金を掛けちゃいけない所もあるから…ってか、お前…もう酔ってるのか?」

「酔ってませんよ!これ位の量で…何言ってるんですか、佐伯さん!?」

「参ったな、こりゃ…」

幸村の様子にクスクスと笑っていた連城が、手を上げてウェイターにアーリータイムズのボトルと氷とミネラルウォーターを用意させた。

「幸村さん、今日被疑者にされた高橋妃奈は、そのOBとどういう関係なんですか?」

「高橋妃奈というよりは、被害者の西堀善吉が彼の息子…坂上恭と高校時代の先輩後輩の間柄で、坂上の『新宿パンク』の準メンバー的な存在だった様です。その坂上が、高橋妃奈の事を気に入っていた様ですね…」

「…もしかして、兄の借金の為に売春させられていた相手というのは…その、坂上なのか!?」

「まぁ…最近は、殆どそうでしょうね。彼女は、坂上やメンバーに輪姦され、流産を繰り返してます。夏に()った事件も、クスリを与えられ、煙草の火を押し付けられ、輪姦された直後の事でした。武蔵先生に因れば、今回の流産も相手は坂上達だっただろうと…」

「しっかし、買春してたのが自分の息子なのに、それをリークするって…息子は完璧に守られてるっていう自信があるってか?」

「…で、幸村さん…その事件というのは?」

「坂上のガールフレンドが、情事が終わって西堀に引き渡される高橋妃奈に逆上して突飛ばした所、走って来た車に()ね飛ばされたんです。その車の後部座席に乗っていたのが弁護士の黒澤さんで…車は彼の社用車でした。坂上自身はその場に居なかった様ですが、パンクの連中が黒澤さんに恐喝行為(きょうかつこうい)迄起こしたんです」

「…で、相手は起訴されたのか?」

「それが…例の様に圧力が掛かって、恐喝は厳重注意に…事件の方は…高橋妃奈が誤って足を滑らせたという事になり…事故扱いになりました」

「目撃者は!?ゼロだったのか?」

「いいえ…黒澤さんの車には、ドライブレコーダーと車内用防犯カメラが搭載されていましたから、その映像が事故直後の現場の写真や恐喝していた若者達の写真と共に提出されました。ご丁寧に、付近の防犯カメラの位置迄教えてくれてたんです。交通課も刑事課も、一応は動いた様ですが…沖縄旅行から帰った相手の女性の聴取を行い、被害者の高橋妃奈を引き取った黒澤さんのお宅に事情聴取に行った際…事故であると高橋妃奈本人に認めさせたそうです。(もっと)も、その後に黒澤さんから刑事の態度について、厳重抗議の電話が入ったらしいですけどね!そんな事は、どこ吹く風ですよ!!」

「しかし…被害者と加害者の立場なんだろ?黒澤って男は、なぜ彼女を引き取って面倒見てるんだ?」

「それは…高橋妃奈は、黒澤さんの知人の娘なんだそうで…ずっと行方を探してたそうです…よ?」

「へぇ…」

歯切れの悪い幸村の言葉に、佐伯はニヤリと笑いながら彼女にじっと視線を送った。

「それより、その坂上のガールフレンドが、釈放されて(じき)に殺害されたんです。犯人は、まだ上がっていません。仕事帰りに人気(ひとけ)のない、防犯カメラもない道で殺害されました」

「その事件だな…」

「あぁ…その様だ」

「何ですか?」

「例のOB様が、高橋妃奈をその犯人に仕立て上げろと言っていたんだ」

「…何て事を…」

「でも、何故だ?都議会議員で警察OBで財団法人の相談役なんて地位も名誉もある人物が、何故そこ迄、元ストリートチルドレンだった娘を目の敵にするんだ?」

佐伯の言葉に、連城も幸村も眉を寄せて手の中のグラスを弄んだ。


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