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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
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(2) 新事務所

「目には青葉、山ホトトギス、初鰹…って、感じですかねぇ…」

「何がよ?」

「いややなぁ、ネェさん…この景色見て、何にも思わへんのですか?」

新しい事務所の窓から見える美しい芝生の庭を眺めながら、片付け途中のファイルを肩に(かつ)ぐ様な格好で田上士郎(たがみ しろう)は目を細めた。

「…それって、初夏の句でしょ?今はもう7月末よ?それに、マンションの景色に慣れた目には、眩しいばっかり!」

「ネェさん、情緒もへったくれもあらへんなぁ…」

「大きなお世話よ!」

アップにまとめた(かんざし)を引き抜き、頭皮に風を送る様に指を動かしながら整った眉を上げた磯村弘美(いそむら ひろみ)は、田上を(にら)み付けた。

「何をそんなに苛ついてますのん?月の(さわ)りでっか?」

「士郎!?アンタ、セクハラで訴えられたい訳!?」

滅相(めっそう)もない…」

詰め寄る磯村から苦笑いして両手を振る田上に、小塚が助け船を出す。

「お二人共遊んでないで、サッサと片付けて下さい。一番の古株がサボっていては、皆に(しめ)しがつきません」

「ホ、ホラ、ネェさん…小塚はんも、あぁ言うてるし…」

(うるさ)いわよ、士郎!!あぁ、もうイライラするっ!大体このクソ暑い中引越しって、一体何考えてるのよ!!あの男は!?」

「急でしたもんなぁ~。でも兄さんは、ココの店の常連でしたんやろ?てっきり、店続けはるんやと思てましたわ」

「赤字経営だったのよ、きっと!こういう店って回転率悪いし、格式だけ高いじゃない?正直、あの男が何故この店を贔屓(ひいき)にしてたのか疑問だったのよ。()してや、建物残して自分の事務所にするなんて…」

「都心の緑溢れるオアシス…最高ですやん!兄さんも 癒されたかったんちゃいます?」

「あの男は、そんな玉じゃないわよ!こんな美味しい物件、速攻上物潰して転売するか、マンションでも建てるかと思ってたのに…」

「さてはネェさん、マンション買おうと思ってはった?」

「…何よ、悪い!?」

(むく)れる磯村をチラリと横目で窺った小塚に、田上が透かさず質問する。

「この土地って、兄さんが亡くなったオーナーから相続されはったって…ホンマですのん、小塚はん?」

「えっ?買ったんじゃないの?」

「自分も、詳しくは存じません」

ポーカーフェイスで答える小塚に、田上が肘鉄(ひじてつ)をおくる。

「またまたぁ~、聞きましたでぇ?借金込みで相続しはったらしいですやん。(しか)も、森田組長通して堂本組長が売って欲しい言うて来たん、蹴らはったって…そりゃ、エライ噂やで?」

若いが、立ち上げ当初から調査部の仕事をして来た田上には、色々な情報が入って来るのだろう。

「…堂本組長って…森田組の上の!?マズイんじゃないの!?」

声高な磯村の声に、作業をしていた他の事務員や弁護士達もザワザワと噂し出した時、部屋の入口でパンパンと手を叩く音がした。

「まだ片付けに手間取っていらっしゃるんですか、先生方!?そんな事では、明日からの業務に差し障りますよ!やはり私が、陣頭指揮に立ちましょうか!?」

「イエッ!結構ですっ!!」

「大丈夫です!!」

部屋の入口で鼻息荒く仁王立ちする小柄な年配の女性に、皆が一斉に顔を引き()らせキビキビと働き出した。

「小塚君、それから…田上君、ちょっと手伝って下さい」

「はっ、ハイッ!!」

直立不動で返事をした田上が、小塚と共に広い事務所の中央にある扉を潜り抜け、奥にある厨房へと付いて行く。

観音開(かんのんびら)きの厨房のドアを背中で閉めた途端、根津栞(ねづ しおり)は振り向き(ざま)に田上の頬をつねり上げ、半眼(はんがん)で顔を近付けた。

「全く、この子は…余計な事をペラペラと!」

「ひたい、ひたいって、しほひ叔母ひゃん…」

「何処で誰が聞いてるか、わからないでしょう!?何年調査の仕事してるの!!」

この事務所で最強の人物である栞は田上の遠縁に当り、事務所立ち上げ当初からのメンバーだ。

黒澤とはそれ以前からの知り合いらしく、この人の小言には彼でさえも逆らわない。

事務の仕事をしながら黒澤の身の回りの世話を焼く、彼にとっても親戚の叔母の様な存在らしい。

「田上君、このおにぎりを2階の派遣部の人達に持って行きなさい」

「…はぃ」

「それから、後2時間で片付け終えなければ、私がゴミ袋を持って回ると先生方に伝えなさい」

「いゃ、それ洒落にならへんって、栞叔母ちゃん!」

握り飯をくすねながら田上が情けない声を出すと、栞は彼を(にら)み付けた。

「仕事場で『叔母ちゃん』と呼ばない様にと言ったでしょう!?重要書類を捨てられたくなければ、サッサと片付ける様に伝えなさい!」

「わっかりましたぁ~」

大皿に盛り上げた握り飯を持って田上が厨房のドアを出て行くと、別皿に取り分けた握り飯を、栞がそっと小塚に差し出した。

「今、お茶を淹れるから…食べてしまいなさい」

「ですが、所長もまだ…」

「さっき所長室を覗いたら、電話中でしたからね…どうせ長く掛かるだろうし」

「それでは、お先に頂きます」

厨房の奥の扉の正面にある、元は料理人達の休憩室に使っていた部屋に入ると、冷たい麦茶をグラスに注ぎながら栞がフゥと溜め息を漏らした。

勿体(もったい)ないと思わない、小塚君?」

「は?」

「こんな立派な厨房があるのに…お茶を沸かすのと、ご飯炊く位しか使わないなんて…ねぇ?」

「…はぁ」

「本格的なプロの厨房に立つなんて、憧れなんですけどね…流石(さすが)に私1人じゃ、皆の食事は(まかな)い切れませんよ。鍋もフライパンも、オーブンも冷蔵庫も…食器だって一式全て(そろ)っているのに…」

「…所長は、何と仰ってるんです?」

「好きに使って構わないと言って下さるんですけど…私1人じゃ、事務や派遣の子達におにぎりを作るのが精一杯なんですよ。それに、事務所に料理の匂いが立ち込めるのって、やはり問題があるんじゃないかと心配で…」

「どうなんでしょう?接客用に使う入口近くの個室の方迄は、匂いも届かないと思いますが?」

「なかなか外に食べに行けない仕事をしてる子達が多いから、出来れば昼と夜だけでも食事を作って上げたいんですよ」

「所長に相談されては如何(いかが)です?料理人を雇うかと、先程も冗談混じりに仰っていました」

「そうですね…小塚君からも、打診して貰えるかしら?」

「承知しました」

ふっくらとした気の良さそうな顔が(ほころ)ぶのを見て、事務所を立ち上げた頃、この人が小さな躰でヤクザを撃退した事を思い出し、小塚はゴクリと握り飯を飲み下した。

「…何ですか?」

「いぇ…昔の事を…ちょっと」

確かこの小柄な女性は、所長の師匠だと聞いた事があるが…一体何の師匠なのだろう?

フフフと笑いながら、栞は自らも握り飯を摘まんだ。

「何を思い出したか想像付くけれど…馴れですよ、馴れ」

「根津さんは、この仕事が長いという事ですか?」

「そうですね…先々代の先生の事務所からだから、彼此…40年位になるかしらね?」

「そんなに古くから…というか、所長が生まれる前からのお知り合いだったんですか?」

「嫌だわ…年がバレてしまいますよ。でも…思えばそんなに経ったんですねぇ。隼先生が結婚されて事務所を引き継いで…あのやんちゃだった坊っちゃんが、跡を継いで所長に迄なったんですものねぇ…」

クスリと笑い新しい麦茶を注ぎながら、栞は目を細めた。

今迄同じ事務所に居ても、仕事以外の事で彼女と会話した事は(ほとん)どなかった様に思う。

秘書である小塚の隣には、常に黒澤が居たし、人数が増えた前の事務所では、幾人もの人間がひしめき合っていたからだ。

栞と2人切りになって話すのは、これが初めてかもしれない。

「可愛かったんですよ…()かん気のいたずらっ子で。先代だった(はやと)先生の事務所は、自宅続きでしたから…奥様が嫁いで来られる前から、私は家の事を手伝っていましてね…」

「早くに亡くなったと聞いてます」

「そうですね…坊っちゃん…所長が、幼稚園に入って間もなくだったから。その前から、奥様はずっと入院してらしてね。まぁ、オムツも替えて上げましたし…ある意味、恥ずかしい部分は全て見て来たって事ですよ」

コロコロと笑う栞に苦笑を返しながら、小塚は気になっていた事を尋ねてみた。

「以前所長には、ご兄弟がいらっしゃるとお聞きしたのですが?」

途端に目を伏せた栞は、フゥと溜め息を漏らして答えた。

「……えぇ…鷹也(たかや)先生。所長とは、7歳違いの…小さな頃からとても優しくて、しっかりとした利発な方でした」

「その方も、弁護士だったんですか?」

「…えぇ」

「亡くなったと聞きました」

「…」

「何があったんですか?」

チラリと目線を上げ悲しそうな笑みを浮かべると、彼女は(もてあそ)んでいたグラスの麦茶を飲み干した。

「何故そんな事を知りたいのか、わかりませんが…それ以上は、私の口から話すべき事じゃないでしょうね」

「…」

「知りたければ、ご自分で所長にお聞きなさい」

「…そうですね。申し訳ありません」

「いいんですよ…小塚君になら、所長の恥ずかしい話を幾らでも教えて上げますよ?」

「……遠慮して置きます」

「そぅですか?まぁ、車の後ろから、いきなり鉄拳(てっけん)食らうのも危ないですしねぇ?」

再びコロコロと笑われ鼻白むと、栞は皿に移した握り飯を小さなワゴンに置き、飲み物を添えて小塚に渡した。

「もう電話も終わった頃でしょうから、所長に持って行って貰えますか?」

「承知しました」

休憩室を出て廊下の奥、所長室の扉をノックして声を掛ける。

「小塚です」

「…入れ」

「失礼します」

扉を開け中に入ると、窓辺に置いたデスクの向こう側に座り、黒澤はボンヤリと窓の外を眺めていた。

この事務所に移る事を決めた頃から、彼は時折こうやって物思いに(ふけ)る様になった。

相変わらず目から鼻に抜ける様な仕事振りなのだが、物憂(ものうれ)う表情の濃さが増して来たのだ。

思い当たる節は幾つかあるが、原因の1つは明らかにこの場所にある様に思える。

そして、もう1つ…部屋に入った小塚の姿を認めると、少し眉を潜めて黒澤は手に持っていた写真立てを机の引き出しに入れた。

「…何だ?」

「根津さんから、昼食を持って行く様に言われました」

そう言って小塚はワゴンを押し、応接セットに運んで来た食事を並べる。

「表札とアーチの看板の取り付け、及び確認作業を終了致しました。隠しカメラ、盗聴器共に問題ありません」

「そうか」

「根津さんより、厨房に人を雇い入れ、事務と派遣部の人間に食事を提供したいという要望が出ています」

「…又、あの人は…」

森田組から派遣された運転手兼SPは、今や各弁護士に1人の割合いで事務所の2階に常駐し、『派遣部』と呼ばれている。

皆キッチリとスーツを着込みサラリーマンの様に見えるが、彼等は常にナイフを携帯している極道(ごくどう)だ。

事務所立ち上げ当初、如何(いか)にもチンピラの様に振る舞う男達を、挨拶から礼儀作法迄叩き込み、一人前のSPに仕立て上げたのは、栞の功績(こうせき)に他ならない。

厳しい言葉で叱りながらも、彼女にとって事務所で働く人間は、皆可愛い我が子の様な物なのだろう。

そして今回の引越しに伴い、新たに森田組の紹介で『Saint(セイント)警備保障』という会社から、24時間態勢の警備スタッフが常駐する事になり、彼女の子供達の人数が増えた。

敷地内に黒澤の自宅もあり、事務所にも重要な書類が保管されている事もあるのだろうが、それにしても弁護士事務所にしては異様な警備態勢なのは、やはりウチが『組弁護士集団』だからなのだろうか?

如何(いかが)致しましょう?」

「…そうだな」

「何なら、以前こちらの店に勤めていたシェフを呼び戻しましょうか?」

「え?」

「こちらの店を、贔屓(ひいき)にしていらっしゃいましたので」

「いゃ…必要ない。料理が目的で通っていた訳ではないからな」

「では、やはり…こちらのオーナーとお知り合いだったからですか?」

「…今日は色々と詮索(せんさく)して来るな、小塚?」

「申し訳ありません。私も、そう思います」

「…料理人の事は、考えて置く」

「承知致しました」

頭を下げる小塚に、再び窓の外を眺める黒澤が、視線を寄越す事なく尋ねた。

「…小塚」

「はい」

「お前には、何か目標があるか?」

「ぇ?」

「…」

「いぇ…特には…」

少し陽が傾いて来たのだろうか、裏庭から射し込む光が部屋の陰影を際立たせる。

「…追い掛けていた目標が、突然尻切れ蜻蛉(とんぼ)の様になくなってしまったら…お前なら、どうする?」

「…新たに、他の目標を探すでしょうか?」

小塚の答えに、黒澤は影のある表情で呟いた。

「…砂浜に落としたダイヤが…実は()っくに……海に流されていたとしたら……やはり、(あきら)めるべきなのか…」

「所長?」

「いゃ…何でもない。7時半に会食がある。お前も来い」

「承知致しました」

あんなに自信のなさ気な黒澤は、見た事がない…そう思いながら、小塚は一礼して所長室から退出した。



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