(27) 署長室
「署長、お客様をお連れしました」
新宿警察署の署長室、女性職員に案内されて入って来た長身の男が2人…黒いカシミヤのコートを肩に羽織った年嵩の男が、室内に居た佐伯の姿に片眉を上げた。
「これは、これは、連城さん!ささっ、どうぞこちらに…」
田尻署長は精一杯の愛想を振り撒き、彼等を応接セットのソファーに誘った。
署長室には既に副所長と刑事課長が待ち構え、其々に名刺交換が行われる。
「…何故お前がここに居る?」
連城は、部屋の隅に立つ佐伯に近付いた時に耳打ちした。
連城仁…ヤメ検の弁護士で実業家のこの男は、佐伯の大学時代の親友で、数年前新宿で起きた事件で再会して以来深い親交がある。
アメリカでネゴシエイターをしていた経験もあり、クライアントには日本の政財界のみならず海外企業やペンタゴン迄…受けた案件を100%勝ち取る無敗神話は、未だ健在だ。
そんな連城を、人々は裏で『Panther』と揶揄する。
法廷でのこの男の姿は、正に黒豹そのもので…現在この国で一番強い弁護士だと言っても過言ではないだろう。
「俺は…まぁ、成り行きでな」
「成り行き?」
又片眉が上がり、鋭い目で睨まれる。
「今月末で退官される田尻署長の後釜で、来月からここに赴任するんだ」
「…急な話だな?」
「その話は又な…今日は、違う話で来たんだろ?」
佐伯にそう振られると、連城は顔を引き締め不機嫌なオーラをブワリとまとい、踵を返して震え上がる田尻署長の正面に座った。
「本日は、こちらに連行された高橋妃奈さんの件でお伺いしました」
「…連城さんは、彼女の弁護を引き受けられるのですか?」
「いぇ…彼女の弁護士には、多分彼女の保護者が立つでしょう。ですが、今は彼の代理人でもあります」
ホッとした様な警察の面々は、少し強気になって連城に対応した。
「その高橋妃奈の弁護士は?」
「今こちらに向かっています…少し遠方にいらっしゃる様でしてね」
そう言いながら、連城は懐から出したデジタルレコーダーをテーブルの上に置いた。
「我々の逮捕に、不満がおありだと?」
以前、新宿を揺るがせた麻薬事件…その事件の発端となった殺人事件で、当時高級娼婦をしていた現在連城の妻である椿が疑われた。
連城は椿を伴い、捜査協力と称して刑事課に出頭し椿を弁護したが、刑事課長である米田は、その時に煮え湯を飲まされた1人だった。
「不当逮捕です」
「何を根拠に!?」
「そちらこそ、何を根拠に逮捕されたのですか?」
「高橋妃奈は、ウチの捜査官の姿を見て逃走したんですよ!?」
「高橋さんの個室に、無断で入り込んでいたそうですが?」
「…それは…見舞いに来ていた彼女の親戚に、招き入れられたと聞いています」
「彼女は、不在だったのに?」
「は?」
「その時間、彼女は部屋に不在でした。親戚の方達は、ナースステーションで来訪を告げ、来訪者として看護師が彼女の病室に案内しています。が…貴殿方は違う。彼女や病院の許可なく不法に病室に入り込み…不法侵入の不審者に怯えた高橋さんを追い回して、正面階段の踊り場で逮捕劇を演じた」
「……」
「然も逮捕する際には、手錠を掛ける迄警察だとは名乗らなかったそうですね?」
「…連城さん、貴方は…」
「私は、鷹栖総合病院の顧問弁護士なのですよ」
「病院の?病院が、何故我々に…」
訳がわからないと言った表情を浮かべる副署長の杉本が、連城を見詰めた。
「貴殿方は、あの病院がどういう病院かご存知ですか?政財界のトップの方々が、こぞって掛かり付けにして入院する様な、関東でも有数なスタッフと設備を誇る病院なのです。貴殿方は病院内で、入院患者を不当逮捕した。病院側から、患者の信頼と病院の評判を非常に傷付けられ、営業妨害をされたと言われても仕方ないと思いますが?鷹栖総合病院は、患者である高橋妃奈さんの即時釈放、返還と、患者の方々を不安にさせた事への警察の謝罪会見を要求します」
「病院が…ですか?」
「えぇ。彼女は、体力的にも精神的にも、非常に不安定な状態です。彼女の主治医達の診断書を持参しました。循環器科、内科、心臓外科、精神科…どうぞご覧下さい」
連城が鞄から書類を出してテーブルに並べると、警察側の人間が其々に手に取り眉を潜めた。
「…しかし、高橋妃奈は殺人事件の被疑者です!」
「何の証拠があります?目撃者でも居ましたか?」
「いぇ…目撃者はおりませんが、ウチの捜査官は彼女に間違いないと言っています。高橋妃奈には、度々入院していた病院を脱走していた前科がありますからね。それに、彼女は…被害者の事を恨んでいました」
「ほぅ…何故ですか?」
「それは…捜査上の機密になります」
「……高橋さんが、被害者の借金の為に、売春行為を強いられていたからですか?」
「何だと!?本当なのか!」
思わず叫んだ佐伯に連城は頷き、正面に座る面々は苦い表情を浮かべ押し黙る。
「事件の概容をお聞かせ願いますか?」
「…昨日、8時40分…新宿中央公園で男性の他殺体が発見されました。通報して来たのは、同公園のホームレスの男性です。死因は刃物による出血死、死後約10時間が経過していました。身元を示す物は何も携帯しておりませんでしたが、捜査員の迅速な捜査の結果、被害者の名前は西堀善吉24歳、歌舞伎町にある『パンク』という店のボーイだと判明しました」
米田刑事課長は、どうだとでも言いた気に胸を張って連城に説明する。
「我々は直ぐに被害者宅の捜索と、関係者の事情聴取を行いました。そこで被害者と高橋妃奈は、かつて同じ養育里親の元で兄妹として生活していた事、数日前に被害者が高橋妃奈を訪ねていた事を調べ上げたのです」
「それで、病院に彼女を訪ねたのですね?」
「えぇ。そこで高橋妃奈は、捜査員を見て逃げ出した…我々が緊急逮捕するのは当然の事でしょう?」
「しかし、入院患者に事情聴取をするのに、担当医の許可なくというのは如何な物でしょう?貴殿方は、病院側に話も通さず押し掛け、まるで拉致する様に連行した。普通は担当医の許可を取り、同席の上で事情聴取に当たるのが妥当なのではありませんか?」
「だが、彼女は自室を出て散歩する程元気だった訳でしょう?何の不都合があります!?」
米田刑事課長の言葉に、連城はブワリと怒りのオーラをまとい、地の底から響く様なバリトンの声を、更に低くした。
「貴殿方は…私が持参した書類をご覧にならなかったのですか?」
「…ぇ?」
「彼女は心臓の手術を受けて間もない…然も、未だ心因性による不整脈の治療中だ。一番心配なのは、精神的な面です。精神科医からの診断書にも、要注意と記載されているでしょう!?本来なら、直接の事情聴取もお断りする様な状況なのですよ!」
「……」
「貴殿方が上げたのは、状況証拠だけだ。彼女が犯行に及んだという証拠は何もない。こちらに連行された事で、彼女の病状が悪化したら…貴殿方はどう責任を取るお積りですか!?」
「しかし…」
食い下がる米田刑事課長に、それ迄連城の隣に座って仏頂面で話を聞いていた男が、ボソリと吐いた。
「…聞いてらんねぇな…全く…」
「何ですって!?」
「聞いてらんねぇって言ったんだ。証拠もなく人を犯人扱いして…偉そうに言ってるが、自分達の失態を取り繕ってるだけだろ?こんな奴等を養う為に高い税金払ってるかと思うと、反吐が出るぜ!」
ツンツンとした頭髪を揺らして苦言を吐く体格の良い男の言葉に、佐伯は苦笑し、副署長の杉本は顔を歪めて彼から受け取りテーブルの上に置いた名刺を再確認した。
『株式会社 スカーレット セキュリティサービス 代表取締役 赤井大和』と書かれた名刺に目を落とした杉本副署長は、胡散臭気に赤井に尋ねた。
「警備会社の社長さんが、何故この場に同席なさっているんですか?」
その質問に、連城が居住まいを正して答える。
「高橋妃奈さんのアリバイを証明しようと思いましてね…こちらの赤井さんに同席を願ったのです」
「はぁっ!?」
連城の言葉に、警察の面々は赤井をマジマジと見詰めた。
「ウチは、鷹栖総合病院の警備を請け負っております」
「…あぁ…そういう事ですか。しかしこう言っては何だが、病院を警備している警備員が、四六時中高橋妃奈を見張っている訳ではないでしょう?」
「普通なら、そうなんだろうがなぁ…」
「見張っていたとでも仰るんですか?入院中の一患者を!?あり得ないでしょう!!」
「それでも見ていたんだ…それも、24時時間体制でな」
「…どういう事です!?」
「ウチだって、普段はそんな事はしないんだがな。唯、依頼があれば…仕事だからな」
唖然とした表情を浮かべる杉本副署長に、連城が説明する。
「先程米田さんも仰った様に、高橋さんはこれ迄にも、入院していた病院を度々抜け出していた様です。今回も同じ間違いを起こさない様に、保護者である黒澤さんは、入院翌日には赤井さんの会社に、高橋妃奈さんの24時間体制での警備を依頼されたのです」
「……」
「これが、その契約書のコピーだ」
赤井が書類袋から契約書のコピーを出して見せる。
「入院翌日の11月2日から、高橋妃奈さんの行動は、24時時間我々の監視下にあったんだ。…あ…半日だけ、我々の都合で警備出来ない日があったんだが、それが被害者の西堀さんが訪ねて来た日だった様だな」
「しかしっ…彼女の部屋を警備していた人物が居た等という報告は、受けていません!」
米田刑事課長の叫びに、赤井は面倒臭そうに答えた。
「あぁ…それは…黒澤さんからの依頼で、警備対象の高橋さんに気付かれない様に、病院職員に…ヘルパーや清掃員、時には医師に成り済まして警護していたからな」
絶句する米田刑事課長に、赤井はニヤリと笑い掛ける。
「だから…見てたんだぜ?今日の逮捕劇を…刑事が名乗りもせず、階段を駆け下りる高橋さんの背中に階段の上から飛び掛かり、踊り場に叩き付け馬乗りになって手錠を掛けていた所も…バッチリとな」
「……」
「ウチは、余り大きな会社じゃねぇんだよ、課長さん。だから、社長自ら警備に当たる…今日、高橋さんを警備してたのは、この俺だからな!!」
「……」
押し黙る米田刑事課長に気を善くしたのか、赤井は連城に向かって丁寧に対応し出す。
「お調べの高橋さんのアリバイですが…一昨日の夜の記録でいいんですか、連城さん?」
「そうですね…昨日の朝に遺体が発見されて…8時40分の時点で、死後約10時間経過という事で間違いないんでしょうか?」
連城が尋ねると、米田刑事課長は大きく頷いた。
「だとすると…殺害時刻は、前日の23時前後という事ですね。殺害現場は、中央公園で間違いありませんか?」
連城は携帯を操りながら米田刑事課長に尋ねた。
「えぇ…間違いないという事です」
「…最近は、便利ですね。何でも携帯で調べられる…。ほら、出ましたよ。鷹栖総合病院から新宿中央公園迄…直線距離で約9.74㎞、徒歩だと約12.74㎞で4時間15分、車だと20分、電車だと…成城学園前から新宿迄…15分だそうです。赤井さん、余裕を持って一昨日の12時以降の高橋さんの記録を読み上げて頂けますか?」
「…丁度12時に昼食が運ばれ、12時25分に看護師がトレーを下げに来ました。12時45分には、病院の中を散歩に出て中庭で時間を過ごし、ロビーを回って部屋に戻ったのは14時10分。15時20分に弁護士の磯村さんが見舞いに訪れ、17時に帰りました。18時に夕食が運ばれ、18時30分には自分でトレーを戻してます。19時迄には入浴を済ませ、検温の為に看護師が部屋に訪れた時には、鶴を折っていた様です」
「鶴…ですか?」
「あぁ。病院のホールに、難病で入院している子供達に向けて千羽鶴を折って欲しいと、折り紙と箱が用意されているんだが…彼女は毎日、白い折り紙を選んで部屋に持ち帰り、鶴を折っているそうだ」
杉本副署長の問いに、赤井はフンッと鼻を鳴らして横柄に答えた。
「続けます。20時45分に黒澤さんが面会にいらして、消灯の22時迄一緒過ごしています。その後は就寝してますね」
「では、22時以降のアリバイは、不完全という事ではありませんか!?電車で15分、車だと20分あれば新宿に到着する!」
「…無理だよ、課長さん」
「何故!?」
「病院に来た刑事達から、報告受けてないのか?彼女の入っている個室は5階にあって、出入口は1つしかない。窓も人が出入り出来る構造じゃない。彼女が抜け出すのは不可能だ」
「だが、就寝したと思わせて警備の目を誤魔化す位、あの娘ならやりかねない!!」
「いい加減にしろよ!無理だって言ってんだろうが!?俺達の警備がヌルイって言いたいのか!?」
熱り立つ赤井を制し、連城は米田刑事課長を睨み付けた。
「米田さん…貴殿方は、どうしても高橋さんを犯人に仕立て上げたい様ですね?」
「…いぇ…我々は別に、その様な事は…」
「絶対に無理だ!!彼女が夜病院から抜け出してないという証人は、俺達の他にも居るんだからな!!」
「それは、どういう…」
杉本副署長の問い掛けに、連城が答える。
「その夜、高橋さんは発熱されたんですよ。夜中に何度も看護師が彼女の元を訪れて、氷枕を換え検温を繰り返しています。つまり、高橋妃奈さんのアリバイは、完璧だという事になる」
「……」
「貴殿方は、そんな事も調べずに彼女を逮捕し、マスコミに発表されたのですか?」
「……」
「未成年者を名指しで公表し…彼女がこちらに到着した時には、カメラの前に顔を曝させた。これが一体、どういう事だか…おわかりになっていますか?」
連城が怒りに満ちたオーラをまとい目の前の男達を睨み付けた時、背後からノックの音が響いた。
「…どうやら、真打ちが登場の様だ」
連城がそう呟くと、背後のドアが開き、女性職員が青い顔で声を掛けた。
「あの…署長にお客様が…」
彼女の言葉が終わらぬ内に、そのドアから強引に入る大きな影に、流石の佐伯も息を呑んだ。
肩で息をする獰猛な野獣…今にも飛び掛かろうとする様な、隙を見せると喉笛に食い付きそうな雰囲気を漂わせた男が、殺意を帯びた目を爛々と輝かせ、開口一番警察署の面々に向かって吼えたのだ。
「…妃奈を…高橋妃奈を返して頂こう!!」




