(22) 親戚
不機嫌な黒澤が所長室に向かうのを見て、小塚はそっと妃奈の背中に手を置くとテラスのドアに誘導しようとした。
「戻りましょうか、高橋さん」
「ちょっと、待てよ!」
金髪の青年が、小塚の肩を掴んで引いた。
「…何か?」
氷の様に冷たい視線に射抜かれ、青年は生唾を呑む。
「…ど…どこに連れてくんだよ!」
「自宅ですが、それが何か?」
「パーティーは、放ったらかしてかよ!?」
「彼女は体調が優れないのです。ホストである所長が退席している間は、休憩させて頂きます」
「それは如何なものでしょう?」
先程文彦と呼ばれた青年が、中指で眼鏡を擦り上げながら小塚に言った。
「皆さん、彼女の誕生パーティーの為に集まって頂いてるんでしょう?ホストが不在なら、主役である彼女がもてなすのが普通じゃないですか?」
手を添えた妃奈の背中がピクリと反応し、ゆっくりと小塚を見上げ、グロスを塗った艶やかな唇が言葉を発した。
「…いいよ、小塚さん。黒澤が戻る迄、ここに居る」
「しかし…」
「大丈夫だよ」
妃奈はそう言って、正面の2人を睨み付けた。
「それで?誰だよ、アンタ達?」
「ご挨拶だな…礼儀も何もなってねぇ」
「お前に言われたかねぇよ、ヒヨコ頭」
妃奈と金髪の青年の睨み合いに、眼鏡の青年が水を差す。
「僕の名前は、清水文彦。こっちのヒヨコ頭は、鶴岡日出夫…君の再従兄弟になる」
「はとこ?」
「君の母親である朋美さんと、ウチの母親の月子、日出夫の父親である明夫伯父さんは従兄弟になるんだ。聞いてないかな?」
「…知らない」
「もう1人居たんだけどな…俺達が小さい頃に、一家心中しちまってよ!それもこれも…」
「日出夫!ここでする話じゃないだろう!?」
文彦が一喝すると、日出夫はケッと言ってズイッと妃奈に近寄り、彼女の顎を捉え薄ら笑いを浮かべた。
「ハーフだって聞いてたから、期待してたんだが…顔はマァマァだが、偉く貧相だな?」
バシッっという音と共に、日出夫の手は妃奈に払われた。
「…で?どっちがいい?」
「何が?」
「俺と文彦だよ。どっちが好みだ?」
「…何言ってんだ?」
「お前を引き取って、後々嫁にしてやるって言ってんだよ。まぁ、お前が文彦が良いって言っても、俺はこの土地も、お前に転がり込む遺産も、諦める積りはねぇけどな」
「日出夫!!」
文彦の制止も聞かず、日出夫は妃奈に詰め寄った。
「お前って、里親の家飛び出して、ホームレスしてたんだってな?そんな奴を嫁に貰ってやるって言うんだ。有り難く…」
妃奈と日出夫の間に割って入ると、小塚は妃奈を後ろ手に庇った。
「失礼ではありませんか、鶴岡さん?貴方は、彼女を謗りに来たのですか?」
「まさか、そんな事はありませんよ。日出夫の非礼は、僕がお詫びします」
文彦はそう言うと、前に進み出て頭を下げた。
「何お高く止まってんだ!元ホームレスの癖に…」
「日出夫!?」
「だってそうじゃねぇか!?お前だって言ってたろ!…暴力団弁護士の愛人を、わざわざ嫁にしてやろうってのに、何が不満だ!?」
日出夫が喚き散らす声を聞き、建物の奥に行っていた磯村と田上が会場に駆け込んで来た。
「何なの!?この騒ぎは!?」
「田上さん…お二人を、応接室にお通しして下さい」
小塚が怒りを噛み殺して田上に命じた時、背中から怒声が響いた。
「黒澤を馬鹿にするなッ!!」
「…高橋さん」
「馬鹿にするなッ!!黒澤は…黒澤は、そんな事一切してないッ!!」
そう言って、妃奈は日出夫に掴み掛かった。
「謝れッ!!」
「何だと!?」
「お前は、この事務所の所長を馬鹿にしたんだぞ!!謝れよッ!!」
「何だよ、この女!?」
あまりの妃奈の剣幕に、日出夫はたじたじと後退する。
「止めなさい!2人共!!日出夫君、貴方も…この娘を祝う気がないなら、帰って貰うわ!」
磯村の言葉に、文彦が大きな箱を取り出して言った。
「そんな事はありませんよ…僕達は、彼女を祝いに来たんです。ほら、ちゃんとプレゼントだって用意して来たんですよ」
そう言って箱を開けると、文彦は用意された蝋燭に火を点けて、妃奈の前に進み出た。
「お誕生日おめでとうございます、妃奈さん。蝋燭を吹き消して貰えますか?」
そう言って、引き攣った顔をした妃奈の目の前に、バースデーケーキを差し出した。
「…清水さん、申し訳ありませんが…」
小塚がそう言い掛けた時、妃奈の手は既にケーキを払い退けていた。
「テメェ!何すんだよっ!?」
「……嫌だ…」
「ふざけんなよっ!?折角、俺と文彦が用意してやったのにッ!!」
妃奈に掴み掛かろうとした日出夫を田上が透かさず払い退けると、日出夫はサイドテーブルを薙ぎ倒し、上に乗っていた飲み物の瓶と共に床に転がった。
「テッメェ…何しやがる!?」
床に転がったケーキを男達がぐちゃぐちゃと踏み付け、テーブルと共に倒れた赤ワインが辺りを真っ赤に染めた。
辺りに漂う甘いケーキの香りと、年代物のボルドーの鉄臭い香りとアルコール臭…。
「止めなさいよ!いい加減にして!!」
「田上さん、彼等を応接室に…」
ようやく日出夫の腕を後ろ手にねじ上げた田上に小塚が声を掛けた時、それは起こった。
「イャァァァーーーッ!!」
まるで地獄の底から沸き上がる様な、身の凍り付く様な叫び声が響き渡る。
「高橋さんっ!?」
汚れた床に座り込み、耳を塞いでガクガクと震えながら、妃奈は恐ろしい叫び声を上げ続けた。
「どうしたっ!?妃奈ッ!!」
所長室から駆け出して来た黒澤が、会場の散乱を見て眉を潜める。
「小塚!警備部を呼んで、部外者を丁重にお送りしろ!!」
「黒澤さん、それは…」
「鶴岡さん、この始末…後日、きっちり説明して頂きますよ」
黒澤はそう言うと、踵を返し叫び声を上げ続ける妃奈の元にしゃがみ、彼女を抱き込もうとした…だが、妃奈はその手を払い退けると、テラスのドアに向かって走り出す。
会場では妃奈の叫び声の連鎖で、女子事務員達が泣き出したり叫び声を上げる等のパニックが起きていた。
「磯村!田上と一緒に会場内を落ち着かせろ!パーティーは、お開きだ!!」
歯噛みする鶴岡とオロオロとする清水を誘いエントランスに向かうと、清水月子が小塚に縋る様な眼差しを向けた。
「何とか、黒澤さんに取り成して頂けませんか?」
「…難しいと思います」
「私達は、唯…」
「貴殿方が何を考えているかは存じませんが…貴殿方のご子息は、黒澤の一番大切なモノを傷付けた。私などがどう取り成そうと、黒澤は決して許さないと思います」
小塚はそう言うと、一礼して彼等を送り出した。
「妃奈ッ!!どこだ、妃奈ッ!!」
テラスのドアから出て行った妃奈が、自宅の方に走って行ったのは間違いない。
だが、自宅の中にも土蔵の中にも、彼女の姿はなかった。
「…申し訳ありません、所長…」
後を追って来た小塚が、深く頭を下げる。
「何があったんだ!?」
「直ぐに退室しようとしたのですが、鶴岡という若者が絡んで来たのです。高橋さんを引き取り、彼女の遺産目当てに結婚してやると…清水という若者と自分のどちらがいいか選べと言いながら、彼女がホームレスをしていた事や…所長の愛人であると罵倒して…」
「それで、揉み合いになったのか?」
「いえ、彼等と揉み合ったのは、私と田上さんです。高橋さんは、所長の件を反論しただけです」
「俺の?」
「…所長を馬鹿にするなと…それはもう、凄い剣幕で、鶴岡に食って掛かりました。しかし、彼女が叫び声を上げた直接の原因は、多分ケーキです」
「ケーキ?」
「苦手なんです…ご存じありませんでしたか?匂いすら駄目な様です」
「……そういえば…」
以前、柴に妃奈の両親が亡くなった現場の話を聞いた…散乱した血塗れの部屋の中で、妃奈は4日も両親の遺体の側で血塗れのクリスマスケーキの上に座り込んでいたと…。
「直ぐに捜せッ!!」
「ご自宅には?」
「自宅も土蔵の中にも居ない…こっちに走って来た筈なんだが…」
「裏庭には?」
「裏庭?」
「高橋さんは、最近裏庭で穴を掘る事に夢中になっていらっしゃいました。もしかしたら…」
小塚の言葉が終わるのを待たず、黒澤は自宅を回り込み裏庭に急いだ。
微かな呻き声が、植え込みに掘られた小さなバスタブ程の穴の中から聞こえて来る。
「妃奈ッ!!」
「…来るな…」
「何言ってる!!大丈夫なのか!?」
「来るなッ!!」
穴に填まり込む様に身を横たえ、喘ぐ様な息遣いで顔を上げた妃奈は、一瞬縋る様な目を見せたが、次の瞬間堅く目を閉じて頑なな言葉を吐いた。
「来るなって言ってんだろっ!!あっち行けよッ!!小塚さん!黒澤あっちに連れてって!!」
「妃奈…どうしたんだ?何があった?」
「……所長」
小塚が緊張感を含んだ声を上げ、妃奈の下半身を指差した。
ワンピースのスカート部分に…赤ワインではない色の赤い染みが広がっていく。
「妃奈、お前…」
穴に飛び込んで抱き抱え様とすると、妃奈は力なく暴れ、半泣きでその手を払い退けた。
「見るなよ!あっち行け!お前なんか、大嫌いだ!」
「何言ってる!お前、何故言わなかった!?小塚!!救急車だ!!」
「…嫌だ、黒澤…このまま…ここに埋めて…」
「…妃奈…」
自分で墓穴を掘っていたとでも言うのか!?
そっと抱き抱え穴の外に出すと、小塚は自分の上着を妃奈に掛けて、彼女の手をそっと包み込んだ。
「…申し訳ありません、高橋さん」
そう謝罪する小塚に、妃奈は頭を振って応える。
2人の間に流れる絆の様な物に、黒澤の胸は締め付けられた。
「…私は、救急車の誘導をして来ます」
そう言って小塚が立ち去ると、妃奈は横たわったまま黒澤に背を向けて我が身を抱いて震えた。
妃奈は、決して黒澤を頼らない…この状況下に於ても、黒澤に縋る事もない。
「…もぅ…やだぁ…」
小さな啜り泣く声がする。
「…妃奈…」
「……ごめん…ごめんなさい…」
救急隊が到着する迄、妃奈はずっと謝り続けた。
「4ヶ月に入っていた様ですね。出血も酷く、非常に危険な状態でした」
「…そうですか」
「あのお嬢さん、これが初めてではありませんね?過去数回…流産の経験がある様ですが?」
「…中絶が1回、流産は…多分これが3回目かと…」
驚いた顔を見せる医師に、黒澤は唯項垂れた。
「申し上げにくい事ですが、次回の妊娠は難しいかもしれません」
「え?」
「それ程、酷い状態だったんです。何にせよ、今は絶対安静にして下さい」
「…わかりました」
「まぁ…絶対に無理だという事ではありません。まだ、お若いですから…回復力もありますし、妊娠出来る可能性もゼロという訳ではありませんから」
「…」
項垂れる黒澤に、医師はお大事にと言って頭を下げた。
4ヶ月という事は、あの事故の時だろうか?
あの時救急外来の医師に、産婦人科を受診させる様にと言われた筈だ!
何故、妃奈を引き取った時に受診させなかったのか…。
病室に向かうと、医師や看護師がバタバタと機材を運び込んでいる。
「どうしました!?何かありましたか!?」
「あ…高橋さんは、心臓に疾患があるのですか!?」
「えぇ…詳しくはわかりませんが、不整脈があるらしいのですが…それが、何か?」
「発作を起こされている様で…これでは、出血が止まらない恐れがあります!」
「えぇっ!?」
「当院では循環器科はありません…どちらかに転院されて、詳しく調べて頂いた方がいいでしょう。紹介状を用意しますが、掛かり付けの病院はありますか?」
「いえ…ですが、至急当たってみます」
森田組長に電話を入れ妃奈の病状を話すと、佐久間組の奥方が入院していた病院に、腕の良い心臓外科医が居るとの情報を得た。
柴に連絡するべきか迷ったが、新宿署の幸村刑事に連絡を入れた。
「大丈夫よ、それ私の友人だから!ちょっと待ってて…直ぐに連絡取ってみるわ!」
「申し訳ありません」
しばらく待たされた後、幸村の明るい声が受話器の向こうから響いた。
「受け入れOKよ!!成城の鷹栖総合病院の救急に向かって頂戴!」
「ありがとうございます!!」
再び救急車で運ばれる中、黒澤は妃奈の傍らに付き添い手を握っていた。
酸素マスクを付けられた妃奈は、朦朧としながら荒い息を繰り返す。
「…妃奈…」
ゆっくりと視線を向けた妃奈は、黒澤の顔を見上げるとユルユルと頭を振った。
「心配ない…大丈夫だから…」
そう諭す様な言葉にも、妃奈は黙って首を振る。
「…頼む、妃奈……生きてくれ…」
繋いだ手を額に当てて懇願する黒澤に、妃奈は黙って涙を流した。
色付いた枯れ葉が舞う公園を進むと、薄汚れたブルーシートで作った掘っ立て小屋の様なテントの前に、着膨れした男が七輪で暖を取っていた。
黒澤が近付くと男はチラリと視線を寄越し、テントの中から空のビール籠を出して顎でしゃくる。
「久し振りじゃねぇか、黒澤…俺の事なんて忘れてるかと思ったぜ」
「あぁ…実際忘れていた」
黒澤の言葉に、松岡渉は眉を潜めてケッと悪態を吐く。
そんな松岡に、黒澤は持って来た一升瓶をズイッと差し出した。
「酒か…気が利いてるじゃねぇか!」
イソイソとテントから湯呑み茶碗を持って来ると、松岡は黒澤の茶碗に酒を注ぎ、自分は手酌で喉を鳴らした。
「お前…こんな所で、何してる?」
「何してるって…慎ましく暮らしてる様に見えねぇか?」
七輪に網を置いて、テントの中から出して来たスルメを炙りながら、松岡はチラリと黒澤に視線を送る。
「お前みたいに、ヤクザと連んで派手な暮らしはしてねぇがな」
「…確か大学病院で、救急救命医として活躍してたんじゃないのか?」
「……そんな事も…あったかな?」
「何があった?」
「別に…唯、腐った医者に成り下がりたくなかっただけだ」
湯呑みの酒を煽りながら、黒澤は七輪の上で踊るスルメを見詰めていた。
松岡と出会ったのは高校時代だ…昔から正義感が服を着て歩いている様な奴だった。
最初は、硬派な黒澤を認める様な言動だったのが、親の職業を知ると掌を返した様に突っ掛かって来た。
苦労して医学部に進んだんだろうに…大学病院内の腐敗に目が瞑れなかったのだろう。
「黒澤…ここに来たのは、そんな話をする為じゃねぇだろ?」
「……」
「クロは、元気にしてるのか?」
「クロ?…妃奈の事か?」
「…俺達は、互いの名前なんて知らねぇ…『クロ』ってのは、あの娘の通り名だ。俺はこの辺りの人間から、『何でも屋のドク』って呼ばれてる。奴等の生活用品や情報を売ったり、物々交換したり…たまには病人なんかも見て、気儘に暮らしてる」
「妃奈も、世話になってたのか?」
「まぁな…あの娘は家を飛び出した後、北新宿を根城にしてたんだよ。ほら…ツインビルあるだろ?」
「えっ?」
「あそこにな、榊って家があってな。幽霊騒ぎやら、人相が悪い奴等が出入りしてるって噂のあばら家だったんだが…壁が崩れてたらしくて、そこの庭に入り込んで生活してたらしい。…前に、ミイラ騒ぎで有名になった場所だ」
何故、妃奈が榊組の事を知っている!?
というか、妃奈が榊の屋敷に入り込んでいたなら、あの土地の事で動いていた黒澤と妃奈は、ニアミスしていたという事になる。
「大量のミイラが出て来て、警察やらマスコミが押し寄せる前の話だそうだが…本人から聞いてねぇのか?」
「…妃奈は…俺には何も話さない」
「オィオィ…まぁ、俺にしたって本人から聞いた訳じゃねぇけどな」
「……」
アチチと言いながら、松岡は焼き上がったスルメを裂くと、皿によそって黒澤に差し出した。
「…黒澤…クロを病院に連れて行ってやったか?」
「ぇ?」
「それで来たんじゃねぇのか?」
「…妊娠の事…知ってたのか?」
「この前、ここに来た時にな」
「…今、入院してる」
「入院?」
「……流産したんだ」
「何だと!?」
「……」
「馬鹿じゃねぇか、お前!?何の為の保護者だ!?何の為に、あの娘を引き取ってる!?」
俯き茶碗を見詰める黒澤に、松岡は容赦ない言葉を浴びせる。
「態々お前の秘書に伝言してやっただろうが!?何故直ぐに訪ねて来なかった、馬鹿野郎!!」
「……」
「で、無事なのか!?」
「あぁ…以前から悪かった心臓の手術もさせたから、入院させてるんだ」
「…そうか…」
ホッとした様な表情を見せる松岡に、黒澤は湯呑み茶碗を弄びながら尋ねてみた。
「妃奈が、どんな生活をしていたか知っているか?」
「まぁな…聞いてねぇのか?」
「………」
「本当なら売ってやる情報なんだがな…今日はコレで勘弁してやる」
松岡は、一升瓶を抱えてニッと笑った。
「クロと初めて会ったのは、2年前の春だ…数人の娘達と共に、公園の入口でワゴンから放り出された。帰る家のない娘達は、そのまましばらく公園で生活してたんだ」
「放り出されたって…何故?」
「クロから直接聞いた訳じゃねぇが…街で適当な娘達を集めて、薬を打って男の相手をさせるっていう、悪質な詐欺に引っ掛かったらしい。残った娘達は直ぐに数人のグループで行動する様になった。大人達に媚びたり脅したりして、寝床や食料、情報なんかを得てたが…クロは最初から馴れ合う事もしねぇで、独りで行動してた。最初は家出して直ぐの世間知らずかと思ったが、直ぐにそうじゃねぇとわかった」
「何故?」
「生きてく術を知ってたからだ。暖の取り方、金の稼ぎ方、食料の調達方法…あの娘は、誰にも頼らず生きていた」
「金って…どうやって?」
「…躰を売ってた訳じゃねぇぞ。あの娘は、自分からは一度も男に媚びた事はねぇ」
「……」
「金属集めだよ。アルミ缶や銅線の切れ端を拾い集めて、業者に買い取って貰うんだ。早朝に店先を掃除して、パンの耳を貰ったりもしてたな」
「…そうか」
「クロが男に抱かれてたのは、兄貴の借金の為だ」
「兄貴って…西堀善吉か!?」
「知ってたのか。あの兄貴は、金にだらしなくてな…最初は里親に無心してたらしいが、金が取れなくなるとクロの躰を担保に金を借りてんだよ」
「…っの野郎っ!!」
「新宿にある若者のコミューンで『新宿パンク』ってのがあってな…そこのリーダーの坂上って奴が、偉くクロにご執心なんだそうだ。今もずっと、クロの行方を捜してるって話だ」
「……」
「クロの腹の子の父親は、多分坂上とその仲間だろう。捕まると、薬飲まされて数人の相手をさせられるらしい」
「…クソッ!」
予想は、していたのだ…西堀善吉が、執拗に妃奈に連絡を取りたがるのは、やはりそういう意味合いだったのか!!
悪態を吐く黒澤に、松岡はスルメをかじりながら質問した。
「お前、クロの事閉じ込めてるんだってな?」
「…西堀善吉が、連絡を取って来たからだ」
「ふぅん…まぁ、いい暮らしさせてやってるみたいだし、ボディーガード付ける位だから、大事にしてんだろ?」
「…別にいい暮らしなどさせていない。妃奈は相変わらず廊下に座り込んで寝ているし、食も細くてガリガリだ。あの生活は、妃奈が望んで送っている訳ではない…俺のエゴだ…」
ガリガリとスルメを噛む松岡が目を剥いて、次の瞬間ゲラゲラと笑い出した。
「クロの変わり様にも驚いたが、お前も大概だな、黒澤!?」
「何を喜んでいるんだか…」
「クロは、感謝してたぜ?」
「え?」
「すっかり女の子らしくなって、お前に迷惑掛ける事を気にしてた」
「…」
「黒澤、あの娘はこの公園で一度死に掛けた事がある」
「えっ!?」
「公園の公衆便所で流産してな…大出血で、本当に危ない状態だった。それから死に取り付かれた様になって、頑なで投げ遣りな態度しか取らなくなったんだ。それまで物々交換にしか来なかったあの娘が、お前の所に鍵束を取り戻しに行く時、初めて俺を頼って来た。珍しかったから手を貸したが…だが、この間俺を頼って来たのは違うぞ!?どういう事だかわかるか?」
「……」
「他人に裏切られ続けて人を信用出来なかったクロが、お前を気遣った行動だったんだ!自分で…誰にも気付かれずに堕胎出来ないか…あの娘はそれを相談に来たんだよ!!」
「……」
自分で堕胎するって…その為に、墓穴を掘ってたっていうのか…。
「…何故そんな…」
「ん~?そりゃ、お前…お前ん所が、気に入ってるからだろ?」
「いや…妃奈は、出て行きたがってる!」
「馬鹿だなぁ、お前…」
「何だと!?」
「気に入ってるんだよ、お前ん家も、お前の事も…だから、失いたくねぇんだろうが…」
「……」
「嫌われたくなかったから、お前に知られず自分で処理したかったんだろ?案外、お前に惚れてんのかもな?」
「そんな事っ!?」
「そうかぁ?」
「大体、幾つ年が離れてると思ってる!?」
「…年なんて、関係ねぇだろ?それとも、お前には全く範疇外か?」
「……妃奈は、まだ子供だ…」
「やっぱり馬鹿だな、お前…ガキ孕む様な事してんだろうが。然も、独りで生きてく術を知ってるんだぞ?そこらの女より、立派な大人だ」
「……」
「怖いんだろ、お前?」
「……」
「あれは、イイ女だぜ?頑なだが優しいし、美少女だしな?」
「…煩い…」
「お前ん所の秘書も、あの娘の事を大事に扱ってたし、凄い目で睨まれた…案外、クロに惚れてんのかもな?」
「煩いっ!!」
ビール籠を蹴って立ち上がる黒澤を、松岡はニヤニヤと見上げている。
「まぁ、ちゃんと守って…全うな暮らしに戻してやるんだな…」
「…端から、その積もりだ!」
「ちゃんと守ってやれ…坂上が狙ってる」
「……」
「もしかしたら、クロは…ヤバい事に足を突っ込んでいるのかもしれねぇからな」
「…何だと?」
「本人は、心当たりがねぇと言ってたが…前に、坂上の女が殺されてな。どうやら、坂上が命じたって噂が出てる。クロを捜してる理由は、ご執心だからという理由だけじゃないのかもしれねぇな」
「…松岡、お前…何故そんなに詳しく知っている?」
「ホームレスの情報網、舐めんなよ?新宿界隈の情報なら、殆ど俺の耳に入る…然も情報料は格安だ。買うか?」
「買おう」
「何が知りたい?」
ニヤニヤと笑う松岡に、黒澤は猛々しく問う。
「毛利剛って男を知っているか?」
「…都議会議員のか?」
「その毛利剛と『新宿パンク』との繋がりが知りたい」
「何だ…そんな事か…」
「知っているのか!?」
「知ってるも何も…毛利剛は、坂上の父親だ」
「何だと!?」
「妾の子だよ…だから、あの馬鹿息子の尻拭いに、父親は躍起になってる。息子の不始末は、即、政治生命に関わるからな」
「…成る程……もう1つ、坂上が歌舞伎町に店を出したらしいが、資金を出したのは父親だけか?どこかの組と繋がってないか?」
「…脱法ハーブの事か?」
「理解が早くて助かる」
「なら、多分…菱川組だと思う。だが、確証はないぜ?噂話だからな」
「いや…十分だ。闇雲に捜すより、余程いい」
「役に立ったか?」
「あぁ。報酬は?」
内ポケットから財布を取り出しながら問う黒澤に、松岡は手を振って答える。
「現物がいい…ここじゃ、余り金は役に立たねぇしな」
「何が欲しい?」
「医薬品だな…鎮痛剤、風邪薬、胃腸薬、消毒液…何でもいい。届けてくれねぇか?」
「…承知した」
「序に、旨い酒も所望する!今度は、洋酒がいいな」
「近い内に、届けさせる」
踵を返す黒澤の背に、松岡はもう一声掛けた。
「クロの事、頼むぞ!黒澤!!」
背を向けたまま片手だけを上げて、黒澤は公園を去った。




