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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
26/80

(26) 取調室①

取調室の前の廊下には、中に居る妃奈の叫び声が漏れている。

幸村京子は苛付(いらつ)きながら、そのドアの前に陣取る男に食って掛かっていた。

「何を考えているんですか!?」

「お前こそ、何言ってる?死体発見から24時間以内に被疑者逮捕…喜ばしい事だろうが?」

「彼女は参考人でしょう?それとも被疑者だという証拠が出ましたか?」

「逃走したのが、何よりの証拠だろう?」

フフンと鼻を鳴らす刑事課主任で班長の石田刑事が、小馬鹿にした様に幸村を見下ろした。

「そんな事で、記者発表したんですか!?誤認逮捕だったら、どうするんです!!」

「ヤツがホシに違いない…あぁやって叫んでるのが証拠だろう」

「いいから、彼女に会わせて下さい!」

「駄目だ!」

「…女性捜査官の同席なしに、女性被疑者を取り調べるのは違法の筈です」

「一係には、一係のやり方がある…少年係は、黙ってて貰おう!」

「…彼女の保護者が、誰だかわかってますか?」

「…組弁護士ごときに、何が出来る?」

「証拠もなしに、自白を強要されるおつもりですか!?」

「……」

「又…上からの命令ってヤツですか!?」

「…煩い奴だな」

「…今回出張って来るのは、高橋妃奈の保護者だけじゃありません!!大問題になりますよ!?」

大声で抗議する幸村の耳に、聞き覚えのある声が掛かった。

「相変わらず威勢がいいな、幸村?」

「佐伯さん!?」

署長と並びながら、軽く手を上げて挨拶を寄越す佐伯啓吾(さえき けいご)に、幸村は深々と頭を下げた。

「何事だ、みっともない…」

眉を潜める、事なかれ主義の田尻署長を無視して、幸村は佐伯啓吾に話し掛けた。

「どうしたんです、佐伯さん?こんな所に…」

「あぁ~、古巣に挨拶回りだ」

「佐伯警視正に失礼だぞ、幸村!」

署長が眉を潜めて、幸村をたしなめる。

「良いんですよ、田尻署長。コイツは、私の元相棒です。幸村…俺は、今月で退官される田尻署長の後釜だ」

「えっ!?佐伯さんが、新しく赴任される署長なんですか!?」

「あぁ、来月から宜しくな。所で、凄い声だが…被疑者なのか?」

「そうです」

「違います!!」

同時に答えられた全く違う回答に、佐伯は眉を潜めた。

「先程、記者発表されていた事件の被疑者ですか?スピード解決だと仰っていた?」

「…えぇ…その様です」

「未成年者だと伺いましたが?」

「…はぁ」

汗を拭いながら煮え切らない返事をする田尻署長に、佐伯はギョロリと視線を巡らせた。

「スピード解決に導いた刑事課の辣腕(らつわん)振り、是非拝見したいのですが…構いませんか?」

「は?」

「私も元は、新宿署の一係でしたからね…後輩達の仕事振りを拝見したいんですよ」

「…では、こちらにどうぞ…」

取調室の隣にある『2』と番号の振られたドアを示す田尻署長に会釈すると、佐伯はギョロリと石田刑事を睨んだまま言った。

「幸村、同席しろ」

「了解しました!」

幸村京子は、頼もしい広い背中に付いて部屋に入った。

薄暗い部屋の片面には、大きなマジックミラーが()め込まれ、隣の部屋の様子が見て取れる。

高橋妃奈は、後ろ手に掛けられた手錠を椅子に繋がれ、刑事に頭を机に押さえ付けられたまま泣き叫んでいた。

「…これは、酷いな…女性捜査官は?」

部屋の中に居る刑事達を見渡して、佐伯は石田刑事に質問した。

「只今、呼びにやっています」

「彼女が取調室に入ったのは、2時間も前ですよ!?」

幸村の言葉に、石田刑事は苦い表情を見せる。

「彼女は、本当に被疑者なんだろうな?」

「そうです」

「違いますよ!!」

「どっちなんだ?」

睨み付ける佐伯に、石田刑事は胸を張った。

「事情聴取に向かった私達の姿を見て、あの(むすめ)は逃走したんです!ホシじゃなくて、何だって言うんです!?」

「それは…」

口を挟もうとする幸村を片手で制し、佐伯は石田刑事に問い質した。

「それだけで、逮捕したのか?」

「違います。あの娘には、被害者を殺害する純然たる動機がありました」

「アリバイは?」

「それは…しかし、入院していた病院から等、幾らでも抜け出せます!現にあの娘は、病院から脱走する常習犯でした」

「…状況証拠だけだという事だな?」

「まぁ見ていて下さい!必ず落として見せます!!」

取調室で叫んでいた妃奈が咳き込み、机の上に血が飛び散った。

「あの娘…あぁやって叫んで、喉を潰す気でいるんです…」

泣き叫ぶ妃奈に視線を留めたまま、佐伯は幸村に話を振った。

「少年係が出張るって事は、お前の所で世話してる娘なのか、幸村?」

「えぇ…彼女は数ヶ月前迄、ストリートチルドレンでした」

「…そうか」

「今は、身許を引き受けた保護者も居ます。多分、もうすぐやって来ますよ」

「何者だ?」

「弁護士なんです…森田組の…」

「へぇ…」

「それと、もう1人こちらに向かっている筈です」

「誰が?」

「…佐伯さんも、よくご存知の方が…」

「え?」

「彼女…鷹栖総合病院に入院してたんです」

「!?」

「…先程、武蔵先生から連絡がありました。彼女、武蔵先生の患者なんです」

「……出張るのか、アイツが?」

「えぇ」

「マズイぞ、そりゃ…」

口をへの字に曲げた佐伯は、幸村に視線を移した。

「お前の心証は?」

「シロです。彼女が義兄である西堀善吉を殺すなど、絶対にあり得ません」

「…彼女、幾つだ?」

「高橋妃奈…今月、18になったばかりです」

幸村の言葉に頷いた佐伯は、オロオロとしてその場を見守る田尻署長に視線を投げた。

「田尻署長…記者発表は、時期尚早(じきしょうそう)だったかもしれませんね?」

「えっ…どういう事でしょう?」

「とんでもなく厄介な男が出張って来ますよ…今すぐ彼女を釈放した方がいい」

「何て事を仰るんです、佐伯警視正!?幾ら新しく署長に成られる方でも、それは…」

石田刑事が目を剥いて佐伯に抗議する。

「昨日死体が発見されて…昨夜身元が判明したんだったな?」

「そうです」

「地取りは?彼女のアリバイも洗ってないんだ…まだなんだろう?それとも、殺害時の目撃者でも居たのか?」

「ですが…」

食い下がる石田刑事を置き去りにして、佐伯は田尻署長に向き直る。

「貴方の一番苦手な男が来るそうですよ、田尻署長。5年前に世話になった…そうだ、貴方その後にも顔を合わせてるんでしたよね?」

「…まさか…」

「その、まさかですよ。田尻署長…貴方、法曹界を敵に回すおつもりですか?」

「…」

「言った筈です。奴は、受けた案件は100%シロにする。言い換えれば、シロだという自信がある案件しか引き受けない。()してや、逮捕は状況証拠のみで、違法な取り調べ…これで被疑者がシロだったら、謝罪会見だけじゃ済みませんよ?」

「……」

蒼白になって震える田尻署長に、佐伯は止めの一言を吐いた。

「退官直前に大失態を犯したいんですか?言って置きますが、私は貴方の尻拭いはご免ですからね」

「……」

押し黙る田尻署長に一瞥を投げると、佐伯はホッとした顔をする幸村に命じた。

「幸村、取調室の録画と録音を取って置け。後、お前はここに残って監視を続けろ」

「了解しました」

「それから、お前…名前は?」

「…一係の石田です」

「石田だな?中の連中にも伝えて置け…お前達の首だけでは済まないかも知れない…心して捜査しろとな」

「…了解…しました」

渋々と頭を下げた石田の肩をポンと叩くと、佐伯は振り返って苦笑した。

「さぁ、田尻署長…厄介な弁護士達を迎えに参りましょうか?」



後部座席に座るメルトダウン寸前の原子炉の様な男が、時折(うな)り声を上げる。

小塚は背中に冷たい汗を掻きながら、夜の高速を東京に向かって飛ばしていた。

バースデー・パーティーの後流産した妃奈が入院してから、小塚は一度も彼女に会っていない。

今迄世話をして来た自分としては、その後の体調や様子が気になる所ではあるのだが…黒澤は、小塚が妃奈に会うことを意図的に避けている様だった。

「何か、不手際がありましたか?」

以前そう尋ねると、黒澤は不機嫌そうに視線を逸らした。

「いゃ…お前は、完璧に仕事をこなしてくれている」

「それでは、何か…高橋さんのご機嫌を損ねましたか?」

「…そういう事じゃない…」

黒澤は、ハァと溜め息を吐くと口に手を当てモゴモゴと(つぶや)いた。

「俺の勝手な思い込みだ…気にするな」

その後の彼の気持ちのアップダウンは、まるでジェットコースター並みで…仕事に支障を来さない様に処理をするのが大変だった。

毎晩仕事が終わると、成城の病院に黒澤を送って行く。

一度だけ、妃奈を遠目に見た…彼女が病室に居ない、行方不明になったと黒澤から連絡が入り、病院内を手分けして探していた時だ。

中庭で黒澤と一緒に居た妃奈が、黒澤に抱き込まれてキスしていたのを目撃したのだ。

ツキンとする胸の痛みより、やっと互いの想いを認め合ったのかという安堵の方が大きかった。

それ以降も、不器用な2人の恋は一向に進展しない様だ。

黒澤も仕事に加え、吉田理乃の事件や、坂上恭の事…最近は、都議会議員の毛利剛と菱川組の関係を洗っている。

体力的にも精神的にもギリギリの状態の所に、今日メガトン級の爆弾が落ちた。

前日から森田組長に同行する黒澤と一緒に、小塚は箱根湯本のホテルに来ていた。

嶋祢会会長、嶋祢千太郎(しまね せんたろう)の喜寿の祝いに、各組長から祝いの品を献上する為だ。

ヤクザのプレゼント合戦は桁違いだ…弁護士が同席して手続きを必要とする様な物を、平気で差し出す。

それだけ見返りがあるという事なのだろうが…数居る弁護士の中で、森田組長は何故若い黒澤を選んで連れて来たのだろう?

その疑問は、翌日に開かれた喜寿を祝うパーティーの席で明らかになった。

堂本組長や森田組長の後ろに控える黒澤に、入れ替わり立ち替わり若い女性を伴った組長達が顔を見せにやって来る。

黒澤は愛想笑いを浮かべながらも、目だけは相手の女性を威嚇(いかく)して撃退していた。

「何だ、黒澤…折角お前を連れて来るように森田に言ったのに。当のお前は、全く乗り気じゃねぇのか?」

「…見合いならご勘弁下さい、堂本組長」

「お前、今決まった相手も居ねぇんだろ?」

「いぇ…」

「居るのか?何だ…話が違うじゃねぇか!」

「申し訳ありません」

頭を下げる黒澤に、堂本組長は苦笑いを浮かべ、森田組長は苦い表情を浮かべた。

「しかし困ったな…お前目当てに娘を同伴して来てる組長は、まだまだ居そうだぜ?お前に(めとら)せて、森田やウチと懇意にしたい組は多いだろうからな…どうするよ、森田?」

「……」

押し黙る森田組長に、黒澤が声を掛け様とした時、黒澤の携帯のバイブが震えた。

「…失礼」

そう言って会場の外に出た黒澤から、直ぐに小塚に電話が掛かった。

「…どうしました、所長?」

会場を抜け出した小塚に、顔を強張らせた黒澤が声を抑えて言った。

「…妃奈が、警察に引っ張られた」

「えっ!?どういう事です!?」

「殺人容疑だそうだ…直ぐに東京に戻る。お前は、少しでも情報を集めてくれ」

「承知しました!」

小塚が直ぐに事務所の田上に電話を入れ様とした時、会場から森田組長が出て来て黒澤に声を掛けた。

「何をしている、黒澤?」

「申し訳ありません、森田さん。私は東京に戻らせて頂きます」

「何だと?」

「妃奈が…私が引き取っている娘が、殺人容疑で連行されました。直ぐに、引き取りに行ってやらないと…」

「黒澤、後にしろ」

「森田さん!?」

厳しい顔をした森田組長は、一歩近寄ると黒澤のスーツの襟を掴みドスの利いた声を上げる。

「いい加減にしろ、黒澤!?この場を、何だと心得ている!!」

「…しかしっ!?」

「プライベートと仕事は、キチンと分けろ!!」

「それは、わかっていますが…今は、緊急事態なんです!!」

言い合う2人に、流石の小塚も口を挟む事は出来なかった。

年齢的に壮年の森田組長は、体格の良い黒澤と遜色ない躰を詰め寄り更に声を低く響かせた。

「…このパーティーは、仕事だ…」

「承知しています」

「黒澤…いい加減、こちら側に来い!」

「…どういう意味です?」

「わかっている筈だ」

静かだが竜虎の対決の様なこの場面…この2人は、時折この様な雰囲気になる。

クライアントに対する顧問弁護士にあるまじきその態度に、(しか)も相手が相手だけに、小塚は口も出せず唯冷や汗を掻くばかりだ。

小塚が息を呑んで見守る中、森田組長がゆっくりと黒澤の襟を離した。

「……森田さん…考え違いをして頂いては困ります」

黒澤は掴まれたスーツの襟の皺を伸ばす為にパンパンと払う仕草をしながら、森田組長にこれ迄にない程冷たい視線を送った。

「私は、あくまでも弁護士です。父や兄と同じ…法を司る番人です…」

「…お前」

「貴殿方とは違う。わかっておいでの筈でしょう?」

「……」

「それに、その話は…以前きっちりお断りした筈です」

ピクリと眉を上げる森田組長に、黒澤は畳み掛ける様に言葉を続けた。

「本来私の業務は、昨日の手続きが終わった時点で終了しています。私が東京に戻らせて頂いても、何の不都合もない筈ですが?」

「…黒澤」

「それと、私の伴侶(はんりょ)は私が決めます…貴殿方の思惑(おもわく)に乗る積りはありません」

ここまではっきりと森田組長に盾を突く黒澤を初めて見た…小塚が肝を冷やして見守る中、のんびりとした声が背後から掛かった。

「何だ、お前達…まだ戻らねぇのか?」

堂本組長が会場から姿を現すと、黒澤は素早く堂本組長に近付いて頭を下げた。

「申し訳ありません、堂本組長…私は、東京に戻らせて頂きます」

「は?」

「私の身内が…殺人容疑を掛けられて、警察に連行されてしまいました。直ぐに、救出に行かなくてはなりません」

「何だぁ…どうなってる、森田?」

「…申し訳ありません、組長。黒澤には、きちんと…」

「そうじゃねぇよ。サツの話だ…殺人容疑って、どういう事だ?」

「それは…私も今聞いた所です。まだ、何も…」

チッと舌打ちした堂本組長は、黒澤を見上げて尋ねた。

「誰が巻き込まれてんだ?お前の事務所の奴か?」

「いぇ…私が引き取っている娘で…高橋妃奈といいます」

「へぇ…噂の娘か。歳は?」

「18になります」

「……で?お前の女なのか?」

ニヤニヤとからかう様な眼差しを向ける堂本組長に、黒澤は頭を下げてはっきりと言った。

「…一生、守り愛しすると誓った女性です」

「……」

「申し訳ありません」

鼻白んだ堂本組長は、頭を下げ続ける黒澤と、苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべる森田組長を見比べていたが、やがてプククと吹き出して声を上げて笑い出した。

「何だ…そういう事じゃ、早く帰ってやらなきゃなるめぇよ」

「組長!?しかしっ!?」

「異論があるのか、森田?」

「本日のパーティーには…組長が、黒澤の為にお声を掛けて下さった方々が多数いらっしゃいます。当の黒澤が退席するのでは、組長の面子(めんつ)に関わります!!」

「構わねぇよ、そんな事…どうせ、黒澤は乗り気じゃねぇんだしな」

「……」

「それにな…思いもしなかった魚が掛かりそうだったんで、この網は撤収する事にした」

「は?」

「いゃ…嶋祢のじゃじゃ馬が、ずっとコッチを気にしてるみてぇでな。昔は俺も逃げ回るのに苦労したんだが…」

「嶋祢の蝶子さんですか?」

「あの毒蛾(どくが)が来るっていうから、ウチの聖を連れて来なかったのに…まさか、黒澤みてぇなタイプにも食指を動かす気じゃねぇだろうな…」

毛虫を嫌う様に吐き捨てると、堂本組長は森田組長に向き直った。

「森田、俺達も東京に戻るぞ!!毒蛾に狙われる前に、直ぐに萌奈美と聖の籍を入れる」

御意(ぎょい)

バタバタと廊下を進む堂本組長が、黒澤を振り返って声を掛ける。

「黒澤!お前も意中の相手が居るなら、直ぐに籍を入れちまえ!」

黒澤と小塚は深々と頭を下げて見送ると、自分達も帰京の途に就いた。


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