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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
25/80

(25) 逮捕

珈琲の香りが漂う、落ち着いたオーク材の本棚で埋め尽くされた部屋には、大量の本が並んでいる。

珍しそうに部屋の中を眺める妃奈に、鷹栖武蔵は笑顔を送りながら彼女に用意した珈琲カップを応接セットに置いた。

「ミルクと砂糖は?」

「…牛乳ある?」

冷蔵庫から牛乳パックを取り出した武蔵が戻ると、妃奈は視線を本棚に向けたままソファーに座って尋ねた。

「…コレ、全部読んだの?」

「大体ね。本は好きかい?」

「…まぁね」

本は好きだ…里親宅で買って貰える筈もなく、(もっぱ)ら学校の図書室で読んでいたが、虐めの対象になって借りた本を汚してしまう事が多く、出入り禁止にされてしまった。

仕方なく家で教科書を読んでいた結果、成績は上がったが…養母と美子には(うと)まれてしまう結果になった。

「家でも、読んでるのかい?」

「…黒澤の本は難しい…古い本は料理の本が殆どで、日本語じゃないし…」

「…高橋さんは、どんな事に興味があるのかな?」

武蔵の質問に、妃奈はたっぷりと牛乳を入れた珈琲を一口含み、砂糖を足しながら答えた。

「……別に」

「じゃあ、将来の夢って何だい?」

ピクリと眉を上げると、妃奈は武蔵を睨む。

「…どうでもいいだろ…アンタ、アタシの主治医って訳じゃないんだから…」

「相変わらず、手厳しいな、高橋さん」

「……」

「別に、主治医だから聞いた訳じゃないよ…雑談だよ、雑談」

「……」

「警戒、解いてくれないかな?君は散歩中に僕に誘われて、珈琲を飲みに立ち寄っただけだろう?」

「……」

「僕は、君とね…医者と患者って関係じゃなく、友達になりたいんだ」

「……アンタは、唯の知り合いだ」

「友達に…格上げは無理かな?もっと、時間が必要?」

「……友達なんか、必要ない」

「僕は、君を攻撃しない…どちらかというと、味方なんだけどな?」

「……」

「それとも、敵って認識かな?」

柔和な笑顔にフランクな物言い…確かに、今迄の医者達よりはマシな男かも知れない。

それに、この男には頼まなきゃいけない事がある…。

「……敵じゃないのは、わかった。でも、友達なんて必要ないのは変わらない」

「何故?友達っていいものだよ?」

友達がいいものだって?

冗談じゃない!?

施設でも学校でも、ろくな目に遭って来なかった。

友達や仲間だと言って近付く奴に限って、妃奈に酷い事をしたものだ。

「…あんなもん…百害あって一利なしだろ?」

「余程…(ひど)い目に()って来た?」

「……」

「黒澤さんとの関係は、上手くいってるんだよね?」

「…黒澤は、アタシの爺さんに頼まれて、保護者になって…世話になってる」

「そうらしいね。大事にして貰ってるんだろう?」

「…黒澤や…部下の何人かは…アタシの事、人として扱ってくれた」

「え?」

「……」

「…告白…されたんだよね?」

「……」

「話したくないかな?彼は、喜んでたんだけど…」

「黒澤、言い触らしてんのか?」

「そういう訳じゃない…君の為に、彼が話をしてくれているだけだよ。僕以外は誰も知らないし、僕も言い触らしたりなんかしないから、安心して欲しいな」

武蔵が柔かな笑みを浮かべると、妃奈は(むく)れてフイッと外方(そっぽ)を向いた。

「…黒澤は優しい…でも、ちょっと怖い」

「うん、そうかもね」

「あの男の手は…大きくて……撫でて貰えるのは気持ちいいし……抱き締めて貰えるのは、安心する」

「うん」

「誰も…そんな事、してくんなかったし…」

「…そぅ」

「それよりも…何でそんな風に思うのかが、わかんない」

「どういう事?」

「最初、黒澤は…家族になろうって言ったんだ。そんな関係いらないって言ったらさ…」

「告白された?」

顔を赤らめて頷く妃奈は、少し不機嫌な顔をして俯いた。

「多分、勢いで言ったんだと思う……引っ込みつかなくなったんだ」

「違うよ」

「…アタシが、死にたいって言ったから、引き止める為の方便だったんだ」

「違うって、わかってるんだろう?」

「……」

「彼の事、信じられないかい?」

「…黒澤も、同じ事言う」

「だろうね」

「でも、何でアタシなんかの事、そう思えるんだ?」

「自分の事をそんな風に言うのは、感心しないね」

「……」

「自分が嫌いかい?」

「嫌いだっ!!」

それまで言葉を躊躇(ちゅうちょ)しながら話していた妃奈が、勢い良く反論した事に武蔵の胸は痛んだ。

「…どこが嫌いなんだい?」

「全部!!顔も肌も…傷だらけの躰も…心の中も……吐き気がする程大嫌いだっ!!」

「黒澤さんは、それでも君の事が好きなんだよ」

「…理解出来ない」

「黒澤さんの好きな君を、好きにはなれないかな?」

「何で?」

キョトンとした表情を見せた妃奈に、武蔵は眉を上げた。

「それは…好きにはなれないって事?」

「いゃ、違う…っていうか…この場合、アタシの気持ちなんて関係ないだろ?」

「……どういう事?」

「だって、アタシの事愛してるっていうのは、黒澤の気持ちの問題で…アタシは、関係ないじゃん」

「違うよ、高橋さん!」

「何が?」

「それじゃ、恋愛は成立しない!」

「……そう…なのか?」

「……」

「正直……好きとか、愛してるとか…よくわかんない」

小首を傾げる妃奈に、武蔵は溜め息を吐いた。

これは大変だ…愛情という認識が、出来ていないのかもしれない…若しくは…。

「黒澤さんと居ると、安心するって言ったね?」

「…うん」

「撫でられて、気持ちいい?」

「うん」

「嬉しいって思わないかい?」

「…嬉しい?」

「そう、嬉しい…ずっと一緒に居たいって思わない?」

「……わからない。撫でられるのは、好きだけど…。それに、ずっと一緒って…実際、無理だろ?」

「…じゃあ、楽しいって思わないかな?」

「楽しい?」

「そぅ…一緒に居て、楽しい?」

「…よくわからない……楽しいとか…嬉しいって…どんな気持ち?」

「ワクワクしたり、はしゃいだり…」

「ワクワクって…期待するって事?」

「まぁ、そうなるかな?」

「ない…期待なんてしない。期待して裏切られるのは、もう真っ平なんだ。はしゃぐ事もない…っていうか、あんな馬鹿馬鹿しい事、した事ない」

「……」

「アタシ…変?」

「いゃ…君が悪い訳じゃない…」

「……」

「君を抱き締めたくなるけどね」

「やめろよ、殴るぞ!?」

「…その役は、黒澤さんに任すとしよう」

フゥと息を吐く武蔵を、妃奈は珈琲カップ越しにジッと見詰めた。

「…で?君の方からも、僕に話があったんだろう?」

「何で?」

「じゃないと、君が僕の誘いに乗るとは思えなかったからね…」

「アタシの考えてる事って、そんなにわかりやすい?」

「いゃ…とてもわかり辛いよ。黒澤さんが苦労される程にね」

苦笑する武蔵に、妃奈はズイッと顔を寄せた。

「仕事ないかな?」

「仕事?」

「出来れば、住み込みで出来る仕事…紹介してくんないかな?」

ジッと見詰めて来る瞳は真剣だ…どうやら、思い付きで吐いている言葉ではないらしい。

「中学もまともに出てない、住所もない、保証人も居ないじゃ、無理なのかな?」

「……」

「体力も、大分戻ったし…心臓も良くなったんだろ?肉体労働やキツイ仕事でも、アタシ平気だと思う!どっか、紹介して貰えないかな?駄目かな?」

「そうじゃなくて…何故、住み込みなんだい?」

武蔵の質問に、妃奈は苦い表情を浮かべた。

「…あそこには、帰れないじゃん」

「何故?」

「……あんな騒ぎ起こしたし…」

「黒澤さんは、当然一緒に帰ると思ってるよ?」

「…黒澤は、ね」

「…」

「事務所の奴等の意見は、違うと思う」

「いゃ…」

「騒ぎ起こした奴に、居場所はないんだって!別にそんな事は、慣れてるし…どーでもいいんだけどさ」

「…黒澤さんは、納得しないと思うよ?それに仕事も…君の躰は、まだ無理は出来ない状態なんだ」

「……」

「焦らなくても、躰を治す事に集中した方がいい」

「……そぅ」

「黒澤さんの元を離れるのも、考え直した方がいい。第一、彼が許さないだろうしね?」

「……だから、黒澤に内緒で…アンタに相談しようと思ったんじゃん」

()れる妃奈に、武蔵は苦笑で返す。

「黒澤さんに内緒なんて…僕の命が幾つあっても足りない気がする…」

「あの男、怒ると超おっかないぞ…」

「だろうね。でも、ちょっと嬉しいな」

「何が?」

「高橋さんの中で、僕が友達に格上げになった事がね」

「何言ってんだよ…友達なんか、いらないって言ったろ?」

「だけど、相談事っていうのは、友達にするものだろ?」

驚いた顔をした妃奈の目が、スゥッと細くなる。

「…友達はいらない」

「……」

「だから、知り合いから主治医に格上げしてやるよ、武蔵先生」

「それは光栄だ。じゃあ、主治医からの忠告をひとつ」

「…何?」

「出て行く事は、考えない事だ。病院からも…黒澤さんの家からも…」

「……」

「もう君に、路上生活は出来ないよ、高橋さん」

「……そんな事…」

「無理だよ…わかってる筈だ」

残念ながら、武蔵の言葉は正しい。

一度飼い猫になったら、野良には戻れないのと一緒だ…例え家の廊下で座って寝ようが、この寒空の中で路上生活をするのは、もう耐えられないだろう。

特に、人の温もりを知っている今の妃奈には、悪意渦巻く世界に戻るのはキツ過ぎる。

だが…。

「…優しい顔して、キツイ事言うんだな、先生?」

「……」

「それでも、これ以上黒澤の迷惑になりたくない。重荷になりたくないし……事務所や仕事の人間と、アタシの事で板挟みになった、あの男の困った顔…見たくないんだよ」

「…それが、人を好きになるって感情だよ、高橋さん」

「……よく…わかんない…」

すっかり冷えた珈琲カップを(もてあそ)びながら、妃奈はポツリと(つぶや)いた。



鷹栖武蔵から数冊の本を借り、別館から病室のある本館に戻ると、吹き抜けのロビーから子供達の歌声が流れて来た。

そういえば、土曜日に近所の教会から聖歌隊が来ると、手書きのポスターが貼ってあったっけ…。

一昨夜黒澤は、2日程見舞いに来る事が出来ないと気に病んでいた。

「…どうしても外せない出張があるんだ」

「構わない。毎日来なくていいって、言ってんだろ」

「済まない…折角(せっかく)の週末なのに。退院したら、クリスマスは2人でゆっくり祝おう」

「別に…クリスチャンでもないし、キリストの誕生日なんて興味ない」

「クリスマス…祝った事がないのか?」

「……」

「一度も?」

「…準備はしてた。料理作って、ケーキ買って…でも、アタシはケーキ苦手だし、一緒に居ると婆ぁや美子の機嫌悪くなるし…丁度良かったんだよ」

「……」

「…味見で、唐揚げ食べられた」

明々後日(しあさって)は、午前中から来るから」

「面会時間は午後からだろ?時間守れよ」

「細かい事を…」

頬に添えようとした手から逃げると、黒澤は少し寂しそうな笑顔を見せた。

「クリスマスプレゼント、何がいい?」

「……」

「何か欲しい物はあるか?」

「…別に」

「俺に、して欲しい事は?」

「ない」

「……」

「十分して貰ってんだろ?これ以上、無駄な事はすんなって言ってんの!」

「…そういう事じゃない」

黒澤の困った様な溜め息が、妃奈の心を(さいな)む。

「…わかんないよ」

吹き抜けのテラスからぼんやりとロビーを見下ろしていた妃奈は、病室に戻ろうと廊下を進んだ。

「お帰りなさい、高橋さん。散歩はどうだった?」

ナースステーションから声が掛かり、妃奈はペコリと頭を下げた。

いつもならそれだけで互いに通り過ぎるが、ステーションの中の看護師が続けて声を掛ける。

「お見舞いのお客様が、いらしてますよ」

「客?誰?」

黒澤やオバチャンが来たなら、看護師達はこんな事は言わない。

「ほら…ここに」

看護師が差し出した面会記録のノートには、妃奈の病室番号の横に『鶴岡明夫、他3名』と記載されていた。

「…ぇっ?」

鶴岡明夫…確か、あの誕生パーティーの時にやって来た、ヒヨコ頭の父親の名前だ。

何故…そう思って視線を向けた廊下の奥にある妃奈の病室から、見知らぬ男達が出て来た。

妃奈の姿を認め、足早に近付いて来るそのただならぬ雰囲気に、妃奈の頭の中で警鐘(けいしょう)が鳴る…ヤバいぞ…逃げろ!

妃奈は持っていた本をカウンターに投げ出すと、(きびす)を返して走り出した。

「待てっ!!」

後ろの男達が、妃奈の背を追い掛けて来る…その形相(ぎょうそう)に、妃奈は必死になって逃げた。

廊下を行き交う患者や看護師達が悲鳴を上げる。

階段を駆け下りる妃奈の背中に男の1人が飛び掛かり、踊り場の床に強かに躰を叩き付けられた。

「何だよ、テメェ等!?」

「大人しくしろっ!!」

背中に馬乗りにされたまま後ろ手に腕をネジ上げられた妃奈は、必死に逃れ様と暴れた。

「高橋妃奈だな!?」

「だったら何だよっ!?」

「15時21分、被疑者緊急逮捕だ!」

「逮捕!?何でだよっ!!」

手首に冷たく硬質な物が当てられ、背中越しにガチャリという音が響く。

「ほら、立てっ!!」

「テメェ…サツだって名乗ってねぇだろっ!?」

グッと黙った刑事達に、妃奈は敵意の籠った視線を投げ付けた。

騒ぎを聞き付けたギャラリーが、階段の上下から踊り場の騒ぎを見詰めている。

「それに、何の容疑だよ!?アタシは何もしてねぇよ!!」

「なら、何故逃げ出した!?」

「知らねぇ奴が、アタシの部屋から出て来たからだろ!?お前等みたいな人相悪い奴等、追っ掛けて来たら誰でも逃げるだろっ!!」

ザワザワとするギャラリーの中に、見知った中年の男女とヒヨコ頭、眼鏡の若者が見えた。

「…っテメェ等…何見てんだよっ!?」

悪態を吐く妃奈に、彼等は何も言わず冷ややかな視線で見下ろしている。

黒澤の言った通り…奴等は妃奈にとって敵以外の何者でもない!

「立てっ!!このまま、署に連行する!」

「だからっ!何の容疑だってんだよっ!?」

「殺人容疑だ」

「なっ!?」

刑事の吐いた言葉に絶句した妃奈は、そのままズルズルと連行されそうになった。

「…ちょっ…ちょっと待てよっ!!アタシが!?一体誰を殺したってんだよ!?」

後ろ手に掛けた手錠を強引に引いて立たせると、痛みの為に顔を歪めた妃奈の耳元で、正面に立った刑事が低く告げる。

「昨日、新宿中央公園で殺された男の殺人容疑だ」

「はぁっ?」

「…西堀善吉…お前とは、養育里親宅で兄妹として育ったそうだな?」

「……う…そ…」

「嘘じゃない。昨夜身元が判明した」

「…いゃ…いゃだ……兄ちゃん…」

頭をハンマーで殴られた様な衝撃の後に訪れる、例え様もない後悔…。

「…嫌だ…嫌…いや…」

「オイ、何言ってる?」

「いやぁああああーーーーーーっっ!!」

妃奈は身を屈め、凄まじい叫び声を上げ続けた。


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