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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
17/80

(17) 磯村

「又、お帰りにならなかったんですか?」

土曜日の午前中だというのにキッチリとスーツを着込んだ小塚が、所長室のソファーで伸びている黒澤に声を掛けた。

「…昨夜は、帰った」

「にしては、ヨレてますね?」

「…色々あってな…」

「昨夜は、磯村先生と飲みにいらしたんですよね?遅く迄飲まれたんですか?」

「…」

「本来、今日は休みなのですから…ご自宅でお休みになられては如何ですか?」

「……家には、妃奈が居るからな」

妃奈と言い争いをした翌日から、黒澤は自宅に戻っていなかった。

この世からも、自分の躰からも自由になりたいと望む妃奈を、どう説得したものかと途方に暮れ、顔を合わす事が出来ずにいたのだ。

昨夜、そんな黒澤を気遣った磯村から飲みに誘われた。

何とかしなければという焦りと日々の激務に、珍しく酒を過ごしてしまったのだが…。

自分のベッドで起きた時、部屋中と自分の躰から甘く香る香水に、黒澤は血の気が引いた…連れ込んだというのか…あり得ない!!

確かに、磯村弘美とは大学時代の一時期交際していた。

だが、()うに終った関係であり、それを引き摺らない磯村の強気な性格と、暴力団相手の弁護士を引き受けると言ってくれたきっぷの良さに、事務所立ち上げの時に仕事仲間に引き入れたのだ。

今更、()りを戻す等考えられない…況してや、妃奈が居るのをわかっていて自宅に連れ込む等…。

部屋に充満した『Coco』の香りを追い出す為に、窓を全開にして部屋のドアも開けた。

素肌にナイトガウンを羽織り、着替えを持って部屋の前で立ち止まる……廊下に妃奈の姿はない…。

階下の音に階段を下りキッチンを覗いた黒澤は、そこに居た人物を見て眉を寄せた。

「おはよう、やっと起きたのね?」

「…何故、お前がここに居る…磯村?」

「何言ってるんだか…珈琲でも飲む、(しゅう)?」

「名前で呼ぶなと言った筈だ!答えろ!!」

「相変わらずだわね、その(こだわ)り…あの娘には、呼ばせてるの?」

「……妃奈は、どこだ?」

「知らないわよ」

「何だと!?」

苛々(いらいら)と言葉を返す黒澤に、磯村が腰に手を当てて振り向いた。

「先にシャワー浴びて来れば!?その頭、よく冷してらっしゃいよ!」

ムッとしてバスルームに籠り、忠告に反して熱いシャワーを浴びた…早くこの香りから離れて、妃奈を捜さなければ…。

「二日酔いも寝惚けた頭も、シャッキリ()めた?」

珈琲カップを差し出しながら、磯村が冷ややかに尋ねる。

「…昨夜は、世話になった」

「久し振りに見たわ…黒澤のグダグダな姿」

「…」

「ねぇ、黒澤…貴方にとって、あの娘って何なの?」

「言った筈だ…妃奈の父親と知人だったと」

「そんな事聞いてるんじゃないわ。あの娘の事…どう思ってるの?」

「どうって…」

「もっと直截(ちょくさい)な言い方しましょうか?あの娘と寝たの?」

「なっ!?」

「どうなのよ?」

珈琲カップ超しに上目遣いで磯村に睨まれ、黒澤は思わず自分のカップを取った。

「…そんな事、する筈ないだろう!」

「それは、彼女を娘として見てるから?それとも、彼女が未成年だから?」

「どちらもだ!一体、何が言いたい!?」

口に含んだ珈琲が、やけに苦い…。

「貴方がおかしいからよ、黒澤。皆、心配してるわ」

「……」

「彼女の事情は理解してるわ…それにしても、2ヶ月近く閉じ込めてるのよ!?やり過ぎだって自覚、あるんでしょう!?」

「……」

「…監禁罪…2年以上7年以下の懲役よ」

「…理由があっての事だ」

「どんな?」

「妃奈を…守る為だ」

黒澤の言葉に、磯村は眉を寄せた。

「何があるの…って聞いた所で、答える気なんてないんでしょうけど…。あの娘に、許しを乞う理由も言えないの?」

「……」

「…そぅ、まぁいいわ。兎に角、黒澤…あの娘の事、もう手放しなさい」

「駄目だ!」

「…あの娘の親戚って人物が、私に連絡を取って来たわ。貴方に連絡しても、取り合わなかったそうね?事情を話したら、是非引き取りたいって言ってる。それに最近事務所の周辺で、あの娘の事を嗅ぎ回ってる奴が居るわ。事務所からトラブルを廃除するのも、貴方の仕事な筈よ?」

「妃奈を守る為に保護している…何故わからない!?」

「彼女が望んでないのに!?」

磯村の言葉に、黒澤は言葉を呑んだ…そうだ、妃奈は望んでいない…これは、自分のエゴだとでも言いたいのか?

「おかしいわよ、黒澤…今の貴方を見てると、若い娘に翻弄(ほんろう)されてるオヤジにしか見えない」

「…」

「昨夜の事…覚えてないの?」

「何を?」

「ベッドで…」

「何もなかった筈だ…お前との事は、疾うに終った事だろう?酩酊(めいてい)していても、それ位の分別はつく」

「…あの娘と…間違えられたのよ、私…」

「何?」

磯村は珈琲ポットから新しい珈琲を注ぎ、溜め息を吐きながら恨めしそうに黒澤を睨んだ。

「甘ったるい言葉を吐きながら、ベッドで私を抱き締めて…額に何度もキスをして、ずっとあやしてた……あんな事、付き合ってる時にも、して貰った事ないわよ!?」

「…妃奈は子供だ」

「馬鹿じゃないの!?アレは、子供に対する愛情表現なんかじゃないわよ!!」

「そんな事はない…俺は…」

そうだ…妃奈は子供で、俺と幾つ年が離れていると思っているんだ!?

「兎に角、離れた方がいいわよ!あの娘の為にもね!」

フンと鼻を鳴らす磯村に、黒澤は三度(みたび)尋ねた。

「妃奈は…どこに行った?」

「知らないって言ってるでしょう!?昨夜出て行ったきり、会ってないわ!!」

そう言うと、磯村はバックを掴み、足音を高くして出て行った。

警備部に電話をすると、妃奈は夜中に門の所で一悶着(ひともんちゃく)起こしたらしい。

とすると、一晩中庭に居たという事か…。

慌てて表に出て、庭の隅々迄彼女を探した。

木の影や土蔵の裏、自宅の勝手口から続く裏庭…表のガレージの中にも妃奈の姿はない。

「見掛けなかったか?」

「明け方には、事務所の裏口付近にいらっしゃいましたが…」

警備員の話に、黒澤は直ぐ様事務所の裏に回った。

事務所建物と外壁である煉瓦壁の間の細い通路の奥…厨房裏のゴミバケツに挟まれる様にしゃがみ込む妃奈を見付けた。

「……妃奈」

声に反応し、ゆるゆると無表情で見上げた妃奈に、黒澤は手を差し伸べる。

「隠れるのが得意なんだな…やっと見付けた」

「……」

「帰ろう、妃奈」

再びゆるゆると首を振る妃奈の腕を掴むと、半ば強引に立ち上がらせ、黒澤は妃奈を連れて通路を出た。

「…昨夜は、済まなかった。…その…磯村に、何か言われたか?」

「……別に」

Tシャツに暗い迷彩柄の薄いストールを羽織った妃奈の手は氷の様に冷たく、全身がしっとりと濡れていた。

「家に入って暖まろう…夜露に濡れて冷え切っている」

手を取ろうとすると、妃奈はスルリと逃げて頭を振った。

「大丈夫だ…磯村は、もう帰った」

「…そういう事じゃない…」

「妃奈が気にする様な事は何もない…磯村とは、何でもないんだ」

「……」

「…確かに昔は付き合っていたが、今は仕事仲間だ。昨夜も何もなかったと、磯村自身が言って…」

「…別に…黒澤が言い訳しなくていい。あそこは黒澤の家だ。アンタが何をしようが、誰を連れ込もうが、アンタの自由だし…アタシが、とやかく言える立場じゃない」

「言っていいんだ、妃奈!嫌なら嫌だと…」

「……別に」

少し拗ねた様な…それでいて、全てを諦めた様な暗い瞳で外方を向く妃奈の頭に手を置いた。

嫌だと…誰も連れ込むなと怒ってくれればいいのに……頭に置いた手を背中に回して、妃奈の躰を抱き寄せる。

「…止めろよ…服が濡れちまうだろ?」

「構わない…」

いつもそうだ…妃奈を見ていると、胸が痛くなる程の抱き締めたい衝動に駆られる。

妃奈の態度がそうさせるのか…。

それとも、何もかも諦め呑み込んでしまう様に育ってしまった事が不憫(ふびん)なのか…。

「…以前と逆だな」

「何が?」

「昔は、俺がゴミ捨て場に転がっていて…お前に助けられた」

「……」

「妃奈は、俺の事を『王子様』だと言った…ゴミに埋もれて、ずぶ濡れになっていた俺の事を…」

「…覚えてない」

「……Princess(プリンセス) Amber(アンバー)…」

「…ぇ?」

「俺が名付けたんだ…お前が俺の事を『王子様』と呼ぶから……俺が名付けた……俺の…小さな『琥珀姫』…」

突如腕の中の妃奈の躰が緊張の為に強張るのを感じ、黒澤は彼女の顔を覗き込んだ。

「…思い出さないか?」

「……知らないっ!!何言ってんだ!?」

「妃奈?」

頬を火照らせ涙を溜めて動揺した妃奈は、黒澤を突き飛ばすと家に向かって走り出した。

「妃奈!!」

「付いて来んなっ!お前なんか、大嫌いだっ!!」

まるで子供の様に感情を剥き出しにして叫ぶと、妃奈は家のドアをバタンと閉めた。



「それで、事務所でふて寝ですか?」

呆れた様に小塚が声を掛けたが、黒澤は窓から見える自宅を眺めてボソリと吐いた。

「……記憶が…あったんだろうか?」

「どうでしょう?直接、尋ねられては如何ですか?」

「知らないと言っていたが…動揺して取り乱していた」

「まぁ…恥ずかしがっていたのかもしれませんね」

そうかもしれない…期待は持てない…妃奈は、以前の記憶を全て失っているのだから…。

ドアをノックする音に小塚が答えると、田上が顔を出して微笑んだ。

「兄さん、調査結果持って来ましたで!」

ヒラヒラと封筒を振って、田上はソファーに座った。

「吉田理乃の事件に動きはない様だな?」

渡された書類にざっと目を通した黒澤は、田上に向き直った。

「そうですねん…犯人の行方も、目撃情報も皆無ですわ。吉田理乃の足取りなんやけど、沖縄から帰った後しばらくは、自宅やのぉて『新宿パンク』のリーダーの坂上って奴の所で、他の奴等と一緒に生活しとったみたいですわ」

「警察に身柄を拘束される迄は、そこで生活していたんだな?」

「そうみたいでんな…釈放されてからは、自宅のアパートに帰ってますねんけどな…」

「何かあったか?」

「何か、人が変わったみたいになってたって、バイト先の同僚が言うてたんですわ。ドギツイ化粧もせんようになって、バイト先も辞める予定で、栃木の実家に帰ろうかて、悩んでたみたいなんですわ」

「理由は?」

「ハッキリは言うてなかったみたいですけど、何か(おび)えてたっちゅう感じやったって…」

「脅されていたと見るべきでしょうか?」

「あり得るな…。事件当時の他の奴等のアリバイは?」

「それが…完璧なんですわ。吉田理乃が殺害された時には、丁度開店パーティーしてたみたいで…」

「開店?何の店だ?」

「リーダーの坂上恭(さかがみ きょう)が、仲間と一緒に会員制のクラブを開店したんやそうで…まぁ、パーティーやから、会員ばかりやなかったみたいですけどな」

「会員制クラブって…最初から、会員等集まる物なんでしょうか?」

小塚の疑問に、田上は手を広げて首を振った。

「何か、元々坂上が仕切ってた『新宿パンク』で、パーティーチケット売ったりしてたみたいで…噂じゃ脱法ハーブやドラッグのパーティーも企画してたみたいですわ」

「自分達の店を持って、パーティー会場も手に入れたという事か…店は…歌舞伎町!?資金は?どこから出ている!?」

「坂上って奴は、結構いい暮らししてますけど、母子家庭なんですわ。今の所、資金の流れ迄は、ちょっと…」

「以前、妃奈が奴等には偉いさんとヤクザが絡んでいると言っていた……警察に介入して来た奴は?」

「まだ確認中なんで、報告書には上げてないんですけど…結構な大物が浮上してますねん」

「誰だ?」

毛利剛(もうり たけし)って人物なんですけどな…兄さん、ご存知でっか?財団法人 新宿都市計画の相談役で、元新宿署の組織対策課 課長なんて、ご大層な経歴の持ち主で…今現在も、都議会議員なんか務めてる男なんですわ」

「……そうか…奴が絡んでるのか…」

ギリッと音がして、黒澤の口がニィッと引き上がり、大きな犬歯が剥き出しになるのを見て、小塚と田上は息を呑んだ。

「田上、引き続き毛利を徹底的に洗え!必ずどこかの暴力団とも手を結んでいる筈だ」

「わかりました!」

「小塚、明日の予定は?」

「午後から、森田組長との会合があります」

「…わかった。お前は明日、妃奈の外出に付き添ってやってくれ」

「宜しいのですか?近頃、付近に不審な(やから)が…」

「その為に付き添いを頼んでいる。多分、西堀か…『新宿パンク』の連中だろうからな」

「…承知致しました」

「宜しく頼む。派遣部の連中を使って構わない…必ず、連れ帰ってくれ」

そう言うと、黒澤は自宅に戻った。


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