(16) 望み
「外出したいって?どこに?」
「さぁ…少し、思い詰めている様な表情をされていました」
「…うむ」
最近少し鬱いでいる様な妃奈は、時折何か言いたそうな素振りを見せるが、黒澤には何も話せずにいた。
「…お前には、心を許して何でも話す様だな…」
「は?」
大阪に帰省した栞から、申し訳ないがしばらく帰れそうにないと連絡があった。
妃奈は、小塚にも栞がいつ帰るのかを頻りに尋ねているそうだ…栞に、心を開いているのだろう。
そして、小塚にも…。
「…申し訳ありませんが、私は高橋さんに余り好感を持たれていない様です」
「そうなのか?」
「彼女の私に対する認識は、『非常に意地の悪い人間』という物の様ですので」
「…どこに行きたいのか、聞き出してくれ」
「そろそろ閉じ込めて置くのも、限界なのではありませんか?」
「……西堀がコンタクトを取って来た今、妃奈を外に出すのは危険だ」
「しかし…」
「…あの、リノという女の一件もある。余程の事がない限り、今は無理だ!!」
警察に居場所を聞いたのか、数日前から西堀善吉が妃奈に会わせろと連絡を寄越す様になった。
そして2日前の深夜、吉田理乃が帰宅途中何者かに襲われ、命を落したのだ。
防犯カメラも何もない道での犯行で、通り魔による無差別殺人かと新聞やテレビを賑わしている。
事件後、リノは他のメンバーと共に沖縄に潜伏していたが、ほとぼりが冷めたと思ったのか新宿に舞い戻った所を、警察に身柄を拘束された。
だが、妃奈の証言であっさりと釈放されてしまったのだ。
他のメンバーにしても、実際に金品を脅し取った訳でもなく、刑事が言った様に厳重注意だけで事は治められた。
だが、このタイミングでの通り魔事件…明らかに、あの時の事故の口封じの様な気がする。
所長室のドアをノックする音と共に、田上がヒョッコリと顔を出した。
「たっだいま戻りましたぁ~」
「お帰りなさい、田上さん」
「長い事、すんませんでした」
「いゃ…無事に襲名が済んで良かったな」
「いやはや…あんな大変なもんやと思いませんでしたわ〜。年寄共の煩い事言うたら…流石の栞叔母ちゃんも切れてましたで!」
どうせ、本家が継ぐべきだと言い出した親族が居たのだろう。
「あれじゃ、兄貴も大変やと思いますわ…まぁ、俺には関係おまへんけど」
「だが、みっちり扱かれて来たんだろう?」
「わかりますぅ?そら、めっちゃやられて来ましたわ…」
泣き真似をする田上に、小塚が声を掛ける。
「根津さんの帰京が遅くなると連絡を頂きましたが、何かありましたか?」
「あぁ…法事と襲名式終った途端、ウチのオカンが倒れよったんですわ。ウチは兄貴もまだ結婚してない男所帯でっしゃろ?オカンの世話任せられる親戚言うたら、栞叔母ちゃんだけなんですわ」
そう頭を掻いた田上が、黒澤に向き直り頭を下げた。
「ホンマにすんまへん…こっちの事も気にはしてましてんけど、事務所の事は小塚はんに任せてたら間違いあらへんし、兄さんの事は妃奈ちゃんに任せてたら大丈夫言うてまして…」
「あぁ…大丈夫だ。お袋さんが全快する迄、じっくり看病する様にと連絡して置いてくれ」
「おおきに、ありがとうございます。ほな、皆に大阪土産配って来ますわ」
満面の笑みを残して田上が退室すると、黒澤は小塚に命令した。
「田上に、吉田理乃の事件を洗わせてくれ。警察から釈放されて以降の足取りも、一緒に洗わせろ」
「その事件の依頼を受けられるのですか?」
「いゃ…妃奈の身の安全を図りたいだけだ。後、警察に指示を出した人物を洗い出せ」
「高橋さんが、狙われるとでも?」
「確証がある訳ではないが…」
「…承知致しました」
小塚は恭しく頭を下げると、所長室を後にした。
「コレ!コレが又、めっちゃ旨いねん!妃奈ちゃん、試してみたって!!」
紙袋一杯の土産物をテーブルに広げ、田上がしきりに大阪自慢をしているのを、妃奈が黙って聞いている。
無表情の娘に、田上の言葉がどの程度届いているのだろう…そう思いながら、小塚は黙って紅茶を淹れていた。
「ほんでな、コレも良かったら食べて貰おうと思てな…」
紙箱の包装を開けようとしている田上の手元を見て、紅茶のカップを配った小塚は、食器棚からケーキ皿とフォークを用意した。
「……何?」
「コレは東京駅の中で買ぅて来たんや!今ごっつい流行ってるケーキで…」
田上が説明しながら箱を開けようとするのを、妃奈はバンッとテーブルを叩いて止める。
「…妃奈ちゃん?」
「……悪いけど…持って帰って…」
「えっ?めっちゃ旨いって評判の店のケーキやで?」
「いいからっ!!……箱、開けんな…」
顔を強張らせる妃奈の様子を見て、小塚は田上の手元を押さえた。
「もしかして、お嫌いなんですか?高橋さん?」
「……ゴメン…気持ちだけ…貰う」
そう言って立ち上がろうとする妃奈に、田上がオロオロと手を振った。
「イャイャ…そりゃ、好みもあるやろし…。そや!!このお好み焼き煎餅も、ゴッツイ旨いんやで!?」
辺りに漂った甘いケーキの香りが、田上が開けたソース煎餅の匂いに掻き消される。
妃奈は気まずそうに席に着くと、差し出された袋から煎餅を一枚取った。
「…オバちゃん…いつ帰る?」
「悪いなぁ…ウチのオカンの看病で、当分帰って来られへんねん」
「……そっか」
「何なら、アドレス教えるから、メールしたってぇな」
赤外線通信する妃奈を見て、田上がニヤニヤと笑い掛ける。
「栞叔母ちゃん、大阪でもずっと妃奈ちゃんの事気にしてたけどな…ちょっと見ん間に、こんな別嬪になった妃奈ちゃん見たら、きっとビックリすると思うわ!!」
田上の言葉を聞き不機嫌に眉を寄せる妃奈に、小塚は話題を代える為に話し掛けた。
「そういえば、高橋さん…外出の件ですが」
「黒澤、何か言ってた?」
「難しいかもしれませんね。因みに、どちらにお出掛けになるおつもりだったんですか?」
「……新宿中央公園」
「新宿中央公園?何かあるんですか?」
「関係ねぇだろ!?」
小塚の冷たい視線に、妃奈は剥れながら言い直す。
「…人に会いに行く」
「まさかとは思いますが、西堀善吉に会いに行くのではないでしょうね?所長からも、止められている筈ですが?」
「……別に」
フィと外方を向く妃奈を見て、小塚はオロオロと様子を見守る田上に視線を投げた。
「申し訳ありませんが、席を外して頂けませんか?」
「…わかりました。そやけど、小塚はん…あんまり妃奈ちゃんに、辛ぅ…」
冷たく睨み返すと、田上は慌ててケーキの箱を抱えて退散した。
「高橋さん、一度お話して置こうと思ったのですが、いい加減所長を振り回すのは、止めて頂けませんか?」
「…どういう意味?」
「所長が、どれだけ貴女の事に心を砕いておられるか…貴女は、ちっとも理解していらっしゃらない!!」
「……」
「外出を禁止しているのは、貴女の身の安全を慮っての事だと…貴女だって理解している筈です」
「…そんな事、誰も頼んでない!」
「そう言って自暴自棄になって…殺されても良い様な事を貴女が仰るから、所長が外出させられないと閉じ込めてしまわれるのが、理解出来ないんでしすか!?」
「アンタ達にはわかんねぇよ!!」
「えぇ、理解出来ませんね…どうせ、新宿中央公園に行くと言うのは口実で、貴女がここから逃げ出そうとしているのは明白ですから…」
「その方が、黒澤だって厄介払い出来て良いじゃねぇか!?」
「貴女がここから逃げ出したら、所長は直ぐに捜索願いを出され、貴女が見付かる迄心配して仕事も手に付かない状態に陥られる。そして貴女が見付かると、警察に身柄を引き取りに行くのは、保護者である所長なんです。多忙なあの方に、そんな手間を掛けさせないで頂きたいですね」
「そんなに手間なら、端から捜索願いなんて出さなきゃいいじゃん!?大体、いつまでアタシの事閉じ込めとく積もりなんだよ!!保護者だからって、そんな権利あんのか!?」
「何を仰ってるんですか!全て貴女の為でしょう!?」
「ありがた迷惑だって言ってんだよ!!何ならサツに電話して、悪徳弁護士野郎に監禁されてるって騒いでやろうか!?」
激昂して勢い良く立ち上がった妃奈は目眩を起こし、そのまま崩れ落ちそうになった。
「…大丈夫ですか?貧血を起こされた様ですね」
透かさず支えた小塚は、そのまま妃奈をリビングのムートンの上に運ぶと膝を高くして寝かせ、ブランケットを掛けながら少し微笑んだ。
「発散、出来ましたか?」
「……疲れた」
「貴女は、まだ緊張して生活なさっていますからね…たまには、ガス抜きが必要でしょう」
「…」
「そんなに、ここの生活はお嫌ですか?」
「……そんな事ない」
「でも、まだ…出て行く事を考えているのも事実ですよね?」
「……」
「ここを出ても、貴女が頼る場所はない筈です。何故ですか?」
「……心配なんだよ」
「西堀善吉の事ですか?彼なら無事です」
「本当に!?」
「えぇ」
「そっか…良かった……でも、まぁ…それだけじゃないんだけどさ…」
「まだ何か?」
「…どうせ、いずれは追い出されんだろ?……所詮黒澤にとってアタシの存在って、迷惑なだけだろうしな…」
「迷惑なのか、そうでないのか…それを決めるのは、所長ご自身でしょう?ところで、新宿中央公園には、どなたに会いに行くおつもりだったのですか?」
「…世話になった人……前に話した、黒澤がヤクザと関係があるって…教えてくれた人と……約束…した事が…ある…」
そのまま、スゥと寝息を立てる妃奈の膝を伸ばしてやると、小塚はテーブルの上を片付け、そっと家を出て行った。
フワフワとした暖かい感触に包まれ、心地好い眠りを貪る妃奈がゴロリと寝返りを打った途端、額に当たる壁に一気に緊張感を漲らせた。
仄かに香る甘い煙草の匂いに混じる、雄特有の体臭とコロンの香り…。
「…起きたか、妃奈?」
「……何で、アンタが一緒に寝てんだよ。黒澤…さん」
「呼び捨てでいい。いつも、そう呼んでるんだろう?」
「……」
「本当は、昔の様に名前で呼んでくれていいんだが…」
「…覚えてないし…あり得ない。で?何だよ、この状況?」
ムクリと起き上がる妃奈に少し残念そうに眉を寄せると、黒澤も起き上がり妃奈の首をスルリと撫でた。
「首が…」
途端にパシンと手を払われ、妃奈にキツイ視線を向けられた黒澤は、苦笑いを溢す。
「…辛そうだったんだ。寝違えてないか?」
「……平気」
そう言って立ち上がろうとした妃奈の手を、黒澤は掴まえて言った。
「少し、話さないか?」
「何?」
グイッと手を引かれて座らされると、妃奈は覗き込もうとする黒澤の視線から逃れる為に、光を失ったステンドグラスに目を向ける。
「妃奈は、ここに居てもいいんだ。誰にも遠慮なんて要らないんだぞ?」
「小塚さんに聞いたのか?」
「私が、妃奈を迷惑だなんて思う筈ないだろう?私達は、家族も一緒だ」
「…要らないし…そんな関係…」
「ぇ?」
「家族なんて、必要ないって言ってんの!これ以上恩を着せられても、返しようがないんだよ!!」
「…妃奈…この間も、そう言っていたな?恩を返す必要なんてない。そんな事は、考えなくていいんだ」
何言ってんだ、この男…思わず繁々と黒澤の顔を見詰める妃奈に、黒澤は眉を寄せて尋ねた。
「……誰かに…そう言われたのか?」
「だって…受けた恩は、返すのが当たり前なんだろ?」
「そんな事、思わなくていい!!況して、私には…絶対に!!」
「…いや…アンタには、この土地渡すからさ」
「…」
「それで、チャラにしてくんないかな?」
「まだ、出て行く気なのか?ここを出ても、行く当て等ないだろう?」
「…元の生活に戻るだけだし」
「戻ってどうする!?あの生活が、そんなに魅力的なのか!?食うや食わずで野宿して、男達に躰を奪われる生活が!?」
「そういう訳じゃないけど…ここの生活は、居心地いいし…」
「じゃあ何故だ!?」
グッと腕を掴まれ、黒澤に睨み付けられて、妃奈はハァと溜め息を吐いた。
「居心地いいから困るんだよ」
「何が!?」
「だって…どうせ2年後には、追い出されるんだろ?」
「…え?」
「未成年後見人って、未成年の間だけの関係なんだろ?成人したら、後は勝手にしろって事なんだろ?」
「…調べたのか?」
「アンタの書斎の本に載ってた。どうせ2年後に追い出されんならさぁ、今の生活に馴れない内の方が、アタシはありがたいんだけどな…」
「まさか…それで、ずっと座って寝てたっていうのか!?」
「…まぁ、それもあるけど……ベッドは嫌いだし…」
苦し気な表情を浮かべた黒澤は、妃奈の躰を抱き寄せた。
「なっ!?何すんだよ、黒澤っ!?」
「俺は…妃奈が成人しても、手放す積りはないぞ!?」
腕の中でもがく妃奈が、グイッと胸に手を付いて黒澤の顔を見上げた。
「何考えてんだよ、黒澤!?」
「言っただろう!?俺は、妃奈を幸せにするために引き取ったと‼」
「止めろよ、それ…」
「何故!?」
「おかしいだろ?そんな言い方…」
「……」
「それに、アタシは…幸せなんて望んでないし」
「…妃奈」
「そんなもん、アタシには関係ない物だ…縁もないし、興味もない」
「お前の望みは…」
「知ってんだろ?」
「まだ、死にたいと思っているのか!?そんな事…」
「…何が悪い?」
「……」
「それが、一番皆を幸せに出来る事なんだ!!義父さんにも兄ちゃんにも、恩返し出来る!!美子だって、夢が叶う!!」
「お前はっ!?お前は犠牲になるだけだろうっ!?」
「……違うよ」
「何だと!?」
「…半分は、アタシの為だ……アタシの望みだ」
深く眉間に皺を寄せた黒澤が、まじまじと妃奈の顔を見詰める。
「…お前の本当の望みとは…何なんだ?」
「………」
「妃奈!?」
「……自由になる事…」
「…何から?」
「……」
「答えろ、妃奈!?何から自由になりたいんだ!?」
瞳を逸らしていた妃奈がキッと黒澤の顔を見上げ、殆ど叫ぶ様にその言葉は吐かれた。
「…全部だよっ!!このクソッタレの世界からも、この汚い躰からも…アタシは、自由になりたいんだっ!!」




