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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
28/80

(28) 取調室②

佐伯と田尻署長が去った後、小さな部屋の中には呆然(ぼうぜん)とする石田刑事と幸村だけが取り残された。

「…取調室に、伝えに行かなくていいんですか、石田さん?」

「……ぇ?…あぁ…いいんだ…」

「……」

「お前だって、わかってるだろう?どうせ、事態は変わらない…あの娘は、このまま自白したという事にされて、起訴される。俺が止めようが、それは変わらない…」

「…さぁ、どうでしょうか?今回に限っては、相手が悪いと思いますが」

「そんなに凄い弁護士が来るのか?」

「最強の弁護士ですよ。裏じゃ『Panther(パンサー)』なんて呼ばれてる人です」

「えっ!?」

「ご存知ですか?」

「…無敗の…連城仁か?ヤメ検の?」

「えぇ」

「何でそんな大物が出て来る!?孤児でホームレスだった娘の為に、何故!?」

「…彼女が入院していた病院の顧問弁護士なんですよ。というより、彼女の主治医と親しい関係にあるんです」

「…成る程…署長がビビる訳だ。だが、そんな弁護士が登場するって事は……ほら、お()でなすった」

マジックミラーの向こうの取調室には、米田刑事課長があたふたと駆け込み、中の刑事達に何やら指示を与えている。

「いいんですか?」

「あぁ…どうせ又、上からの指示ってヤツだ」

「……」

「俺は、お前に感謝しなきゃならないのかもしれないな…幸村」

「どういう事です?」

「あの取調室に入らずに済んだ事を、だ。今からは、時間との勝負だな…どれだけ腕のいい弁護士が来ても、その前に自白してりゃ起訴は確実だ。あの娘が、どこまで耐えられるか…」

「…取調室に入らなかったからといって、罪から(まぬが)れるとでも思っているんですか!?あの中に居るのは、曲がりなりにも貴方の部下達でしょう?」

「だからだよ…その、曲がりなりにも主任で班長なんて役職を頂いてちゃあ…アイツ等と一緒の処分って訳にいかねぇだろ?」

「……」

マジックミラーの向こうでは、相変わらず妃奈が泣き叫ぶ声と刑事の怒声が響く。

もう殆ど(かす)れてしまった声で、彼女はずっと西堀善吉の事を呼んでいた。

「まぁ、今回起訴が叶っても、どうせ人事が動く…俺達には、監察官の取り調べが待っている」

「そうでしょうね」

「だが、どうすれば良かった?俺達の職場は完璧な縦社会だ!上の命令は絶対で…それが例えOBからの横車であったとしても、従わざるを得ないだろう?」

「…抵抗するべきだったんですよ」

「無理に決まってるだろう!?あの人は、俺達ノンキャリの星で…退官した後も、都議会議員に迄なった人で…。この署に、一体何人の信奉者が居ると思ってるんだ!?」

「じゃあ何ですか?新宿署は、あの人の私兵だとでも言うんですか!?冗談じゃないわ!!」

「少年係のお前には、わからんだろうな…」

「何言ってるんです!?その少年係が世話してる高橋妃奈に関する事件に、今迄どれだけあの人が首を突っ込んで来ていたか!?」

(いき)り立って反論する幸村に、石田刑事は苦笑を浮かべた。

「あの、馬鹿息子のせいだろ?父親の乳母日傘(おんばひがさ)の中でやりたい放題…何故あの娘に固執するのかわからないが…お前も余り楯突いてると、その内閑職(かんしょく)に追いやられるぞ?」

「大丈夫ですよ…頼もしい署長が赴任して来ますからね」

「俺はまだ…肩を叩かれて辞める訳にはいかねぇんだよ。家や車のローンも残ってる、娘は来年受験だしな…」

少し悲し気な笑いを浮かべた石田が、ポツリと吐いた。

「俺だけに皺寄せを押し付け様とするなら、俺は…監察に全て暴露してやる!!」



取調室をノックして開けた米田刑事課長に、中で妃奈を取り囲んで居た刑事達が、一斉に苦い表情で顔を上げ首を振った。

「…釈放だ。放してやれ」

「しかし、課長!?」

「いいんだ…そのお嬢さんには、堅牢(けんろう)なアリバイがあった。署長命令だ、釈放しろ」

1人の刑事が渋々妃奈の手錠を解くと、彼女は転がる様に部屋の隅に逃げ、手で耳を(おお)って壁に向かって座り込んだ。

「…妃奈」

黒澤が声を掛けても、妃奈は震えながらフゥフゥと壁に向かって息を吐くだけで、何の反応も示さない。

そっと後ろから手を掛けると、妃奈は声にならない叫びを上げて黒澤の手を払い退け、床に躰を伏せ丸くなって震え上がる。

「…お前達…この娘に何をしたっ!?」

鬼の形相で()える黒澤に、刑事達はたじろぎながらも返答する。

「…何って…普通に取り調べをしていただけですよ」

「あれが、普通の取り調べなんて言えるんですか!?」

いつの間にか取調室の入口に現れた幸村刑事が、仁王立ちなって中の刑事達を睨む。

「お前には関係ないだろう!?」

「少年係が口を挟むな!!」

反論する刑事課の面々に、幸村刑事の背後から彼女の肩を押し退けて1人の男が入って来た。

「止めておけ、お前達…」

「石田主任!?今迄どこにいらっしゃったんですか!?」

「少年係なんかに、好き放題言われてもいいんですか、班長!?」

「だから、止めるんだ…幸村は、一部始終を見て…記録を取っている。言い訳出来ねぇんだよ」

「なっ!?」

色をなくす刑事達に変わって、米田刑事課長が幸村刑事に食って掛かる。

「幸村!?お前、そんな勝手な事が(まか)り通るとでも思っているのか!?USBに記録したのか!?出せ!!」

「嫌です!!」

「何だと!?お前…俺に逆らうのか!?」

「それより、いいんですか米田課長?部外者の前で…」

幸村刑事の言葉に、米田刑事課長は我に返った。

薄笑いを浮かべる連城、仏頂面(ぶっちょうづら)の赤井、そして妃奈に付き添いながら、殺意を帯びた視線を射る黒澤…。

「…課長…幸村は、佐伯警視正の命令に従っただけですよ」

「何だと!?」

「貴方が取調室に入って、コイツ等に指示してる姿も、ちゃんと記録されてます」

「……」

「違法な取り調べが…されたという事ですか?そういえば、女性捜査官の姿が見えませんが?」

黒澤の視線を受けて、石田刑事は頭を下げた。

「やり過ぎた部分はあった様です。申し訳ありません」

主任である石田刑事の行動に、取り調べをしていた刑事達は(そろ)って無言のまま頭を下げた。

「それより、高橋さんの…躰は大丈夫なのか?」

赤井の言葉に、黒澤が眉を潜めた。

「何か、気になる事でも?」

「逮捕された時、後ろから飛び掛かられて、踊り場に叩き付けられてたからな…あぁ、あの刑事に」

赤井に指差された刑事は、顔を歪めて頭を下げる。

「結構な勢いだったし、骨が折れててもおかしくなかったんじゃねぇかと…」

赤井の言葉に、黒澤は慌てて妃奈の躰を確認しようとしたが、妃奈は(おび)え切って触れる事を完全に拒否してしまう。

「少し、2人になって落ち着かせた方が良い様ですね……ですが、その前に…米田さん」

「…何でしょう?」

連城に名前を呼ばれ、部屋を出て行こうとしていた米田刑事課長はギクリと振り返った。

「彼女に…高橋妃奈さんに、何か言う事があるのではありませんか?」

「…ぇ?」

「わかりませんか?私は、数年前にも貴方に礼儀というものを教えた積りなんですが?」

「……」

「過ちは正されなければならない…過ちを犯した者は、自分の非を認めなければならない。貴方の部下の方々の方が、余程潔いですね?」

数年前の殺人事件の折も、容疑者だったコールガールに付き添って来た連城にやり込められたのだ。

今回も又…そう思うと、悔しさと恥ずかしさで米田刑事課長の顔は真っ赤になった。

俺は…俺は悪くない!!

唯、あの方の指示に従っただけだ!!

だが、あの黒澤という弁護士は、何故あの電話の録音を持っていたのだろう?

昼過ぎ、被害者の身元が確定し刑事達が捜査に出て直に、1本の電話が掛かって来た。

「米田君かね?私だよ」

「これは…ご無沙汰致しております。お元気でいらっしゃいますか?」

「あぁ、お陰様でね。今日は、少し尋ねたい事があってね」

「何でしょうか?」

「新宿中央公園で見つかった遺体の件でね…犯人は、もう目星が付いたのかね?」

「いぇ…鋭意(えいい)捜査中であります」

「先程、愚息(ぐそく)から電話があってね…あらぬ疑いを掛けられても困ると…最近、店を持ってピリピリしている様でね。まぁ、君の部下が捜査に当たるんだ…間違いはないと思うがね」

「勿論です!!」

「亡くなった男は、孤児だったそうだね?一緒に育った妹が居るのは、知っているかね?」

「えぇ…今日、捜査員が参考人聴取に行く予定です」

「以前ね…君の所の岸本が受け持った事件の被害者なんだ。まぁ、事故として処理されたがね」

「…はぁ」

「可哀想に、被害者の借金の為に売春させられている様な娘でね。被害者の事を恨みに思っていても、不思議ではないと思ってね」

「……」

「善意ある一般市民からの情報提供だよ」

「…ありがとうございます」

「何、心配には及ばない…彼女は身寄りのないホームレスだそうだし、社会のゴミが1つ消えるだけの話だ。それに、岸本の事件で被疑者と疑われた娘が殺された事件も、案外その妹が犯人かも知れないな」

「……」

「早期解決は…君の手柄にもなる。何…警察OBとしての、私からの助言だよ」

「いつもお心に掛けて頂き、ありがとうございます」

「逮捕した後で、岸本とも連携を取るといい。君の事件は、今日中には解決出来るだろう?」

「はい」

「後で、署長と杉本君にも連絡を入れて置こう。それじゃあ、宜しく頼むよ」

高橋妃奈の釈放に二の足を踏む杉本副署長に、怒髪(どはつ)天を突く勢いの黒澤が、この会話の録音を流して一同に聞かせたのだ。

「…私の知り合いを通して手に入れた通話内容です。この電話は、そちらの米田さんと…某警察OBとの会話ですよね?署長や杉本さんの名前も出て来ますが!?」

「……」

顔色を変える警察の面々に、連城が追い討ちを掛ける。

「もしも、この場で高橋さんの釈放が認められない場合、鷹栖総合病院に戻り次第、マスコミを集め緊急記者会見を開く予定です。その場で、この録音も皆さんに聞いて頂きましょう。身寄りのない少女を犯人に捏造(ねつぞう)する様に指示した警察OBと、それを受け入れた新宿警察署…世間を驚かす大スキャンダルになるでしょうね?」

「しっ、しかし…この録音された会話が本物だとは…それこそ、捏造(ねつぞう)された物かも知れない訳でしょう!?」

「それでは、声紋鑑定でも致しましょうか?幸い、米田刑事課長の声は現在録音しています。もう1人の人物の声も…聞く人が聞けば直ぐにわかりますし、声のサンプルを入手する事は、その人物の職業柄、容易だと思いますが?」

連城の放った王手に、それ迄真っ青になって黙っていた田尻署長が立ち上がり、土下座する勢いで頭を下げた。

「…も…申し訳…ありません……直ぐに…本庁と協議し…」

「協議…ですか?」

「いえっ!!ほっ、報告しっ…きっ、緊急記者会見を行います」

「勿論、本日中にですね?」

「はっ、はいっ!!」

「結構。私はそれを見届けさせて頂きましょう。黒澤さん、貴方はどうしますか?」

「…私は、妃奈を病院に連れ帰ります。吉田理乃さんの事件の対応も合わせ、記者会見の内容によっては、電話の相手共々、貴殿方に対して告訴も辞さないとお考え頂きたい!!」

放たれた黒澤の言葉に、座っていた米田と杉本副署長も立ち上がり、署長と共に頭を下げた。

早くあの方に連絡を入れなければ…いや、自分が取調室に来ている間に、もう杉本副署長が電話しているだろう。

失態だ…少しでも早い逮捕を印象付けたくて、病院で緊急逮捕したという石田の連絡を聞いて直ぐに、マスコミにリークした。

案の定、被疑者が署に到着した時には、署の入口には大勢のマスコミが待ち構えていたのだ。

その後直ぐに行われた、記者発表…報告する米田の横に誇らし気に座る杉本副署長が、満足気に自分の肩を叩いた。

会見場に現れた岸本達も、これで事件解決だとホッとした表情を浮かべていたのに…全てが水の泡だ!!

あの方にも、見捨てられ…警察にも残る事が出来なくなりそうだというのに…この上、部下の目の前で恥の上塗りをしろと言うのか!?

「……」

「強情な方ですね。この上虚勢(きょせい)を張って、どうなさるおつもりですか?」

呆れた様に溜め息を吐く連城の隣で、黒澤が射殺す様な殺意の籠った視線で米田を睨み付けて言った。

「…構いませんよ、連城さん。それならそれで、私の方できっちり片を付けるだけです!全て…公にさせて頂きましょう」

ガックリと肩を落とした米田は、頭を下げ消え入りそうな声で謝罪した。

「…高橋さん…この度は…申し訳ありませんでした」


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