(28) 取調室②
佐伯と田尻署長が去った後、小さな部屋の中には呆然とする石田刑事と幸村だけが取り残された。
「…取調室に、伝えに行かなくていいんですか、石田さん?」
「……ぇ?…あぁ…いいんだ…」
「……」
「お前だって、わかってるだろう?どうせ、事態は変わらない…あの娘は、このまま自白したという事にされて、起訴される。俺が止めようが、それは変わらない…」
「…さぁ、どうでしょうか?今回に限っては、相手が悪いと思いますが」
「そんなに凄い弁護士が来るのか?」
「最強の弁護士ですよ。裏じゃ『Panther』なんて呼ばれてる人です」
「えっ!?」
「ご存知ですか?」
「…無敗の…連城仁か?ヤメ検の?」
「えぇ」
「何でそんな大物が出て来る!?孤児でホームレスだった娘の為に、何故!?」
「…彼女が入院していた病院の顧問弁護士なんですよ。というより、彼女の主治医と親しい関係にあるんです」
「…成る程…署長がビビる訳だ。だが、そんな弁護士が登場するって事は……ほら、お出でなすった」
マジックミラーの向こうの取調室には、米田刑事課長があたふたと駆け込み、中の刑事達に何やら指示を与えている。
「いいんですか?」
「あぁ…どうせ又、上からの指示ってヤツだ」
「……」
「俺は、お前に感謝しなきゃならないのかもしれないな…幸村」
「どういう事です?」
「あの取調室に入らずに済んだ事を、だ。今からは、時間との勝負だな…どれだけ腕のいい弁護士が来ても、その前に自白してりゃ起訴は確実だ。あの娘が、どこまで耐えられるか…」
「…取調室に入らなかったからといって、罪から免れるとでも思っているんですか!?あの中に居るのは、曲がりなりにも貴方の部下達でしょう?」
「だからだよ…その、曲がりなりにも主任で班長なんて役職を頂いてちゃあ…アイツ等と一緒の処分って訳にいかねぇだろ?」
「……」
マジックミラーの向こうでは、相変わらず妃奈が泣き叫ぶ声と刑事の怒声が響く。
もう殆ど掠れてしまった声で、彼女はずっと西堀善吉の事を呼んでいた。
「まぁ、今回起訴が叶っても、どうせ人事が動く…俺達には、監察官の取り調べが待っている」
「そうでしょうね」
「だが、どうすれば良かった?俺達の職場は完璧な縦社会だ!上の命令は絶対で…それが例えOBからの横車であったとしても、従わざるを得ないだろう?」
「…抵抗するべきだったんですよ」
「無理に決まってるだろう!?あの人は、俺達ノンキャリの星で…退官した後も、都議会議員に迄なった人で…。この署に、一体何人の信奉者が居ると思ってるんだ!?」
「じゃあ何ですか?新宿署は、あの人の私兵だとでも言うんですか!?冗談じゃないわ!!」
「少年係のお前には、わからんだろうな…」
「何言ってるんです!?その少年係が世話してる高橋妃奈に関する事件に、今迄どれだけあの人が首を突っ込んで来ていたか!?」
熱り立って反論する幸村に、石田刑事は苦笑を浮かべた。
「あの、馬鹿息子のせいだろ?父親の乳母日傘の中でやりたい放題…何故あの娘に固執するのかわからないが…お前も余り楯突いてると、その内閑職に追いやられるぞ?」
「大丈夫ですよ…頼もしい署長が赴任して来ますからね」
「俺はまだ…肩を叩かれて辞める訳にはいかねぇんだよ。家や車のローンも残ってる、娘は来年受験だしな…」
少し悲し気な笑いを浮かべた石田が、ポツリと吐いた。
「俺だけに皺寄せを押し付け様とするなら、俺は…監察に全て暴露してやる!!」
取調室をノックして開けた米田刑事課長に、中で妃奈を取り囲んで居た刑事達が、一斉に苦い表情で顔を上げ首を振った。
「…釈放だ。放してやれ」
「しかし、課長!?」
「いいんだ…そのお嬢さんには、堅牢なアリバイがあった。署長命令だ、釈放しろ」
1人の刑事が渋々妃奈の手錠を解くと、彼女は転がる様に部屋の隅に逃げ、手で耳を覆って壁に向かって座り込んだ。
「…妃奈」
黒澤が声を掛けても、妃奈は震えながらフゥフゥと壁に向かって息を吐くだけで、何の反応も示さない。
そっと後ろから手を掛けると、妃奈は声にならない叫びを上げて黒澤の手を払い退け、床に躰を伏せ丸くなって震え上がる。
「…お前達…この娘に何をしたっ!?」
鬼の形相で吼える黒澤に、刑事達はたじろぎながらも返答する。
「…何って…普通に取り調べをしていただけですよ」
「あれが、普通の取り調べなんて言えるんですか!?」
いつの間にか取調室の入口に現れた幸村刑事が、仁王立ちなって中の刑事達を睨む。
「お前には関係ないだろう!?」
「少年係が口を挟むな!!」
反論する刑事課の面々に、幸村刑事の背後から彼女の肩を押し退けて1人の男が入って来た。
「止めておけ、お前達…」
「石田主任!?今迄どこにいらっしゃったんですか!?」
「少年係なんかに、好き放題言われてもいいんですか、班長!?」
「だから、止めるんだ…幸村は、一部始終を見て…記録を取っている。言い訳出来ねぇんだよ」
「なっ!?」
色をなくす刑事達に変わって、米田刑事課長が幸村刑事に食って掛かる。
「幸村!?お前、そんな勝手な事が罷り通るとでも思っているのか!?USBに記録したのか!?出せ!!」
「嫌です!!」
「何だと!?お前…俺に逆らうのか!?」
「それより、いいんですか米田課長?部外者の前で…」
幸村刑事の言葉に、米田刑事課長は我に返った。
薄笑いを浮かべる連城、仏頂面の赤井、そして妃奈に付き添いながら、殺意を帯びた視線を射る黒澤…。
「…課長…幸村は、佐伯警視正の命令に従っただけですよ」
「何だと!?」
「貴方が取調室に入って、コイツ等に指示してる姿も、ちゃんと記録されてます」
「……」
「違法な取り調べが…されたという事ですか?そういえば、女性捜査官の姿が見えませんが?」
黒澤の視線を受けて、石田刑事は頭を下げた。
「やり過ぎた部分はあった様です。申し訳ありません」
主任である石田刑事の行動に、取り調べをしていた刑事達は揃って無言のまま頭を下げた。
「それより、高橋さんの…躰は大丈夫なのか?」
赤井の言葉に、黒澤が眉を潜めた。
「何か、気になる事でも?」
「逮捕された時、後ろから飛び掛かられて、踊り場に叩き付けられてたからな…あぁ、あの刑事に」
赤井に指差された刑事は、顔を歪めて頭を下げる。
「結構な勢いだったし、骨が折れててもおかしくなかったんじゃねぇかと…」
赤井の言葉に、黒澤は慌てて妃奈の躰を確認しようとしたが、妃奈は怯え切って触れる事を完全に拒否してしまう。
「少し、2人になって落ち着かせた方が良い様ですね……ですが、その前に…米田さん」
「…何でしょう?」
連城に名前を呼ばれ、部屋を出て行こうとしていた米田刑事課長はギクリと振り返った。
「彼女に…高橋妃奈さんに、何か言う事があるのではありませんか?」
「…ぇ?」
「わかりませんか?私は、数年前にも貴方に礼儀というものを教えた積りなんですが?」
「……」
「過ちは正されなければならない…過ちを犯した者は、自分の非を認めなければならない。貴方の部下の方々の方が、余程潔いですね?」
数年前の殺人事件の折も、容疑者だったコールガールに付き添って来た連城にやり込められたのだ。
今回も又…そう思うと、悔しさと恥ずかしさで米田刑事課長の顔は真っ赤になった。
俺は…俺は悪くない!!
唯、あの方の指示に従っただけだ!!
だが、あの黒澤という弁護士は、何故あの電話の録音を持っていたのだろう?
昼過ぎ、被害者の身元が確定し刑事達が捜査に出て直に、1本の電話が掛かって来た。
「米田君かね?私だよ」
「これは…ご無沙汰致しております。お元気でいらっしゃいますか?」
「あぁ、お陰様でね。今日は、少し尋ねたい事があってね」
「何でしょうか?」
「新宿中央公園で見つかった遺体の件でね…犯人は、もう目星が付いたのかね?」
「いぇ…鋭意捜査中であります」
「先程、愚息から電話があってね…あらぬ疑いを掛けられても困ると…最近、店を持ってピリピリしている様でね。まぁ、君の部下が捜査に当たるんだ…間違いはないと思うがね」
「勿論です!!」
「亡くなった男は、孤児だったそうだね?一緒に育った妹が居るのは、知っているかね?」
「えぇ…今日、捜査員が参考人聴取に行く予定です」
「以前ね…君の所の岸本が受け持った事件の被害者なんだ。まぁ、事故として処理されたがね」
「…はぁ」
「可哀想に、被害者の借金の為に売春させられている様な娘でね。被害者の事を恨みに思っていても、不思議ではないと思ってね」
「……」
「善意ある一般市民からの情報提供だよ」
「…ありがとうございます」
「何、心配には及ばない…彼女は身寄りのないホームレスだそうだし、社会のゴミが1つ消えるだけの話だ。それに、岸本の事件で被疑者と疑われた娘が殺された事件も、案外その妹が犯人かも知れないな」
「……」
「早期解決は…君の手柄にもなる。何…警察OBとしての、私からの助言だよ」
「いつもお心に掛けて頂き、ありがとうございます」
「逮捕した後で、岸本とも連携を取るといい。君の事件は、今日中には解決出来るだろう?」
「はい」
「後で、署長と杉本君にも連絡を入れて置こう。それじゃあ、宜しく頼むよ」
高橋妃奈の釈放に二の足を踏む杉本副署長に、怒髪天を突く勢いの黒澤が、この会話の録音を流して一同に聞かせたのだ。
「…私の知り合いを通して手に入れた通話内容です。この電話は、そちらの米田さんと…某警察OBとの会話ですよね?署長や杉本さんの名前も出て来ますが!?」
「……」
顔色を変える警察の面々に、連城が追い討ちを掛ける。
「もしも、この場で高橋さんの釈放が認められない場合、鷹栖総合病院に戻り次第、マスコミを集め緊急記者会見を開く予定です。その場で、この録音も皆さんに聞いて頂きましょう。身寄りのない少女を犯人に捏造する様に指示した警察OBと、それを受け入れた新宿警察署…世間を驚かす大スキャンダルになるでしょうね?」
「しっ、しかし…この録音された会話が本物だとは…それこそ、捏造された物かも知れない訳でしょう!?」
「それでは、声紋鑑定でも致しましょうか?幸い、米田刑事課長の声は現在録音しています。もう1人の人物の声も…聞く人が聞けば直ぐにわかりますし、声のサンプルを入手する事は、その人物の職業柄、容易だと思いますが?」
連城の放った王手に、それ迄真っ青になって黙っていた田尻署長が立ち上がり、土下座する勢いで頭を下げた。
「…も…申し訳…ありません……直ぐに…本庁と協議し…」
「協議…ですか?」
「いえっ!!ほっ、報告しっ…きっ、緊急記者会見を行います」
「勿論、本日中にですね?」
「はっ、はいっ!!」
「結構。私はそれを見届けさせて頂きましょう。黒澤さん、貴方はどうしますか?」
「…私は、妃奈を病院に連れ帰ります。吉田理乃さんの事件の対応も合わせ、記者会見の内容によっては、電話の相手共々、貴殿方に対して告訴も辞さないとお考え頂きたい!!」
放たれた黒澤の言葉に、座っていた米田と杉本副署長も立ち上がり、署長と共に頭を下げた。
早くあの方に連絡を入れなければ…いや、自分が取調室に来ている間に、もう杉本副署長が電話しているだろう。
失態だ…少しでも早い逮捕を印象付けたくて、病院で緊急逮捕したという石田の連絡を聞いて直ぐに、マスコミにリークした。
案の定、被疑者が署に到着した時には、署の入口には大勢のマスコミが待ち構えていたのだ。
その後直ぐに行われた、記者発表…報告する米田の横に誇らし気に座る杉本副署長が、満足気に自分の肩を叩いた。
会見場に現れた岸本達も、これで事件解決だとホッとした表情を浮かべていたのに…全てが水の泡だ!!
あの方にも、見捨てられ…警察にも残る事が出来なくなりそうだというのに…この上、部下の目の前で恥の上塗りをしろと言うのか!?
「……」
「強情な方ですね。この上虚勢を張って、どうなさるおつもりですか?」
呆れた様に溜め息を吐く連城の隣で、黒澤が射殺す様な殺意の籠った視線で米田を睨み付けて言った。
「…構いませんよ、連城さん。それならそれで、私の方できっちり片を付けるだけです!全て…公にさせて頂きましょう」
ガックリと肩を落とした米田は、頭を下げ消え入りそうな声で謝罪した。
「…高橋さん…この度は…申し訳ありませんでした」




