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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
18/80

(18) 新宿中央公園

幼い頃から、繰り返し見る夢がある。

辛い事、苦しい事があると、決まってその人は夢に現れた…。

「お前が辛い目に()ったら、直ぐに飛んで来る…Princess(プリンセス) Amber(アンバー)…俺の小さな『琥珀姫』…直ぐにお前を助けに来るから…」

夢に現れる王子様は、いつもそう言ってアタシの額にキスをした…。

夢だと思っていた…幼い自分が作り出した妄想だと…。

「……あり得ない…一度も来てくれなかった癖に…」

そう(つぶや)いた妃奈に、運転席の小塚が反応した。

「…何か?」

「……別に…何でもない」

昨日、妃奈が家に帰ってしばらくすると、大きな虎の様な男が帰って来て、1日中妃奈にまとわり付いた。

腹が減ったと言って台所で妃奈の背中に絡み付き、食後にはリビングで伸し掛かり、喉を鳴らす勢いで妃奈を構った…あんな事初めてだ。

「昨日黒澤は、何か良い事でもあったのか?」

「これといって、特には…朝にトラブルがあったんですよね?」

バックミラー越しにチラリと視線を寄越す小塚に、妃奈はフィと車窓に視線を逸らした。

「帰って来た時は、デッカイ虎みたいになってた」

「…虎ですか?」

「猫科の大型猛獣だろ、あの男…一昨日は、大虎だったし」

「…成る程」

「小塚さんや田上さんは、犬科だな」

「そうですか?」

「小塚さんは、アレだよ…牧場で羊追い掛ける…」

「牧羊犬ですか?」

「そう…じゃなきゃ、警察犬」

「そんなイメージなんですか、私は…」

「違うの?」

「さぁ…どうなんでしょうか…」

主に忠実な犬…そんな生活に不満がないのは、主である黒澤という人間が好きだからだ。

特にここ最近の黒澤は、今迄の完璧さを覆す人間臭さがあって面白い…仕事に支障を来さぬ様に舵取りするのも、遣り甲斐を感じている。

「…猿もいいですね」

「猿になりたいの?…へぇ…じゃあ、(ふくろう)とか?」

「いいですね、梟」

「…何となくわかった、小塚さんって人が…」

「そうですか?では、高橋さんは何でしょう?やはり猫科でしょうか?」

「アタシ?…アタシは…違うよ…」

「高橋さん?」

「……鼠……いや、ゴキブリかな…地面這い回って、残飯漁る…」

そういえば、ゴキブリって人間よりずっと生命力があるって、中学の先生が言ってた…人類が滅びてもゴキブリは生き残るって…。

嫌だな…生命力が強いなんて、今のアタシには何の意味もないのに…。

「…到着しました。このまま、お待ち下さい」

停車した車のドアを、後ろの車から降りた黒い背広の男が開ける。

妃奈は紙袋を下げて、男にピョコリと頭を下げると車を降りた。

「…何なんだよ…ゾロゾロと…」

「貴女を警護しているんですよ。所長から、お聞きになっていませんか?」

隣に付き従う小塚が、妃奈に答えた。

「…逃げない様に、見張ってるって事だろ?」

「まぁ、その心配もありますが…」

妃奈の外出を許すに当たって、黒澤は幾つもの条件を出して来た。

小塚や警備の者が同行する事、妃奈の誕生日のパーティーに出席する事、そして…必ず黒澤の元に戻って来る事…。

「にしたって、やり過ぎだって…何考えてんだよ、黒澤は…」

「貴女の幸せしか、考えていないと思います。所で、その紙袋は何ですか?」

「コレ?…約束の品って言えばいいのかな…」

小塚は妃奈の隣に付き添い、派遣部の2名が少し離れた位置を付いて来る。

残りの2名は、2台の車にそれぞれ待機していた。

妃奈は男達を従えて公園の中に進み、目指すブルーシートのテントの前にボンヤリと座る男を見付けると、立ち止まって小塚に囁いた。

「ここで、待っててよ」

「それは、出来かねます」

「大丈夫、逃げないって…黒澤から脅されたし」

「脅された?」

「アタシが逃げて戻らなかったら、アンタ達の首が飛ぶんだろ?」

「…わかりました。何かあったら、直ぐに呼んで下さい」

「何もないよ」

妃奈はそう言って、男達から離れてテントに向かった。

テントの前に座っていた男は、既にこちらに気付いており、驚いた表情で妃奈を迎えた。

「クロ…お前…」

「久し振り、ドク」

「何だってこんな所に…ってか、誰だアイツ等?」

「アタシの事、見張ってるんだ…黒澤の命令で」

「お前、ずっと黒澤の所に居たのか!?」

コクリと頷く妃奈に、男はテントの中から新しいビール籠を持って来て座る様に促した。

「コレ、持って来た」

「何だ?」

「ドクが、持って来いって言ったんじゃん」

妃奈が持って来た紙袋を男に渡すと、男は中を確認して苦笑した。

「ギプスに包帯、三角巾に…コルセットか…。案外、義理堅いんだな…お前は」

「案外は余計だろ。折角持って来てやったのに!」

「助かるよ…医療品は貴重だからな。で、あれからどうしてた?」

「だから、黒澤ん所で世話になってる…ってか、閉じ込められてる」

「何で?」

「保護者なんだってさ、アタシの」

「誰が?」

「だから、黒澤が!」

「ハァ!?」

()頓狂(とんきょう)な声に、黒い背広の男達が反応し、男は首を(すく)めた。

「どういう事だ?」

「アタシの死んだ爺さんに、頼まれたって言ってた。何か、法律的に認められてるんだって」

「…成る程…でも、まぁ…その方がいいかもな」

「どういう事?」

「パンクの連中が、お前の行方を探してる…吉田理乃って女が死んだのは、知ってるか?」

「…うん。ニュースやワイドショーでやってた」

「噂じゃ、坂上の命令で誰かが手を下したって話だ」

「……」

「お前が病院を抜け出してから、坂上やお前の兄貴が、ずっとこの辺りを捜してた。お前、何かヤバイ事に足突っ込んでんのか?」

「…知らない…よくわかんない…」

不安気に瞳を伏せる妃奈に、男は柔らかな笑みを溢した。

「すっかり女の子らしくなっちまって…黒澤ん所で、いい暮らしさせて貰ってんのか?」

「…うん」

「そっか…まぁ、アイツの所なら安心だろ。坂上達も、手出し出来ねぇだろうからな」

「…兄ちゃんは、まだ坂上と連んでんのかな?」

「そうじゃねぇか?坂上が歌舞伎町に開いた店に、入り浸ってるみてぇだしな」

「ホストは?又辞めたの!?」

「さぁ…でも、お前の兄貴、ホストなんか向いてねぇだろ?」

「…まぁ…そうだけど…」

「誰かに引っ付いてないと駄目なタイプだからな。お前が、もっと強気に言ってやれば良かったんだが……お前は、兄貴に遠慮ばかりしてたからな…」

「……」

「まぁ、関わんな…本当の兄妹って訳じゃねぇし、兄貴と関わったら、又食い物にされるぞ?」

「……ぅん…そうだね……それでね、ドク…頼みあるんだ」

「何だ?」

「前にさ……くれるって言ってたヤツ、まだ持ってる?」

「何だったかな?」

「…不安だったら、調べてやるって……おしっこ掛けたら、直ぐにわかるからって…」

「お前っ!?……それって…」

「……」

「…中で話そう…表でする話じゃねぇわ」

ブルーシートを捲り、妃奈は男と共に中に入った。

男はゴソゴソとコンテナの中をひっくり返し、細長い箱を見付けると妃奈に渡して言った。

「相手、誰だかわかってんのか?まさか、黒澤なんじゃ…」

「違う!!黒澤は…あの男は、そんな事しない…」

「そっか…じゃあ、やっぱり…坂上達か?」

「……多分…事故の前にさ…ヤられたから…」

「って事は…7月の末だろ!?オイッ、もう10月半ばなんだぞ!?」

「…」

「ずっとないのか?」

「…ないよ…時々飛ぶ事もあるけど……こんなに長い事ないのは、初めてだし…」

「ちょっと、服脱げ」

「え?」

「試薬で調べる迄もねぇわ…多分、出来ちまってる」

男は妃奈の体温を計り、胸の張りや下腹部を調べて妃奈に尋ねた。

「気持ち悪くなったりしねぇか?飯を炊く匂いとか…匂いに敏感になったり、嗜好が変わったり…」

「…時々、気持ち悪くなる…」

「俺は産婦人科の専門医じゃねぇがな…微熱が続いてる様だし、まず間違いねぇわ」

「…」

「どうすんだ?産みてぇのか?」

「そんな訳ないじゃん‼アイツ等の…誰の子供かも、わかんないのに…」

「だよなぁ…なら、すぐ黒澤に話して、病院に連れて行って貰え」

「嫌だっ!!」

「クロ…時間がねぇんだ!もうすぐ4ヶ月に入っちまう…そしたら、病院でも堕せなくなっちまうんだぞ!?」

「…ドク…どうやったら、自分で堕せる?誰にも知られない様に…1人で何とか出来ないかな?」

「無茶言うな…お前、前の時も死に掛けたんだぞ!?」

「……好都合じゃん」

そう言って、妃奈はフラリと立ち上がった。

「時々さ…メチャメチャお腹痛くなる…気が遠くなって、このまま死んじゃえばいいのにって思うんだ。でもさ…あそこで死んだら、黒澤に迷惑掛けるじゃん…出て行きたいんだけど、許してくんないんだ」

「…クロ」

「今日もさ、アタシが逃げて帰らなかったら、あそこに居る奴等クビにするって脅すんだ、黒澤の奴……馬鹿だろ?アタシなんかの為に、大事な秘書迄クビにするって言うんだ…」

「悪い事言わねぇから…直ぐに病院に行け、いいな?」

「……」

テントから出ると、男は胡散臭気(うさんくさげ)にこちらを窺う一団に声を掛けた。

「黒澤の秘書ってのは、どいつだ!?」

小塚がゆっくりと近付き、内ポケットから名刺を出すと、男に渡した。

「黒澤鷲の秘書をしております、小塚と申します」

「黒澤に言っとけ…近い内に、出向いて来いってな」

「失礼ですが、お名前は?」

「松岡だ、松岡渉(まつおか わたる)。それでわからなければ、高校時代の天敵が呼んでると伝えろ」

「…承知致しました」

小塚は妃奈の背中に手を当てて、一緒に来る様に促した。



公園を出て車に乗り込んだ妃奈が、明らかに意気消沈しているのが気に掛かる。

「どうかしましたか、高橋さん?」

「…別に」

彼女が『別に』と答える時は、何か含みがあると考えた方が無難だが…先程の松岡という男が、彼女に危害を加えた様な感じではなかった。

「これから買い物に向かいますが、どこかご希望の店等ありますか?」

「…買い物?」

「秋冬物の洋服もない様ですし、失礼ながら下着等も必要かと…」

「…何で?」

「……来月には、誕生パーティーもあります。内輪のパーティーですが、キチンとした服も必要でしょう?」

「…いいよ、別に…どうせ似合わないし…」

妃奈の投げ遣りな言葉に、小塚は冷たく言葉を返す。

「貴女の為ではありません。貴女がキチンとした格好で出席しなければ、恥を掻くのは所長なんです」

「……そぅ…ならいぃよ…適当に選んで」

「私が、勝手に決めて宜しいのですか?」

「…うん……好きにして…」

全くやる気のない返事をする妃奈を、小塚は知り合いの美容室に連れて行った。

いつもの妃奈なら、怒って大暴れする筈だが…彼女はボンヤリと椅子に座り、美容師の成すが(まま)…全く心ここに(あら)ずの状態なのだ。

美容師と小塚が相談し、白髪を活かす様に髪をカットした後、パープルのヘアーマニキュアをしてトリートメントをして貰う事に決め、小塚は待ち合い室で出来上がるのを待っていた。

「…あの、お客様」

もうじき出来上がるだろうかという頃になって、美容師が微妙な表情を浮かべ小塚の所にやって来た。

「出来上がりましたか?」

「もうじき出来上がりますが…」

「何か?」

「その…お連れ様が…泣いていらっしゃって…」

鏡の前に座り、白いケープを被った妃奈の瞳から、大きな涙がポロポロと(こぼ)れ落ち、ケープを滑り落ちる。

「どうしました、高橋さん?気に入りませんでしたか?」

「……違う…ごめん…」

髪の色と髪型で、こんなにも印象が変わるものか…艶やかな銀髪のボブと、彼女の肌の色の対比が美しい。

「何かありましたか?貴女が泣くなんて、余程の事です。もしかして、先程の私の発言が原因ですか?」

「…違う…小塚さんは、何も…」

そう言うと、妃奈はしゃくり上げて泣き出した。

「落ち着いて下さい、高橋さん…ここを出たら、食事に行きましょう。何か好きな物…食べたい物はありますか?」

懸命に涙を拭い、泣き止もうとする妃奈の頬に手を当てて、小塚は彼女を覗き込んだ。

大きな瞳から溢れる涙を、そっと指先で拭ってやる。

「…綺麗ですよ。とても良く似合っていらっしゃいます」

「……小塚さんでも…お世辞言うんだ」

妃奈は、ほんの少し目を細めると、グシグシと乱暴に目を擦った。

「たこ焼き…食べたい」

「承知致しました。美味しい店に、お連れしましょう」

美容師からティッシュを受け取りながら、妃奈はコクリと頷いた。


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