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琥珀色の呪文  作者: Shellie May
15/80

(15) 軽井沢

クライアントである会社の社長から、軽井沢にオープンさせるレストランがトラブルに見舞われたので、是非現地にて対応して欲しいと黒澤に依頼があったのは、先週の中頃だった。

何でも娘の為に買った個人資産という話だったが、現地に(おもむ)いても一向に詳しい話をしようとしない。

連日の妻や娘を交えた接待に、これが仕組まれた見合いの場だと苦々しく思いながらも、クライアントである以上、無下に帰る訳にも行かなかった。

早々にトラブルになっている案件を片付けて帰る準備をしていると、東京に戻った社長が週末軽井沢に帰る迄、別荘でお待ち頂きたいと連絡を入れて来た。

仕方なくこれも仕事と割り切り、母娘の旧軽井沢でのショッピングに付き合っている時に、小塚から妃奈が発熱したとのメールがあったのだ。

「…小塚か?メールは読んだ。どの程度の発熱なんだ?…あぁ…病院は?…又か……あぁ…わかった、直ぐに帰る」

折り返した電話の唯ならぬ様子に、一緒に居た母娘が眉を寄せた。

「どうかなさいました?」

「申し訳ありません。至急、東京に帰らなくてはなりません」

「何かあったんですの?」

「私が引き取った娘が、病気になりまして…」

「……娘さんがいらっしゃいますの?」

「えぇ」

「お幾つ?」

「17になります。事情がありまして、私が引き取り2人で生活しています」

「一緒に生活されているんですか!?17歳のお嬢さんと!?」

「はい」

引き()った顔を見せる母親と対照的に、落ち着いた表情の娘が私の前に進み出た。

「黒澤さん…貴方の本当のお子さんではないんでしょう?一時的に預かっていらっしゃるんですか?」

「いいえ…血縁ではありませんが、私は彼女の保護者です。この先も一緒に生活する積りです」

「…そうですか…わかりました。父には、私から連絡して置きます。直ぐに帰って差し上げて下さい」

「ありがとうございます。失礼致します」

気丈な娘に一礼し、黒澤は(きびす)を返して別荘に戻り、仕度をして東京に車を飛ばした。

出張に出る直前、栞が所長室にやって来て、涙ながらに妃奈との会話を話していた。

歓迎パーティーを嫌がる理由、黒澤や記憶のない両親に対しての想い。

そして、妃奈がベッドで休むのを(かたく)なに拒む理由と、彼女が受けた(きず)…。

妃奈が6年前に両親を亡くし、記憶をなくした件に関しても、栞は黒澤に問い(ただ)した…父や兄の事件と、何か関係があるのでは…と。

翌日から、法事と道場の後継者を決める話し合いの為に田上と一緒に大阪に帰る栞を何とか宥めて、黒澤は出張に出たのだ。

東京に戻ったのは夜中だったが、1人きりでリビングに座り込んで眠る妃奈を見た時、黒澤は自分の家の中が公園の様な感覚に襲われた。

ソファーの前に座っていた妃奈が、まるで公園の植え込みの隅で膝を抱えて眠っている様に見えたからだ。

高熱で朦朧(もうろう)とする妃奈にスポーツドリンクを飲ませ、説得して薬を与えた。

「医者にも薬にも、トラウマがある様ですね」

帰りがけに再び電話した時の、小塚の言葉を思い出す。

「何か言っていたのか?」

「最初に彼女に変な薬を与えたのは、どうやら医者だった様です」

「何っ!?」

「覚醒剤か、催淫剤の様な物でしょう。他に捕らえられた娘達と共に注射をされ、客を取らされた様です。その後は、あの時の仲間が連れて来た医大生に、経口薬の治験体にされて…言う事を聞かない度に使用されていたそうです」

「…そうか」

「薬を与えるなら、変な薬ではない事を彼女に確認させて、説得してみては如何でしょうか?」

小塚のアドバイスで、帰り道に寄ったドラッグストアで解熱剤を買ったのが効を奏した様だ。

躰を拭き着替えさせた後、妃奈はトイレに籠ろうとしたが、脅した事への謝罪や今の自分の想いを話すと、黙って黒澤の話を聞いていた。

唯、熱の為か相変わらず余り言葉を発しない…黒澤以外の人間、栞や小塚とは言葉を交わし自分の考えも話すのに、黒澤には黙って目を伏せたまま何も語ろうとしないのだ。

妃奈の考えがわからない…余程嫌われ、恐れられているのだろうか?

瞳を合わせても、怯えた小鹿の様に震え、困惑した様な微妙な表情しか見せない。

だが熱に潤んだ瞳は美しく、同じく熱の為に紅く色付き熱い吐息を吐く唇は大人の色気さえ漂わせた。

心を開く様に諭し頭を撫でて抱き込むと、一言だけ『…寒い』と言って黒澤の懐に潜り込んで来る。

妃奈が怒りを表す以外に黒澤に意思表示をしたのは、多分初めてではないだろうか?

今は、それで十分だ…これから少しずつ心を開き、考えている事を話してくれればそれでいい…。

3日程寝込んだ後、全快した妃奈は再び家事をこなす様になった。

相変わらず言葉数は少ないが、一応食卓にも座る様になり、黒澤が朝食を食べている時には、ミルク珈琲を作って飲んでいる。

妃奈なりに、黒澤との距離を縮め様と努力しているのだろう。

事務所に出勤する時には、黙って玄関迄付いて来る。

「…そうだ、忘れていた…」

スーツのポケットにハンカチを入れた時、カサリと紙袋が触れたのに気付いた黒澤は、袋から取り出した物を妃奈に見せた。

「軽井沢の土産だ。こっちにおいで…」

黙って近付いて来た妃奈の長い前髪を分けてやると、黒澤は手に乗せたピンで髪を留めてやった。

「うん、いいな…これで、顔に髪が掛からないだろう?」

そう言って、妃奈の頭を撫でてやる。

もう妃奈が身を(すく)める事はない…唯、黒澤の手の行方を目で追い、自分の頭に乗せられると黙って目を閉じるのだ。

相変わらず無表情だが、逃げないという事は、この行為を容認しているのだろう。

「じゃあ、行ってくる」

「……ぁ」

「ん?何だ?」

「……」

妃奈は何も言わず、目だけを泳がせて…やがて、ぴょこりと頭を下げた。

日に日に少しずつ軟化して行く妃奈を見るのは楽しく、可愛く思えて来る。

「…良く似合っている」

再び頭に乗せた手を後頭部に滑らせて引き寄せると、黒澤は妃奈の額にキスをして玄関を出た。



玄関が閉まったと同時に、妃奈は洗面所に駆け込んだ。

大きな鏡に写し出されたのは、白い髪に留められた愛らしいピンが2本…全体に小花を散らし、花芯にはキラキラと輝くスワロフスキーが()め込まれている。

前髪を真ん中で分けて両サイドに留められたピンを、ドキドキとしながら妃奈は見詰めた…が、前髪が留められた事で(あらわ)にされた浅黒い顔を見て、やはり嫌悪感に襲われる。

ハーフにしては、色濃く異国の血を表す顔立ちが昔から嫌いだった。

何故皆と同じじゃないんだろう…肌の色も顔立ちも…そして、汚い色の髪も…。

ピンを取って顔を隠そうとした時、黒澤の言葉を思い出した。

「…良く似合っている」

妃奈は再びピンを留めると、鏡に向かって溜め息を吐いた。

熱が引いて直ぐに、黒澤に連れられて事務所の所長室に行った。

「事故の事で、刑事が事情を聞きに来る。話したくない事や覚えてない事は、何も答えなくていい」

ソファーに座らせながら、黒澤は優しい声音で言った。

「それよりも、事故の前の事だが…」

ドキリとして黒澤を見上げると、彼は少し眉間に皺を寄せて緊張する妃奈の手を握った。

「何があったかは、(おおむ)ね理解している。妃奈は、相手の男達を訴えたいか?」

とんでもない!!

もしそんな事をすれば、善吉も警察に捕まってしまうに違いない…妃奈は黒澤の視線から逃れる様に俯くと、激しく首を振った。

「…そうか…わかった。今日刑事が来るのは、先日の事故の犯人達が捕まったからだ」

「……兄ちゃんは?」

「西堀善吉の事か?安心しなさい…彼は、事情聴取を受けただけだ」

ホッとする妃奈に、頭の上から少し硬質な声がした。

「西堀善吉は、奴等の仲間なのか?」

以前、善吉は『新宿パンク』の正式なメンバーではないと言っていた。

坂上とは、中学だか高校だかの先輩後輩の仲なのだと…。

「……兄ちゃんは…あの事故には、関係ない」

「では、妃奈が強姦を受けた事とは、関係があるんだな?」

「……」

答えを窮する妃奈に、黒澤は大きな掌でポンポンと優しく頭を叩いた。

「言いたくないなら仕方ない…だが、二度と奴等に関わるな」

「……兄ちゃんとも?」

「奴等が妃奈にコンタクトを取って来るのは、西堀善吉を介してだろう?」

「……」

確かにそうだ…善吉と関わらなければ、妃奈が奴等に嫌な事を強要される事はない……だけど…。

「…兄ちゃん、(ひど)い目に()わない…かな?」

「……妃奈は、西堀善吉が好きなのか?」

「…兄ちゃんには…恩がある」

「恩?」

「ずっと…面倒見てくれた。話せない時も、辛い時も…兄ちゃんだけは…味方だった」

「じゃあ、何故その兄は、お前を守ってくれない!?」

頭の上から落とされた雷に、妃奈は身を(すく)めた。

黒澤は、まだ知らないんだ…善吉が坂上に借金をする事こそ、妃奈が強姦される原因だという事を…。

訪れた2人の刑事の内、年嵩(としかさ)の刑事の顔を見て妃奈は眉を寄せた。

以前にも何度か顔を合わせた事のある岸本って刑事だ。

「困りましたねぇ…相手の吉田理乃(よしだ りの)さんとの証言と、食い違うんですよ」

若い植木と名乗った刑事の通り一辺倒の質問が終わると、岸本刑事が頭を掻きながらニヤリと笑った。

「彼女が言うには、言い争いはしたが…そちらの高橋妃奈が足を滑らせて勝手に転んだと言うんですがね」

又か…坂上の親から圧力が掛かったのか、それともリノの弁護士の力なのか…どちらにしても、コイツ等は買収されてるって事だ。

大体、リノは敬称付きでアタシは呼び捨てって何だよ!?

だが、どうせシナリオは出来上がっているんだろう…そう妃奈が諦めの溜め息を吐いた時、隣から怒声が飛んだ。

「何を言ってるんです!!妃奈が突き飛ばされのは、周知の事実だ!!提出した映像にも記録されているし、証人も居るんですよ!?」

「しかしね、黒澤さん…この高橋妃奈には、クスリをやっていたという事実もありますしね」

ニヤニヤと笑いながら、岸本刑事が妃奈に目を向ける。

「そうだよな、クロ?」

「…覚えてねぇよ」

「直前迄、お楽しみだったんだろ?クスリやって、複数の男達とヤりまくってたんだよなぁ?」

「覚えてねぇって言ってんだろ!?」

「坂上巡っての痴話喧嘩だそうだな?」

「誰が、あんな奴!!」

「何にしてもだ、黒澤さん…お宅の寺脇さんには申し訳ないんですがね。この件は、そこの高橋妃奈の不注意による事故として片付きそうですよ」

「…そんな事で、許されると思っていらっしゃるんですか!?こちらとしては、徹底的に調査の上…」

「……もういい」

ボソリと吐いた妃奈の言葉に、黒澤は目を剥いた。

「妃奈!?」

「いいんだ……それで処理しろって、上から言われてんだろ、刑事さん?」

「飲み込みがいいな…その方が、お前に取っても都合がいいって事だ」

「勝手にしろよ。元々アンタ達に期待なんかしてねぇよ」

そう言って立ち上がった妃奈に、岸本刑事が追い討ちを掛ける。

「どうやって取り込んだのかわからんが、御大層な場所に囲われてるんだな?」

「…別に」

「だが覚えておけよ、クロ?どれだけ取り繕ったって、お前は道端で転がってる薄汚い野良猫に過ぎないんだからな」

「そんな事、アンタに言われなくても先刻承知してるよ。それより、そろそろ自分のクビ心配した方がいいんじゃねぇの?アンタじゃ、天下りも無理だろ?」

「それこそ、大きなお世話だ!お前こそ…」

「そこ迄にして頂きましょう!名誉棄損(めいよきそん)で訴えられたいんですか!?」

ニヤニヤと両手を上げて首を振った岸本刑事は、強張った顔をして話を聞いていた植木刑事をせっついて立たせた。

「本人も、あぁ言ってますんでね。その様に処理させて頂きますよ」

「…私に恐喝(きょうかつ)した連中については、きっちり起訴させて頂きます」

「それにしたって、厳重注意で終わりますよ…時間の無駄だ」

「…後程、署の方に抗議させて頂きます。宜しいですね?」

「どうぞ、ご勝手に…それでは失礼します」

ヒョコリと頭を下げながら、妃奈を一瞥(いちべつ)して刑事達は帰って行った。

「何故だ、妃奈!?」

熱り立った黒澤が妃奈の肩を掴んだ。

「……何やったって、無駄なんだって…いつもの事だし」

「どういう事だ?」

「…奴等のバックには、偉いさんが付いてんだよ。サツなんか奴等の手先も一緒だ。最近は、ヤクザなんかも絡んでる…」

リノは、坂上の家にも出入りしていた筈だ…もし逮捕なんてされたら、坂上が今迄やって来た事を話してしまうかもしれない。

坂上にとっては数居る女の1人だろうが、どうやってもリノの身柄を警察に渡す訳にはいかないのだろう…というか、この後リノは無事で居られるんだろうか?

刑事が妃奈に脅して来たのは、妃奈のクスリの件と善吉の事だろう…下手をすれば、善吉の身も危ないと言う事だ…。

不意に、妃奈の頭に大きな手が乗せられた。

「お前は、それでいいのか?」

病気になってから、なんだかすっかりこの手に懐柔(かいじゅう)されてる様な気がする。

まだ、黒澤という男の全てを信用した訳じゃない…だが、こうやって心配されて、頭を撫でられるのは心地良い…。

「…妃奈?」

「……別に」

対して、こんな受け答えしか出来ない自分がもどかしい。

それでも、黒澤は黙って妃奈の頭を撫で続けてくれた。

「…髪、切ろうかな」

鏡に向かって小さく呟いた自分にフルフルと頭を振ると、妃奈はリビングに戻って片付けを始めた。

食事の世話をしたり、家事をするのは苦ではない。

黒澤は驚いていた様だが、養父の家に居た時にもやっていた事だ…だが、正直自分の作った食事が旨いなんて、思った事はない。

菅原家の食事も工場の従業員の食事も、火事になる迄は妃奈が作っていたが、いつの頃からか皆と共に食卓を囲む事もなくなり、食事の準備をしながらの味見が妃奈の食事になった。

だから、食卓を共にしようと黒澤が言って来た時は驚いた…自分なんかと何故食事をしたいなんて思うんだろう?

取り敢えず、朝食の時には珈琲牛乳を飲む様にして席に着いてみた。

黒澤は妃奈が飲み物しか口にしない事を心配したが、それでも簡単な朝食でも旨いと喜んで平らげる。

昼食は、朝に黒澤に作ったサンドイッチのパンの耳を食べる。

黒澤と一緒に夕食をする時だけは同じ物を食べるが、元々少食で食べない事に馴れた胃には、黒澤と同じ量等入る訳もなく、必然的に大鉢で取分ける料理が多くなった。

忙しく余り夕食を共にする事はないが、家で食事をする時、黒澤は決まって妃奈の料理を誉めてくれる。

今日は、家で食事をするんだったっけ…スケジュールを書き込んであるカレンダーを見た妃奈は、ハタと気付いて眉を寄せた。

そういえば…いや、気にし過ぎだろうか…。

薬箱の中から体温計を取り出して熱を計った妃奈の表情に、又暗い影が落ちた。


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